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21話 栗塚善帆

 王子様は、“初めて”出会った頃からそうだった。

 なので、このような出自に“転生”したのは必然だったのかもしれない。

“今度”のお義父様は、数々の風俗店を経営する資産家。

 現代における王とは、性を統べる者、ということなのだろう。

 そして、お義母様は――元々、そのステージに立つ演者のひとりだった。

 彼女は、一見目立たない女性だったらしい。

 しかし、後に夫となる男の手により輝き始め――

 だが、そんなシンデレラはある日突然その舞台から退いた。

 ふたりの間に子供が授けられたのである。

 それを機に、ふたりは結ばれた。

 絵に描いたようなハッピーエンド――しかし、それは文字通り、幸福(ハッピー)終焉(エンド)だったのかもしれない。


 お義父様は、息子を自身の後継者として育てるべく、まだ義務教育さえ始めていない我が子を自分の仕事の現場に――当然、客としては未成年の立ち入りを禁じている。けれど、その歳で男の子は物怖じすることはなかった。裸の異性たちに囲まれて――恥じらうことなく、その美しさに見入っていたという。思春期の訪れと共に自然と関心を懐き、その大きすぎる関心から遠ざけてしまう性の差異――それを彼は、驚くべき若さで受け止めていた。やはり、そのような“才”を宿命として備えていたのだろう。

 私は、“そんな”王子様を受け入れたかった。この時代に生を受ける前の彼を知る者だからこそ。明るく、男女別け隔てなく誰にも優しく――けれども、彼が教室でその話をしていたところを見たことがなかった。然るべき場所では、あんなにも瞳を輝かせていたというのに。

 やはり、王子様は王子様である。その本質は変わっていない。けれど――この時代でも記憶は封印されたまま。

 解呪の法は覚えている。あとは、私の魔力を呪いに打ち勝てるほどに高めるだけ。思えば、これは三〇〇年ぶりの奇跡かもしれない。身分の違い、環境の違い――これまで何度も同じ時代に巡り逢わせてきたが、ここまで傍に近づけたことがあっただろうか。奇しくも、互いに少々歳若すぎたことは否めない。それでも、王子様は王子様であり、私は私である。ふたりの魔力が交ざりあう瞬間――例え幼き肉体であったとしても、私はその光景をありありと思い描くことができた。

 とはいえ。

 いまから思えば、“それ”はあまりに唐突であり、そして、踏み込みすぎた決断だったのかもしれない。

 私に“それ”をさせたのは――あの頃の記憶があったから。

 彼は、元来“そういう人”で――それゆえに、私たちは結ばれたのだから。

 だから――

 その日の放課後は教室で他の男子と女子と私、そして、王子様の四人で雑談に耽っていた。そのうち、男子は友達と約束がある、と離席し、女子も、習い事がある、と退室していった。

 我々の邪魔をする者は早々に立ち去れ――そう念じていたことは違いない。が、本当にふたりきりになると――私は急に言葉が出なくなった。いまここで話すべきことと、話したいことがあまりにも乖離しすぎていて。それで、王子様に気を使わせてしまったのかもしれない。

「じゃ、僕たちも帰ろうか」

 もしも王子様に、自分といてもつまらないのでは、などと誤解させてしまっては心外である。私は王子様の傍で、王子様を見つめているだけで幸せなのだから。しかも、こうしてふたりきりになれたのは、この時代では初めてのこと。私はどうにかして話をつなぎたかった。

「あのっ!」

 呼び止めようとして声が裏返り、私は気づく。ここまで私は王子様の横顔を眺めているばかりで、ほとんど黙って相槌を打っていただけだったと。むしろ王子様の方が、私といてもつまらないと感じて当然だ。

 どうにかして、私は王子様を笑顔にしたい。王子様の、“本当”の笑顔に触れたい。

 だけど。

「さ、最近……どう……?」

 私に言えたのは、こんなどうしようもないことだった。これに王子様は不思議そうに首を傾げる。

「どう……って?」

 それでも怪訝な顔ひとつしなかったのは、まさに王子様だからだろう。そんな王子様に、私はもっと近づきたい。封印を解くためには、もっともっと近づかなくてはならないのだから。身体だけでなく、心の距離も。そのために。

「そのー……楽しいこととか、興味あること、とか……」

 改めて思い出すと、もはやこれは、子供に理解を示そうと奮闘する母親のそれではなかろうか。同い歳の私がついそんな言葉を口にしてしまったのは――何故なら、私は知っている。王子様が本当に好きなこと。楽しいと感じていること。けれど――誰にも話せないこと。それを、私にだけは話してほしい。それは、その答えを聞き出すための誘導尋問――にすらなっていなかった。

「うーん……どうだろう? むしろ、面白そうなことがあれば教えてほしいな」

 質問を質問で返されたのは完全なる想定外。王子様が私のことなどを知りたがっているなんて!

 けれど。

 私が好きなこと――私が関心のあること――それは、王子様その人なのだから。

 さすがに、それは言えない。何しろいまなお、王子様の記憶は封印されたままなのである。二〇〇年前の清国で――再会した悦びのあまり強引に近づこうとして二度と逢えなくなってしまったことは記憶に新しい。

 それで。

 私は、王子様に口にしてほしかったことを、自分の口から発していた。

「えーと……私が関心あるのは……ス、ストリップ……とか、かも……」

 魔術を行使するのであれば、ストリップなどその手順のひとつにすぎない。けれども、少し遠慮しながら――とはいえ、それは間違っても女子から切り出す話題ではなかった、といまとなっては反省している。そのとき失言だと気づかなかったのは――それでも王子様は、嫌な顔ひとつせずに応えてくれたから。

「へぇ、大人なんだね」

 とても優等生な回答。後から聞いた話では、大人の女の人からからかわれることも多く、この手の質問には慣れていた、とのこと。ただ、私が王子様をからかっていたわけではなかったことだけは、ちゃんと伝わっていたらしい。肯定も否定もなく、茶化したり誤魔化したりすることもなく。それでいて、逃げ道を塞ぐこともなく。

 けれども、そのときの私に逃げるという選択肢はなかった。

「私、まだ大人じゃないけど……」

 それは、この未完成な身体つきで嫌というほど理解している。だからこそ。

「できるかな……ストリップって」

 私はようやく、自分の発言を着地させることができた。そしてその質問は、彼に対する最後の一歩だったといっていい。

「理屈としては。基本的にはダンスショーの一種だからね」

 きっと、この時点で合意は取れていたのだと思う。それを感じたからこそ――その後は予定調和で。

「なら、私もやってみたいな……ストリップ」

「いいんじゃないかな」

 私がそういえば、彼が拒むことはない。

「ストリップ、見たことある?」

 答えを知っている前提での質問に、王子様は少しだけ迷っていたけれど。

「……うん、お父さんの仕事で」

 私のために、そう答えてくれた。

 そう、正直に答えてくれたのは私のためなのだと思う。

 だから。

「なら……私に教えてくれる?」

「うん」

 ――誰がいつ入ってくるかもわからない学校の教室で、本当にあんなことをして良かったのか――その日の夜は、罪悪感と羞恥心で、夜遅くまで眠れなかった。明日、どんな顔で王子様と顔を合わせれば良いのかもわからなくて。

 けれどもあのとき――初めて王子様の前で裸になったとき――彼からあふれる魔力を私は全身で受け止めることができた。それは、ずっと私の奥で渦巻き続ける魔力の鼓動としてもはっきりと認識することができる。

 それに、何より――可愛いね、と褒めてもらえた。それだけでも、恥じらいを乗り越えた意味が――いえ、この時代に生を受けた意味があったといえるだろう。

 そして、翌日の学校で――王子様は、何も変わらなかった。ただしそれは、みんなといる間だけ。放課後――あの日を境に、私は王子様のお住まいに足繁くご訪問するようになった。私たちは部屋でふたりきり――そのとき私は、いつも踊りながら裸になっていた。もちろん、脱ぐのは私ひとりだけ――その、私からお願いした一度を除いて。このとき私は――異性の身体つきよりも、王子様が私と同じ姿になってくれたことに感激したことをよく覚えている。

 どうやら王子様は、他人の裸には慣れていても、自分が裸になることには慣れていなかったらしい。ちょっと照れるね――そう言ってはにかむ彼の顔を、私は未来永劫忘れることはないだろう。そして何より――封印を解くというのがどういうことなのか、心の底から理解できた。男と女の魔力を交わらせる――何ひとつ、隔てることなく、身体のすべてで――身体の、奥底で。

 私が裸になっているときだけ、王子様はご自身の話をたくさん聞かせてくれた。お父さんはたくさんの風俗店――オトナのお店を切り盛りする経営者で、お母さんは元々そこで働いていたストリッパー――それは、私が今作の冒頭にて話した通り。やっぱり王子様はそんな世界が大好きで――それは、高まっていく王子様の魔力を受け止めることで、私にも感じることができる。これならきっと、遠くない日に王子様にかけられた呪いを解くこともできるに違いない。

 そう考えて、いたのだけれど――

 決して、王子様が悪いわけじゃない。けれど、その誕生によって夫婦の間に亀裂が生じてしまったのは事実。どうやらお義父様は、お義母様に家庭に入って育児に専念してもらいたかったらしい。けれど、お義母様の意識は社会に向けられていた。

 ふたりの間で納得いく合意は得られず――ならば、息子の教育は自分が行う――それがお義父様からの条件。実質、お義母様から子供を取り上げたようなもの。一方、お義母様も輝きに満ちていた元の劇場に戻ることはなく――一般事務職へ。きっとそれで、ふたりの心は決定的に離れてしまったのだろう。

 お義父様は経営者であり自営業者であったため、時間に対する制約は比較的少ない。家事代行サービスなども雇いつつ、物心ついた頃には王子様を大人の職場に連れ回すようになっていた。自分の息子を、自分の跡継ぎとするべく。

 だが。

 その終わりは突然に。それは、私と王子様の密会が始まる二年ほど前のこと。『貴方の教育は子供に悪影響である』――本当に、いまさら。こうして、お義父様から切り離され、お義母様とこのマンションでふたり暮らしを始めたらしい。

 王子様はお母様の言葉を額面通りに受け取っていたけれど、きっと、お義母様は別の男の人のことを――

 お義母様は、何日も帰ってこないこともあったという。けれども王子様はずっとお母様のことを信じていて――それはときどき、私が嫉妬するほど。王子様は、お母様のことを『いつもキラキラしていて、頑張っている』と応援していた。けれどもきっと、お義母様がキラキラしているのは――もし、王子様がいまも私を綺麗だと言ってくれるのであれば、同じ理由だったのだろう。


 なので、その日は――


 王子様が学校を無断で二日休んだ。三日目、もし明日も来なかったら――職員室の雰囲気はあまりに不穏。そんな先生たちの話を耳にしてしまっては、私にはもうじっとしていることなどできない。

 放課後、私は王子様のマンションに訪れてみた。エントランスでベルを鳴らしてみたけれど、誰も出てくれない。だから、私には待つことしかできない。そして、宅配便のおじさんがやってきたのに合わせて、さもこの建物の住人のような顔をしてオートロックの自動ドアを通過した。

 エレベーターに乗り、私は王子様のお住まいへ。不用心なことに、玄関に鍵はかかっていなかった。良くないとは思いながらも、いまは緊急事態である。静かに扉を開き、王子様のお部屋を覗き込んでみると――ベッドでぐったりと横たわっていた。しかし、その目は虚ろで生気がない。慌てて私は王子様に駆け寄り、呼吸に乱れがないことに一先ず安心する。けれども、私が来たことにさえ気づいていない。私の姿が目に入っていない。ただ、涙の筋だけは幾重にも頬に刻まれていた。

 こんなときに、お義母様は一体何を――?

 それを私は、すでに察していた。

 いつか来ると恐れていた日が、きっと三日前に訪れていたのだろう、と。


『しばらく帰れないから、あとのことはお父さんと相談してください お母さんより』


 ダイニングテーブルに残されていたのはどこまでも身勝手な置き手紙だった。こうなることを、王子様自身も薄々感じていて、それでも認めたくなくて、『キラキラしている』と目を逸らし続けて応援していたのかもしれない。

 その日が来るのを一日でも先延ばしにするため。

 けれども、避けられなかった。

 信じていたもの――信じたかったものを失って――

 このままでは、王子様の魂は魔女の呪いによって蝕まれ、喰い滅ぼされてしまう。

 けれど、私の魔力は、王子様との語らいを積み重ねてきたことにより、これまでにないほど高まっていた。

 おそらく来週――次の満月には、王子様は私のことを――

 私たちのことを思い出してくれるはずだ。

 けれど、いま王子様を救わなければ明日はない。

 とはいえ、仮に今日を生き長らえたとしても、明日には職員会議という名の審判によって――

 だとしても。

 私は意を決して王子様の前に戻ってきた。

 そして、晒す。

 王子様が、可愛いね、と褒めてくれた姿を。

 だけど、この肌に魔力は感じられない。

 おそらく、お義母様のことで、生命力を失ってしまったのだろう。

 だから、私は――

 私が、注ぎ込むしかない。

 王子様の記憶の封印を解くために蓄えてきた魔力を、生命力に変えて。

 私は、王子様のお召し物に手をかける。

 一度だけ見せてくれた、はにかむ笑顔を思い出しながら――


       ***


「ちょーっと待てーーーいッ!?」

 エントリーシートと称した漫画の原稿を、糸織(しおり)は長机に叩きつける。なお、まだ清書されていないコマも多数あるため、どうやら未完成品らしい。

 劇場控室には打ち合わせ用の長机が鎮座している。その上には、何十枚もの印刷物が散らされていた。

 一方、同じものがパーティションで区切られた一角――応接スペースの机にも用意されている。プロデューサーはスーツ姿で見知らぬ女性と向き合って座っており、どうやら現在面談中らしい。

 ただし、それはアポ無しで。

「これはどういうことか、説明してくれる?」

 プロデューサーは、何かと女性に甘い。ゆえに、別の事務所も掛け持ちしている(かすみ)は、彼が業務で外部の女性と会う際には秘書として欠かさず同行している。が、今日は昼過ぎの外出まで打ち合わせの予定はなかったはずだ。そこに突然の女性の来客があったと連絡を受け、緊急で帰還したのである。

 説明を求められているのは、第一発見者の春奈(はるな)だった。

「え、えーとですね……私、朝の合わせのために劇場に来たんですけど、そしたら入口の前で……」

 それは、いつもどおりであれば始発頃の時間帯に。

「……まさか、そこからずっと“あの格好”で? 施錠はされていたのでしょう?」

 霞が問う“あの格好”とは――靴だけ履いた全裸を差す。とはいえ、ここはストリップ劇場であるため、女子が全裸でうろついていてもさほど違和感はない。実際、メンバーの何人かは堂々と素っ裸である。とはいえ、春奈は良識派であり、全裸の女子を見過ごすことはできない。

「はい……なので、さすがにそのままにはできなくて……」

 と、無断で部外者を控室に入れてしまったことをいまさらながら詫びた。

「……常識的な判断よ」

 そう言いながらも――おそらく、そのまま放置しておいても問題なかっただろう、と霞は思う。この街における暗黙の了解として――全裸で徘徊している女子はこの劇場の踊り娘――この街最大のアダルト事業を司る『ライブネット』も絡んでいるため、安易に手を出す者はそういない。警察さえも見て見ぬフリをするこの状況だからこそ、こうして無事に回収できたのだろう。

 ただ――来訪者の手荷物は漫画の原稿を入れてきたと思われる薄手のブリーフケースひとつだけ。そこに服を収納できそうな厚みはない。一体、どこからその姿で来たのか――少なくとも、まだメンバーではないため、霞がそれについて言及することはなかった。

 とはいえ、全裸のままでは春奈としても困ってしまう。この劇場には衣装が山ほどあるというのに。

「わ、私も、服を着てほしいとお願いしたのですが……」

「いいわ、何となく事情はわかるし」

 そう言って、霞はコピーされた原稿の一枚を見た。そして、ため息をつく。

「大方、“魔力を高めるための儀式”……とでも言っていたのでしょ」

「仰るとおりで……ハイ」

 霞が手にしていたページによると――“王子様”を感じられる場所には“王子様の魔力”が満ちており、素肌を通じて取り込むことで、その魔力を自身に蓄えることができる――その解説と共に、実際の儀式の様子が漫画として描かれていた。プロデューサーが普段寝泊まりしているのはこの劇場である。昨日は地方の事務所と打ち合わせがあり、戻ってきたのはつい先程だったようだが。それでもさぞ“王子様の魔力”を感じられたことだろう。

 春奈は当然真っ先にプロデューサーに連絡したが、それとは別に――(もも)杏佳(きょうか)など、親しいメンバーにも相談していた。その結果、何だかんだで全員ここに集結し――漫画を持ち込んでいると知ると、面白そうだから読んでみたい、と桃たちが言い始め、作者本人に許可をもらった上でコピーを取り、メンバーたちの間で読み回されていた。そして、いまに至る。

 ただし、これは少年少女が読むような健全な漫画ではない。序盤こそ落ち着いていたが、ストリップの話が出てからは、あらゆるページに裸のコマが含まれている。杏佳(きょうか)は、みんな読んでるから、と真っ赤になりながら懸命に向き合っていたが――

「ほらー、杏佳ちゃんー、次のページ読むのー」

 どうやら、“王子様”の服が剥かれたところで力尽きたらしい。杏佳の背中に抱きつき、肩口から一緒に原稿を読んでいた朱美(あけみ)が机に突っ伏している杏佳を無責任に励ます。とはいえ、朱美自身に読み進めるつもりはないようだ。というより、明らかにスキンシップの方を楽しんでいる。その証拠に、手つきが怪しい。

「――ひゃっ!? 服の裾に指入れるのやめてくれません!?」

「あらあら、まだ元気なのー」

 どうやら朱美は、のびているのをいいことに服を脱がそうとしていたらしい。だが、杏佳にもそれに抵抗するだけの余力はあったようだ。

 いわゆるエロ漫画の読書会であるため、ある者はニヤニヤと、ある者はソワソワと――室内の空気には落ち着きがない。そんな中で、ひとりシャンと背筋を伸ばし――紺のメイド服にヘッドドレス――パイプ椅子に座るその姿は、どことなく浮いている。

「この物語の“王子様”は、明らかに店長がモデルになっているようですが……」

 不安を感じるべきなのか、真に受けるべきではないのか――迷いに迷ったしとれの顔には一切の感情がない。後に“王子様”本人から聞いた話では――どうやら『空想九割、真実一割』とのこと。ただ、完全に空想と言い切れないところが恐ろしい。それが、『真実一割』と呼べる部分だ。

 彼が子供の頃から父に同伴して風俗店を巡っていたのは事実である。あまりにも慣れ親しんだことだったので恥じらうこともなかったし、楽屋では可愛がられたり、からかわれたりしたこともあった。とはいえ、だからこそ、分別を弁えるように厳しく躾けられている。ここで働いている女性たちは『特別な才能』を持った者たちであり、『この界隈』の外で同じように接しては失礼にあたる――ゆえに、『その界隈』のことを学校で話したことはないし、当然赴いていた子供は彼ひとりだけ。間違っても同級生を――それも、女子となど一緒に来たことはない。にも関わらず、まるで実際に見てきたかのように表現されている。彼女も彼女で、別途この街に来たことがあるのかもしれない。が、そのような子供が他にいれば、彼の耳に入ってきてもおかしくないのだが。

 そして当然、彼が同級生に対して教室でストリップを促したこともない。ただし、履歴書に記載されている小学校は彼が通っていたのと同校同年卒だ。卒業アルバムでもあれば何かわかるかもしれないが、残念ながら家を出る際に身の回りのものはすべて置いてきている。きっと、すでに処分されているに違いない。

 父が実業家であるのも本当だ。プロデューサー自身が記憶している母は父の会社の事務員だったが、結婚前はストリッパーだったことは、イワ爺や現役の踊り娘たちからも聞いている。ただ、夫婦間で教育方針に齟齬があったことは知らない。そして何より、事務所は住居も兼ねていた。職場だけに人の出入りも多く、物語にあったようにふたりきりになどなりようもない。ゆえに、自宅での語らいの部分も完全なる創作だろう。当然といえば当然だが。

 とはいえ、両親の離婚の原因は紛れもなく母親側の不倫である。どうやら、相手は同じ事務所の社員だったらしい。このような家庭の問題は積極的に喧伝する話題でもなく、それを知っているということは、当時の事務所の関係者なのだろうか、とプロデューサーは疑う。まさか、その不倫相手との異父兄妹――であったとしたら年齢が合わない。

 母親と相手の男は駆け落ち同然で姿をくらましたため、それから数日間は証拠を捜索するため事務所は臨時休業に。彼はひとりでウィークリーマンションの一室に放り込まれた――とイワ爺から聞いている。というのも、プロデューサーにはその前後の記憶がない。やはり、相当ショックだったようだ。イワ爺によると、食事は届けてくれていたようだが、まったく手を付けていなかったとのこと。ただただ、ベッドに横たわっていたようだ。

 その後、母親の話は聞かないし、物語にも記されていない。だが、『この界隈』の不貞行為である。どのような制裁があったことか――それは彼自身、知りたくもない。何故なら――あの頃の母親は確かに『輝いていた』――<スポットライト>――どうやら、子供の頃からそれを感知する才は身につけていたらしい。が、“彼が記憶している限り”では、次に輝きを感じたのはカラオケボックスでの歩との邂逅まで期間が空く。この事件を機に父親が風俗産業から足を洗ったことも要因のひとつだろう。

 エビさん――蛯川(えびがわ)テレビホープ局長――キッズガーディアン代表――彼とプロデューサーが出会ったのもその頃のこと。当時の蛯川氏はまだ代表職を務めていたわけではないのだが。ホテルに単独で送り込まれてから数日後、まだ子供だったプロデューサーは蛯川氏の勧めでキッズガーディアンに保護されている。そして、義務教育が終わるまではその施設で暮らしていた。

 中学校を卒業すれば成人として扱われるのがこの時代の法である。『キッズ』を『ガード』する時期は終わり、彼は父親の元へと戻された。他に身寄りがないので、一先ずの便宜上として。構えていた事務所はすでになく、マンションの一室での生活となった。が、父親は基本的に家に戻らず、息子はひとり暮らしも同然だったといえる。なお、間違っても、そこに同級生女子を連れ込んで脱がすどころか、そもそも他人を家に呼んだことさえない。だが、漫画に登場するマンションの外観及び内装は――おそらく、この頃の生活がベースになっているのだろう。

 母親の離婚――<スポットライト>を放ち輝いていた母――それを応援していた息子――その結末が失踪と離別――この現実は、幼きプロデューサーを打ちのめすには充分だった。その頃から父はキッズガーディアンに深く入れ込んでおり、我が子を組織が運営する大学に進学させたかったらしい。が、学業に身の入らない息子の成績は振るわず、合格ラインには遠く及ばないと諦観したとき、父は息子を見限った。新歌舞伎町に近い店舗を与えられたのは、何かあれば旧知のイワ爺を頼れ、という武士の情けだったのかもしれない。

 高校時代のことであれば、同級生だった(あゆむ)もよく知っている。だが――ちらりと応接間の様子を窺うも、ふたりは歩に気づいていない。何より女性の方は――完全に発情している。ハァハァと半開きの口からは湯気が出そうなほどの熱を吐いており、誰の目を憚ることなく漫画上で行われていた魔力蓄積の儀を執り行っていた。机を貫きそうなほどの力強さで向けられた視線は正面に座る男性の股間へ。そのスラックスの中は完全に記憶している、と言わんばかりに。

 だからというわけではないが――歩もまた、原稿の“ソレ”をじっくりと観察していた。糸織が放り出したプロデューサーのベッドシーン――茫然自失となった男の子の下半身を剥き、唇で愛で、大人の姿へと変貌していくその過程がしっかりと描かれていた。

「へーぇ、うまいじゃん、Pちん」

 歩の横から紫希(しき)が覗き込んでくる。なお、彼女の言う『Pちん』とは『プロデューサーちんぽ』の略であるため、その賞賛は紛れもなく肉々しく描かれた男性器に向けられたものだ。

「…………」

 歩はあえて口にしない。だが、彼女自身もかつて――まだアイドル活動を始めたばかりの頃、一度見せてもらったことがあった。それだけだったので少々自信がなかったものの――ちんぽだけで男を識別する紫希のお墨付きである。おそらく、この描写は正しい。つまり、この作者もまた“どこかでプロデューサーと裸の付き合いをしたことがある”ということだ。

 けれど、どこで――?

 歩にはこの作品のどこからどこまでが虚構なのかわからない。けれど――しれっと同級生として描かれているが、それは嘘だと言い切れる。こんな“個性的な女子”が同じ学年にいたのなら、気づかないはずがない。実際、履歴書の記述は卒業した小学校と現在通っている大学名だけ。現在はともかく、離れていた中学校と高校は触れてほしくないのだろう。

 同じ高校ではなかったにも関わらず――何で、授業中の“オーナー”の雰囲気はここまでよく描けるんだろ?――歩は出会いの経緯から、プロデューサーのことを『オーナー』と呼ぶ――まるで、“実際に見ていたようだ”と歩は驚嘆を禁じえない。

 それに、彼の女性遍歴――と呼べるほどのものではないが――オーナーの顔はそんなに悪くない、と歩は思う。それより、物静かで神秘的な雰囲気があり、何より優しい。何度か女子から告白を受けていたようだ。だが、彼はすべて断っている。詳細は歩も知らなかったが、それらはすべて『期待には応えられないから』という理由で――漫画にはそう描かれていた。

 作中では都合よく、本能で宿命の相手ではないと感じ取っている、と解釈していたが――実際のところ――彼が女子の期待に応えられなかったのではない。彼が女子に何ら期待していなかったのである。輝ける母を支え続けた結末――さらには、施設では『そこは間違った界隈である』と徹底的に『正しい教育』を施された結果――彼は己の中で異性という存在を喪失した。

 歩とて、漫画からそこまで読み取ることはできない。けれども、断り文句自体はオーナーらしいな、と説得力を感じる。しかし、よく描けているのは彼ひとりだけ。他のクラスメイトは誰ひとりとして知らない顔だ。同じ教室にいたはずの歩さえ、そこは別の男子の席となっている。なのに、“王子様”に関してだけは正確に。だからこそ、歩は恐怖する。

 それに、何より――

「ひぇー…これが噂の、プロデューサーさん転落事件……」

 それは、プロジェクト内ではある種のネタになっていた。彼は高校三年の夏休みに、一度死にかけたことがある。下級生の女子の帽子が突風で煽られ屋上まで飛んでいったと聞き――こともあろうに、雨樋をよじ登って取りに行こうとしたという。帽子自体は無事回収できたが、下りる際に――転落。だが、偶然下で陸上部がマットを運搬していたところで、一命を取り留めた、というものだ。

 本人は無様な失敗談、と捉えているようだが――見ず知らずの女子が困っていたから――自分の危険も顧みず――そして、奇跡ともいえる幸運――ある者からは、やはり彼は恵まれた星の下に生まれた――茶化す者からは、それで一生分の運を使い果たした――様々な意味で、プロデューサーを象徴する事件として親しまれている。

 だが。


 あの話は嘘だと、歩は知っている。


 そもそも、あの事件は、関係者以外誰も知らないはずだ。一緒にいた当事者たる友人・陽子が誰かに話したのなら、そこが情報源かもしれないけれど、彼女は怯えきっていて他言できる雰囲気ではなかったし――もちろん、歩も話していない。なのに、あの事件を知っているということは――


 ――何者?


 漫画に描かれているのは、陽子から『このように口裏を合わせてほしい』と頼まれたシナリオそのもの。これを読んで、オーナー自身はどう思ってるんだろう――歩は心配そうにプロデューサーの様子を窺うも、彼は目の前の女性に夢中だ。きっと――<スポットライト>――を感じているのだろう、と歩は察する。

 そして、思う。この先、一緒に活動していくのなら、知ることになる日も来るかもしれない。彼女が一体誰なのか――

 この漫画は、あくまで“王子様”の物語である。ゆえに、観察者である作者の身の上についてはほとんど描かれていない。少なくとも“現世”の彼女については。

 幼き“王子様”が死に体で発見されたあの日、辛うじて一命を取り留めたものの、すべての“魔力”を使い果たしてしまったため――どうやら魔女による記憶封印の呪いも逆行し、ふたりの間に育まれてきたそれまでの経緯も忘れてしまったらしい。

 ゆえに、もうかつてのように全身で魔力を感じることはできなくなった。それでも少しずつ、王子様の痕跡を追いながら――中学高校と、少しずつ魔力を高めてきた様子が漫画にて描かれている。だが、またしても封印解除を目前に――彼は忽然と姿を消してしまった。その理由は、歩も知らない。ただ、そういえば卒業式の日にもいなかったような、とぼんやり記憶している。彼は、必要な出席日数を満たした時点で登校することをやめていた。その頃にはすでに息子と父親の間の縁は事実上切れており、家を追い出されたのである。

 彼に捨てるべき物は何もなく、

 捨てがたき物も何もない。

 それはまるで、ちょっとコンビニへ買い物に出かけるかのように。

 あまりの痕跡のなさに、気づいたのは失踪の三日後――と物語中には記されているが、正確な時間差はわからない。ともかく、彼が新宿のカラオケボックスの店長として務めていた二年間は完全に見失っていた。ゆえに、物語は一気にその先へ飛ぶ。

 このあたりの事情は、まだ誰の記憶にも新しい。

「うわー、これってアタシの動画のことよね」

 未兎(みと)は原稿を読みながら嫌そうに眉をしかめる。彼女のストリッパーデビューステージ――の、盗撮動画――テレビでは報じられず、週刊誌やネットのゴシップ止まりだったはずだ。当然、劇場側も見つけ次第削除申請は行っている。だが、つい最近まで人気を博していたアイドルのヌードだけに、需要は著しい。未だ様々な国の動画サイトに潜伏を続けている。

 未兎としても、人前で脱ぐことにはもう慣れた。MVや写真撮影なども、水面下では着実に進んでいる。未だ松塚(まつづか)芸能(げいのう)との確執が解消されていないため、あくまで水面下にて。ともあれ、ポルノ流出自体は構わないのだが、せっかくのデビューライブを穢された思い出は早々に消し去りたい。それにはきっと、相応の時間がかかることだろう。そのページに描かれているのは、流出したうちのひとつが偶然発見されたもののようだ。

 とはいえ、その物語においてステージで踊っている主役に大した意味はない。重要なのは、むしろその場の責任者の方である。盗撮を止めようと画面に向けて迫る男――蛯川局長がそれに気づいたのは、現在進行形で父親の方と密なる接点があったからと思われる。が、“彼女”の場合――目ひとつ、鼻ひとつ、口の端が暗がりに浮かび上がっただけでも認識できるに違いない。それが――自分の王子様である、と――

 ここで、物語は突如打ち切られる。『王子様と私 第二十一話 完』というモノローグに割り込まれて。続く見開きは次話予告と銘打たれていたが、そこでもまだ王子様の記憶は戻っていない。けれども献身的に、ストリップ劇場の舞台で裸になって踊る作者自身の姿が描かれていた。むしろ、唄って踊る以上のこともこなしている。

『私、王子様のためなら誰とだって――』

 そんなセリフと共に。これにプロデューサーが興味深く見入っているのは――確かに、劇場の催しとしてそのようなステップを盛り込む案もある。ただ、全体のバランスを考えると、劇場として――来場者を抱きしめる『はぐはぐサービス』のような位置づけとすることはまだ難しい。

 そう考えていたのだが。

「わっ、コレ絶対楽しいヤツだ! あたしヤリたい!」

「あ……あたし……こっちのプレイなら……」

「おおお……これなんてまさにあたす向きだすなー」

 桃、ルミノ、花子(はなこ)が二枚の原稿に対して盛り上がっている。彼女たちはメンバーの中でも『過激派』であり、裸になった先の新企画をずっと待ち望んできた。しかし、春奈のように大人しい性格のコもいれば、杏佳に至っては漫画でさえダウンしている。やはり、しばらくはこのままで進めるべきでは――とプロデューサーは保留としていたのだが。

「手続きは進めておりますので――」

高林(たかばやし)さんっ!?」

 平然と三人に受け答える秘書に、プロデューサーは思わず驚愕の顔を向ける。彼が秘書にそのような指示を出した覚えはない。だが、霞が独自に企画を進めるのはよくあることだ。

「行政に許可を取るにも時間がかかりますので。それに、明確なる反対意見は聞いておりませんでしたが?」

 はるか頭上より、眼鏡から覗くように見下されては、プロデューサーとしても何も言えない。何より、過激派メンバーたちはあんなに楽しそうに盛り上がっている。ゆえに、彼としても一蹴することもできず、どうすれば全員の間で折り合いをつけられるか――ここのところずっと思案していた。

 巻末の二ページを除いても、この漫画は根本的に成人向けである。“儀式”と称した数々の行為は、ある意味性的パフォーマンスの見本市に等しい。長机の方でそのボリュームに目を通して夜白(やしろ)はこの原稿自体に感嘆していた。

「いやはや、こんなことからこんなことまで……よく思いつくねぇ」

 夜白は見た動きを真似することについては天才的だが、自分で考えて動くことは得意でない。

「しかも、この枚数……描くのも大変だったでしょ」

 まだ清書されていないとはいえ、相応のページ数である。

「ふむ、ふむ、足をこのように……なるほど、とても勉強になりますね。この“技術書”は、どこで買えますかっ!?」

 晴恵(はるえ)の目には、特訓のための資料として映っているらしい。いつものマスクをかぶっただけの全裸であるため、原稿を見ながら“実技”に勤しんでいる。が、この事務所では珍しいことではないので、誰がそれに触れることもない。

 ただ、それを聞いて里美(さとみ)にはふと気になるところがある。

「二十話以上も続く漫画を、わたくしが見落としていたなんて……」

 彼女はアダルト関連に対するアンテナが広い。『二十一話 完』ということは、ここまでの『二十話』が存在するはずだ。

 一方で、優はつまらなそうに紙を机に戻す。

「まさか、売りもせず自己満足でこんなものを?」

 これはおそらく自伝だ。作者自身と、想い人を“一方的に”に妄想しただけの。

「まったく、なんて酷い時間の無駄遣い」

 優はそう断じた。しかし、慧はそのクオリティ自体に感心している。

「だとしたらもったいないね。これなら、『ティア』に出しても売れそうだけど」

 メンバーの中には、その単語を知っている者も多い。が、周知のことではないようだ。

「ティアって何なのー?」

 すでに読むのを諦めた杏佳の背中におぶさって、朱美がのんびりとみんなに向けて問いかける。

「正式名称『サブカルティア』……漫画や写真集、音楽やアニメの即売会ですね」

 それを解説したのは、意外なことにしとれだった。いや、彼女の衣装――メイド服を鑑みれば、別段意外ではないのかもしれない。

「ふーん、サブカルチャーのフロンティア、略してサブカルティア、をさらに略してティア……ねぇ」

 肝心の『サブカルチャー』の部分がすべて抜けてしまっているが、それでいいのか――と夜白は思うが別段興味もないのでそれ以上気にすることはない。

「細かい規定はありますが、原則としてはデビュー前のアマチュアが中心に参加しており、青田刈りなどが盛んという一面もありますよ」

 というしとれの補足に、まこが思い出したように食いついた。

「あっ、それ知ってる! ティアで声掛けられてデビューしたってコ、何人かいたもん」

 ただし、デビューするとデビュー前のコとは疎遠になるため、まこにとっては過去の知り合いである。

「あぁ、オレが動画配信してた頃、そういうヤツもちらほらいたぜ」

 (みさお)にとって、同性の作品にはあまり興味がない。ただ、どういうキャラがウケるのか参考に調べ回っていた際に見かけたことがある。そういう理由で動画チャンネルを閉鎖した主も少なくないという形で。

あんにゃ(あのアマ)もてっきりそれで動画に顔出さんようになったのかと思っとったけどな」

 実際のところはまったく別業種で、普通にブラック企業の過労働に苦しんでいただけだったらしい。

 それで、糸織は思い出した。

「……そーいや、ティアにゃ音楽で出展しとるもんも多いみたいやけど……?」

「デビューを目指してる学生たちにとって、“今回の事件”は歓迎できる話ではない、ってことだね」

 慧が応じたとおりである。テレビから学生が締め出されては、受け入れてもらえる窓口を探すことも難しい。

「つまり、そのティアってのはロックフェスみたいなもんか?」

「いえ、派手なパフォーマンスや大きな音を鳴らすのは禁止されておりまして。音楽は録音媒体のみとなっております」

 イベント概要のイメージがついていない操の疑問にしとれが答えた。ティアは基本的に即売会である。実演となると場所も取るし、音を隔てるには設備が必要になるため、皆にそのような機会を提供するのは難しい。

「ふーん、どーりで私が知らないはずだわ」

 少し気持ちの落ち着いた杏佳が感慨深く会話に加わる。背中にはまだ朱美がくっついているが、これについてはあまり気にしていないらしい。

 サブカルティアでダンスや演奏は認められていないが、静かに大人しくする範囲であれば、表現は最大限に認められている。

「アイドル志望のレイヤーというのも多く見られますね」

「レイヤー?」

 しとれのように詳しい者ならともかく、ティアすら知らなかった朱美には耳慣れない単語だったらしい。

「コスプレイヤー……様々な衣装を着て、披露する方々です」

「しとれはんの親戚みたいなもんやな」

「私のメイド服は、コスプレではなく私服です」

 糸織の補足を、しとれは直ちに訂正した。そもそも、元々メイド服は作業着である。もちろん、きらびやかな舞台用もあるが、日々の洗濯や脱着に耐えうる普段用メイド服をしとれは多数自作していた。とはいえ、別の町に赴く際には、TPOを弁えて一般的な洋服に着替えるらしい。つまり、そちらの方がしとれにとってはコスプレなのだろう。

 それはさておき。

「きっとレイヤーの中にゃあ、テレビホープのやり方に反感を持っとるもんも多いやろなぁ」

「そこへ行けば、何か有力な情報が得られるかもしれませんし、協力者も募れるかもしれませんね」

 今後の方針を示したことで、糸織としとれはチラリとプロデューサーの方を見る。しかし、応接室からは何の反応もない。肝心の責任者は――パーティションの中で対面の女子と見つめ合っている。いや、彼が見ているのは座っている彼女ではない。もっとその先――その未来――舞台の上で輝くその姿を――

「オーナー、その人、採用するんでしょ?」

 間近で歩から声をかけられて、プロデューサーはようやく我に返った。

「は……っ、はい、素質は充分かと」

 歩に、それを見分ける目利きはない。けれど、彼の様子を見ればわかる。ストリッパーとしての素質――<スポットライト>を感じていたことは。

 一方で霞は――だったらさっさと面談を終えてくれれば良かったものを、と呆れる。次の予定が迫っているのだから。どうやら彼は、逸材を見つけると、交渉より先にそのステージの方に思いを馳せてしまうクセがあるらしい。

「では社長、そろそろ夕月動画様との打ち合わせの時間ですので」

「あ、は、はい、そうでした」

 秘書から急かされて、プロデューサーは新たなメンバーと改めて向き合う。その相手が全裸の女子であっても、いまさら動じることはない。逆に女子の方が――その真摯な眼差しに、自分の身体に対して施していた儀式の指先を止め、膝を閉ざして背筋を正す。しかし、頬はさらに高調しているようだ。うっとりと見つめる眼差しに――女のコたちは危機感を募らせる。“この事務所の最大のルール”だけは絶対に厳守させなくてはならないな、と。

 そんな鋭い気配にさえ気づかず、プロデューサーは嬉々として。

「それでは、今後ともよろしくお願いいたします、栗塚(くりづか)善帆(よしほ)さん」

「はい……私の王子様……っ❤」

 善帆はただただ、その瞳を熱く見つめていた。


 なお、(らん)は漫画にも新メンバーにも関心がないらしく、部屋の隅の簡易ベッドで丸くなって寝ていた。


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