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宜しくお願いします。
爺さんは何かを察したかのように、俺の目を覗いてきた。その目からは、蒼い気持ちが伝わってきた。穏やかで落ち着いた感覚は、俺を話す決心をするには十分だった。
高校三年の夏。甲子園出場を決める県大会前のことだ。
岩高は甲子園に出場する程の強豪高かと言えば、全くそうではない。俺が入部した頃でも、ベスト十六が最高だったことを覚えている。
その壁を越えるために、県内で凌ぎを削っている高校と対戦することも屡々あった。甲子園に出場するのは夢のまた夢で、それよりも当時の俺たちはベストエイト以上を目標に三年間練習を重ねてきた。俺の志は執念。意地でもそこまで勝ち進むことを望んでいた。
甲子園出場をかけた県大会の半月前、強豪高との対戦が組まれた。勝敗よりも、内容によってはレギュラーとベンチ、或いはベンチ外がベンチ入りになれる可能性もなくはない。出場メンバーは気合いが入りまくっていた。俺にとっても、この上ないチャンスが訪れた。監督から、この試合の先発を託されたのだ。結果次第では、背番号を貰えるかもしれない。
そう、俺はベンチ入りも危うい状況だったのだ。
三枠のうち、二人の投手は既に決定的となっていた。監督は三番手の投手を決めかねていた。残り一人をどうするか。同学年の木村と俺の競り合いだった。
木村は右投げで、カーブの得意な技巧派。俺も右投げではあるが、真っ直ぐを軸に速球で押していくタイプだ。
先発で良いピッチングを見せれば、木村にプレッシャーをかけられる。ゼロ行進を連発してやる。自分が良いピッチングを見せれば、自ずと結果はついてくる。そして、この競り合いにも勝つことができる。
ブルペンで投げていた時から、真っ直ぐが走っていた。調子の良い証拠だ。「いける」という自信が、投げ終える頃にはついていた。
強豪高との試合は、結果勝つことができた。チームとしては、調子の良い状態で県大会に臨む流れにもなった。
だが、俺自身は満足のいく結果を得ることはできなかった。二回裏ツーアウトランナーなしの打席で、内野ゴロを打った際、一塁手と交錯してしまいファールゾーンに俺は流れてぶっ倒れた。
交錯だけだったら、腕や身体の軽い打撲で済んだ。一塁ベースを踏んだと同時に足を捻ってもいた。足の甲がみるみる腫れてきた感覚があった。俺の夏はここで終わった。
マウンドには、三回表から木村が投げた。緊急登板で六イニングを無失点で抑え、チームからも監督からも称賛されていた。勝利投手にもなり、彼の選出は決定的となった。
俺は医務室で足の甲を冷却しながら、試合結果とざっくりした内容を、マネージャーを通して聞いた。バタンとドアが閉じた後、ベッドに座っていた俺は、歯を食い縛っているうちに涙が鼻筋をつたった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。