③
宜しくお願いします。
俺は一瞬目を見開いた。どう答えようか迷っていると、男は話を続けてきた。
「その帽子、ほらそれ」
「これですか?」
帽子の唾の方を向けると、男は校章を指差した。
この校章は古いものだ。数ヵ月前に同期の男に会った。そいつには既に子供がいて、今野球をやっていると聞いた。何でも親子揃って岩高で、照れ臭そうに喜んでいた。その話のなかで、校章も校歌も変わっていたというのを聞いた。寂しい気持ちと羨ましいというか、心苦しい気持ちになったことを俺は覚えていた。
目の前にいる男は、古い校章を知っている。ということは、長らくこの地に住んでいるということか。
「はい、岩高に昔通ってました。知っているのですか?」
話を続ける気もないが、この校章を知っている男の話を聞いてみたい気持ちもあった。
男は口角を上げて、口の端をうっすら開けた。
「その校章を見ると腕がうずく」
何を言いたいのか首を傾げていると、男は続けて「昔、昔といっても何十年も前の話じゃ。ワシは柔道部の主将でな。大会で岩崎高校と対戦したことが何度かあったんじゃ。その校章を見るといつも思い出すんじゃ」
この爺さんは、柔道をしていたのか。歳を重ねたとはいえ、足腰は丈夫そうだ。足の指もごつかったし。
「お前は野球をしていたのか?」
突かれたくないところを突かれ、俺は黙秘したい気持ちに襲われた。俺のことなどどうでもいいんだ。そうは言っても、帽子の校章と着ているユニホームで言わずもがなという始末。仕方なく「はい」とボソッと返事をしといた。そもそもユニホームには、ローマ字表記でIWAKHOと勢いよく記されている。
「ここへは何しに来たんだ?」
振り出しに戻ったな。俺は事情を言うかどうするか決めかねていた。この爺さんなら、俺の話を受け入れてくれるかもしれない。
実際問題。この話をすることで、納得して帰ってくれるかもしれない。この人に会うことはもうないだろう。恥をかいたとしても、今だけのことだ。俺はあの日を思い出して、自分なりにけじめをつけられればいいんだ。そうすることで、次のステップに進めると信じている。
知らず知らず落としていた視線を上げて、俺は口を開いた。
「聞いてもらいたい話があります」
最後まで読んでもらい、ありがとうございました。