01
STOP詐欺被害
生まれて初めて、妖精を見た。
小鳥程の大きさで、透明な羽が生えていて、尖った耳以外は愛らしい少女の外見。
夜食を買いに外に出た道すがら、そんな生き物が目の前に飛んできた。
暗い夜道で、仄かな光を発している。
「うわ」
「こんばん――わっ!」
挨拶も済まぬ内に、その体を掴む。
こんな生き物がいるとは、世紀の発見である。
掴めるという事は幻覚ではない。
逃す手はなかった。
急いでスマホを取り出す。
「は、放して下さい」
か細い声での懇願。
「ごめん。しばらく無理」
それでも強く握り過ぎたと思い、少し持ち方を変える。
肩の上と脇の下に指を絡める。
苦しくないよう、けれどうっかり逃げられないよう。
妖精ゲット。
この情報をいち早くネットに拡散すべく写真を撮る。
そのつもりだったのだが……。
「あれ?」
スマホ越しには、自分の手しか映っていなかった。
「何で」
肉眼では確かに小さな妖精が握られている。
手にも確かな感触がある
なのにカメラには何も映っていない。
中途半端に開かれた自分の手だけだ。
(やっぱり幻覚?)
だったら都合よくカメラに映ってくれてもいいのに。
「あの、それ多分無理です」
「何で?」
独白から質問へ。
「何でと言われても、私達はそういう存在なので」
「えー」
吸血鬼が鏡に映らないみたいなものか。
「じゃあ何のために出てきたの?」
「人間さんに、お願いがあって」
「お願い?」
「はい。私達の世界を、救って欲しいんです」
「世界を――」
何言ってんだこいつ。
「え、どっかの森が都市開発か何かでなくなるとか?」
それなら自治体に直接掛け合って欲しい。
あるいは生き物の保護に情熱を傾ける人々に。
こういう生き物がいるとわかれば、さぞ丁重に扱って貰えるだろう。
未成年の一学生に過ぎない自分などに頼るよりはずっといい。
「いえ違います」
何言ってるんだこいつみたいな顔をされる。
そういう顔をしたいのはこっちなのに。
腹が立ったので少し強く握る。
「苦しい、苦しいです」
戻す。
「それで、どういう事?」
「あの、私達の世界っていうのは、ここではない別の世界です」
「異世界って事?」
本当にあるのか。
「でも何で僕?」
何の自慢にもならないが、突出した取り柄という物が自分にはない。
適任者ならもっと他にいくらでもいるだろうに。
「私達の世界に来るには、まず私が見える方でないといけないので」
全員に見える訳ではないのか。
少し優越感。
「でも、見えるからって救えるような力はないよ」
「いえ、そんな事ないです」
妖精は断言した。
「こちらの世界の人々の魂の総量は、私達の世界の住人よりもずっと多いんです」
魂とか言い出した。
科学全盛のこのご時世、というか世界で。
「人間さんには魂だけ私達の世界に来て貰う形になるんですが」
「魂だけって、体は?」
「こっちにすて、置いていく形になります」
「いま捨てるって言おうとした?」
「私達の世界に転生する、とお考え下さい」
物は言いようだった。
どちらにしてもこちら側での生活、というか人生を諦めなければならない。
「駄目、でしょうか?」
「うーん……」
「今なら転生ボーナスで、色んな能力オプションが付いて来ますよ?」
急に胡散臭い営業じみた話になってきた。
何だよ転生ボーナスって。
「いや、別にそういうのは求めてないんで」
オプションは抜きにしても、悪くない話だと思った。
真面目に育ててくれている親には申し訳ないが、自分は冴えない人間だと思う。
贔屓目に見ても平均レベルの能力しかない。
この先待っているのは平々凡々とした人生だろう。
それが悪いという訳ではないが。
だったら世界の一つも救える選択をした方が、いくらか有意義ではないか。
早めの就職と考えればいい。
それも新天地。
外国に移住するようなものだ。
「ちなみに、こっちに戻って来る方法は?」
「すみません。それはちょっと無理です」
周りの人間とは今生の別れになるのか。
「家族にお別れとか、してきてもいい?」
「ごめんなさい。私がこうして顕現していられるのもあと僅かなんです。なので今決めて頂かないと」
言っている間にも妖精の体が透け始めていた。
時間がない。
今を逃せば次はない。
「……わかった、行くよ」
覚悟を決めた。
軽率すぎる気もしたが。
「本当に、良いんですか?」
「ああ。僕なんかが役に立つなら」
頷いた途端、妖精の光が増した。
「ありがとうございます。人間さん」
「司だよ。杵築司」
「私はレアリです。ツカサさん」
「レアリ、向こうでも君と会える?」
「勿論です。ご安心下さい」
微笑む姿が輝きを増す。
眩い光が視界を覆っていく。
とても目を開けていられない。
次の瞬間、浮遊感に襲われた。
ああ、行くんだ。
別れの挨拶、出来なかったなぁ。
父さん、母さん。僕は世界を救ってきます。
せめてその想いだけでも届く事を祈った。
§
僕はその世界で、小さな村人の子として生を受けた。
ただその才能は、幼少のみぎりから卓抜したものだった。
村の大人達でも扱える者の少ない魔術を容易く使いこなす。
その腕を見込まれ幼くして王都に招かれた。
親元を離れる事に寂しさはない。
どうせ初めてではないし、会おうと思えばいつでも会える。
再び会える事の、何と恵まれた事か。
それに僕には使命がある。
魔王の脅威から世界を救うという使命が。
王都では剣術を始め、学ぶ事が増えた。
しかし苦はなかった。
一度見聞きした事は難なく理解出来たし、それらを昇華させる閃きにも事欠かなかった。
十代の半ばで最年少の騎士団長に任命された。
誇らしかった。
あらゆる期待に応えられる自分自身が。
勿論何の犠牲もなかった訳ではない。
戦地に赴く度、大なり小なり死者が出る。
そこには共に励んだ友人や、自分を育ててくれた恩人もいた。
敵は強かった。
僕自身苦戦を強いられた事も一度や二度ではない。
怖い。
当然だ。
命を懸けているのだから。
投げ出す事は許されない。
気付いた頃には僕は国の持つ戦力の要になっていた。
諦めた途端、一気呵成に攻め込まれる。
そうなれば終わりだ。
闇の時代が訪れる。
何のためにこの世界に来たのかわからない。
成すべき事を成す。
守るべき民の為。
そして散って行った戦友の為にも。
決着には更に数年を要した。
最後の戦いは熾烈を極めた。
犠牲者の数も、これまでの比ではなかった。
僕自身も満身創痍。
けれど勝った。
魔王の軍勢に対して、勝利を収めたのだ。
ついにやり遂げた。
その瞬間の事を、僕は生涯忘れないだろうと思った。
長きに亘る戦いに終止符を打った僕は、英雄として讃えられた。
それからすぐ、打ち立てた武勲により王の娘と結婚。
末永く続く平穏の訪れ。
そんなある日、いつしか忘れていた疑問を思い出す。
自分をこの世界に招いたレアリの事だ。
今日に至るまで、彼女とは一度も会っていない。
いずれ会えるものと思っていたし、彼女もそう言っていたのだ。
しかしこの世界には、そもそも妖精が存在しない。
自分は世界を救った――筈である。
それとも他に救うべき場所があるのか。
(君は一体、どこにいる?)
その疑問と同時に、意識はぷつりと途切れた。
§
気が付くと、闇の中にいた。
何も見えない。
何も聞こえない。
何も喋れない。
何も匂わない。
何も感じない。
身動き一つ取れない。
手足の感覚がまるでない。
体がなくなってしまったようだ。
意識だけが恐慌を来す。
泣けない。
叫べない。
足掻けない。
状況が、全く理解できなかった。
どれくらいそうしていただろう。
確認のしようがないが、それでも数時間という事はない筈。
意識だけが途切れる事なく延々と続いている。
最低でも数日。
あれだけ混乱の只中にあった意識もいつしか静まり返った。
燃え尽きたと言った方がいいかもしれない。
そこから、新たな地獄が始まった。
何も感じられず、何も出来ない孤独。
いつまで待っても終わりがない。
眠る事すら叶わない。
気が狂うかと思った。
だが狂えない。
死にたい。
幾度終わりを望んだだろう。
だが同じ分だけ生への渇望もあった。
せめて何か聞かせてくれと。
見せてくれと。
終わりの見えぬ中でそれを繰り返した。
繰り返し続けた。
やがて、変化が起きた。
祈りが通じたのだろうか。
時折、物音が聞こえるようになった。
常に聞こえる訳ではない。
気の遠くなるような長い沈黙の後、ほんの数分何かが聞こえるのだ。
始めは幻聴かと思った。
だが間違いない。
まるで水の中から聞こえてくるような、判然としない音だ。
ここだ。
僕はここにいる。
そこに誰がいる保証もないが、叫びたかった。
助けて、と。
そこからまた、奇跡が続いた。
徐々に体の感覚が戻り始めていたのだ。
自分の身に何が起こったのかはわからないが、これは治る。
長きに亘る絶望の末、ようやく希望が見えた。
聴力は日毎精度を取り戻していった。
時折聞こえてくるのは足音。
それに僅かな話し声。
距離が遠いのか、内容までは聞き取れない。
彼らともいつか話せるだろうか。
声が出せるようになった。
といってもまだか細い。
殆ど吐息に近い発声だ。
だが目覚ましい進歩でもある。
否が応でも心が躍る。
これ程の感情の高ぶりは初めてだった。
回復している。
いずれ目も開くかもしれない。
その期待が、摩耗しきった心を癒していった。
「――あ」
ようやく、人に聞こえる大きさの声が出せるようになった。
これで話し掛けられる。
聞きたい事が山ほどあった。
早く来てくれ。
いつも来る誰かが次に訪れるまでもう暫くあるのはわかっていた。
だが欲求が抑えきれない。
まさに一日千秋の思いでその時を待った。
遠くから、足音が聞こえてきた。
(来た!)
ついにその日が。
逸る気持ちを抑える。
まだ遠い。
現状では叫べるだけの力はない。
待て。
待て。
努めて自制を強いる。
来るのはいつも同じ二人。
足音が聞こえてからそれぞれ三十二歩と三十五歩。
名前は知らない。
お互いにあまり話さないのだ。
時折あれがおかしいだの変わっているだのと囁き合っている。
何を指しているのかはわからない。
ここに自分以外の何があるのかも。
少なくとも音を立てる物はない。
あと三歩。
二歩。
一歩。
二つの足音が同時に止まる。
今だ。
「あ、あ、あのっ」
「え?」
こちらの呼び掛けに、狼狽えるような声。
恐らくは、寝たきりの自分が目を覚ました事に対する驚き。
「こ、こ、ここは、どこですか?」
「嘘だろ」
「一体、何が……」
「僕は今」
どうなってるんですか?
そう聞きたかった。
だがそれよりも早く足音が走り去ってしまった。
「――え?」
なぜ。
「待って」
それしか言葉が浮かばない。
「待って。戻って来てくれ!」
掠れた力の限り声で叫ぶ。
希望に満ちた心が一転、混乱と絶望の渦に叩き込まれる。
なぜ逃げ出した?
自分が目を覚ます事がそんなにおかしいのか。
次にここに来るのは?
どれだけ待てばいい?
「頼む。戻って……」
もう待つのは嫌だ。
久しく味わっていなかった、苦痛を伴う静寂が再び訪れた。
呆けていると、暗闇の中に光が生まれた。
眩しい。
これは視力の回復を意味していた。
瞼が開く日も近いだろう。
あれ以来人の訪れはない。
予想通りと言うべきか、瞼はあっさり開いた。
初めて見る周囲の景色。
体はまだ動かせないので全体はわからないが、少なくとも視界に収まっている部分はどこも同じだ。
人工物とは思えない、石造りの空間。
自分はそこに寝かされていた。
緩やかな曲線を描く壁や天井は洞窟を思わせる。
多少角度の付いた場所にいるらしく、正面も見える。
とはいえ道が一つだけ。
それもすぐに右に折れているため、先は見えない。
殺風景極まりない部屋だ。
光の正体もわかった。
壁や天井が、一面光を放っているのだ。
苔の類が発光しているのではない。
間違いなく石自体が光っている。
仄かな輝きで、慣れるとそこまで眩しくはない。
本来であれば嬉しいが、今は人が恋しい。
早く来てくれ。
足音が聞こえた。
(え……?)
喜びも束の間、すぐに異変に気付く。
歩き方がいつもの二人と違う。
それに、今回は一つだけ。
(誰だ?)
これは今日までの長い年月の中で初めてのパターンだ。
足音が次第に近づいてくる。
聞こえ始めてから三十歩を超えている。
いつもの二人よりは小柄だ。
四十歩を超えてようやく姿が見える。
「あ――え?」
声を掛けようとして止まる。
その顔には見覚えがあった。
(でもどこで?)
すぐにはわからないない。
当然だ。
人の顔を思い出す事など、もう久しくしていなかったのだから。
「まあ。本当に目を覚ましたんですね」
その声が、彼方にあった記憶を手繰り寄せる。
一瞬にして確信を得る。
間違いない。
「レアリ……!」
全ての元凶である妖精が、目の前にいた。
§
妖精の名を呼んでから、違和感に気付く。
元の世界で会った時と外見が異なる。
それは身長からしてそうなのだが、耳も尖っていない。
背中から生えていた透明の羽も見受けられない。
自身で放っていた光もない。
どこからどう見ても普通の人間だ。
だがこのタイミングで顔が似てる別人というのも考えにくい。
偶然にしては出来過ぎだ。
「君は、レアリ……だろ?」
「はい、レアリです」
にっこり笑う。
その毒気のなさに胸を撫で下ろす。
「よかった。ここはどこ? 僕は今どうなってるの?」
聞きながら、安堵が満ちていく。
知った顔がいる。
もう大丈夫だ。
助かる。
疑問などよりそちらを占める割り合いの方が遥かに大きかった。
「君の言う通り、世界を救ったよ」
役目が済んだ後の事は聞いていなかった。
これからまた何か起こるのだろうか。
「それはおめでとうございます」
レアリは両手を合わせて微笑む。
「ところで、お名前を伺ってもよろしいですか?」
「……え?」
その問いに、耳を疑った。
自分の事がわからないのか。
彼女の頼みで転生したのだ。
それを、彼女の方から忘れるなんて事があるのか。
「君は、レアリだろ?」
「はい。あなたは?」
「司だよ。杵築司」
「ツカサさんですか……」
思案気に、その視線が宙を泳ぐ。
「ごめんなさい。やっぱり思い出せないです」
それから、申し訳なさそうに彼女はそう言った。
「は?」
何の冗談だ。
「僕に頼んだだろ。世界を救って欲しいって」
「はい。言いました」
「ほら」
「でも私、沢山の方にそう言っているので」
「……は?」
沢山?
何を言ってるんだ?
「え、どういう」
世界を救う英雄は、そんなに必要なのか。
「ごめんなさい。こんな事これが初めてなので、何から話せばいいのか」
「僕は、転生、したんだろ?」
「はい」
しましたしました、と陽気な首肯。
「そうですね、ではまずこの世界についてご説明しましょう。私達の世界は、わかりやすく言うと慢性的なエネルギー不足に悩まされています」
「……それは、電気やガソリンみたいな?」
「割と近いです」
鷹揚に頷いてから。
「でも私達にとってのソレは、なくては満足に生きられないどころか、世界そのものが破滅してしまう程の重要性を持っています」
なるほどそれは大した脅威だが、それがどう自分の転生と結びつくのか。
もっとわかりやすい敵を討ち果たす為に呼ばれたのではないのか。
レアリは続ける。
「そこで私達は、この世界では賄いきれない資源問題を、他所から持ち込む事で解決を図っているんです」
持ち込む。
他所から。
まさかという結論に至る。
「それが……僕?」
資源とはどういう事なのか。
「そうです。正確には、あなたの魂なんですけど。あなた達の魂の総量が私達のそれより遥かに多いという話は、しましたよね?」
「ああ、確か」
聞いた気がする。
だからその圧倒的な力で救世を成すのだろうと。
「ですよね。だから私達はこの世界の維持に、あなた達の魂を使っているんです」
「……は?」
理解は、すぐに追いつかなかった。
「……それじゃ、世界を救って欲しいって言うのは」
「はい、そうです」
少女は変わらぬ笑顔で頷く。
「こちらの世界を存続させるための燃料になってほしい、という意味です」
「――――」
言葉が出てこなかった。
こんな筈ではない。
自分はこんな事の為に来たのではない。
「……嘘だ」
「嘘じゃないです。本当です」
「だって、僕は転生して、世界も救って」
「そうなんです。そこなんです」
不思議そうに眉根を寄せて。
「え?」
「私達にも多少なりとも罪悪感はありますから、本来あなた達はその魂が尽きるまで幸せな夢を見続けられるようになっているんです。それなのに、どうして目を覚ましたんでしょう? おまけに人の形まで取り戻して」
知った事ではなかった。
「もう、嫌だ……」
絶望に、涙が零れた。
「はい?」
「元の世界に、戻してくれ」
「それは無理だと、最初にお断りしている筈です。それとも、確認をしなかった方ですか?」
した。
してしまった。
だが、こんなのはあんまりだ。
救って欲しいと言われて来てみれば、死ぬまで搾取されるだけなんて。
これでは家畜以下だ。
「それに、あなたを使い始めてからもうかなりの期間が経っている筈です。今更戻っても肉体の方は――」
「嘘だあああああぁぁぁ――っ!」
言葉を遮るような慟哭。
反響する叫び声に、レアリは顔を顰めて耳を塞いだ。
力の限り泣き叫んだ。
このどうしようもない状況が、それで変わる筈もないのに。
「うぅ、ぐっ」
やがて力尽き、呻くようにしゃくり上げる。
「落ち着きました?」
「――よくも」
絶望が、やがて怒りに変わった。
「……はい?」
「よくも、騙したな」
「そんな怖い顔しないで下さい」
苦笑気味に肩を竦める。
その顔に、畏怖の類は一切ない。
「確かに私の方も少し言葉が足りなかったかもしれませんが、断片的な情報から都合のいい期待をしたあなたの方にも責任の一端はあるかと」
「黙れ」
言葉巧みに誘導して罠に掛ける。
こんなのは詐欺と一緒だ。
「殺してやる」
「まあ怖い」
わざとらしく開いた口を片手で覆う。
「でもそれ、難しいと思います」
こちらに歩み寄りながら、ポケットから何か取り出す。
「ほら」
「……?」
手鏡だった。
映し出されたのは、揺り篭のような器の中に寝かされた自分の姿。
「え?」
それを見て、憎悪に歪む顔から感情が抜け落ちた。
今はまだ動かない体。
いずれ感覚も戻り、動く筈だった体。
その体には、肝心の手足がなかった。
「そんな――」
「この体で私の事、殺せます?」
不可能だ。
「本来あなた方の魂が人の姿に変わる事はないんですが、これでもまだ不十分ですよねぇ」
もはや答える気力すらない。
「だからもう、諦めて眠っていてくれませんか?」
「い、やだ」
もうここにはいたくない。
眠れもせず、話し相手もおらず、何の変化もないこの部屋には。
「せめて、ここから出して」
「ごめんなさい。魂の抽出はここでしか出来ないので、無理です」
言って踵を返す。
「え?」
背を向けて歩き出す。
「待って。どこに――」
行こうというのか。
制止の声に、レアリは半身だけ振り返る。
「私も暇じゃないので、もう行きます」
「そ――」
嘘だろ。
「次は? 次に来るのは?」
「もう誰も来ませんよ。あなたの姿は私達にとって少し都合が悪いので、消滅が確認されるまでは立ち入りを禁じさせて頂きます」
「え」
たまに現れるあの二人すら来なくなるのか。
「嫌だ。嫌だ!」
今一人にされたら、今度こそ気が狂う。
「それでは、さようなら。ツカサさん」
また明日、とでも続きそうな、軽い会釈。
別れの言葉はそれだけだった。
「待って、戻って、頼む。行かないで!」
通路の向こうに消えるレアリに呼びかける。
「お願いだ。もうこのままでいいからっ!」
力の限り呼び続ける。
「僕を、僕を一人にしないでくれ!」
結局、彼女が戻って来る事はなかった。
§
「――――」
ひたすら消沈の中にいた。
来る日も来る日も同じ景色。
話し相手もなし。
定期的に訪れていた二人は本当に来なくなった。
死にたい。
終わって欲しい。
魂が尽きるまであとどれだけあるのか。
ある時スイッチを切るように唐突に終わるのか。
衰弱のような兆候があるのか。
せめてそれだけでも聞いておけばよかった。
今はただ、終わりがすぐそこまで来ている事を祈る。
出たい。
ここを抜け出したい。
そう感じる事が増えた。
強烈な欲求を、しかし叶える術はない。
渇望と絶望が交互に去来する。
どうせ止める者はいない。
問題は微動だにしないこの体のみ。
動けば這ってでも出てやるのに。
抑圧された感情が、次第にその在り方を変えていく。
それが叶わぬ事に対する怒り。
そもそもの元凶に対する憎しみ。
(レアリ……)
彼女を殺してやりたい。
再びそう思うようになった。
来る日も来る日も彼女の死を願った。
出来れば自分の手で殺してやりたいとも。
でなければ自分が死んでしまいたい。
暗い願望ばかり浮かぶ。
本当はこんな事、考えたくもない。
でもそれしか自分を保つ方法がなかった。
でなければ絶望で狂ってしまう。
ここは地獄だ。
幻聴が聞こえた。
それは足音に似ていた。
誰か来た。
ありえない。
期待しそうになる自分を宥める。
それに、もし誰か来ても自分が出られる保証はない。
だから今更どうでもよかった。
目を閉じる。
消えろ。
消えてくれ。
願いが通じたのか、室内に入った途端足音が消える。
(立ち止まった?)
でもなぜ?
やはり幻聴だったか。
それでいい。
そう思った途端、再び足音が近づく。
「っ」
思わず目を開く。
「あ、起きた」
幻聴でも幻覚でもない。
「おはよう人柱君。迎えに来たよ」
目の前に、見知らぬ男が立っていた。
息抜きに考えてたら出来ました
時々更新していきたいと思ってます