03
比較的教団寄りのお話
自分の世界に戻って最初に感じるのは、光だ。
あまり強くはないが、瞼越しにそれを感じる。
次に浮遊感。
水底を軽く蹴って浮上する。
「おかえりなさいませ。レアリ様」
瞳を開くと、見知った侍女の顔。
「ただいまステア」
霊子の満ちた水面から上がる。
濡れた体を、ステアが隈なく拭いていく。
「今回も長時間の祈祷、お疲れさまでした」
「どれ位経ちました?」
「十時間程」
体感では行って帰ってくるだけなのに、こちらの世界ではその何倍もの時間が経過している。
これはどれだけ急ごうと変わる事がない。
「神様は何と?」
「みな健やかなれと」
「素晴らしい事です」
祈祷の間では特殊な処理の施された水に浸かり、その精神のみで神前へと赴き神威を賜る。事になっている。
まさか他所にある魂を掠め取ってきているとは、思ってもいない。
これは巫女に近しい侍女も例外ではない。
真実を知っているのはそれを行う巫女と教団を束ねる元老院。
それに限られた役職を担う者のみだ。
うっかり話してしまいたくなる。
そうしたらこの敬虔な信徒はどんな顔をするのだろう。
ステアは個人の能力に加え、その揺るぎない信仰心を評価された存在だ。
でなければ二十歳にも満たぬ少女が巫女の侍女など務められない。
今も私の体を念入りに、それこそ宝物に触れるような丁重さで拭いている。
「ステア。もう結構です」
放っておいたら延々と拭き続けていそうなので、頃合いを見て告げた。
「はい」
一旦下がり、畳まれた衣類の入った籠を持ってきてくれる。
「ありがとう」
就任当初は下着から何から着用を手伝おうとしてきた事を思い出す。
それくらい自分で出来るからと固辞した時は、少なからず不服そうな顔をしていた。
「どうなさいました?」
自然と綻ぶ顔を見て、ステアは首を傾げる。
「いえ、貴女が可愛らしくてつい」
「過分のお言葉です」
恭しく頭を下げるのは、緩む口元を隠す為だ。
そこにはわざわざ言及しない。
「行きましょうか」
「はい」
ここからはしばらく休養に入る。
霊峰は四つあるとはいえ、巫女の数も同じ四人。
こうした祈祷は魂の衰退が確認された霊峰から行われる。
これは獲得した魂の総量が常に一定ではないせいだ。
一年持つ事もあれば、早いものでは数ヵ月。
ただ魂を取ってくるだけとはいえ、消耗も少なくない。
その回復が済まぬ内に枯渇の兆しを見せる魂もある事から、祈祷は順番制になっている。
間に三人挿めば、周期に多少のむらはあれど半年から一年は空く。
それだけ置けば体調も万全だ。
ただでさえ巫女という存在には替えが効かない。
結界を維持する上で不可欠の存在であり、教団においては求心力の要でもある。
一人として失う訳にはいかないのだ。
丁重にも扱われよう。
民衆はこんな場所で神威が保たれている事など知る由もない。
それぞれの霊峰で毎年行われる形式的な祭事が彼らにとっての全てだ。
ちなみに表向きに司る霊峰は各々決められている。
レアリはエアル担当。
そちらもまだ先の話。
ステアを伴って部屋を出る。
「レアリ様!」
廊下の先で衛兵が、慌ただしげに駆けてきた。
後ろに控えていたステアがすかさず前に出る。
「止まりなさい。何事ですか!」
普段の淑やかな少女からは想像も出来ぬ程苛烈な声が響く。
祈祷の間がある地下は、巫女とそれに従う侍女以外の立ち入りが許されていない。
「も、申し訳ありません」
衛兵は立ち止まり、その場に跪く。
彼女の怒りは尤もではあるが、仮にも総本山の衛兵がその心得を忘れる筈もない。
何か起こったのだ。
それも余程の事が。
「構いませんよ」
ステアの肩に手を置いて下がらせる。
「何がありました?」
「はっ」
こちらの問いに顔を上げる。
「それが、先刻エアルからの入電で――」
衛兵自身信じがたいという顔で。
「山の神威が、途絶えたと……」
あってはならない事を、口にした。
§
「――以上が、私が本件で見た全てとなります」
エアルでの報告に、キースは途方もない緊張を強いられていた。
霊峰内での殺人。
加えて神威の停止。
審問のため首都プロエに召喚された時点で、ある程度の覚悟はしていた。
自分は重大な事件の渦中にいるのだと。
だが通された一室に、元老院のみならず巫女姫まで同席しているとは思ってもみなかった。
信徒にとっては神にも等しい存在である。
とはいえそれも二人だけ。
全員揃っていないのは、キースにとって不幸中の幸いだった。
彼女らに感じるのは、只管に畏敬のみ。
これが平時であれば喜びに打ち震えもしただろう。
だが現実には失態を晒した直後。
こんな形で自身を認知される屈辱と羞恥に身を焼く思いだった。
「ご苦労。キース上級隊士は下がってよろしい」
「隊長は残りなさい」
「失礼します」
老師の言葉をこれ幸いと、早々に部屋を出た。
覚束ない足取りで元居た応接間へと戻る。
自身の処遇について考える。
降格は避けられまいが、それはどうでもいい。
今更地位など。
問題はあのブラドという犯人だ。
既に奪われた飛竜と共に捜索が開始している。
自分もそこに加われるだろうか。
キースの懸念はそれだけだ。
何としても副長の仇を取る。
だが同時に、迷いもある。
果たして自分にあの怪物が倒せるのか。
(驕るな)
早まる思考を戒める。
あれは間違っても単身で挑んでいい相手ではない。
だからといって悠長に修練に励む時間はない。
となれば残されているのは、組織としての力だ。
「待たせたな」
程なくして隊長のガルムも戻ってきた。
「この度は――」
「いい」
改めて詫びを入れようとするのを、片手で制される。
「しかし」
「先行したお前の応援にファビオで十分だと判断したのは俺だ」
ファビオというのは死んだ副長の名だ。
「それに、聞く限り何人送り込んでも捕らえられたかわからん」
確かに、恐らくは不可能だったろう。
しかしだからと割り切れるものでもない。
「あとお前、今から副長に昇格な」
まるで雑用でも頼むような気軽さで、ガルムはそう言った。
「はい……」
暗澹たる面持ちで頷いてから数秒。
「はい?」
幻聴を疑う顔を持ち上げた。
「え、降格じゃ?」
「何で?」
「何でって、自分の」
自分のせいで副長が死んだのだ。
少なくともキースはそう思っている。
ガルムは少し考えるように天井を仰いでから言った。
「俺は馬鹿だからな。剣の腕しか計れん。お前が肚ん中で何考えてるかはわからんし、正直どうでもいい」
キースは、ガルムという人間をよく知らない。
後進への指導や指示は全てファビオが行っていたし、そうなると必然話す機会もない。
同じ組織にいる以上指示を受ける事は幾度かあったが、まともに話すのはこれが初めてだ。
「強さだけが評価の基準だ。だからファビオがいない今、次に強いお前を選ぶ。功績とか失態とかは知らん。これは命令だし、決定だ」
確かに剣技だけなら自信がある。
副長に次ぐ実力かは疑問だが。
「は、い……」
しかし決まった以上、キースに拒否権はない。
「よし。じゃあ最初の任務だ、捜索隊に参加してこい」
「は……え?」
聞き間違い、ではない。
願ってもない人選だが、
「いいんですか?」
あまりに都合が良すぎて、もはや困惑の方が大きい。
「いいも何も、うちが襲撃を受けたってんでどの山も厳戒態勢だ。そんな中でこれ以上俺が山から離れる訳にもいかないし、何より犯人の顔を見てるのはお前だけだ。加わって貰わにゃ困る」
――あの人は、素直じゃないけど意外に面倒見は良い人なんだ。
以前ファビオが、ガルムの事をそう評していた事を思い出した。
流石にここまで厚遇されれば嫌でも気付く。
全てガルムが取りなしてくれたのだ。
でなければ罰則がないだけならまだしも昇格はありえない。
恐らくは、捜索隊でキースを動きやすくする為に。
「ありがとう、ございます」
「まぁ、あんま気負わず適当にやれよ」
この恩義に報いる。
「はい……」
キースは決意と共に頷いた。
応接間を出ると、外が少し慌ただしかった。
心なしか行き交う衛兵の顔に緊張が増している。
「どうかしたのか?」
通り過ぎようとした衛兵にガルムが聞いた。
「それが、今度は西の霊峰フスィノポロが襲撃を受けたと」
§
エアルでの騒動は、既に首都を始め他の霊峰にまで伝わっていた。
隊士を数人殺めた犯人が飛竜に乗って逃げた事も含めて。
そう、逃げたのだ。
だから犯人がその足で他の霊峰に攻め込むとは、思ってもみなかった。
無論警戒は呼び掛けられていた。
それが組織的な犯行であれば、どこも他人事ではいられない。
西方に位置する霊峰フスィノポロも例外ではなかった。
街から増員を呼び、早くも厳戒態勢が敷かれていた。
初めにその飛竜の接近に気付いたのは、山門に立つ隊士だった。
飛竜の騎乗が許可されているのは山の管理を任されている隊長格、それに一部の上級隊士のみである。
とはいえそれも緊急時のみ。
平時においては基本的にみな参道を使う。
所用で他所に出ていた隊長が騒ぎを聞いて戻ったか。
副長含め他の隊士は残らず境内に詰めているので、門衛はそう思ったという。
しかし降りてきた飛竜に乗っていたのは、全くの別人だった。
「どんもー」
隊士ではない。
見覚えもない。
それなりに若く、顔に特徴がない。
そんな男が、飛竜を厩舎へ連れていかずこちらに歩み寄ってくる。
警戒するなという方が無理だった。
「と、止まりなさい!」
「信仰心の抜き打ち検査に来ましたー」
構わず距離を詰める男に対し、刀を抜く。
「それ以上近づいたら斬るぞ!」
「はいはい」
小馬鹿にした態度に、隊士の顔が紅潮する。
実際に人を斬った事など無い。
自分に斬れるのか。
そんな迷いを見透かされた気がして。
「貴様ッ!」
舐めるな。
怒りに任せて上段に構えた刀を振り下ろす。
途中、握った刀がその手から抜けた。
「えっ!」
奪われたのだと、刀身を掴む男を見てようやく気付く。
「動きが硬い」
隊士の意識は、そこで途切れた。
倒れた隊士の体を跨いで、ブラドは進む。
殺してはいない。
山門をくぐる。
数名の隊士がそれに気付いた。
既に一般の参拝者の立ち入りは禁じた後だ。
おまけにその手には隊士の刀を握っている。
途端に緊張が走る。
「みんなー、信仰足りてるー?」
「おい、そこで止まれ!」
意味のわからぬ問いに、答える隊士はいない。
駆け寄ってきた隊士の一人を刀で殴りつけた。
「聞く耳を持てよ」
峰打ちだが、頭部を叩いたので無事は保証出来ない。
もう一人の隊士が斬りかかってくる。
「人の声に耳を傾けよって、経典にも書いてあるだろ」
軽やかに避けながら殴り倒す。
休む間もなく他の隊士が斬りかかる。
それら全て刀の峰で打ち据える。
「峰打ち不殺じゃ、感謝して死ね」
言いながら更に一人。
打ち払った際に骨が砕けたか、下顎がだらりと下がったまま倒れた。
騒ぎに気付いて集まってきた隊士が揃って二の足を踏む。
「骨が折れた程度でビビっちゃうなんて、ちょっと信仰足りてないんじゃないのー?」
安い挑発に、しかし乗ってくる隊士はいない。
囲んだままの膠着。
来ないならこちらから仕掛けるまでと思った時だ。
「おい、下がっていろ」
その輪を掻き分けて、四名の上級隊士が現れた。
「貴様。目的は何だ」
一人が聞く内に、他の三人が背後と左右に付く。
「君らの信仰心を――」
ブラドが口を開くのと同時に、背後の隊士が音もなく斬りかかった。
しかしその刃は虚しく空を切る事すら許されず、握る腕ごと宙を舞った。
両腕を断たれた隊士は、激痛を堪えるように低く呻きながら膝を突く。
場の空気が更に張り詰める。
ありえぬという驚愕から。
「君ら不意打ち好きすぎない?」
速すぎる。
誰もブラドの動きを正確に捉えられなかった。
わかったのは横に滑りながら振り返った事。
そして、自分達では勝てない事だ。
太刀筋に関しては一切見えなかった。
構えた刀が、萎む戦意を表す形で下ろされる。
「え、経典に書いてあった? 怪しい奴には背後から斬りかかれって?」
「すまない。それは私の指示だ」
声に、人垣が割れて道が出来る。
その隊士は武器を持っていなかった。
袖のない羽織りと前腕にのみ付けられた籠手、それに脛当てのみだ。
「恰好的に、あんたが副長?」
「そうだ。マヌエルという」
「じゃああんたを倒せば隊長が出てくる?」
「いや、隊長は今不在なんだ。だからこの場は私が取り仕切っている」
「そうなんだ。じゃあまぁ、やる?」
軽く構えてみせるブラドを、マヌエルは片手で制する。
「いや、やらない」
「は?」
「我々――いや、私はこれ以上の犠牲を望まない。だから君の目的や要求を聞いて、可能であればそれを叶えて帰って欲しいと思っている」
「えぇ……」
ブラドは露骨に肩を落とした。
「言ってくれ、どうすれば帰ってくれる?」
「いやー……」
ここに来て初めての困惑。
「俺の事捕まえようとか思わないの?」
「思わない」
はっきり言い切ってから軽く首を振る。
「いや、思わなくもないが、その選択の優先順位は低い。別に恨みがあるわけでもないし、あえて戦う理由もない。仮に捕獲を試みたとしてそれが叶うとも思えない」
「やってみなくちゃわからないでしょ」
「わかる。君の実力は十分見せて貰った。はっきり言って隊長不在の現状ではかなり苦しい。そんな相手に貴重な戦力を浪費するのは馬鹿げている。この場ではさっさと降伏して被害を最小限に抑えた方がいい。それなら私が責任を取らされるだけで済む。すまないが、手の空いているものは怪我人を医務室に運んでくれ」
言うだけ言って指示を出し始める。
「えーちょっとちょっと、ちょっと待ってよ」
戸惑っていた隊士達も、慌てるブラドを尻目に動き始めた。
「俺がどうしても全員と戦うまで帰らないって言ったら?」
「可能な限り私が時間を稼ぎ、その間に部下は下山させる。君の目的はその、我々との手合わせか? 先程は信仰がどうのと言っていたらしいが」
「いや、それはその場のノリっていうか」
「いつもならもう少し丁重に扱えるんだが、今は他の霊峰で問題が起きてこちらも立て込んでいるんだよ」
「あー、エアルの事?」
「……知っているのか?」
「知ってるも何も、さっきまでいたから」
「何?」
マヌエルが眉を寄せる。
「すまないが、君の名前は何だったかな」
「ブラド」
名乗ってすぐ反応があった訳ではない。
時間にして十秒程の沈黙。
「そうか」
一度頷いてから、
「よし、手の空いた者から持ち場の部屋に戻って扉を閉めろ」
周りに残っていた隊士に改めて指示を出した。
「え、何の確認だったの今の?」
それで終わりかと不満げに。
「エアルで槍使いと会ったか?」
「副長の? 後ろから刺されたから殺したけど」
「そうか」
今度は二度頷いた。
「すまないが、訂正する事が二つある。一つは君に恨みがないと言った事。もう一つは戦う理由がないと言った事だ。たった今出来た」
「あ、もしかして知り合――」
言葉の途中、唐突にブラドの体が吹き飛んだ。
そのまま山門の壁に衝突する。
直前までブラドの立っていた場所には、マヌエルが立っている。
中腰で拳を突き出す姿勢。
「いきなり殴ってすまない」
構えを解いてから詫びる。
「ファビオは、昔の後輩なんだ」
「いってー」
「先程からこちらの都合を押し付けてばかりで恐縮だが――」
よろよろと起き上がるブラドに向けて歩を進める。
「ただで済むと思うなよ」
横薙ぎに迫る中段の蹴りを、ブラドは飛び退いて躱す。
マヌエルが軸足で地を蹴り、開いた距離を即座に縮める。
払った足を戻す形で上段への追撃。
これは踵がブラドの額を僅かに掠った。
あくまでも接近戦の構え。
「お、お、お、おっ」
手足は勿論、肘や膝も駆使した嵐のような猛攻。
休みなく繰り出される連撃を、ブラドは紙一重でいなし続ける。
「ちょっ、ちょっと、ちょっと待った」
そして最後の蹴りを、恐らくはわざと受けた反動で距離を取る。
ブラドの制止に、マヌエルは前屈みに踏み込む姿勢をゆっくり戻す。
「……どうした?」
「やる気になってくれたのは嬉しいけど、あんた、武器は?」
「これが武器だ」
腕と膝を持ち上げて応じる。
身に着けた籠手と脛当ては防具ではないのだと。
「何か持ちなよ」
「気遣いはありがたいが、他の武具はどうも性に合わなくてね」
「いや、気遣いって訳でもないんだけど」
「こちらが素手だからといって合わせる必要もないぞ。ある物は使ってくれて構わない」
「あ、知ってた?」
「暗器使いという報告を受けている」
「じゃあはい」
それは何の予備動作もなく、唐突に放られた。
余りにも自然な、下から掬い上げるような軽い投擲。
緩やかな放物線を描く小さな黒い球体。
受け取るべきか。
刹那とはいえ生じた迷いが、マヌエルの動作を遅らせた。
そしてそれは、彼の目の前で盛大に爆ぜた。
§
「これは……」
フスィノポロの山頂に着いて、キースは言葉を失った。
報告で予め状況は知っていた。
だが実際目の当たりにするのではやはり違うのだ。
それが自分達の守らねばならぬ場所であれば尚更。
山門や石畳から始まり、付近の建物にまで破壊が及んでいる。
中でも目を引くのは、山内の石畳を砕き黒々とした焦げ跡を残した箇所である。
「凄い! 凄いですっ!」
背後で歓声に近い声が上がる。
振り返ると、ニナが両手を組んで喜びを噛み締めていた。
彼女は首都で一緒になった霊装開発局の局員である。
襲撃者の使用した霊装の特性から、急遽調査に加わる事になったのだ。
「ニナさん、少し落ち着いて」
死者こそないものの、隊士に多くの犠牲が出た直後だ。
浮かれた声を出していていい顔をされる筈もない。
周囲を行きかう隊士の疎ましげな視線が痛い。
「あ、ごめんなさい」
両手で口元を覆うが、喜色に満ちた瞳の輝きは微塵も隠せていない。
霊装開発局は変わり者が多いと聞いている。
恐らく彼女でなくとも似たような事にはなっていただろう。
「さっそく調べましょう」
文句を言っても始まらない。
やるべき事をやるだけだ。
「はい」
頷くと、ニナはその場に這い蹲るようにして検証を始めた。
「…………」
出来ればもう少し人目を気にして欲しかった。
しかしこれが彼女のやり方ならばと口を噤む。
何を使えばこれ程の破壊を齎す事が出来るのか、キースにはわからない。
現場の保存は出来ているので、後はニナの調査待ちだ。
見ていても仕方ないので手の空いている隊士に聞き込みを始める。
襲撃者は一人。
山門の外に乗り捨てられた飛竜や目撃情報から、やはりブラドの犯行で間違いないらしい。
リュックに入った少年を見た者はいない。
人質ではなかったらしいが、途中で降ろしたのか。
エアルから逃げた時刻とこちらに現れた時刻から、移動経路はほぼ直線。
途中のどこかに拠点があるか、預けられる協力者がいたか。
そもそも何のために彼を連れていた?
途中で降ろすなら同行させる必要はない筈だ。
であればエアルで合流したとしか思えない。
何のために?
この事件はわからない事だらけだ。
相手の規模も、その目的も、まるで見えてこない。
飛竜を置いていったなら、ここから更に他の霊峰を目指す線は薄い。
捜索は西寄りに進めた方がいいか。
「あの、キースさん」
考えていると、ニナから声が掛かった。
「何か問題が?」
「いえ、一通り調べ終わったので」
思ったより早かった。
「お疲れ様です。何かわかりましたか?」
「はい。これなんですけど」
手袋をした指で摘まんだ何かと一緒に顔を寄せてくる。
「……?」
何か聞かれてはまずい事でも話すのか。
そう思って特に気にせず指先を注視する。
「玉、ですか?」
豆粒程の大きさで、黒く少し歪んでいる。
「はい。道や建物の損壊の原因はこれです」
「こんな、小さな玉が?」
そう言われてもいまいちピンと来ない。
改めて砕けた石畳や割れた窓などを見る。
とてもこんなものが成しえる損壊とは思えない。
「どういう事です?」
「この玉があちこちに落ちてるんです。殆どが地面や壁に埋まっているのでわかりづらいですけど」
ほら、と持ち上げたもう片方の手には、似たような玉が一杯に乗せられていた。
その一粒を摘まみ上げる。
材質は、恐らく金属だろう。
「これが、飛び散った?」
「はい。元は、何かに詰め込んでおいて、それが爆発と共に弾け飛んだんだと思います」
霊装が使用されたと聞いていたが、
「それは、霊装なんですか?」
霊装は特殊な加工をした武具に霊子を流し、様々な恩恵を受けるものだ。
霊子を射出するというのならわかる。
だが霊装それ自体を放つというのは基本的にありえない。
回収もせずに去るとなれば尚更。
これでは使い捨ての道具だ。
「いえ、これ自体はただの金属片です」
「……つまり、本体は別にある?」
「恐らくは」
頷いてから。
「この玉が満ちた器の中心で起爆させる事で、より広範に亘って被害を与えられるようにと考案されたものかと」
悪意の塊のような霊装だ。
そんなものは立ち合いで使用出来ない。
少なくとも自分達の常識内では。
一対一での使用を想定していないのだろう。
まず間違いなく多対一。
「外殻に使われていたと思われる破片も確認済みです」
ブラドは一体何者だ?
教団への入信を拒む者も、珍しくはあるが存在する。
だがここまで明確に弓を引く者となると歴史的にも稀も稀。
おまけにこの技術力だ。
自分達の追っている相手がより一層得体の知れないものに思えてくる。
「過去に似たような霊装が使用された記録は?」
開発局は試作品も含めて膨大な量の霊装が保管されている。
「私の知る限りでは、ありません」
ニナが目を輝かせながら答える。
キースとしては深刻な話をしているつもりなので、どうにも調子が狂う。
「一度きりしか使えないのは残念ですけど、これを考えた人は凄いですよ。既存の理念からかけ離れた設計をしてます」
似たような事を考えていた割りに、全く逆の反応。
この辺りは研究者の性なのかとキースは若干呆れてしまう。
出来ればもう少し己に向けられた際の危険性にも着目して欲しい。
「犯人を捕まえたら、ぜひ私ともお話させて頂けませんか?」
「えぇ、まぁ」
それは構わない、と頷く。
捕まえられる保証もないのに。
数に頼んで包囲してもこんな霊装を出されたら堪ったものではない。
最悪一網打尽にされるのはこちら側、という事もありえる。
また、対策を考えても更に別の手を隠している可能性さえある。
これだけと決めつけていい相手ではない。
「失礼。調査隊の責任者の方は……」
話していると他の隊士が声を掛けてきた。
「私です」
応じはするが、現状ではキースとニナの二人きり。
増援はじきに派遣されてくる手筈となっている。
「何かありましたか?」
「副長が目を覚まして、お会いになりたいと」
件の霊装を間近で受けたと聞いたが、喋れる状態なのか。
「すぐ行きます」
ニナと共に医務室へ案内してもらう。
ベッドには、枕に背を凭れた形で上体を起こして座るマヌエルの姿があった。
予想よりも軽症である事に、キースは胸を撫で下ろした。
「初めまして」
面識はないが、キース自身は一方的にこのマヌエルという男を知っている。
隊士の中で唯一素手での戦闘を得手とし、副長にまで上り詰めた男だ。
その実力はいつ隊長を任されてもおかしくないと、ファビオから聞かされていた。
「エアルから参りました。キースです」
「マヌエルだ。よく来てくれた」
挨拶はお互い片手の礼で手短に済ませる。
相手は怪我人だ。
余計な話に付き合わせるよりさっさと本題に入った方がいいだろう。
そう思っていたのだが、
「すまない」
「え?」
マヌエルは会うなり頭を下げてきた。
謝罪を受ける覚えはない。
「私が不甲斐ないばかりにファビオの仇も取れず、すぐに追う事もままならずこのザマだ」
「そんな――」
これは、間違っても自分に向けられていい言葉ではない。
そもそもがエアルを発端とした事件である。
「顔を上げて下さい」
責任の所在は取り逃がした自分の未熟にこそある。
既に抱えていた負い目が、胸の内で更に膨れ上がるのを感じた。
掛ける言葉がない。
自分にこそ非がある、などと言っても何の慰めにはなるまい。
「だが――」
「もしかして、これで爆発を受けたんですか?」
マヌエルの言葉が、後ろに控えていたニナの問いに遮られる。
いつの間にかベッド横の台に置かれていた籠手を持っていた。
顔を近づけて状態を吟味している。
「あぁ、ニナ君か」
隊長格は特注の霊装が与えられる。
恐らく開発の際に知り合ったのだろう。
キースにも遠からずその機会が訪れる筈だが、今は調査が優先だ。
「お久しぶりです」
「お陰様で命を拾ったが、申し訳ない。霊装を壊してしまった」
多少の凹みはあるものの、目立った損傷はない。
それでも壊れたというのは、霊装としての機能の方だ。
能力が発動しなければ見た目通りの籠手と脛当てでしかない。
「持ち主を守れたなら、この子も本望ですよ」
そう言って、優しげに籠手を撫でてやる。
「直せるかな?」
「いえ……」
言い淀むニナに、釣られてマヌエルの顔も曇る。
が、一転して笑顔。
「前よりもずっと丈夫な子にしてお返ししますよ」
どうやら戯れに付き合わされただけらしい。
「ありがたい」
それに気付いて、マヌエルは苦笑気味に肩を竦めた。
「キース君、これを」
言って差し出してきたのは球状の水晶だ。
「これは……?」
「襲撃者との打ち合いの最中に、霊石を仕込んでおいたんだ」
その意味する所に、キースは目を剥いた。
特定の波長を発する霊石は、対となる水晶と一定期間保管しておく事で離れても霊石の存在する方角を光で示すようになる。
「飛竜を捨てた以上、足はこちらの方が早い。私達は戦力が足りず失敗した。だから今度こそ、万全を期して捕えてくれ」
逃げられたとばかり思っていた。
だがこれでブラドに手が届く。
「……はい」
今度こそ。
その想いと共に、キースは深く頷いた。