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9/ 聖と、翠と、「クラスメイト」 2

 

 

 まわりにあるのは住宅街と、がら空きの駐車場ばかりだからだろうか。まだそこまで遅い時間でもないのに、駅の裏手の広場に人の姿は、やってきた翠たちふたり以外、それらしい影すらない。

 ──少し、蒸すね。もうちょっとで夏だし、制服も夏服になるね。この時間でもけっこう、気温がある。

 がこん、と音を立てて自販機が吐き出した缶のウーロン茶を、こちらに無造作に投げて渡しながら、ともにこの場を訪れた少女はそんな、他愛のない話題を言葉にする。

 さらにもうひとつぶん、お金を入れて。次に彼女が押したボタンはアイスレモンティだった。やはり先ほどと同じ音が響いて、同じ動作でその人は、自販機の取り出し口に手を伸ばす。

 

「あ。……お金は?」

「うん? ああ。いいよ、いいよ。時間とらせてるのはこっちなんだから。手間賃とでも思っててよ」

 

 翠の言葉に、背中越し、首だけ振り返って。長い赤毛のポニーテールを揺らし、屈んだ上体を、持ち上げる。

 彩咲さんはそうして、自身のレモンティの口をぱきりと開けると、思いきり、ひと息に飲み干してしまうのではないかというくらい、ぐいと喉の奥に嚥下をする。

 彼女から投げ渡されたウーロン茶を手に。翠はただじっと、彼女のことを見つめるばかりだった。

 翠には、まだ彩咲さんの意図が。「どこまで」感づいているのか、把握をしきれていない。

 ただ、自身がスズメを癒していた──その輝きを見られた。たった、それだけ。

 今、この段階においてもどう反応を返すべきか、肯定するのか、否定するのか。それらさえ、決めかねている──……。

 

「──ふうっ。さて、それじゃ、訊こうか。……聞かせてよ」

 

 だから、次に彼女が紡いだ、決定的なその言葉がやっと、明確に翠の逃げ道を塞いだのだ。

 

「あのとき。あんたの見せたあの光が、なんだったのか。教えてよ、──ええと。超能力……いや、魔術──そうだな、」

 

 魔法使い、さん。

 彼女が見繕った、「それらしい」だけであるはずのその言葉は寧ろ、なにより的確に、翠が彼女へと伝えるべきか否かを迷い続けていた事実を言い表していた。

 

     *   *   *

 

「へえ、お母さん? ──そっか、翠の持ってるあのちからって、お母さんからの遺伝なんだ」

 

 それはまだ、翠と、せんぱいとが出会ったばかりの頃のことだ。

 小説家になりたい、小説を書いている。そのことを告げた翠を誘って、招いて。文芸部員であるふたりにはじめて、顔合わせをしようとしているその道すがらの廊下でのこと。

 歩幅のひとつぶんほど先を行く、聖せんぱいが翠を軽く、振り返る。

 大っぴらに交わせる会話ではない、なにしろそれは翠の能力についてのこと、あくまで互い、小声だ──だけれどそれでも、この短いあいだで気軽に、ふたりはその話題について互い、言葉を交わせるようになっていた。

 

「はい。母が、同じちからを持っていたそうです。わたしほどその強弱に融通は利かなかった──ほんとうに、かすり傷くらいを治せる程度のものだったらしいですけど」

 

 秘密を知っている、共有してくれる人間が身近に、生活圏にいてくれるというのは気楽である。変に、気をつけるばかりの日常にならなくて済む。

 たとえそれが厳守しなければならない秘密ではないにせよ。隠し事というものはひとりで抱えたままでは疲れてしまうものだから。

 

「血筋なんだ。……なんか、すごいね。ちょっと羨ましい」

 

 共有してくれる人がいる。そういう安心感が、会話の中にあった。

 

「そんな、大したことでは」

「ううん。羨ましいよ。素直に、そう思う」

 

 私にはそういうの、ないからさ。

 

「ほら。私には、なんていうのかな。そういう親の才能だとか、血筋によるものとか。どうにも受け継がれなかったみたいだから──さ?」

 

 その物言いは、言っている言葉それ自体は寂しげなものだった。

 しかし声の響きも。それらを紡いだ表情も──けっしてそこにあるのは、悲しげな色を浮かべてはいなくて。寧ろ彼女は、微笑すら唇の片隅に歪めてすらいる。

 その表情と声音を、翠は覚えている。

 この街に引っ越してきて、彼女と再会をして。

 お隣さんだと知った、その日。自身が独り暮らしであること、両親や妹と、つまり家族と離れて暮らしていることを告げるとき、やはり彼女がそこに浮かべていた表情であり、声音だ。

 そう。家族──親。

 両親の、こと。それを伝えるとき、このひとつ年上の少女は翠に、……ううん、そのことを告げられる誰かに対してこういう姿を見せる。

 未練でもない。

 相手に対する恨みがましさでもない。

 ただ、妙にさばさばとした、「もう過ぎ去ったこと」を見送り、懐かしむかのような──そんな、枯れた表情を。

 

「あの。聖せんぱい?」

「うん?」

 

 歩みは進んでいく。遅れることなく、歩幅を緩めずに、翠は聖へと語りかける。

 

「前から少し、気になっていたんですけど。せんぱいのご両親って、どうしてせんぱい独りを残して海外に行ってしまったんですか」

 

 いくら、妹さんの留学があったとはいえ──自分自身、特殊な家庭に生まれ育った自覚のある翠である。果たしていわゆる「ふつう」の家庭がどういうものか十全にわかっている自信はない。けれど──それでも、ふつうは娘を独り残して、もう片方の娘だけに一家総出でついていくなどということはしないものではないのだろうか。せめてどちらかは残るとか。そういう方法をとるのではないか?

 わざわざの留学。しかも中学生ほどの女の子の留学ということならば、それこそ両親どちらもがついていかなくったって、このご時世、留学先の環境はある程度以上に整備し保証されたうえで、送り出すものだろう。それほどに彼女の両親は年少である側の娘を心配し、溺愛し。逆にせんぱいを高校生という身なら十分だと、信頼し離れていったというのだろうか。

 

「そりゃあ、めいが──妹がいたからだよ。ほかの誰でもない、あの子だったから」

「妹さん、が?」

「そ。命だから。そこに尽きる」

 

 しかし翠の問いにもあっさりと、これもまたなんでもないことのように当然の如く、聖は応じ解答する。

 

「音楽をやってるうちの両親が。そうするくらいに、あの子には才能がある。私とは違ってね。それこそ、留学を持ちかけられるくらいには」

「せんぱい……」

「すごいんだよ、うちの妹。ほんとにピアノがうまくって。てんで音楽のわからない私だって、聴いていて思わず時間が経つのを忘れるくらい」

 

 世界で一番誇らしい、私の妹。自慢だよ。

 せんぱいは、陰りのない表情で翠にそう言って、──遠い地にいるその妹のことを想ってか、窓の外に目を遣った。

 

「──、そのっ、せんぱいは。……せんぱいは、妹さんのこと、好きですか?」

「当たり前じゃん。好きだよ、大好き。世界で一番、かわいい妹だよ」

 

 きっぱりと、彼女は言う。しかしそこではじめて、一瞬、彼女は視線を落とし、表情に苦みを差して。

 

「ただ──大好きだからこそ、少し苦手かな。命のことがどうとかじゃなくって。そんなすごい妹に対して、お姉ちゃんらしい「すごい」ってところが見せられない私自身が。だから一緒にいて、一緒に過ごして。そういうことはちょっと、苦手」

 

 だからさ、翠と私はちょうど正反対なんだよ。

 彼女の言葉に一瞬俯かせた翠の視線が、再び、今度は彼女の言葉によって、彼女へと戻る。

 そうやって見つめた聖せんぱいの双眸に浮かんでいた光はきっと、翠に対するいわゆる、羨望というやつが込もっていたのだと思う。

 

「翠は、受け継いだからこそうまくやれないことがある。見せられないこと、伝えられないこと。私はその、反対」

 

 受け継げなかったから、もどかしい。受け継げた子より、うまくはやれない。

 見えてきた、友人たちの待つ教室へと翠を先導しながら、聖はそう言って背中越し、言葉をそっと投げかけた。

 だから、応援したいんだ。

 やりたいこと。やるべきことの見えてる子を。翠や、「あいつら」を。

 できない私でも、そのくらいはできるはずだから、──さ。

 そのときは、せんぱいのそれらの言葉にただ耳を傾けて、その覚悟や達観に圧倒をされるばかりだった。

 けれど翠は、今になって思う。

 寂しげな色をどこか含んだあのときのせんぱいはしかし、だからこそ、美点に満ちていたのではないか。

 たったひとつ違いの年齢。けれど遥かに彼女は、年齢以上に大人びていて、自分を律していた。

 果たして自分たちのような年頃で、そこまで大人である必要はあるのか、と思えるほどに。

 不思議なちからを行使できることなどよりそれはずっと、尊敬されるべきことではないだろうか──……?

 

     *   *   *

 

 ひとつ、ひとつを彩咲さんに語りながら、最も直近にて同じことをほかの誰かに告げたそのときのことを、思い出していた。

 もしかしたら、悟られてしまったかもしれない。

 語りゆくうち、自分自身よりも、その話を受け取ったかつてのその人物に対する感情の割合がいつしか多くなりつつあったことに。

 

「──すご。お母さんからもらったちから……か。漫画の魔法少女みたい。ホントに魔法使いだったんだね」

 

 だが翠が言葉を切ったその合間、それらの言葉とともに彩咲さんが見せた表情は、あくまでも素朴な。驚きと、感心とに染まった、そういうものだった。

 その素直な反応に、つい拍子抜けをする。

 

「信じるんですか?」

「だって、そりゃあ見てるし。あたしも、妹も」

 

 なるほど。あのスズメ、怪我してたのか。道理でぐったりしてると思った。治してたんだ。

 言って、彼女は納得したように頷く。きっと彼女も、その妹も、翠の掌から飛び立っていくスズメの姿をまでも、見ていたのだろう。──つまりは、一部始終、完全にみられていたというわけだ。

 

「あの。このことは」

「うん? ああ、大丈夫。誰にも言ってないし、言わないよ。他人の秘密を言いふらす趣味もないし」

 

 つくづくと、もっと周囲を注意しておくべきだった。

 一応は、見まわしたつもりだったのだけれど。こんなにもばっちりと見られていたなんて──せんぱいのときだって同じだったじゃないか。そう、自分の迂闊さを思う。

 

「あたしはただ、ほんとうに。妹が嘘つきなんかじゃないってことをはっきりさせたかっただけ」

「──?」

 

 不幸中の幸いは、せんぱいや彩咲さんが、見たものを気の向くままに言い広めたりする人でなくてよかった、ということ。


「あたし自身は、どうだっていい」

 

 内心にて少しほっとする翠はしかし、彩咲さんの物言いに首を傾げる。

 妹さん? ……そういえば今朝も、そんなことを言っていたっけ。

 嘘つきも、なにも。直接見た人でもない限り、なかなか信じられるものでもないと思うけれど──だからこそ、見られた翠が非常に間抜けであったわけで。

 

「ありがとね。正直に教えてくれて。妹を嘘つきにしなくて、済んだよ」

 

 彼女は繰り返す。その様子はなんだか、妹、という言葉を強く強く、強調するように感じられた。

 

「そう。治せるんだね。──治せる。すごいんだね」

「彩咲さん?」

 

 そして彼女はやがて、黙りこくる。

 長い時間ではない。体感にしても、ほんの十秒か、二十秒ほどだったろう。会話に生まれたその切れ間のうちに一瞬、彩咲さんは俯いて、それから顔を上げて。

 

「ね、ひとついい?」

 

 そして顔を上げたとき、それまで以上に少女の面持ちは真剣だった。

 なにかを、決意したように。まっすぐに彼女はこちらを見る。

 

「雪村さん。──雪村さんのそのちからは、なんでも治せるの?」

「──え?」

 

 向けられた口調もまた、真剣さのみをその中に強く、色濃く抽出した声音を以て、発せられる。

 

「どんな怪我も、病気も。治せるの?」

 

 翠の銀髪が。

 彩咲さんのポニーテールが、風にさわさわと流れていく。

 寿命がまもなくやってくるのか、広場の一角を照らしていた街灯がちかちかと一瞬、点滅をした。

 

「もしそうなら、頼みがある」

 

 赤毛の少女の顔がその点滅に翳って、再び照らされて。

 その唇ははっきりと、言葉を紡ぐ。

 

「癒してほしい。救ってほしい人が、いる」

 

 それは翠にとって、生まれて初めて向けられた願い。

 これまでは隠すばかりだったもの。その自分のちからに対して強く、明確な想いのもとに求められた──その、言葉だった。

 

 

          (つづく)

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