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49.後悔しても


 夢を見ていた気がする。

 とても幸せな夢を。


 夢の中の自分は楽しそうに小ぶりなテーブルに両肘を付いていた。両手に顔を乗せ、陽気な鼻歌を歌いながら薄桃の髪を見ている。薄桃の髪は一つに結われて、動く度に揺れていた。モニカはその髪が料理の時だけきちんと結われる事を知っている。それ以外の時は緩く結ばれ、だが耳の横だけ編まれている髪を見てはいつも器用だなと思っていた。


 トントンとまな板を一定の間隔で鳴らす音、無駄の無い動き、だけど洗い物は苦手だと流し台に使ったものを溜めながら料理をする後ろ姿。


『そんなに見たって早く出来ないってば』


 笑っているのか、少し弾んだ声の後、手を止めて少し振り向く姿。灰色の瞳が楽しそうに細められるのが好きだった。


 彼が料理をする姿が好きだった。




 いつ寝てしまったのか分からない、そんなうたた寝から緩やかに起きる様にモニカはゆっくりと瞼を開けた。何故か頭が痛く、ぼやける視界の焦点を合わせる為に数度瞬く。しかし、視界よりも早く嗅覚が異変を察知した。


「え、この匂い」


 パチリと覚醒する頭。モニカは顔を埋めている枕に勢い良く鼻を押し付け、勢いよくそれを吸い込んだ。鼻腔に広がるのはシトラスと上品なグリーンの香り、そしてその中に淹れたての紅茶のような香りが混じる。


 この匂いはモニカの森の家では嗅いだ事がない香りだ。モニカの家は基本的に草の青臭い匂いと乾燥させたハーブの臭いしかしない。しかし、モニカはこの匂いを知っていた。


 まさかと思い、枕から顔を離し、自分がいる部屋を見渡す。


「なんで、え」


 シンプルな色使いの部屋。しかし所々に取り敢えず置いておけば良いというようなぬいぐるみがある。壁際にあるクローゼットは確かゆったりとした部屋着がぎっしりと詰まっていた筈だ。ずっと寝ているだけだったのだ、ドレスなどある筈も無い。

 

 そう、この部屋はかつて自分が寝ていただけの部屋。ユディス伯爵家にあるモニカの自室だ。


 モニカはベッドの上でどうしてこうなっているのか考えた。しかし、ベッドから見る風景がかつての病弱であった自分を思い出させ、当時の気持ちに引っ張られてしまう。


 ずしりと心が落ちていく感じに、モニカは胸が苦しくなった。


 そしてポロポロと記憶が蘇ってくる。あの森の家での事を。


 モニカはリンウッドへ詰め寄るつもりだった。自分を騙していたのかと。激しく罵倒するつもりだったのだ。リンウッドが口を挟む隙間も無いくらい罵倒し、最後には蹴飛ばして家から追い出してやろうとも思っていた。

 このピンク頭野郎!と捨て台詞を吐いて。

 

 でも、いざリンウッドを前にしたらそんな気は一瞬にして消えてしまった。怒りよりも悲しみが勝ったのだ。いや、きっと怒りは悲しみに呑まれシュンと消えたに違いない。


 悲しくて悲しくて、どんなリンウッドの言葉も頭に入って来なかった。


 悲しみが胸の中で渦を巻き、自身をぎゅうぎゅうと苦しめる。その悲しみは嵐のように他を弾き飛ばし、モニカはその中心で目を閉じ、耳を塞いでいた。


 そうしていたら、パンッと何かが弾けた音がしたのだ。その瞬間、頭が真っ白になりもう何が何だか分からなくなった。


「あ、わたし……」


 次々と蘇る記憶、そしてモニカは思い出した。

 自身が何をしてしまったのかを。リンウッドにどんな顔をさせていたのかを。


 感情が一定水準を超えた結果、モニカはまた魔力暴走を起こしたのだ。リンウッドはそれを止めようとモニカを宥めていた。優しく背中を摩り、何度も落ち着いてと声を掛けて。


 キスをすれば戻った魔力で強制的に止められただろうに。でもリンウッドはそれをせずに止めようとしてくれていた。


「わたし、なんて事を……」


 思い出せば、体が震えてくる程の罪悪感が襲ってくる。

 あの後、どうなったのだろうか。リンウッドは無事?うさぎは?

 そもそもどうして自分は此処に居るのか分からない。


 震える口元を震える両手で押さえ、モニカは此処に居ないであろう名を呼ぶ。


「リンウッド、」


 思い出した記憶のリンウッドは、必死にモニカへ訴えていた。違う、話を聞いてくれ、と。

 

 それを聞かずに頭から拒否をしたのは自分だ。しかし、今なら分かる。リンウッドは決してモニカを裏切ってはいなかった。裏切っていたのならあの場からすぐに逃げるに決まっている。だがリンウッドはモニカを守るように抱き締めてくれていた。それが全ての答えに違いない。


 モニカはリンウッドに謝りたい気持ちでいっぱいになった。確かに書類はあったし、任務として受けてはいたがリンウッドの言うようにきっと理由があったのだ。


 どうして悲しんでばかりで聞いてあげなかったのか。モニカは過去の自分に罵倒したくなった。


 ベッドの上に三角座りをし、両目を膝に付ける。脳裏に蘇ったリンウッドの意地悪な笑みにモニカは自嘲気味な声を出した。


「ふ、ふふ」


 本当にどうしてこうなったのだろう。リンウッドに守られていた記憶が最後である。


 ベッドの上で暫くそうしていると部屋をノックする音が聞こえた。モニカは突然の音にびくりと体を揺らし、膝から顔を上げる。


 不本意、しかも知らない内に戻されていた実家だ。ノックに返事もせず扉を見ているとキィ……と恐る恐るというように扉が開いた。


 入ってきた人物は意外性など何も無い人物。その人はベッド上に座るモニカと目が合うと、一瞬驚いたように目を開く。だが直ぐに元の大きさへと戻し、モニカが聴いた事無いような穏やかな声で話しかけてきた。


「モニカ、起きたか」


 それはモニカが病弱故にこの家の養子となった義兄、シルビオだった。




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宜しくお願い致します。

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