03.こんな事はじめて
だいぶ痛みが引いてきた腰に手を添えながらベッドから降りる。足を床に付け、立ったところでモニカはハッとある事に気が付いた。
「こんなに体って軽かった?」
18年間生きてきてこんなにも軽い体は初めてだった。それにいつもなら痛みで靄がかかったように動かない頭もはっきりしている。
「凄い。なんか何でも出来る気がする」
言葉通り力が漲っている感じがした。手をグッパグッパと動かすと感嘆の声が漏れた。痛みが全くない。どこもかしこもスムーズに動く。以前なら少し動いただけで足が崩れ、胸に痛みが走った。節々は異物が込められている様にぎこちなくでしか動かなかったし、当然の様に痛んだ。でも、そう今は何も感じない。勿論良い意味でだ。
「す、すごい!これが痛みのない体。でも何で急に?」
手や足を動かしながらモニカは心当たりを考える。視線を斜め上にし、口を半開きにした。だが、考えても何も浮かばない。それはそうだ。モニカはずっと思考力も低下し、体力もなく寝ていただけなのだ。わかる訳もない。此処に入れられる前に飲まされた薬もいつもと同じだった。違うところと言えばシルビオとこの塔。
「義兄さまが何かを知っている?」
そうモニカは考えたが、すぐに首を横に振った。此処に連れて来られた時の表情を思い出したのだ。決してモニカに良い感情を持っている顔ではなかった。そんな彼がモニカの体調が良くなる事をする筈が無い。そもそもシルビオは病弱ゆえに後継となれないモニカの代わりに養子へ来た。モニカの体調が良くなる事を望んでいるとはモニカには考えられなかった。
「本当にどうして……」
ひとまず体調が良くなった理由を置いといて、モニカは此処から出ようと入り口へと歩く。たった5歩で着いた扉のノブに手をかければビクともしない。鍵が掛けられていたのだ。これには流石のモニカも胃にムカムカとしたものが込み上げてくる。
これが怒りかと気付く事もなく、モニカは「もう!」とその場に足踏みをした。
「監禁じゃない!こんなの!」
幼い頃に読んだ物語、美しい姫が嫉妬深い魔物に塔へ閉じ込められる話。最後は王子様が塔から姫を救い出しハッピーエンド。そんなに好きでもなく、読んで貰ったのは数える程。だが、その話がふと頭をよぎる。
「塔を壊して脱出すればいいのでは」
物語の王子様は魔物が守る塔を破壊して姫を救い出していた。人が作り上げたものは人が壊せるものだ。ならばモニカにも壊せる筈だ。良い事を思いついたとばかりにモニカはポンと手を叩き、木製の扉を叩いた。決して軽くは無い音が響き、モニカは腕を組んだ。
「いや、無理そう。何かぶつける物でもあれば良いのだけど」
そう言って部屋を見たが、あるのはベッドのみ。上掛けなんて投げたところで傷ひとつ付かないだろう。それにベッドを持ち上げる事も不可能だ。
「窓さえあればそこから出られるのに」
果たして此処がどのくらいの高さかは知らないが、木製の扉よりもガラスの方が簡単に壊せるに違いない。一度ベッドに腰掛け、モニカは思案した。
「そういえば」
座って直ぐにモニカはある事を思い出した。起床前に感じた胸の温かみだ。ほわほわと優しい温かさは誰かから優しくされた時の感覚に似ていた。多幸感とも言うのだろうか。それが胸から全身に広がったのだ。
「あれは何だったのかな?」
口元に手をやり考える。ふにふにと自分の下唇を押しながらモニカは胸の感覚を思い出していた。あれは何だろうとふにふにとかさつく唇を親指と人差し指で摘まむ。だが次第に自分の唇の不健康さに気を取られ始めてしまった。
触ると分かる皮のめくれ、少しの引っ掛かりが気になり、つい爪の端で摘まんだ。すると面白いくらいにぺらりと綺麗に一枚剥けた。
「楽しくなってきた」
そう、モニカは唇の皮を剝がすのに楽しさを覚えてしまったのだ。小さい唇だというのに剥がれる部分の多い事。
これは大物じゃないか?とひとつの皮を摘まむ。それは確かに大物だったのだが、今までと違っていたのは唇から剥がれる部分が少なかった事。まだ代謝の終わっていない皮膚を剥がし、モニカの唇は出血した。
「い、いたい」
調子に乗っていたツケである。出血した部分を舐め、人差し指でちょいちょいとつつく。ほんの少しべたつき、出血し続けている事がわかった。
「鉄の味がする……」
ううう、と眉根を寄せモニカは再度唇を舐める。口に広がる鉄の味に唸る事しか出来ない。鉄など実際舐めた事は無いのだが、鉄の味だと感じるのはどうしてなのか。モニカは出血を確かめる為にまた唇へ触れた。先程と同じように人差し指でちょいと触る。それだけだったのだが、何とも言えない違和感がモニカを襲う。
「ん?」
それを感じた時、モニカは無意識で指の先に何かを集めた。それが魔力だと理解したのは数十秒後だ。指先に集まった魔力がほわりと唇に触れる。起床時に感じた温かさと同じものだとモニカは気付き、自身の体に起きた不思議な出来事に目を見開いた。
「え!」
唇の傷が無くなっていたのである。それどころかかさつきが無くなり、ぷるぷるになっている。
「わ、私がやったの?」
そうとしか思えない出来事に暫し手を見つめたままモニカは呆然とした。