32.器用な男
薬屋へ薬草を卸し、帰路へとついたモニカは疲れた顔で玄関扉を開けた。
「ただいまー」
くたくたとひと目見ても分かる様、大袈裟にふらついて歩けば、既に帰宅していたリンウッドがダイニングの椅子を引いてくれた。そこへぐったりと腰を下ろしたモニカは「ふぅ〜」と大きく息を吐く。
「疲れたー!疲れたよう!」
机に突っ伏し、足をバタバタとする。自分でも子供の様だと思ったが、疲れて理性が飛んでしまったのだろう。動きを止める事が出来なかった。
椅子を引いてくれたリンウッドはそんなモニカの様子をニヤついた顔で見ると、向かい側へ座りモニカの伸ばした手をつついてきた。
「遅かったね、なんかあった?」
「んー、なんかしつこい?お客さんがきてね。その対応してたの。魔術師さんだった」
しつこいとはまた別なのかも知れないが、時間を取られたのは事実だ。それに客へ見せる顔はそれなりに疲れる。あの後行った薬屋でも顔見知りの主婦に捕まって大変だった。
つまり今日はそういう星回りの日だったのだろう。何かと人が絡んでくる日だった。
うだうだ、だらだらとあった事を説明していたが、聞き役のリンウッドは気のない返事を繰り返す。どんな表情をしているのかは突っ伏しているモニカからは見えない。しかしそんな様子でもリンウッドはモニカの手をつついたり、指先に触ったりしてきていた。
マッサージの様な手つきに嫌な気分はしない。モニカがそのまま手を委ねていると突然リンウッドの手が止まる。テーブルに付けていた顔を上げれば、珍しく難しい顔をしたリンウッドが居た。
「どうしたの?」
「いや、魔術師かって思ってね」
その声は珍しく平坦だった。リンウッドは元魔術師だ。やはり魔術師というのは気になる存在なのかもしれない。
「リンウッドさんも魔術師だったんでしょ? 何で魔術師じゃなくなったの?」
モニカは今まで疑問だったが、聞けずにいた事を質問してみた。もしかしたら気分を害すかもしれない質問だ。しかしリンウッドは表情を変えず、モニカを見ていた。
あまり知識が無いからなのかモニカは魔術師が魔力を無くすなんて話聞いた事が無かった。だが後天的に魔力を得る事もあるのだから、生まれ持った魔力が消える事もあるのかも知れないとも思う。
じっとリンウッドの反応を伺っていたが、リンウッドは考える素ぶりも無く、口元に弧を描いた。
「秘密」
半分分かっていた事だが、少しだけモニカはしょんぼりとする。
「ふ〜ん」
不貞腐れ鼻を鳴らすと、呆れた顔をしたリンウッドがモニカの頭をポンポンと叩いた。
頭を触れられるのは好きでは無い。ムッとした顔で見上げれば、更に髪を乱された。
「やめてやめて!」
「だって変な顔してるから」
「頭触らないでほしいの」
「その前からじゃない」
ハッと嘲る様に鼻で笑う様子を見るとモニカが不貞腐れた理由も本当は分かっているようだった。
ひとしきりわしゃわしゃとモニカの髪を乱したリンウッドは満足したのか「さて」と席から立ち上がる。髪を整えながら目で追っているとリンウッドが予想外の事を口にした。
「何か作ろっか?」
一瞬何を言われているのか分からず、モニカの動きが止まる。作るとは何を作るのだろう。畑?野菜?家具?しかしリンウッドが向かっているのはキッチンである。
「え、作れるの!?」
キッチン、つまりリンウッドは料理をしてくれようとしているのだと気付き、モニカは大袈裟な程驚いた。
モニカの中でリンウッドは食に興味が無い人という分類だった。なので料理も出来ないし、しないと思っていたのだがどうやら違ったようだ。
リンウッドは鍋を取り出すとそれを台に乗せた。
「モニカよりは作れると思うなー」
垂れている髪を無造作に纏め、リンウッドは包丁で野菜をトントンと切っていく。その慣れていそうな規則的な音にモニカはポカンと口を開けてしまった。
モニカは今でこそ慣れて来たが、最初はこんな綺麗に切る事が出来なかった。そもそも何処から野菜を切って良いのかも分からず、サイズも分からない。ついでに言えば何処を支えて切れば良いのかも分かっていなかった。だからリンウッドが迷いなく切っている姿にモニカは驚いたのだ。
きっと彼は器用な男なのだろう。そう結論付けてモニカはキッチンにいるリンウッドをただ眺めた。
「あ、水」
リンウッドが手を振ると野菜が入った鍋に水が溜まる。リンウッドにとって魔力は消耗品だ。それを使った事にポロリとつい言葉が漏れる。
「このくらいは出来るよ。朝キスしたからね」
モニカの声に背中を向けながら答えたリンウッドは、反応が無くなったモニカを見る為にチラリと振り返る。予想通りだったのだろう、真っ赤な顔をしたモニカと目が合うと声を出して笑った。
「まだ慣れないの?」
「慣れるものじゃないと思うの!」
「そう? まあ、経験の差だね」
モニカにとってのキスは経験云々では無いのだが、料理中にごちゃごちゃ文句を言うのはあれだろうと口を噤む。
しかしモニカは言いたかった。キスが慣れないのはリンウッドのせいだと。あんなキス慣れるわけがないと。
しかし不思議なものだ。人が料理をしている姿を見ていると酷く落ち着く。モニカは淡々と料理をしているリンウッドの背中をボーッと見ていた。
悪い人では無いと思う。癖はあるも思うが。
一緒に暮らすまではどんな非常識な人なのだろうと思っていたが、暮らしてみると意外にちゃんと線引きをする酷くだった。
初対面でキスをするような人だ。強引に事に及ぼうとするかもしれないと酷く心配していたが、決してそんな事も無かった。確かにキスはするが、モニカの事をちゃんと考えてしてくれる。キスしても良いか聞いてくれるし、嫌だと答えればして来ない。まあ、流石に何日も開くと強行するが。
(そういう約束だったからな)
あれが無ければ同居もしなければキスもしなかっただろう。そもそもうさぎが迷い込んで来なければ会う事も無かった人だ。
(人の巡りって面白いわ)
モニカは今だに魔力の相性が良いという意味がよく分からない。モニカがキスをすると誰でも魔力が溜まるわけでも無いらしい。リンウッドが言うにほぼリンウッドにだけ有効な事だとか。
(本当に不思議。何でこんな事になったのかしら)
そんなこんなを考えていると料理が出来上がって来たようで、美味しそうな匂いが漂い始めた。モニカには出せない匂いに益々驚く。
一体何を作ったのだろう。ワクワクが止まらないモニカはそわそわとしながらリンウッドの様子を窺う。火を止めたリンウッドは迷う事なく深い皿を二つ出し、ミルク色の料理を器によそった。どうやら料理はシチューの様だ。
シチューならばとモニカは弾む足取りで戸棚にしまってあるバゲットを取り出し机に並べる。何か手伝う事はあるだろうか。立ったついでにリンウッドの傍へ行くと何故か笑われてしまった。
「大人しく座ってて。疲れてるんでしょ」
「……はい」
戦力外通告だ。
モニカは言われた通り大人しく席へと戻り、配膳されていく料理を見ていた。
シチューに入っているものは自家製の野菜達だ。ゴロゴロとした少し大きめの野菜がとても食欲をそそる。
「さて、食べよっか」
「うん。美味しそう」
向かい側にリンウッドも座ったところで、2人は早めの昼食を食べ始めた。モニカは匂いから食欲が刺激されまくりで、先程からお腹がぐーぐーと鳴り続けている。それを鎮める為に、そっとスプーンでシチューを掬うと口元へと運んだ。
「お、美味しい!」
匂いから分かっていたが、自分では決して作れない美味しいシチューにモニカは感嘆の声を上げる。
「美味しい!凄い!美味しいシチューだ!」
「それは良かった」
褒められれば誰だって嬉しい。それはリンウッドも同じ様で、目を細め、モニカの食事風景を見ていた。
「ねぇ、モニカ」
あまりの美味しさに料理へ夢中になっていたモニカ。
そんなモニカを見ていたリンウッドは徐ろにモニカの名を呼んだ。
「なぁに?」
呼ばれたモニカは食事の手を止め、リンウッドを見た。目が合ったリンウッドはニコリと笑うと予想もしなかった事を口にする。
「もう呼び捨てで良いよ。敬称いらない」
リンウッドて呼んで、と言われモニカはどういう事か分からずポカンと口を開いた。
モニカとしてはリンウッドでもリンウッドさんでもどちらでも構わない。特に人の呼び方にこだわりは無いからだ。こう呼んでほしいと言われればそう呼ぶだけだが、ここに来てのその申し出に少し驚いてしまった。
「突然過ぎてびっくりしちゃった」
モニカが素直に自分の気持ちを伝えるとリンウッドは「そう?」と軽く口にした。
「突然かな? それは分からないけど、一緒に住んでるんだからもう呼び捨てにして」
確かにリンウッドの言い分には一理ある。共に暮らしているのであれば変な壁はない方が良いだろう。
(でもさっきどうして魔力無くしたのか教えてくれなかったな)
暫し考えていたモニカだったが、呼び方くらい望み通りにしようと納得し、敬称なしで名を呼んでみる。
「じゃあ、リンウッド……?」
口に出すと意外と違和感がある。不思議な感覚で胸にもぞりとし、モニカは気恥ずかしくなり、はにかんだ。
「なんで疑問系なの」
恥ずかしそうなモニカを見てリンウッドは満足そうに微笑んだ。それを見てモニカは更に恥ずかしさが増したのだった。
次回更新は明日20時頃になります。
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