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23話 島門佑衣

 いつもお世話になっているこの劇場の客席数は百と少々。それでも、(あゆむ)は満足していた。音と光と熱と鼓動に包まれて――裸になるのも、仲間がいれば心強い。

 何よりも。

『~~~~♪』

 |Undresstartアンドレスタート――通称『ドレスタ』――つい昨年まで芸能界の最前線で活躍していた歌手・古竹(ふるたけ)未兎(みと)とのふたりユニット――並び立って遜色がないのだから、歩の歌唱力、ダンス力、総合して――アイドル力とでもいうべきか――やはり歩は、プロデューサーが見込んだ逸材である。

 そしてさらに、その相方もついに制約から解き放たれた。これまで圧力をかけ続けてきた松塚(まつづか)芸能(げいのう)の不祥事――吉坂(よしざか)(みのる)はあくまで過去に利用されていただけ――事務所側はそう主張していた。そして、今回も。人事採用のひとりが指名手配犯に“騙されていた”――とはいえ、二度も続けば脇が甘いといわざるを得ない。さすがに、芸能事務所としての存続自体が揺らぐことはないが、しばらくはこれまでのような影響力は行使できないだろう。

 その機を逃す秘書・(かすみ)ではない。違法な組織との癒着報道が流れると同時に――以前から、各権利者への根回しは進めてきている――これまで封印されてきた未兎の持ち歌はすべて解禁された。

 ただ、それらはストリップのための振り付けではないため、ここでのショーとは噛み合わない。ゆえに、開き直って最初から全裸で――それは、着衣があると本領を発揮できない歩とも相性が良かった。

 未兎の加入当時は元アイドルの裸体だけが目当てだった一見客たちも、歩の実力は認めざるをえない。楽曲の配信――ブロマイドだけでなく写真集も――何より、あの古竹未兎と肩を並べてステージに立っていること自体、一介の女子大生として半年前には想像もできないことだった。

 しかし、その現実がここにある。

『~~~~♪』

 さらに、来月のイベントの客数は、ステージのために一部の座席を潰してもざっとこの五倍――ライブビューイングまで含めればさらに四倍――ストリップアイドルになって良かった――歩は心の底からそう思う。

 だが――

 そんな彼女を快く思わない者が、客席から悲しげな眼差しで見上げていた。


       ***


 数あるTRKのユニットの中で、ドレスタが最も注目されていることは間違いない。だからといって――歩に連日出演してもらっていることについて、プロデューサーはやや申し訳なく思っている。とはいえ、来月開催される『TRK FIRST-VIEWING』までは全力で告知を打たなくてはならない、というのが秘書であると同時に企画担当でもある霞の意向だ。

 夜の部のステージで歩たちが唄い舞う間、普段は袖や客席で見守っているプロデューサーだったが――今日は控室の会議机にて来客たちと向き合っている。来月の大イベントに向けての打ち合わせのために。今度のライブに出演するのはTRKメンバーだけではない。ゆえに、ゲストたちの顔合わせの意味もあったのだが。

「ね、ねぇ、春奈(はるな)……アンタ、ホントにこんなとこで唄ってきたの……?」

「うん、まあ……うん、うん。改めて考えると、スゴイかも」

 桜峰(さくらみね)軽音楽部――春奈がデビューするきっかけとなった学校のサークルである。とはいえ、誘った張本人である天夏(あまか)(めぐみ)のふたりはAV女優に転身し、しばらく音楽活動は休止していた。ブランクは半年程度とはいえ、それまで五年以上の音楽経験を有している。その上、ブランクの間はAV女優として活躍してきた。ストリップ劇場の常連客にこれまで培ってきたエロい演奏を魅せつけてやろう、と意気込んで来たものの――それは、出番を終えた未兎がステージから戻ってくるまでのこと。思いの外音楽方面にガチであると思い知らされ、そこはかとない場違い感によって居た堪れなくなっている。付き添いで同級生たる春奈が同席してくれなければ、顔を上げることさえできなかっただろう。

 一方で、未兎率いるミトックスの心中は穏やかではない。

「……霞さん、あのコたち、“脱がないアイドル”じゃなかったっけ?」

 相手が目の前にいるにも関わらず、未兎はあえて秘書に問う。直接やりあえば収拾がつかなくなることは明白だからだ。

 だというのに。

「リーダーが脱いだんにゃから、“にゃー”たちも脱衣解禁にゃ」

 隣に糸織(しおり)がついていることもあり、あんにゃは堂々と作られた猫キャラで応対する。それもミトックスの面々を苛立たせる要因になっていた。炎上キャラは元来のものであるため、あんにゃに悪びれる様子はない。が、(みなと)は同じユニットということでミトックスからの敵意に晒され、すっかり涙目になっている。

「な、成美(なるみ)ちゃん……ここは先輩たちに任せた方が……」

「だから人前で本名呼ぶんじゃにゃいッ!」

 なお、橋ノ瀬(はしのせ)(みなと)という名はメイドネームだ。そして、先輩たるしとれに会えるということで、わざわざメイド服を着込んできたらしい。そのため、ゴスロリテイストなネコミミあんにゃより、むしろしとれとコンビのように見える。

 そして、逆隣のお嬢様の方が、むしろあんにゃの相棒かのようだ。

(のぞみ)はん探したいんやろ? せやったら、しばらく黙っとき」

 あんにゃとしてはまだ言い足りなかったが、糸織から一言制されたことで、不貞腐れながらもそれに従う。とはいえ、それでミトックスからの印象が改善されることはない。

 未兎はここでのデビューライブ中に盗撮の被害に遭っている。他でもない、そこに座っているあんにゃによって。そして、その指示を出したのは、PAST(パスト)のプロデューサーである憐夜(れんや)(のぞみ)だ。

 その上、ミカとミク――元祖・ミトックスと希との間の遺恨はさらに根深い。

「……憐夜さん、あちこちでやりたい放題でしたからね」

「そのうち警察沙汰になるでしょうから、待っていれば勝手に炙り出されるのでは?」

「にゃにぃ!?」

「せやから、黙っときゆーたやろ」

 ミトックスのふたりも未兎に倣い、顔をしっかりと霞の方へ向けてのPASTに対する明らかなる挑発。これに食ってかかろうとしたあんにゃだったが、すぐさま糸織に止められた。しかし、湊にとってもその言い草は看過できない。

「ぷっ、プロデューサーさんは……お巡りさんに捕まるようなことはしないもん……っ!」

 本来、あんにゃを止める役割の湊まで涙目になって反撃に加わっている。ゆえにこちらは、先輩が止めざるをえない。

「……湊、今日は来月のイベントのために来たのでしょう?」

 しとれから窘められたことで、湊も落ち着きを取り戻したようだ。

 本来、場を取り仕切るのは最高責任者であるプロデューサーの務めのはずだが、女子が相手では荷が重い。それは霞も理解しているからこそ――メガネ越しにぐるりと睥睨することで、一先ずそれ以上何か言おうとするものはいなくなった。新歌舞伎町中央に座する地域最大の映画館・トーキョシネマを一棟専有――その時点でかなりの予算が動いており、それを回収するにはこれまでにないインパクトが必要――そのため、縁があり、ステージ上で脱いで音楽もできるメンバーを集めてきた。が、ミトックスとPAST――憐夜希との確執は霞にとっても計算外だったといえる。

「今回のイベントは、捜索中の憐夜希氏へのメッセージも兼ねております。ゆえに、PASTを外すことはできません」

『ライブハウス・ゲリラストリップ事件』――証拠映像もなく、被害届も出ていない。だが、その直前に希は歩にルミノを託し、いまも姿を消したままだ。希とはTRKを上げて、これまで浅からぬ関係を築いてきている。心配しないはずがない。

「同時に、古竹さんの演目の都合上、ミトックスの皆さんを外すこともできません」

 TRKの売りはユニット出演にある。もちろん、日々の公演の中では状況によってひとりで立たざるをえないこともあった。が、今度の舞台は特別である。自分たちの特色を全力で押し出していきたい。

「とはいえ、貴女たちにステージ上で共演しろとは言いません。が、同じイベントに参画する以上、足を引っ張り合う言動は自重してください」

 と霞が念を押している傍から、あんにゃが良からぬことを口走りそうだったので、糸織が先んじて口を塞いでおいた。

 あんにゃとミトックスの力関係として――あんにゃは名実ともに人気歌い手ナンバーワンの実績を持っているのに対し、ミトックスは駆け出しのコピーバンドである。ミトックスにとってあんにゃは、少なくとも音楽においては上を行く相手であり、あまり大きな態度は取れない。それが、若輩ふたりにとってさらなる屈辱の要因となっていた。

 が、未兎の業績はPASTのはるか上をいくため遠慮はない。

「憐夜さんが見つかり次第、これまでのことはきっちり謝罪してもらう。いいわね?」

 最初は、未兎も相手に大人の対応を期待していた。が、喧嘩を売ってくるのであれば買う度量はある。今度は霞を通さず、PASTふたりに直接訴えた。

 が、しかし。

「……ハンッ、カレシ寝取っちゃってごめんにゃさ~い、ってにゃ?」

「喧嘩売ってどないすんねん、このドアホゥ!」

 すぐさま後頭部に糸織のツッコミが炸裂した。が、未兎側の言い分には湊も納得できない。

「謝るのは浮気したカレシさんであって、うちのプロデューサーさんを責めるのは違うと思うんだけど……」

 幼気な口調で放たれる正論。それがミトックスの怒りに火をつける。

「あの女の所為で私たちのバンドは無茶苦茶にされて……ッ!」

「しかも、一ヶ月も経たないうちに……ッ!」

 それは、しとれがサブカルティアの会場で聞いた話どおりであった。寝取るだけ寝取ったら、すぐ捨てる――そこで男たちは我に返り、元カノに復縁を持ちかけるが、それで関係が修復された試しはない――

 あれからしとれも独自に調べてみたが、希の男癖の悪さはネット上でも有名だったようだ。それでも高いスキルと知名度から様々なサークルやバンドからの引く手は数多であり――そこに男の気配がなければ普通に大団円で収まる。が、例えミトックスのように女性だけのグループでも、メンバーがつき合っているだけの外部の男にまでちょっかいをかけるのでタチが悪い。

 だからこそ、ミトックスたちもその面においては警戒していた。ゆえに、彼氏はいないと伝えていたのに――まさか、観客に混じって応援しに来ていたひとりを見抜かれるとは、ミキたちも思わなかった。そのため結局寝取られ、そのショックで元メンバーだったボーカルのミキは唄えなくなってしまったのである。

 そして、元祖・ミトックスは活動停止――どんなにその怒りをぶつけようと、あんにゃも湊も聞く耳を持たない。だが。

「けど、“盗撮”は犯罪だからね」

 これまでの劣勢を未兎はすっぱりと断ち切る。その件であれば、霞はすでに押さえていた。

「盗撮時にデータの確認はできなかったけれど、出回っている映像と席の位置を照合して、貴女が撮影したものと判明しているわ」

 痛いところを突かれて、あんにゃは完全に沈黙する。だが、これから協力を仰ぐゲストをただ責めるわけにもいかない。

「……一先ず、指示を下した本人から事情は聞くとして、その後の措置は、“プロデューサーと相談して決める”わ」

 常習犯でもなく、PASTの表舞台への道も事実上断たれた。現在不正アップロードが続いているのも、別の誰かがダウンロードしたものを再アップしているにすぎない。ゆえに、盗撮に関するPASTに対する措置は落着しているというのがTRK側の認識である。ゆえに、女性に甘いプロデューサーに判断を委ねるのであれば、お咎めなしであることは内定したも同然だ。

 この措置について、未兎としては手放しで納得できるものではないが――事務所の方針には従うしかない。かといって、自分のコピーバンド――大切なファンが酷い目に遭わされて、笑顔で握手することもできない。

「で、顔合わせは済んだし、共演もしないのでしょ? だったらあとは個別に詰めるってことでいいんじゃない?」

 と未兎はPASTの面々とは目を合わせず、霞にだけ提案する。それが、未兎からPASTに対する精一杯の一時停戦表明だった。霞としては、その意図を汲むしかない。

「……そうね。この状況を踏まえた上で、こちらで調整させてもらうわ」

 このふたつのバンドたちは本番直前まで別々の控室を用意するしかないだろう。脱げる音楽関係者などそういるものではない。水と油ともいえる彼女たちをまとめて、どうにか成功させるべく霞は思考を巡らせる。会議として押さえている時間はまだ三〇分ほど残っているため、切り上げるにはまだ早い。が、ここから進められそうな議題も思いつかない。

 だが、そこに突然。

「プロデューサーっ、大変だよっ!」

 ノックも無しに飛び込んできた“青年”に、ゲストの面々は思わず見入る。ここはストリップ劇場であり――オールバックの長髪にレザーのパンツ――その姿はまさにビジュアル系――しかも、つい先日まで敵対していた松塚芸能に所属しているような美男子――一瞬、そう捉えてしまうのも無理はない。が、よく見れば乳首は大きく色鮮やかであり――

村月(むらつき)さん、ホールの方で何が?」

 そして、ルミノが一緒についてきているのを見て、誰もが確信する。この男の人――ではなく、“男装の女性”は、この劇場の踊り娘のひとりなのだと。

 村月(むらつき)李冴(りさえ)――乳首はともかく、乳房の厚みは実際男と見まごうほどに薄い。その体型を活かして、劇場では男装――タチ役として活躍していた。『ルカ』というコスネームで活動していた頃から女性ファンも多く――その美しい肢体を鑑賞するため、女性の来場者も増えた。最終的に下まで脱げば男でないことは明らかなのだが、それでもあまり気にしていない――むしろ、“生えていない方が良い”と受け取られる節もある。

 ともあれ、男が苦手なルミノでも安心して絡むことができるため、今日はふたりで組んでSMショー的な催しを披露してきたところだ。残念ながら、ルミノの変態的な刺青は女性ウケが悪いため、今回の客席の男女比は普段に近い。いまのところ、少年に扮した糸織と組んでの『Un-boys(アンボーイズ)』が女性には最も好評を博している。今日はミーティングに参加していたため出演できなかったが、明日はふたりでステージに立つ予定だ。

 それはさておき。

「さっき、『はぐサー』が始まったんだけど、そしたら――」

 と言いかけて、李冴はふと別方向から突き刺さる鋭い視線に気づく。

「村月さん、はぐはぐサービスの際にはちゃんと衣装を着るよう言ったわよね?」

 霞に咎められ、李冴の顔がギクリとひきつる。彼女がストリップ劇場の舞台に上がる理由――彼女とて、いまの胸を手放しに良しとしているわけではない。身体は視線を浴びることで育つと聞き、自分の胸を多くの人たちに魅せつけるため――だからこそ、ルミノでさえ“一応”着衣しているというのに、李冴はいまもトップレスだ。なお、ルミノの“一応”とは――あえて白地で薄手のシャツを着ているのは、胸に掘られた刺青を透かして魅せるためである。この格好で外を出歩き、行き交う人々が異様な雰囲気に二度見する反応を満喫しているのだとか。

 そして、李冴も似たような嗜好を持つ。一見男のようであるがゆえに、露出させた乳首に視線が集まるのが快感らしい。それで、『はぐはぐサービス』――すべての演目が終了した後に踊り娘から抱擁してもらえるその催しでも、こっそり上半裸で参加していたようだ。とはいえ、それではメンバー間でのバランスが悪い。このふたりとトリオ『Trident(トライデント) Flasher(フラッシャー)』を組んでいる(みさお)も隙あらば脱ぐ機会を窺っており――だが、霞に怒られると怖いので大人しく脱衣前の衣装を着込み、いまもホールで列整理をしているはずだ。

 李冴自身も、注意され次第いつでも上着を羽織れるよう、現地には用意してある。が、慌てていたためそのままの格好で来てしまったようだ。それを思い出して――李冴は苦笑いで誤魔化しながら逃げるように帰っていく。結局、はぐサーで何が起きたのかを伝えずに。ただ、会議の空気は多少和らいでくれたようだ。

「……では、私はホールの様子を確認してきてもよろしいでしょうか」

“スイッチの入っていない”ルミノは、プロデューサーであっても男性と面と向かって話せない。ミーティングもちょうど行き詰まっていたところである。ならば、自ら実際に足を運ぶのが手っ取り早い。止められる様子もなかったので、彼は一礼して先に退室していった。責任者が抜けたのだから、終える名目を得たといえる。

「では、今後の進め方については、後日こちらから各自にご連絡差し上げる、ということでよろしいでしょうか」

「にゃ」

「何が『にゃ』やねん」

 ネコキャラで相槌を打つあんにゃ、涙目でしょんぼりしている湊、しかめ面のまま頷くミトックスたち、あらゆる意味で話に入っていけない桜峰軽音楽部――とてもまとまったとはいい難いが、破断にならなかったのだから最悪の事態は避けられたといえる。

 ここで、ずっと見ているばかりだった春奈は汚名返上とばかりに席を立った。

「では、お見送りは私が……」

 そのくらいなら自分でも、という気持ちらしいが、糸織は手を振ってそれを遮る。

「ええてええて、そんなん」

 ネコ語を喋るトラブルメーカーを甘やかしたくないのはわかるが、一応ゲストだ。何より、希の関係者でもある。

「そうもいかないわ。沖道(おきみち)さん、お願い」

「はいっ、それでは、皆様こちらへっ」

 霞に言われて、春奈は笑顔を弾けさせた。どうやら、こういう役回りが好きらしい。どことなく嬉しそうに、来客たちをぞろぞろと引き連れていく。

 一行が退室したところで――ふぅ、と霞はため息をついた。

「厄介なことになったわね」

 あのふたユニットの関係はそう簡単に修復できようもない。音楽界隈での痴情のもつれなどよくあること、と霞は軽視してきたが、まさかここで致命的にぶつかり合うとは完全に油断していた。

「私がもっとしっかり調査しておけば……すいません」

「無茶ゆーもんやないで。そもそも、ミトックスはんの事情やて初耳やし」

 しとれが自分を責め始めるのはいつものことだが、だからこそ糸織は一つひとつその荷を下ろしてやる。

「やれやれ、今後は慎重に進めないと」

 そう言いながら、霞は応接スペースへと作業場所を移すことにした。面談のないときは、大抵そこが事務所として使われている。

 だが、そこに。

「……あら?」

 背の低い応接机の上にスマート端末が置きっぱなしにされていた。しかし、霞はそれに見覚えがある。

「もしかして、これは……社長の……?」

 こんなところに置き忘れるとは不用心な――とは思うが、それ以前に違和感があった。何しろ、今日はこの直前に外で写真集の打ち合わせがあり、霞はプロデューサーと共に帰社している。そのときすでにPASTのメンバーが先着していたため、そのまま彼女たちを応対していた。ゆえに、このパーティションの中へと足を踏み入れた様子はない。プロデューサーに限らず、誰も。そして、彼が出先にて携帯端末で連絡を受けていたのも霞は隣で確認している。

 にも関わらず――何故――?

 しかも――

「……?」

 普通、放置していれば自動的に画面がロックされる設定になっているはずだ。しかし、その端末は動画を流し続けている。確かに、再生中は電源を落とさない設定もあるはずだが――

「ちょ、ちょ……ま……これ……ッ!?」

 霞が慌てた様子を見せるのは珍しい。何事かと部屋に残っていた他のメンバーたちも寄ってくる。

「……これ、どう見ても……」

 それは決して機密情報ではない。ゆえに、霞は端末を手に取り、映し出されているものをしとれたちに差し出した。

 表示されていたのは、有名なアダルトムービー投稿サイト――未兎の盗撮動画もここに度々アップロードされているため、定期的に巡回しては削除要請を出している。とはいえ、そのような違法データばかりではない。マニアックなカップルの趣味だったり、有料動画のサンプルも多数投稿されていた。

 再生中の動画では、全裸の女性がカメラに向かってお尻を突き出している。その割れ目の中がよく見えるよう、自ら両手で掻き開いて。振り返っているその表情は嬉しそうに口を半開きにし――大きく足を開いてガニ股で――視線も定まらず、まさに半狂乱の様相だ。

 しかし、この人物には見覚えがある。ここに集っている、誰もが。

「お、おいおい……コイツはまさかの――」

 このような形で足取りが見つかるなど――よもや思いもよらなかった。


       ***


 ホールで何があったのか、プロデューサーは聞いていない。とにかく、大変なことになっている、とだけ。来場者たちがロビーまで逃げ惑う様子はない。ならば、事故や暴動の類ではないのだろう。

 やらかしたのは操か、それとも(らん)か――様々な可能性を思い描きながら、彼はグッとホールの重い扉を押し開く。

 すると――

「……こ……れは……っ?」

 彼は驚き、ホール入口で立ち尽くす。ステージ上から放たれる強烈な<スポットライト>を前にして。だが、“彼女は一体”――? 歩や未兎、操たちは観客を相手にするために席の方へと下りている。見ず知らずの女性が舞台の上でお尻を突き出し、する、する、と勿体つけながら下着を腿の方へと流していた。その美しい姿に、プロデューサーは鼓動を速くする。見惚れてしまっている。ゆえに――無断で壇上に立っている部外者に対して、彼が何を言えようもなかった。


 時間は少し遡り――

 これまで何度も未兎を含む『はぐサー』は行われてきたが、未だに絶大な人気を誇っている。今日はその未兎がミーティングにより欠席であるため、ホールは比較的平穏な様子だった。そんな雰囲気を、ひとりの女性が打ち砕く。

「わたくし、ヤマネ出版の横島と申しまして――」

 男性客の中に混じってビジネススーツの女性がひとり――歩のファンには女性もちらほら見られるため、最初は何の疑いも持たなかった。しかし、肝心のアイドルに指一本触れることなく名刺を差し出す所業は、少なからずその場の空気を悪くする。

 その上――これまで秘書・霞は秘密裏に様々な営業を行ってきており、それはすでにいくつか表面化していた。つまり、いまさらその取引に割り込んでこようということは、当時松塚の威光に屈して取り合わなかったということなのだろう。

 ヤマネ出版――芸能人のグラビアを扱っている中では大手であり、霞が話を持ちかけなかったわけがない。そして、大手ゆえに身動きが取れなかったのだろう。一定の同情の余地がないこともないが、どう足掻いても心証は良くない。

 その上。

「――この度は、Undresstartのおふたりにお話が――」

 ユニット名を挙げてはいるが――ならば、何故よりにもよって相方が欠席している今日挨拶しに来たのか――おそらく、これまで何度も、何社も訪れていた未兎に対する営業のひとりなのだろう。本命が出てこないので、代わりに本命のパートナーを懐柔する方向に転換したらしい。だが、本日の欠席は事前に告知されていた。それさえ見落としているのだから、仕事が雑だと言わざるをえない。

 ドレスタとして未兎と肩を並べていた歩だけに、このような営利目的の来客に辟易している様子を傍でずっと見てきた。なので、名刺を受け取ることさえ遠慮したい。

 対応に困る歩だったが、そこに助け舟がやって来る。

「はいはい、そーゆー話は事務所を通してねー」

 操は何かと男に厳しい。前の男性スカウトは胸ぐらを掴まれ乱暴に投げ飛ばされたので、今度は女性を送り込んできたのだろう。

「いっ、一度お話を聞いていただければ――」

「だから、事務所通せっつーてんだろ」

 女であっても、無礼を働く相手に遠慮はない。普段かぶっているネコの皮からチラつく狼の陰に、操のファンたちは思わずザワつく。操自身は可愛らしいアイドルを目指しているのだが――残念なことに、このような粗暴な一面の方に惹かれる者が多い。それは、男だけに限らず――ゆえに操もまた、歩や李冴と並んで数少ない女性ファンを持つひとりである。ただ、操は昔から女性による熱視線に辟易しており、どうしてこうなった、と首を傾げているようだが。

 前に男を放り出した際には、何故か黄色い歓声が上がったことは操の記憶にも新しい。なので、今度はもう少し大人しく。

「はーい、時間でーす。次の方ー!」

 出版社の営業はグイと肩を押されて、そのまま列から排除された。そして、次の男は――またしてもスーツ姿であるため、もしかすると前の女性と同じ目的だったのかもしれない。が、ここで続いてはさらなる悪印象を免れず、諦めたのか――嬉しそうに束の間の抱擁を満喫している。そんな温かさに触れながら――やっぱり未兎ちゃんは凄いんだな、と歩は感心していた。けれど、ドレスタとして出演することが増え、歩自身もずっと全力で唄えている。結局、男の人は裸の方が嬉しいだろうし、いいステージだったな、と歩は実感していた。

 しかし。


「どうしちゃったんですか……最近」


 何事もなく抱擁を終えた歩が続く女のコを抱きしめようと腕を開くが、そのファンが推しの胸に収まることはない。

 はぐサーにくるほど熱心な女子はそう多くないため、歩もちゃんと覚えていた。イベントではサインを書いたこともある。なのに――その声色は憧れのアイドルを労うものではない。

 そして、彼女は言い放つ。

「ストリッパー、辞めちゃったんですか?」

「え? え?」

 それは、裸で最初から最後まで唄いきった者に対する苦言とは思えない。サービスの規定時間はとっくにすぎているが、まだ始まってもいないので、操も追い返して良いものか迷っている。

 何より――そのコの真摯な表情は、決して蔑ろにして良いものではない。

「私が好きな……好きだった歩さんは……」

 今日のステージも会心の出来だった、と歩は思っている。最近はドレスタとして出演()ことが多く、周りに負担をかけることもなくなった。

 だが、しかし。

「踊りながら脱いでいってこそストリッパーじゃないですか!」

 その声はよく通り、にわかに会場が静かになる。その冷めた空気が彼女の背を押したのかもしれない。意を決したように、その女のコは一歩前へと踏み出す。だが、歩の横を素通りして、そして――ステージに向けて走り出した。これは――助走――!

 よじ登った壇上に立ち、彼女は歩を見下ろす。

「お、おいっ、勝手に登んなっ」

 操は即座に止めるべく、舞台の縁に手をかけた。が、しかし――

 トン、トン、トン――そのステップを見て、身を乗り上げようとしていた操は下の床にストンと引き返す。上の女に物騒な雰囲気はない。ただ、純粋に踊りたいだけ――男が同じことをしたなら、そのまま飛び上がり、容赦なく蹴り落としていたことだろう。だが、操も操で、プロデューサーとは違った意味で女子には甘い。

 トン、トン、トン――単純に右へ左へと揺れるだけ――その、簡単な振り付けは――

「……ッ!」

 歩はすべて脱ぎ終わるまで満足に唄い踊ることができない。そのため、『めいんでぃっしゅ』として出演する際には、大サビまで控えめで目立たない動きとなっている。それを、観客のひとりだったはずの彼女は――

「おーおー、頑張ってる頑張ってる」

 楽しそうに眺めているのは夜白(やしろ)。模倣に関して右に出る者はいない彼女から見れば、その動きは完全一致には程遠い。それでも、努力の跡は見られる。何しろ、今日の歩は未兎とのドレスタとして出演していた。つまり、今回のステージでは見せていないのである。『めいんでぃっしゅ』としての動きは。それでも記憶を頼りにここまで踊れるのだから、これまでずっと練習してきたのだろう。

 とはいえ――

「……んじゃ、はぐサー続けよっか?」

 夜白としては、害がなければ無視してとっとと終わらせたい。

「もしかして、加入希望者とか?」

 自分のダンスを見てくれ、というアピールかもしれない、と杏佳(きょうか)は思う。

「え、え、えーと……こういうときは、プロデューサーさんに……」

 このとき、ルミノは未だホールにいた。はぐサーに参加することはできないが、本日の出演者のひとりとして早退するようなことは憚られる。それでも、相手ができないことに対してそれなりの後ろめたさはあった。ゆえに、この場を離れる口実が欲しい。それで、自ら伝令役を買って出るつもりだったのだが。

「あっ、そういうことなら私が行くよっ」

 女性ファンの輪の中から、李冴がぐいっと脱出してくる。これまでもコスプレ会場で生温かい視線を浴びてきたが、ストリップ劇場ともなると熱が違う。気持ちは嬉しいが、ノンケの李冴にはどう対処してよいのかわからない。それで彼女もまた、さり気なく脱出の機会を窺っていたのだった。が、それではルミノも困ってしまう。

「あ、あ……待ってー。あたしもー」

 李冴が駆け出してしまったので、ルミノは慌ててそれを追いかけていった。

 その間も、乱入者によるダンスショーは続いていく。すでに一番のパートは終わり、二番の振り付けへと突入していた。服に手をかけ、ゆるり、ゆるりと彼女は脱いでいく。トップスを、そして、スカートも。下着姿になったということは、おそらくサビに到達したのだろう。音楽もなければ、彼女自身が唄うこともない。それでも、振り付けを見ているだけで、歩の耳には馴染んだ伴奏が聴こえてくるようだ。

 確かにその動きは、歩から見ても拙い。けれど、一生懸命だ。そして、その表情も。彼女は歩をストリッパーと呼ぶが、彼女自身はストリッパーではない。あのような目立つ高台に立ち――男性客たちも新たな催しだと思っているのか、遠慮なく見入っている。それでも、素人の女のコは手を止めない。くい、くい、とお尻を振りながら、くるりと振り返り背中のホックに両手を伸ばす。そこで、少し引っかかった。歩もまた、ここでつまずくことが多かったことを思い出す。恥じらいなどではなく、普通に上手く肩を回せずに。

 かつて、紫希(しき)に『みっともないもの』と酷評され、自分を見直すキッカケになったもの――それを他人の手によって見せつけられた歩は――これもまた、悪くない、と感じていた。

 おそらくそれは、嗜好性の違い――一般的には、ドレスタで魅せるような完成されたショーの方が満足度は高いのだろう。何より、最初から裸ということもあり。

 だが。

 このアイドルユニットは結成されたばかりで、全体の熟練度を見ればそれほど高くもない。それでも頑張って、日々切磋琢磨している。その成長の過程――初々しさ――会えるアイドル――身近な女のコ――そんな彼女たちが、裸になる――そこに、このTRKというグループの“らしさ”があるのかもしれない――そんな片鱗を、歩はファンの女のコの中に見出していた。

 ワッ――壇上の女のコがブラを外した時、男たちは歓声を上げる。それは、実際の舞台で行われていた催しと変わらない。そして、その体つきも。膨らみは歩たちと見劣りせず、剥き身の先端をツンと劇場中に誇示している。

 踊りながら脱いでこそストリッパー――その意味を、歩は噛み締めていた。そして、慢心していたのかもしれない――と自省して振り返る。そういえば、最近は本番続きでレッスンも疎かになっていた。何しろ、裸になれば即興で楽曲に合わせることもできる。裸の女子を見られれば、男性客たちも大喜びだ。

 しかし。

 それは、同性視点だからこそ気づくこと。ストリップとは、脱いでいく過程にも意義がある。霞からは、ドレスタとして始めから裸で出演()るように言われており、写真集も着衣のときは表情が硬い、と終始全裸で行われた。けれど――異を唱える必要があるかもしれない。ヌードモデルではなく――ストリップ劇場で踊る、踊り娘として。

 そして、そんな健気な美しさを見出したのは歩だけではなかった。

 ギギ――と扉を開き、そこでプロデューサーは呆然としている。ステージに上がっているのは部外者であり――だが、初対面ではない。確かに、彼女は常連客である。この劇場を、ユニットを支えてくれたひとりに他ならない。

 ゆえに彼女は――ステージを鑑賞しながらも、周囲の様子に気を配ってくれていた。だからこそ、隣席の不審な挙動に気づき――ひょっとすると、そのときからうっすらと感じるものがあったのかもしれない。だからこそ、暗い会場の中でも、彼女の視線に気がつくことができたのだろう。ここに盗撮している人がいる、という合図を。

 歩が色紙に記した名はカタカナで『ユイ』――島門(しまかど)佑衣(ゆい)――後にそう名乗る彼女は、ステージの上で一糸まとわぬ姿となった。そして、高々と手を挙げる。その胸も、下腹部も隠すことなく。演目が終わっているため、ステージ上に照明はない。それでも、彼女は輝いていた。豊かな胸の先の花園はほのかに染まり、腿の隙間を通す一筋はふわりと暗い綿飴に覆われていた。

 そのままの姿で――彼女はピタリと止まっている。丸裸になったことで、羞恥心が臨界に達してしまったのかもしれない。

 それでも――プロデューサーとして、彼女をスカウトしたい――その意思が変わることはなかった。


       ***


 劇場ホールで予定外のストリップショーが行われていた頃――

「これは……れ、憐夜希……さま……?」

 控室で画面を見せられた糸織たちは揃って驚愕している。希の身に何があったかはわからない。だが、“何らかの事情”により“性癖が激変”し――その結果として、『ゲリラストリップ事件』を引き起こしてしまったのか――かつては本業が別にあるため、裏の劇場であっても脱ぐことはできない、と断言していたほどだ。そんな彼女をここまで変えてしまった要因とは一体――?

「でもここ、どっかの商店街みたいじゃない。だったら、何かの手がかりがあるかもよ」

 希と悪い縁しかない未兎は比較的あっさりしている。だが、その言い分はもっともだ。そこで、各々画面の中を凝視してみる。真ん中でお尻を振っている主役ではなく、その周囲の背景を。

 すると。

「……ちょっと止めてください」

 しとれに言われて、霞はすぐさま一時停止を押す。撮影は夜の街中で行われているためやや薄暗い。けれども、彼女が希本人であることはわかる。わかる――と思われていたが――

「……やはり、これはありえません」

 しとれは、そのような結論に行き着いた。

「ありえんて何がやねん。いや、気持ちはわかるけど……」

「そうではなく」

 静かに(かぶり)を振ると、しとれは霞からその端末を受け取った。

「ここは、中野駅北口側の商店街です」

「あー……そーいや、前は中野に住んどったっけ」

「はい。それで……ここを見ていただきたいのですが」

 画面に触れないよう、しとれは画面の左端の方を指差す。そこには、黒く光る看板が立っていた。どうやら、撮影場所は喫茶店の前のようで――マーカーボードと呼ばれる、店主が毎日一言記す掲示板のようなものらしい。白い文字で『学生さんたち、二学期が始まりましたね! 学校生活はいかがでしょうか』――余計なお世話だな、と学生ではないが糸織は思う。だが、見せたいものはそんな駄文ではない、とはわかっていた。どうやら毎日欠かさず書き換えているようで、学生たちへのメッセージの先頭には日付が添えられている。

「……まったく、探偵にでもなったつもりかいな」

 きっと、時刻を示すヒントもこの画面の中に含まれているに違いない。糸織は注意深く観察してみるが――残念ながら、それはこの街で生活していたしとれにしかわからないものだった。

「隣の和菓子屋が閉まっております。よって、この動画を撮影したのは二〇時以降に違いありません」

「へー、そこって和菓子屋だったんだ」

 と、未兎。希自体良い印象がないため、さして興味なさそうに相槌を打つ。シャッターには『鶴丸堂』と書かれているが、営業時間までは読み取れない。

「一方、この『ノマド・カフェ』は営業中ですので、二二時より前です」

「んで?」

「……なるほど」

 糸織はまだ正解に辿り着かないが、霞はしとれの言いたいことを理解する。何故ならば、“当日”の指示を出したのは霞なのだから。

「憐夜希氏の『ゲリラストリップ事件』――まさにその最中、ということね」

「あー……そやったっか」

 一ヶ月近く前のことなので、糸織は言われてもはっきりとは思い出せない。が、しとれと霞の両名が確信を持っているのならばそうなのだろう、と納得する。

「つまり、渋谷のステージに上がっていた希さまが、中野のノマド・カフェの前まで移動することはできません。よって――」

「……ふふ、正解です」

 微笑みながら割り込んできたのは――

「なんやルミノはん、知っとったんかい」

 ホールの方では、いまもはぐはぐサービスが進行中である。が、ルミノがそれに参加することはない。そのため、この控室に留まっていた。

「はい、だって、この人――」

 ひょい、とルミノは手を伸ばして画面をタップする。すると、動画の痴態は再開された。少し股間をまさぐっていたが、すぐに姿勢を変えてカメラの方へと向き直る。そこで、糸織たちも一目で納得した。

「――あたしの……ママですから」

「あー……なるほどやでー……」

 乳輪の周りと下腹部に、ルミノと同じ刺青が掘られている。確かに、希にそのようなものはなかった。それは、歩が失踪した際の助っ人としてやってきたときに、糸織もしとれも目の当たりにしている。

 ただ、母親の刺青の方がどことなく豪快だ。乳房全体を覆うカップのように女性器マークは描かれているし、子宮の記号も実物より大きい。それは、最低限水着や下着で隠せるよう――ギリギリのところで娘の社会性を維持するための配慮だったのだろう。

「まさか……双子だったとは……」

「はい❤」

 ルミノは希の姉の娘――だが、その姉妹が一卵性双生児というところまでは霞も聞いていなかった。ため息をつく秘書を、小さな女のコは楽しそうに見上げる。

「これ、ママが自分でリアルタイム配信したものですよ」

 よく見ると、画面外にアーカイブ、と表示されていた。

「外見がそっくりなのを利用して、妹をアリバイ工作に使ってたってこと?」

 推理小説のような展開に、未兎は少し興味を持ち始めている。

「持ちつ持たれつ、みたいですよ。ママ、希さんのお仕事の手伝いもしてたみたいですから」

 希はライブアイドルとして確実なアリバイを作りやすい。それを利用して、姉である彼女は公衆痴態行為に及んでいたようだ。あくまで、“希もどき”の別人として。真っ先に有名である希の方に疑いが向くため、姉の方にはあまり追及の手が伸びてこないらしい。中には、同じようなボディペイントをした複数人による所業という疑いすらあるようだ。まさに、思惑通りの展開である。

 だが。

「……ちょっと待てい」

 ここで新たな疑問が生ずる。

「そのおねーやんとやら、何歳であんさん産んどんねん」

 希は、成人している娘がいるような年齢には見えなかった。が、姉の娘だと聞いて一度は納得している。しかし、一卵性双生児であったため、その疑念が再燃してしまった。

「それは……未成年、とだけ言っておきますね❤」

 この時代は義務教育を終えた時点で成人だ。つまり、その在学中に子供を産んでいた、ということになる。男性遍歴は、紫希(しき)並なのかもしれない。ただ、そのプレイ内容は極めてアブノーマルであると思われる。

「……なあ、あんさんの刺青、自分で入れた、ゆーとったよな」

「はい❤」

 自分の身体に後ろめたいところは何もないらしく、ルミノはうっとりと嬉しそうだ。とはいえ。

「ただ、ママは“ご主人さま”に命令されて彫ったみたいですけど」

「…………」

 その呼び方は、しとれにはとても身近なものだ。しかし、ルミノの言う主従関係はまた異なるものなのだろう。それも、決定的に。

「ふふふ……当時のママは、随分享楽的だったみたいで……❤」

 ルミノはどこまでも嬉しそうに母の過去を語る。が、その内容は決して微笑ましいものではない。

「ママは昔、芸能界……というか、歌のうまい人にすっごく憧れてたみたいで……」

 だが、希のように歌の才能があるわけではなかったらしい。一方で、作曲の才能はあったため――姉が作り、妹が唄う――『憐夜希』とはふたりでひとりの名義として使われていたようだ。

 自分に妹のような才はない――そう自分に言い聞かせ、裏方に徹する姉――その間にも、芸能界への憧れは募っていく。

「それで、とある男の歌い手さんと付き合っていたそうなんですが……」

 モテる男であれば、遊び慣れている者も多い。いつしか、行為自体の方にハマっていくことになった。

「そんな中……あたしを妊娠してしまったみたいで」

「おいおい、このご時世にそんなんあるんかいな」

 ルミノの出産が学生の頃だと知っているからこそ、糸織は半信半疑でツッコミを入れる。

「どうやら、本気で結婚するつもりだったらしいんです。けど、あたしが生まれた直後に、逃げられちゃって」

「……やっぱり」

 と、霞はため息をついた。が、しとれは少し不自然に感じる。

「生まれた直後に……?」

「そのように聞いてますけど」

 言われたとおりの情景を思い浮かべ、未兎もしとれと同じ違和感に行き着いた。

「逃げるなら、妊娠に気づいた時点で逃げそうなものだけど」

「……言われてみれば」

 大きくなっていく母胎(おなか)は誤魔化しようがない。

 子供を作ることで結婚に踏み出せない彼氏の背中を押す――うまくいけば良いが、女の一方的な恋慕だった場合――霞は年代的に、そのような揉め事を多数耳にしてきた。その類の“もつれ”だと高を括っていたが、確かに出産まで立ち会った上で、という話は聞かない。

「ふたりの間に、どんな愛があったのかしら……」

 霞の口から『愛』という単語が出てきたことで、糸織たちは気まずさに言葉を失う。ただ、ルミノには、母からの愛情を信じることができた。

「少なくとも……あの人との子供だからって、あたしのことは頑張って育ててくれたそうです」

 高校に進学することもなく。

 ルミノの母親の実家は、複数のラブホテルを経営する資産家だったらしい。その世間体もあり、未成年の娘がそのような行為に及んでいだことを隠したかったのだろう。元々不登校気味だったこともあり、希の姉は完全に妹の影となった。

 が、影にも影なりの欲望がある。

「けど、あたしがそれなりに育ってからは……また男遊びを始めるようになっちゃって」

 元カレによって刻まれた快楽を忘れることができず――その後、調教師を名乗る複数の男たちに後戻りできないところまで仕込まれてしまったらしい。その、身体の刺青まで含めて。

「芸能界への憧れからか、ひとりになったいまでも、こうして楽しく配信してるみたいですよ」

 どうやら、多くの人たちに観てもらうことが好きなようだ。とはいえ、そのような性癖であれば、この劇場にも多数所属しているので珍しくない。だが、糸織は別のことが気にかかる。

「……ひとりってまさか、次の男とも子供ができて……」

 それで別れてしまったのなら、さすがに二度目は如何なものか。

「いえ、もう他の人との子供はいらない、と手術で」

 糸織の懸念は当たらなかったものの、その答え一つひとつが聞いてる者たちの上をいく。

「別れてしまうのは……ママ、男の人ひとりじゃ満足できないみたいだし、それを承知の上で、という男の人だと、やっぱり何かあると関係が切れてしまうみたいで……。あ、でも悪いママではないんですよ?」

 男関係に問題を抱えていても、ルミノは母に悪い感情は持っていないらしい。

「だから、あたしが中学校を卒業したとき……記念に刺青を彫ってもらいました❤」

 その時点で、実家の人たちもさすがにこの母娘を危ぶんだ。それで、娘は急遽遠縁の砂橋(すなはし)家に預けられたのだという。

「それから、お母さんには会ってないの?」

 と霞は尋ねる。

「はい。けど、もしかしたらもうすぐ会えるかもしれません」

「何か事態が好転したのでしょうか」

 しとれも、どん底の状態からここのプロデューサーに救ってもらった。ルミノの母親にもそのような相手が見つかれば、それに越したことはない。

「ここまでは希さんのお仕事の手伝いとか色々してたと聞いてましたが……先日、希さんが転職しまして、その会社にママも雇ってもらえることになったんです」

「なるほどなぁ、社会復帰できたから、ってことかい」

 と、糸織は呑気に構えているが、時期が時期だ。PASTの結成にゲリラストリップ事件――まったく無関係とは思えない、としとれは訝しむ。

「どんな会社なのですか?」

 それがわかれば、希の手がかりになるかもしれない。

「えーと……ゲームメーカーで……確か……『パラノイア』と――」

「なんですって!?」

 真っ先に驚いたのは霞だった。

「す、す、すいません……っ」

 ルミノはふるふると怯えている。やはり、霞の剣幕は強すぎるようだ。

「ごめんなさい、急に大声出してしまって」

 と霞は謝るが、驚いているのは霞だけではない。

「パラノイアって……」

「やはり、希さまはそこに……」

 そう考えるのが自然だ。が、霞はすでに調査済みである。

「ありえないわよ。その名の組織は一通り調べている。けれど……」

「そんな企業はなかった、と?」

「ええ」

 それどころか、同人サークルとして参加していたのも今回だけ。『パラノイアのはるも』と名乗っていた彼女も、本人の作品は『LSルネッサンス』というサークル名義で発行していた。

 本人に確認できれば良いのだが、ルミノは未だ母親と会うことができない。希は一体どこに就職したというのか。その真実は、本人を探して、直接訊くしかないのだろう。

 だが――

 実在しないゲームメーカー――希の足跡の闇はさらに深まったのかもしれない。


       ***


 全身タイツやらハゲヅラやら――女性らしさとは程遠い仮装の数々に比べれば、今日のフォーマルなスーツは久々に“女性”として扱ってもらえている――と、彼女は思う。

 登壇しているのは地方劇団の中年女性たち――彼女たちも、被害者たちも、顔がそのまま電波に乗ることはない。身元不明の、あくまでイメージ演出だ。

 それでも、被害者は実在する。

 自分もそのひとりだ――などと、彼女は思いたくない。

 だが、道を踏み外してしまったことは自覚している。

 ゆえに、同じような過ちを次の世代が繰り返さないよう――それは、ただの言い訳にすぎないのかもしれない。

 結局は、少しでも失ったものを取り戻すため。

 そして、少しでも踏み外してしまった道を糺すため――

 スタジオからキューが出て、カメラが回り始めたのを彼女は感じる。そして、恭しく一礼。深夜番組とはいえ、これまでのキャラとのギャップを受け入れてもらえるか、と心配にもなる。

 それでも、彼女は振り返らない。

「始まりました、『子供を貪るテレビ業界の闇を暴く』……司会は(わたくし)――水裏(みずうら)理々(りり)が務めさせていただきます」


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