05
どれ位そうしていただろう。
変わり果てた景色を呆然と眺めていると、足音が聞こえた。
「いいぞーツカサ。いいぞー」
ブラドの声だ。
顔を向ける気にはなれないが。
「随分派手にやったじゃん」
「僕じゃ」
ない、と言いたかった。
だが異変が起きたのは僕が刺された瞬間だ。
痛みはなかった、気がする。
途方もない光が目の前を覆った。
音もあったような気がする。
いや、衝撃と言うべきか。
どちらでもいいか。
とにかく、それらが過ぎ去った後、目の前からあらゆる物が消えていた。
あれだけ生い茂っていた草木も根こそぎだ。
どこまで続いているのか見当も付かない。
数百メートル?
数キロか。
何かの爆発に巻き込まれたのかと思った。
だが違うのだ。
消失は自分の前のみ。
それが直線状に延々と続いている。
抉られている地面の幅は十メートル前後。
木々のなぎ倒されている範囲も含めれば倍近くになる。
何をすればこんな風になるのか見当も付かない。
「斬られたりした?」
ブラドの問いに、首を振る。
「刺された」
「なるほどね」
ブラドにはそれでわかったらしい。
「教えてくれ。何が起こったんだ?」
「出血だよ」
「え?」
「俺らの体が超高密度の霊子構造体ってのは前にも話したろ?」
聞いた気はする。
「でもその圧縮された霊子は、俺達の体から離れてもそのままって訳にはいかない。一気に元のサイズに戻る。たとえほんの一かけらでも桁外れの量なんで攻撃を受けたりして負傷すると――」
破壊の跡を示しながら。
「こうなる」
「でも、ブラドだって」
エアルで槍に刺された筈だ。
あの時は何も起こらなかった。
「俺? 俺は特殊な訓練を受けてるから」
何の説明にもなっていない。
「この制御法は後々教えるとして、取りあえず動ける?」
「……何で?」
「人が来るから」
人が……。
我に返って辺りを見回す。
「さっきまで、隊士みたいのが、三人。それにトットも」
「黒いのならあっちに倒れてたよ」
森の奥を指差してから。
「トットは無事。今地竜を取りに行かせてる。家に来た隊士も伸びてるから逃げるなら今の内なんだ」
振り返ると、家は半壊していた。
「ごめん」
「何が?」
「僕のせいで、こんな」
「ああ家? 別にいいよ。言ったろ、元々あんまり一ヵ所に長居するような生活はしてないって。そろそろ転居も考えてたし、むしろ壊してくれて助かったよ。いえーいって感じ。家だけに」
気を遣ってくれているのだろうが、こちらは苦笑いすら返せない。
程なくしてトットが戻ってきた。
竜車とでもいうのだろうか。
地竜に簡素な台車を引かせている。
「お待たせしました」
近くにいた筈だが、トットに負傷した様子はない。
一先ず胸を撫で下ろしてブラドと一緒に台車に乗る。
「これからどこに?」
行く当てなどあるのか。
「まずは北かな」
なぜ。
理由を聞こうとした時、木々の間に人影が見えた。
残っていた隊士かと身構えたが、すぐ服装の違いに気付く。
村人だろう。
あれだけの破壊が起きた後だ。
様子を見に来るのはおかしい事ではない。
時間の経過を考えれば遅い位だ。
だが問題はそこではない。
走り去る自分達を見送る、その顔に湛えられた笑みだ。
まだ現場を見ていないまでも、只事でないのはわかる筈。
そこから立ち去ろうとする人間がいるのだ。
いくらブラド達が親しい相手でも、訝しむ位はしてもいいだろう。
状況にそぐわぬ穏やかな笑みに、言いようのない不安を覚えた。
自分が気付いているのだ。
ブラドやトットが気付かぬ訳がない。
であれば問題はないのか。
気味は悪いが、結局指摘も出来なかった。
§
「う――」
キースが意識を取り戻すと、丁度立ち上がろうとしていた男と目が合った。
三十前後で、短いが顎髭を生やしている。
「おや、気付きましたか」
「貴方は……」
名前は思い出せないが、聞き込みの時に会っている。
起き抜けのせいか頭が上手く働かない。
体にも力が入らない。
「エルマーです。先程はどうも」
「ここは、一体」
「私の家ですよ。ブラド先生の家で倒れていたので、みなで運んだのです」
その名を聞いて、記憶が蘇る。
――落ち着けよキース。
医者の言葉だ。
そして光と轟音。
彼が動いたのは、注意が外に逸れた直後だ。
不意を突かれ、昏倒させられたのだろう。
恐らく他の二人も。
「私以外の隊士は、どこに」
「ええ。皆さんご無事で、現場の調査を行っていますよ」
「そうか」
安堵と消沈の両方から、体の力が抜ける。
他の隊士に被害がなかった事は喜ばしい。
だが自分はまたしくじってしまった。
あれだけお膳立てして貰っておきながらだ。
キースは途方もない無力感に苛まれた。
自分はこればかりだと。
このままではいけない。
いつまでも寝ている場合ではない。
「……?」
心を奮い立たせ、起き上がろうとして気付く。
「あの」
これに一体何の意味があるのか。
「どうなさいました。隊士様」
エルマーに問う。
「――なぜ私は、手足を拘束されているんだ?」
ベッドに固定するように、両の手足に枷を嵌められている。
治療にでも必要な措置だったのか。
そんな筈はない、とすぐに思い直す。
「さあ、なぜでしょうな」
「外してくれ」
力を籠めるが、とても解けそうもない。
「無理ですな」
倒れた自分を介抱してくれた親切な男が、一瞬にして得体の知れない物に変わる。
「君は、誰だ?」
「エルマーです」
そんな事は聞いていない。
「ここはどこなんだ?」
本当にあの村なのか。
今となってはそれすらも疑わしい。
「他の隊士は、本当にみんな無事なのか?」
ブラドはずっと単独犯なのだと思っていた。
エアルでもフスィノポロでもそうだったのだ。
疑う余地はなかった。
だがそれが、ここに来て大きく揺らぐ。
あの医者も含めて複数か、更に大きい組織的な集団か。
いずれにしても知らせなくては。
「眠りなさい」
「や、やめろ!」
抵抗も虚しく、エルマーの手が視界を覆う。
そして、意識は再び闇へと落ちた。
§
エアルから戻るなり、元老院から招集が掛かった。
「レアリ姉さま」
会議室へ向かう途中で声を掛けてきたのはリオネラだ。
彼女は南の霊峰テロスを司る、レアリと同じ巫女である。
レアリがエアルで形式的な祈りを捧げている一方、先程まで地下にいたのだ。
「あら、リオネラちゃん。お疲れ様」
彼女にとってはいつもより少し早い祈祷。
それでも休養としては十分だったようで、しっかり役目を果たしてくれた。
「もうみんな揃っているものと思っていました」
「姉さまは今戻ったのか? 呼び出されたのはついさっきだぞ」
「そうでしたか」
共に部屋へ入る。
他の面々は既に揃っていた。
「お待たせしました」
「あれだな。みんな早いな」
揃って席に着くと、四人いる元老院の一人が立ち上がり恭しく頭を垂れた。
「巫女姫様方におかれましては、この混乱においてご苦労をお掛けしてしまい誠に申し訳ありません」
「構いませんよ。これはみなの問題ですから」
「私達に出来るのはこれ位だしな」
「それで、あたし達が呼ばれたって事は、また何か問題でもあったの?」
進展もないのに呼ぶ訳がないのだ。
さっさと本題に入れとばかりにトルミレが言う。
彼女は北の霊峰ケイモンを司る巫女で、他の三人と比べるとやや厳しい性格をしている。
「失礼致しました」
簡潔な謝罪の後に部屋の照明がやや落ちる。
薄暗くなった部屋の壁に、水晶からの映像が映し出された。
飛竜で撮ったのだろう。
恐らくは空からの映像。
森の一画を切り取るように均された土地が見えた。
道にしては広過ぎるし、奥に行くほど幅もやや末広に伸びている。
何を目的にしたものか、まるで判然としない。
「何これ。新しい事業でも始めんの?」
よく見れば小さい村もある。
「これはきっとあれだな。私達に畑を任せようって魂胆だな」
トルミレの所感をリオネラが拾う。
「違うと思う」
ここまで黙っていた西の巫女ラストが呟く。
彼女は寡黙で、口を開いても長くは喋らない。
「いえ、霊峰襲撃者の潜伏先付近で強い発光現象が起こり、ご覧の範囲の森が消失しました」
「はぁ?」
「それはあれだな。ちょっと冗談きついな」
「無理でしょこんなの」
「随分と長いですけど、どれ位続いているんでしょうか」
「報告によれば幅は十五~三十メートル。これが二キロ程続いています」
「まあ。今の教団にこんな事が出来る霊装が?」
「いえ、ありません」
「ではその犯人がこれをやったんですか?」
俄かには信じられないという顔で。
「その筈ですが、追っていた調査隊の大半が消息の掴めぬ状況でして」
こちらにないのだから相手の仕業と断ずるよりほかない。
「何、一か所に固まってる所を狙い撃ちにされたって事?」
「それはあれだな。どうしようもないな」
「困りましたねぇ」
傾げた首を支える様に、レアリは片手を頬に添える。
「でもあれだな。こんな事が出来るなら霊峰でやっていそうなものだけどな」
「それ笑えない」
「ですがリオネラ様の言う通りでもあります。我らに弓引く者であれば、霊峰かこの首都に向けていてもおかしくない。ですがその脅威はご覧の場所で、それも村を避ける形で起こりました」
「あちらにとっても不測の事態だったと?」
「憶測の域は出ませんが」
レアリの問いに、老師は小さく頷く。
「こっちにない霊装を向こうが持ってるって事?」
これは基本的にありえない事だった。
霊装に関する全ての情報は開発局内で厳重に管理されている。
何より、開発や研究には多くの霊子を要する。
霊峰を含め、そうした場所はどこも教団が押さえている。
仮に流出した技術を転用していようと、これだけは揺るがない。
在野の研究者などがいたとして、その環境は劣悪とさえ言える。
森を広範に亘って消し飛ばす霊装など、造るだけでも百年以上。
おまけに燃料となる霊子を集めるのにも同等の時間が掛かる。
「いえ、それが、調べていたら妙な事がわかりまして」
「何よ」
早く言えとばかりにトルミレが急かす。
「まずレアリ様にお聞きしたいのですが、三ヵ月程前にエアルへ行きましたか?」
「いいえ」
「それはあれだな。聞くまでもないな」
「あたしらの行動なんて、あんた達の方が詳しい位でしょ」
トルミレが肘を突きながら老人達を指差す。
巫女姫は普段専用の公邸に住んでおり、滅多に外に出ない。
もし出るにしても大抵が祭事で、それらの予定は全て元老院の管理下にある。
私用でどこかに行く事も出来るが、必ず記録に残る。
「それともあんた、断りもなしに抜け出したの?」
「まさか」
トルミレの問いに、レアリは首を振る。
ありえませんよと余裕を持った否定。
「どうしてその様な事を?」
老人達は互いに顔を見合わせてから言った。
「非公式ながら、レアリ様がエアルに訪れたという話があるからです」
「……はい?」
傾げるレアリの顔に、困惑が差す。
「何かの間違いでは?」
そこに秘密を暴かれた者の焦りはない。
「首都内のどこかならともかく、霊峰は断言出来ますよ。行ってません」
行くのは年に一度、表向きの儀式を行う時のみだ。
これに関しては違えようがない。
「ご安心を。レアリ様ご自身から確認を取りたかっただけで、疑っている訳ではないのです」
「どういう事よ」
要領を得ぬ元老院側の言葉に、トルミレが眉を寄せる。
「実はその頃、霊峰の分け身の座で人型が確認されたらしく」
人型。
その意味する所に、巫女姫全員の顔に緊張が走る。
「初めて聞きましたけど、皆さんは当時から知っていたんですか?」
「いえ、我々が知ったのもつい先日です」
「それはー、あれだな。ちょっと報告遅いな」
「遅いのもそうだし、そんな事ありえるの?」
「なぜ今まで伏せられていたんですか?」
「それが、報告はしたと」
「はぁ?」
「……どこかで手違いが?」
「まず目撃した隊士ですが、これは二人存在します。その二人は当然上に報告しており、そこから更にこのクレネにも連絡を入れています」
「それで、こっちでは誰がその報告を受けたの?」
「誰も受けていません」
「は?」
「我々が確認した限りでは、その報告を受けた者はおりません」
「それはあれだな。どっちかが嘘ついてるな」
同様の結論に至った数名が頷く。
「エアル側でこの件を知っている全員が嘘をついているか、こちら側で報告を受けた筈の何者かがそこで情報を止めたか。ありえそうなのは後者でしょうか」
情報の秘匿性はそれを共有する者の数に左右される。
仮にエアル側の全員が偽証に加担していたとして、正当性のない隠蔽に一体何人の隊士が従うだろう?
時間稼ぎにしても余りに無謀だ。
それと比べるなら単身で黙秘している方がまだ現実的と言える。
「もしかしたらあれだな。うっかり忘れて言うに言えなくなってるのかもな」
「特定が難しい奴は置いといて、レアリがエアルに現れたって言うのは?」
「非公式な形で訪れていますが、多くの隊士が目撃しています」
「でもレアリは行ってないんでしょ?」
そこに関して疑うつもりはないという口調で。
「かといって毎年見てる巫女の顔を間違えるとも思えないし」
「ほんとに間違えてたら笑えるな」
「笑えませんよリオネラちゃん」
自身の笑みは崩さぬまま、レアリは穏やかに窘める。
「そうだな。笑えないな」
「どうやら余程似ていたようですな。ですが同行していた侍女は、そうもいかなかったようです。エアルの隊士に確認した所、年齢は近いもののステアとは間違いなく別人だったそうで」
巫女と比べれば気に留める者は圧倒的に少ないだろう。
事実その事に触れた隊士はいなかったらしい。
「そしてその偽物は単身で分け身の座へ赴き、向こう一年の立ち入りを禁じて去ったと」
「それが三ヵ月前ですか。その時の人型の状態は?」
「胴体と顔。ただ、目や鼻はなく、口だけだったと」
「ちょっと待って」
似たような報告を先日、この場にいる全員が耳にしていた。
「襲撃者が連れてた手足のない子供って」
「はい。転生者の可能性があります。というか、そうした方が納得のいく部分の方が多い」
神威の停止も、今回の一件もそうだ。
「転生者なら森を焼き払う程度、造作もないかと」
「待ってよ。もう転生者は生まれない筈でしょ。霊峰はその為の装置だったんじゃないの?」
「その通りです。しかし調査の結果機能は正常と出ました」
「なら問題ないな」
「な訳ないでしょ」
緊張感のないリオネラの相槌を、トルミレがすぐさま打ち消す。
「そうだな」
今は正常でも、何らかの異常はあったと考えるのが妥当だろう。
そしてそれらは、巧妙に隠蔽されていた。
「我々の側に、敵と通じる者がいるという事ですか?」
「恐らくは」
状況を見る限り、相手側は人型の発覚直後から動いていた事になる。
「こちらも現在、十分信用に足る者達を使って調べさせています」
「犯人はまだ逃亡を続けているんですよね。この村には他に何が?」
「半壊した潜伏先を調べさせてますが、現状では何とも」
「村人の方は?」
「特に怪しい点はありませんが、数名行方知れずだとかで、捜索に当たらせています」
協力者だったか。
あるいは森と共に消えたか。
霊峰襲撃から始まり、随分と得体の知れない事件に変わったものである。
問題は何一つ確かな情報を得られていない点だ。
相手の規模も目的もまるで読めない。
敵対勢力の出現など数百年なかった事だ。
平和に慣れ過ぎていた代償か、常に後手にいる。
その背中を追えているかどうかすら怪しい。
状況は、思っていたよりずっと悪かった。
§
見晴らしのいい丘に着くなり、ブラドは機材を組み立て始めた。
何らかの霊装なのだろうと察しはつく。
北の霊峰ケイモンに向けられている事から、凡その目的も。
特に何をするという説明は受けていないが。
「OK!」
作業が終わったらしい。
「ツカサ、カモン!」
テンションが高い。
呼ばれるままに前に出る。
「あの、寒いんだけど」
「今は我慢!」
ブラドは復讐に燃えていた。
家を追われたせいだ。
二日前に村を出た当初はよかったが、そこから段々と怒りを募らせ、最終的にこうなった。
大体僕を匿っていたせいなので、ここは黙って従う。
「はいこれ触って!」
太い三脚架の上に、望遠鏡の様な筒が乗っている。
ただし覗き込む接眼レンズはない。
代わりに水晶が付けられていた。
ブラドが触れと言っているのはここだ。
「はい力込めてー」
力の使い方については道中である程度教わっていた。
「はい離してー」
充填の完了に合わせて角度を調整する。
「よし!」
終わったらしい。
ブラドは発射装置を握りしめてこちらを向いた。
「あいつらの家もぐちゃぐちゃにしてやろうぜぇ?」
悪い顔をしていた。
直後、筒の先端から眩い光が放たれる。
何の対策もしていなかったので当然のように目が眩んだ。
的中を知らせる爆音が遠くから響く。
数秒掛けて目が慣れると、霊峰が煙に包まれているのが見えた。
「これ、やりすぎじゃない?」
普通の参拝者もいただろうに。
「カルト崇めてる奴が悪い」
滅茶苦茶だった。
「あとその服は暖房機能もある霊装だから力を流せば暖まるよ」
「へぇ」
だからブラドもトットも軽装なのに平然としているのだ。
もう少し早めに教えて欲しかった。
「これで吹き飛ばされた家の礼は出来たな」
明らかに過剰である。
おまけに吹き飛んだ直接的な原因は僕だ。
「トットも少しは怒りが収まったろ?」
「初めから怒ってません」
「怒れ!」
「はい」
そうは言われても難しいだろうにトットは従った。
とはいえ軽く頬を膨らませただけ。
「ばかっ、そんなもんかお前の怒りはっ!」
頬を膨らませたまま頷く。
「もっと怒り狂え!」
言いながらトットの目尻を指で釣り上げる。
「こうだ。ムカつく奴がいたらぶん殴れ!」
ブラドの体が吹き飛んだ。
華奢に見えてトットはその内に凄まじい膂力を秘めている。
そして薄々気付いていたが、そこまで従順ではない。
しばらくして丘の下まで転げ落ちたブラドが戻って来た。
首の骨がほぼ直角に曲がった状態でこれ見よがしに。
「お前これ俺じゃなかったら死んでるからねマジで」
首を戻しながら。
「恐縮です」
ブラドの体も大概謎だらけだ。
転生者の裂傷は災害規模の破壊を齎すので注意するように言われた。
しかしブラドが背後から貫かれた時は何も起きていない。
――俺は少し特殊なの。
疑問に対する回答はそれだけ。
よくわからないが、今の自分にはまだ無理なのだと解釈している。
「先生」
組み立てた霊装を解体しようとした所に、トットから声が掛かる。
「何じゃい」
「あれを」
指差す先は霊峰だ。
覆われた煙が晴れつつある。
「あれ?」
遠目のせいか、霊峰は傷一つ付いていないように見えた。
「これは先手を打たれたな」
「どういう事?」
「霊峰の周りに結界を張られてる。今は立ち入りも制限されてるんじゃないかな」
「それって」
防がれるのでは意味がない。
「逃げよう。ここから撃ったのはバレただろうし、今に隊士が飛んでくる」
ブラドが撤退の指示を出した直後だ。
それは唐突に現れた。
「――え?」
霊峰からこちらへ飛来するその姿を、最初は鳥かと思った。
しかし頭上で制止した姿は間違いなく人だった。
全身に纏う防具は西洋甲冑に近い造りで、顔は確認出来ない。
霊装を起動しているせいだろう。
体の周囲に細かい霊子の輝きを漂わせている。
「…………」
まさか本当に飛んでくるとは思わなかった。
「まさか本当に飛んでくるとは思わないじゃん」
ぼそりと呟く。
これはブラドにとっても意外な展開だったらしい。
不意に、視界の端で砲撃に使った霊装が倒れた。
反射的にそちらを見ると、真っ二つに割れていた。
相手から目を離した覚えはない。
だが動きはまるで見えなかった。
恰好だけではない。
これまでの隊士とは次元が違う。
それだけはわかった。
恐らくは隊長か、それに相当する実力は持っている筈。
「おいこれ高かったんだぞ。どうしてくれんだ」
それはブラドも気付いている筈だが、平然と苦情を投げる。
鎧の男は無言で高度を落とす。
しかし地面すれすれで浮いたまま。
「ブラドというのは君か?」
まず行ったのは、謝罪ではなく確認だった。
「いえ、あっちの無愛想な女の方です」
ブラドは堂々と嘘をついた。
「……そうなのか?」
真に受けたのか、今度はトットに向けて。
「違います」
「だろうな」
わかってはいた、という風に頷く。
「すまないが、正直に答えて貰えるか。私はモーリッツ。あそこにある霊峰ケイモンで警備隊の隊長を務めている。そっちの少年、名前を教えてくれるか?」
何と答えるべきか迷った。
一歩間違えれば自分の体も二つに分かれる。
そんな懸念もあったからだ。
「悪いが沈黙もなしだ」
「ツカサだよ」
これにはブラドが代わりに答えた。
「大方ツカサは傷つけるなって言われてるんだろ」
「その通りだが」
男は小さく首を傾げる。
「確か、ツカサという少年には手足がないと」
「生えた」
「そんな事あるわけないだろう」
何を馬鹿なと呆れた口調。
そんな事あったのだが。
「まぁどちらにしろ、霊峰を攻撃した君らの事は捕まえさせてもらう」
「嫌だって言ったら?」
「その時は、私を倒すしかないな」
出来るものならな。
そんな自信を滲ませて、モーリッツの姿が消えた。
凄まじい衝突音と共に、ブラドとその周りの地面が弾け飛ぶ。
こちらもあっという間に見失う。
続けて空中で剣戟の音が響いた。
瞬く間に上空の輝きが増す。
モーリッツがそれだけの移動を繰り返している事はわかった。
何十と音が響いた後、何かが地面に落ちた。
墜落と言っていい程の衝撃が足元に響く。
鎧が再び空中で止まる。
その籠手の先端から、いつの間にか刀身が伸びていた。
落ちてきたのはブラドだ。
全身が、何らかの象形文字の原型になりそうな折れ曲がり方をしている。
即死してもおかしくない怪我だが、
「お前これ、俺じゃなかったら死んでるからね。マジで」
平然と立ち上がり、曲がった骨格も元に戻っていく。
その手にはぼろぼろの短剣が握られていた。
「やはりお前がブラドか。驚いた、本当に死なないのだな」
「親が丈夫な体に生んでくれたお陰でね」
「先生」
黙って様子を見ていたトットの呼び掛け。
「代わりましょうか?」
耳を疑った。
手伝うか、ならまだわかる。
今の戦闘を見てなお、彼女は単身での勝機を見出したのか。
俄かには信じられなかった。
「いやいい。今の俺が隊長クラスにどの程度通じるかも知りたいし」
ブラドはその申し出をあっさり断る。
トットは小さく頷くと竜車の御者台に戻った。
「正気か。今度は首を落とすぞ」
鎧を包む輝きが増す。
ブラドは短剣を捨てて言った。
「そのなまくらで?」
挑発に乗った訳ではないだろうが、光が流れた。
瞬時に描かれる不規則な軌道。
その動きは依然として捉えきれない。
対するブラドの動きが見えたのは、それがあまりにも単純だったからだ。
「――ほっ」
何の前触れもなく振り下ろした拳が鎧の男を叩いた。
失速しつつも一度地面で跳ね、木を数本なぎ倒してようやく止まる。
「な……」
まだ十分動けるだろう。
しかしすぐには立ち上がらない。
恐らくは驚きから。
「お前の動きはもう見切った」
相手に向けて構えた拳。
ブラドは人差し指を立てて告げた。
その体には、いつの間にか青白く光る紋様が浮かび上がっている。
「何、だ……それは」
「アレルギー性の皮膚炎だよ。教団の人間に近づくとこうなるんだ」
これは絶対に嘘だとわかった。
「ほら立てよ。まだ戦えるだろ?」
鎧が輝きを増して消える。
そして今度はブラドも消えた。
地面があちこち捲れ上がり、周囲の木々は断たれ、また砕かれる。
凛冽としながらも力強く築かれていた自然が、瞬く間に荒廃していく。
戦況がまるで読めない。
しかしそこで、ブラドの姿が現れた。
唐突に止まったのだ。
その手には大きな剣が、だらりと垂らす形で握られていた。
初めて見る武器だ。
直後、ブラドの体勢が変わった。
今まさに剣を振り終わったような。
まるでコマ送りのような動きだ。
こちらは瞬きすらしていないのに。
その後方に鎧が現れた。
しかしすぐには止まらない。
踏鞴を踏むように数歩進んでから膝を突く。
鎧から輝きが消える。
決着だ。
そう思った。
ブラドがこちらを見て親指を立てる。
体から力が抜けていく。
呼吸すら忘れていた。
気が緩んだのはブラドも同じだったろう。
油断が生じたその瞬間を、モーリッツは見逃さなかった。
弾かれた様にその体が動く。
数歩分の距離、背中合わせという状態が、振り向き様の一蹴りで覆る。
横薙ぎの一刀。
それは正確にブラドの首を捉え、
「え?」
そして――止まった。
幻聴か。
避けようのない必殺の斬撃は、しかし硬質な金属音によって阻まれた。
ありえない。
その剣は確実に当たっている。
今となっては添えられているという方が正しいが。
飛ばない首。
微動だにしないブラド。
人体が発するはずのない音。
どれもがありえなかった。
そしてそれが渾身の一撃だったのだろう。
今度こそモーリッツは仰向けに倒れた。
「ブラド」
何もわからぬまま駆け寄る。
「大丈夫なの?」
「肉は斬らせて骨は断たせずってね」
若干違う気もするが、つまり骨で止めたという事か。
見れば、首筋の傷が丁度塞がる所だった。
骨にしたって硬すぎだ。
「まさか、これ程とは」
呟きに目を向ける。
その鎧は袈裟に裂けていた。
力尽きている事からも軽傷という事はなかろう。
「ナイスファイト」
ブラドは爽やかに告げた後、
「霊装のない相手にフル装備で負けてどんな気分?」
なぜか余計な煽りを添えた。
「悪くは、ない」
幸い気分を害した様子はない。
「どうやら、役目は果たせたらしい」
「……?」
役目。
それが何を指すのがわからなかった。
が、ブラドはいち早く気付いたらしい。
既にモーリッツを見ていない。
「まじか」
ブラドにしては珍しい、やや唖然とした言葉。
視線を追うと、丘の麓に老人がいた。
モーリッツのような鎧を身に纏っている。
「よく、持ち堪えて下さいました。モーリッツ隊長」
そして、聞き覚えのある声が頭上から。
直感に、全身が泡立つ。
強張る体で、ゆっくりと空を見上げる。
別人でない事を祈りながら。
「――ぁ」
果たして、レアリがそこにいた。