前編
本日「もう一度会えたなら、いっぱいの笑顔を」小説書籍と紙コミックス「望まれぬ花嫁は一途に皇太子を愛す」が発売となりますのに合わせて、マリアが主役のスピンオフの連載を開始いたします!全3話予定となりますので、お楽しみください(*^^*)「もう一度会えたなら、いっぱいの笑顔を」をお読みいただいた方は、番外編花の章『腕の中の光』直後くらいのお話となります。
私はバルティン国王妃ティナーリア様の筆頭侍女を務めるマリアと申します。『救国の聖女』とも名高く国民の支持を一身に集めるティナ様は先日めでたくもご懐妊が分かり、城は今お祭りムードに溢れております。ティナ様もとても幸せそうで、なんだか日々美しさに磨きがかかっている気がしますわ。
ティナ様がこんなに幸せそうに笑っていられる事が、私は本当に嬉しくてなりません。先程は密かに作っていたお子様用の靴下を見つかって、気が早すぎよと笑われてしまいました。まあ、私が浮かれているのは事実として受け止めましょう。だって、だってティナ様のお子様ですよ‼︎絶対可愛いに決まっているではありませんか!
…ただ、自分よりも浮かれきっている人を見ると人間やや冷静になるものですね。
「ティナ、子供部屋は一番日当たりの良い南向きのバルコニーのある部屋が良いと思うんだ。子供用のベッドや家具は発注したが、壁紙は何色が良いか希望はあるか?おもちゃや子供服も男女用をそれぞれ色々と買ってみたが、足りるだろうか?」
「キース様、あの、子供服やおもちゃは男の子か女の子か分かってから買い足せば良いと思いますよ?」
ティナ様を抱き抱えて幸せの花を飛ばしているのは、バルディン国王であるキースファルト陛下。多忙にも関わらずちょくちょくティナ様の部屋に現れては私とティナ様の時間を奪っていく。……………この男のティナ様にした過去の所業を私は忘れない。ティナ様の幸せのために必要だから生かしているが、そうでなければけちょんけちょんのグチャグチャに踏み潰してやりたいくらいだ。まあ、死ぬほど後悔していたのは知っているし、今現在で最もティナ様を大切にしてくれる人物だということも分かってはいるので(というか、この男は自身の命よりも何倍もティナ様の優先順位が高い。ティナ様のためなら何でもするであろう事に疑いの余地はない)、ティナ様のためになる事なら協力関係を結ぶ事には妥協している。
そこに、コンコンと控えめなノックが聞こえてきた。扉を開くと、見慣れた人物が顔を覗かせる。
「あー、失礼いたします。マリア殿、今よろしいでしょうか?陛下の会議のお時間が近いので呼びに来たのですが…」
扉脇に控えていた私から漏れる不穏な空気に気づいたのか、ビクビクしながら声をかけてくる陛下の側近であるライオネル様に私は笑顔で向き直る。
「お疲れ様ですわ、ライオネル様。是非早々に陛下を回収していって下さいませ」
さっさとしろ、という本音を言外に滲ませた返答に、ライオネル様は素早くカクカク首を縦に振ると陛下の元に向かって行った。この男にも過去の恨みで飛び蹴りをお見舞いしたい所だが、主従揃って死にそうな顔色で後悔して、ティナ様のために馬車馬のように働いて目に隈もつくっていたので、倒れられても困るので飛び蹴りは控えている。
その夜、ティナ様の元を下がった私は城内の図書館へ向かっていた。昼間は資料を探す官吏たちの出入りもそこそこある南棟の図書館は、この時間帯は当然全く人の気配はない。しかしたくさんの書棚の奥にある資料室のひとつからは、こんな時間にもかかわらず煌々と明かりが溢れていた。
私ははあ、とため息をつくとその扉をノックとともに開け放った。
「ライオネル様、また残業ですか」
「マリア殿!」
机上の資料に埋まり仕事をしていたライオネル様が驚いたように顔を上げた。そして申し訳なさそうに頭を下げる。
「も、申し訳ない。今回は私の処理しなければならない書類が多くて…」
「私などにわざわざ謝る必要はありませんから、早くその悍ましい量の仕事をお片付けなさいませ」
私は勝手知ったる部屋の中で手早く資料をまとめて見やすく整理をしていく。ライオネル様の手元の資料を見て、次に必要な資料を近くにまとめ、不要になったものは順次棚へと戻していく。火の切れかけた照明の灯りを足しながら、ライオネル様が仕事に没頭する様子を横目に私は一旦資料室を出て近場の給湯室に向かった。
頃合いを見計らってティーカップとポットをお盆に乗せて戻ると、書類で埋まった机とは別のテーブルにお盆を置いて、この部屋にいつからか備え付けられるようになったお茶の缶から茶葉をティーポットに入れた。お湯を注げば、ポットの中で楽しげに茶葉が舞う。数分後、ちょうどよく蒸れたハーブティーを丁寧にカップに注げば、部屋の中に蜜りんごの甘やかな香りが広がった。
「カモミールティーですわ。これを飲んで、今日はお休みなさいませ」
「いつもありがとうございます、マリア殿」
ホッとしたようにカモミールティーを飲むライオネル様を見ながら、私はこの資料室で初めて彼を見つけた日のことを思い出していた。
……あれは二年ほど前のこと。
陛下とティナ様の婚礼が目前に迫ったまだ肌寒い春の日。ティナ様が興味深そうに読んでいらした書籍の新刊が入ったと連絡を受けていたのを思い出し、私はティナ様の元を下がった後に図書館に向かっていた。ティナ様を溺愛しておられる陛下は読書が好きなティナ様のために、ティナ様が興味のありそうな本は物語から歴史書、技術関連書にいたるまで様々な本を取り寄せているため、バルディンの図書館は恐らく周辺国の中で最も多い蔵書数を誇っている。
夜中なので、もしかしたらもう閉まっているかと思いながら扉を開けると、書棚の奥から灯りが漏れているのに気がついた。誰だろうと灯りの灯る部屋に近づくと、中からドサドサと何かが崩れる音と小さな悲鳴が聞こえて私は思わずその扉を許可も得ずに開けてしまった。
「どうなさいました⁈」
扉の奥は簡単な作業もできる資料室のような作りになっており、真ん中に置かれた重厚な机にはたくさんの書類が散乱している。そして、そこから雪崩れ落ちたであろう資料を慌てて拾い上げている眼鏡のずれたライオネル様と目が合った。
「っ!マリア殿⁈こんな夜中にどうなさいました?」
「それはこちらの台詞ですわ。ライオネル様こそ、執務室がありますでしょうにこんな所で仕事に埋まってどうなさったのですか?」
「あ、いや、お恥ずかしながら、これは我が家の仕事ですので、国政に関する仕事とは分けておりまして……」
公爵家の血筋だけあって綺麗な金髪に若草色の瞳という整った顔立ちをしているというのに、目元の禍々しい隈のせいで色々と台無しだ。眼鏡をかけ直しながら情けなさそうに床で書類を拾っているものだから、耳を伏せた捨て犬を幻視してしまった。
そのまま立ち去るわけにもいかず共に書類を拾い上げながらも、その仕事量に思わず眉を寄せる。
「陛下はライオネル様に仕事を振りすぎなのではないですか?」
まさかライオネル様に仕事を押し付けてティナ様に会いに来ているのかと思い聞いてみると、ライオネル様は勢いよく首を横に振った。
「それは違います!陛下は私以上の仕事を毎日こなしておりますし、最近は不甲斐なくも私の顔色が悪かったせいか仕事を減らそうとさえして下さいました。
しかし、国政の仕事だけでしたらいたって普通の量なのです。陛下の側近として、これ以上仕事を放棄するなど私自身が許せません!」
「では、何故こんなに仕事の山が……?」
「……恥ずかしながら、私の父は仕事嫌いで、私が成人すると同時に爵位を私に放り出してしまったのです。ですから、ここにあるのは全て公爵家の領地運営に関する書類なのです。
前々から仕事をどんどんと振ってこられていたのでいつかはやるなと思っていましたが、予想よりも随分と早かったので引き継ぎも儘ならず……」
「……どこにも似たような話が転がっているのですね」
「……そうですね、陛下も大変苦労なさっておいででしたからね……」
思わず二人して遠い目をしてしまう。陛下の父である先代の王が、寵妃の後宮に籠ってほとんど仕事をしていなかったのは有名な話だ。若いうちから親の仕事を背負わされている似た者主従に不敬ながらも憐憫の眼差しを向けてしまいそうになる。こんな状況でもティナ様のために色々と手を回してくれているのだから、やはり飛び蹴りは控えてさしあげよう。
私はふと、時期を逃して言い出せなかった事を今なら言えるかもと思いライオネル様に向き直った。
「……ティナ様専属の侍女を選んでくださったのはライオネル様だと伺いました。お礼をまだ言えていませんでしたね。
アビー達はとても良い子達で、とても働きやすくなりましたわ。ありがとうございました。ティナ様も、とてもお喜びですよ」
ジグラスからの凱旋後、陛下の側近として死ぬほど忙しかったはずのライオネル様がティナ様のために王妃専属侍女の選定まで行っていたと聞いた時は驚いたものだ。選ばれたアビー、クリス、パメラは皆優しい気性の者たちで、私もティナ様もすぐに打ち解けて良い関係を築けている。
「それは、良かったです。少しでも王妃様のお役に立てたなら光栄です。
……マリア殿にも、喜んでいただけて良かった」
嬉しそうに小さく笑みを浮かべるライオネル様に、私の胸はドキっとした。
なぜなら―――疲れ切った青白い顔色と目の下の隈も相まってなんだか今にもポックリ逝きそうな雰囲気を醸し出していたからですわ!!
「もう!そんな儚そうに微笑まないでくださいませ!このまま放置できなくなってしまいますわ!朝あなたがここで冷たくなっていたらと思うとドキドキして今夜眠れそうもないではないですか!書類の整理くらいお手伝いしますから早くお休みなさいませ!」
ライオネル様はあまり整頓が得意でないのか、先程資料を引き抜きながら雪崩を起こさせていた書類の山を取り出しやすいように分類していく。
なんでもこの資料室はもともと殆ど使われていなかった古い資料置き場だったため、ライオネル様が司書に鍵をもらってほぼ専用となっているようだ。国政の仕事と分けるため以外にも、自分の執務室で遅くまで残っていると補佐官たちが帰りにくくなってしまうからとの理由もあり、陛下の側近としての仕事が終わるとこちらに籠っているそうだ。
「あ、ありがとうございます。とてもやり易くなりました。明日は朝早くに会議があるので早く終えなければと思っていたので助かります」
……明日、早くに、会議ですって?その隈で??その死相で???
そもそも、もうすでに日付は変わっているから今日ですわ!!
「そんなに目の下に隈をつけながら何を言ってるんですか!!明日が早いのならもうお休みなさいませ!!」
「し、しかし後少し進めておかなければ……」
グダグダ言うライオネル様にカチンときた私はバタンと音を立てて扉を閉めると厨房へ駆け込みお湯を沸かす。そして戸棚からハーブティーの茶葉を取り出した。
ドスドスとお盆を手に戻ると、慌てたようにライオネル様が立ち上がる。
「ど、どうされましたマリア殿」
無視して手元の作業に集中する。手に持つティーポットから、トポトポと黄金色の美しいハーブティーがカップに注がれていく。
カチャンとライオネル様の前にそのカップを置けば、ライオネル様は驚いたように目を丸くしてそのカップを見つめた。
「カモミールティーですわ。安眠の効果があります。もうすでに寝不足で効率は悪そうですけれど、これを飲んだらより眠たくなってしまうかもしれませんわね。そうなりましたら、もう帰ってベッドで休息をとる方が良いと思いませんか?」
「え、ええと、しかし……」
「まさか私の淹れたお茶が飲めないなんて言いませんわよね?」
にっこりと微笑めば、ライオネル様はカクカクと首を振ってカップを手にした。一口お茶を啜ったところで、驚いたように目を見開く。
「カモミールティーは、昔飲んだ時は薬のような匂いがして苦手だったのですが……、マリア殿の淹れるお茶は、とても良い香りがするのですね」
「カモミールの他に、蜜りんごも少し加えてるんです。私の母が眠れない夜によく作ってくれましたわ」
「そうなのですね。とても、美味しいです」
本当に美味しそうにカモミールティーを飲むライオネル様に私ははあ、とため息をつくと片付けを手伝い共に図書館を後にした。一人にさせると寝る部屋にまで仕事を持ち帰りそうだったからだ。なんとこの仕事漬け人間は行き帰りの時間が勿体無いと王都にある公爵家のタウンハウスにも帰らず城で生活しているのだ。
私としてはライオネル様を送り届ける気満々だったのだが、そこはなぜかライオネル様が強固に反対するので結局私の方が送ってもらってしまった。貴族の令嬢でもないのだから、そんな気遣いは不要なのですけれど。
「マリア殿、これを」
途中、そう言ってライオネル様は私に上着を渡してきた。渡り廊下はまだ肌寒い風が通り抜けている。
「ええと、私にですか?」
「は、はい、お嫌でなければ……」
「嫌ではないですが、それはライオネル様がお使いください。ただでさえ倒れそうな顔色の人から上着を奪うことなんてできませんわ」
「そ、そうですか……」
がっくりと肩を落とすライオネル様に、私は小さく笑ってしまった。そうしているうちに、私の部屋のある棟まではすぐに辿り着いた。
「マリア殿、今日はご面倒をおかけして申し訳ありませんでした」
「こちらこそ、送っていただきありがとうございました。ライオネル様は帰ってすぐにお休みくださいね」
「美味しいお茶もいただきましたので、そうさせていただきます」
――そうして、私は時々図書館を訪れてはライオネル様の手伝いをするようになった。別に頼まれたことはないし、いつあそこで仕事をしていると言われたこともない。余計な事をしているとは分かっているけれど、どうもあの無理をして弱った様子を見ると放っておけなくなってしまうのだ。同僚を見殺しにするのはどうかと思いますし……。
ティナ様の筆頭侍女と陛下の側近では嫌でも毎日顔を合わせる事になるため、今日は仕事が溜まっていそうだな、などど顔色から分かるようになってしまったのも敗因だ。
今日も上着を貸そうとするライオネル様を断って、それでも部屋まで送ると譲らないライオネル様の横を歩きながら、私は小さくため息をつくのだった。