18.好きになれない
「なにこれ」
過剰に野菜へ水をあげるのは良くない。モニカはサッと降らせただけに止め、様子を伺うようにリンウッドを見た。
リンウッドは雨粒の付いたにんじんの葉に触れ、土にも触れる。先程の言葉は元魔術師という彼から見て水のやり方がおかしかったという事だろうか。一言発した後、無言のまま葉や土をいじっている為それを聞くのも何となく憚られる。
土や葉を見て何を考えているのか真顔で検分をするリンウッド。モニカはリンウッドと同じように土を触る。いつもながら黒くて良い土だ。実はミミズもたくさんいたりする。
一体何を考え、調べているのだろう。あれもこれも気にはなったが、モニカにはきっと理解出来ないものに違いない。
リンウッドが考え中の内にうさぎを連れてこようと立ち上がると、その気配を感じたのかリンウッドが声を掛けてきた。
「ねぇ、モニカ」
視線に動きはない。モニカも特に気にせず返事をした。
「なんでしょう」
「モニカはさ、自分が使っているものに気付いてる?」
ぽつりという表現が一番正しいと思う。リンウッドは聞いたことがない声でそう言った。
「えと……ん?」
質問の意図が分からず、モニカは眉を下げる。質問を何も考えずに答えるならば「気付いていない」だ。本当に何も気付いていない。何しろ突然使えるようになったものだ。わかる訳もないだろう。
モニカはリンウッドの視線がこちらへ向いた事で、慌てたように口を開いた。
「言っている意味がわからないけど、たぶん気付いてないと思う」
「そっかー。そうだよね、知ってた」
ならば聞かないで欲しい。モニカは声色が戻ったリンウッドをじとりと見て、玄関の方を指差した。
「今うさちゃん連れてきますから。もう来ないでくださいね」
「えー」
「えー、じゃなくて。丸々して可愛くなってますよ」
「あれ以上大きくしたの?この数日間で?」
「……どうだろう?わからないわ、毎日見てるから」
噓でしょ、と顔を歪めているリンウッドを無視して玄関扉に手を掛けようとしたところで、自身が土だらけな事に気付き、モニカは軍手を外した。そして腐葉土で汚れた作業靴を脱いだ軍手で叩き、ついでとばかりに汚れがついたツナギをパンパンと叩く。
そんな小さな動作をしていると背後から「あ!」という大声が聞こえ、モニカは反射で振り返った。
「来て来て!何かいるよ!」
声の主は勿論リンウッドだ。リンウッドはにんじんを指差し、もう片方の手でモニカを手招きしている。
「何かいる」その言葉でモニカの頭ににっくき害虫がよぎり、外した軍手を急いで再び手にはめた。
「はやく!ほら!モニカ!」
焦らせるリンウッドの言葉に返事もせずモニカは急いで駆け寄る。リンウッドの横にしゃがみ込み、彼の人差し指の先を見た。
「ん?何処?いない?」
指の先、いくら見ても予想と反して虫は見えない。葉をかき分け覗いてみてもそれらしきものは見えなかった。どういう事?とリンウッドを見れば、至近距離でにんまりと微笑まれる。
(あ!やられた!)
そう思った瞬間、柔らかい感触が唇に触れる。チュッというわざとらしいリップ音までも聞こえ、モニカは脳内で盛大に叫んだ。
(やられた!やられた!!あんなに警戒してたのに!)
今回のキスは直ぐに終わった。しかも触れるだけの、こちらの方をファーストキス認定したいくらい可愛いもの。まあ、リップ音はいただけないが。
それでもキスはキスだ。モニカは得意げに笑っているリンウッドの頬を親指と人差し指で摘まみ、これでもかと力を込めてグイッと捻った。
「いたたたた!いたい!」
「ほんっとーに嫌なんですけど!」
「舌入れなきゃ怒んないんじゃないの!」
馬鹿じゃないのか。
「バッカじゃないの!馬鹿!バッカ!馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!!!」
舌を入れる入れないの問題ではないのだ。モニカにとってキスは好きな人とするもの。それを勝手にしてくるのが許せない行為なのだ。
リンウッドの頬をこれでもかと乱暴に離したモニカは素早く立ち上がり、玄関前へと戻る。汚れた頬を摩りながらリンウッドはモニカに非難めいた視線を送った。
「そんなに嫌?」
当たり前の事を言われ、モニカは大きく頷く。
「嫌。キスは好きな人としたい」
「じゃあ、ボクの事好きになって」
新たな切り口だ、とモニカは思った。そこまでしてモニカとキス、いや魔力摂取をしたいのだろうか。モニカは先程のキスを思い出し、自分の唇に触れる。まだ軍手をしていた事に気付き、顔を顰めたがもう触れてしまったものはしょうがない。汚れていなそうな服の部分で口を拭った。
きっと彼にしてみたら大きく譲歩した結果があの触れるだけのキスだったのだろう。リンウッドは唾液から摂取すると説明をしていた。だとしたら今回のものはそれに当たらない筈だ。モニカのキスへの抵抗が少なくなるように段階を踏む作戦に変えた結果があれなのだ、きっと。
だが、そもそも前提がモニカとリンウッドでは違う。モニカの心情を理解しないリンウッドがいくら作成を立てたところで上手くいくわけはない。
モニカはリンウッドの苦々しい顔から出た「好きになって」という言葉について考える。リンウッドにとっては残念な事だろう。モニカの中にリンウッドを好きになる要素が全く、これっぽっちも浮かばなかった。
「無理だと思う」
はっきりとした拒絶の声にリンウッドは怪訝そうに顔を顰める。しかし、それはショックを受けた顔だったのか暫く黙ったあと「また来るから」と去っていった。




