第十四話 私のヴァリアント
二日酔い、喋る瓢箪、酒神の謀略といった悪夢から逃れるように、私はフロンティア・オンラインからログアウトした。
「んぅ……朝……?」
そして、ゲームを終えて目覚めたとき、寝室の時計は午前五時を指していた。
私がゲーム内で過ごした時間は大雑把に計算して丸二日。
その間、現実では約七時間ほどが経過していたらしい。
初プレイとはいえ、今回は随分と長い時間ゲームの世界に入り浸ってしまった。
最初は話のタネにでもなればいい程度のつもりで遊び始めたハズが、フロンティア・オンラインの世界は思いのほか私の心を掴んでいたようだ。
まさかゲーム内で神様に酔い潰された上に、二日酔いまで体験させられるとは夢にも思わなかったけどさ。……あのロクデナシの酒神だけは絶対に許さん。
それに勝手に授けられたヴァリアントの方も問題だ。
これから喋る瓢箪とどう接したものか──、
「……とりあえずシャワーかな。洗濯とかもしておかないとね」
私はひとまず、ゲームのことは忘れて日々のルーティンをこなすことにした。
色々と考えをまとめる時間が欲しかったからだ。
そして、次に私がゲームへとログインしたのは、その日のお昼過ぎだった。
◇
◆始まりの街・ラウラニイ 中央広場
「あれ?」
フロンティア・オンラインにログインすると、何故か私は前回ログアウトしたときに居た神殿内部ではなく、初日と同じ街の中央広場へと放り出された。さらに、それとほぼ同時にシステム音声が流れる。
《位置保存が禁止されている場所でログアウトが行われたため、開始地点が変更されました》
なるほど。どうやら特定の場所でログアウトすると、次回ログイン時にプレイヤーの降り立つ場所が強制的に変更されるという仕様になっているらしい。
まあ、確かに時間帯によって閉鎖されるような場所でログアウトしておいて、タイミングを見計らって同じ場所にログインするようなことが可能なのであれば、それを悪用して色々と出来てしまいそうなので当然といえば当然の措置に思える。
「ふふ、そう簡単に悪いことはできないか。──ねえ? ベニカサゴ」
『[紅葫蘆]だッ!!』
腰に提げている瓢箪に同意を求めると、元気過ぎるくらいの返事が返ってきた。
「あはは、冗談だってば。私、一度見聞きしたことはたまーにしか忘れないよ」
『テメェ、わざと間違えたのかよ』
「スキンシップだよ、スキンシップ」
『ハンッ、その様子だと、もう身体の調子は良いみてぇだなァ』
「む? そういえば平気だ。頭痛……というか二日酔いが抜けてる」
『そりゃあそうだ、こっちではあれから二日ほど時間が経ってるからなあァ』
「つまりログアウトしてても時間経過でバッドステータスが消えるってこと?」
『まァ、受けた状態変化にもよるがな。対人ペナルティとか呪いは消えねえ』
「ほほう。またひとつ賢くなったよ」
……さて、掴みは良好かな。
ここからはちょっとだけ真面目な話をしよう。
彼には私がログアウトしている間にまとめてきた考えを伝えなければならない。
「あのさ、紅葫蘆──」
『待てェ! 俺様の方が先に言いてぇコトがある!』
私が話を切り出そうとすると、紅葫蘆が食い気味に言葉を被せてきた。
どうやら、彼も私に話があるらしい。
「いいよ。そういうことなら、お先にどうぞ」
『おう。実はな……』
私の返事を受けて、紅葫蘆が言葉を続ける。
『お前の会話ログを見た。ログアウトしやがってから戻ってくるまでの間によォ』
「うん。それで?」
ヴァリアントってそんなこともできるんだ。
まあ、なんとなくプレイヤーとヴァリアントは二人一組でセットのような扱いだと感じていたので別に驚きもしないけど。
『テメェはどうやらドラゴン型のヴァリアントが欲しかったらしいなァ』
私の会話ログを見たというのなら隠しても仕方がない。
ここは正直に答えておくことにしようか。
……紅葫蘆にはちょっと残酷かもしれないけどね。
「そうだよ。それも炎属性のヤツがね」
『そうか……なら残念だったな……俺様が望みのヴァリアントじゃなくてよ──』
私の答えを聞いた紅葫蘆は、どこかバツの悪そうな声でそう言った。
そうなるよね……でも、この件に関して紅葫蘆は別に悪くない。
むしろ悪いのは勝手に期待しておいて、大事なところで酔い潰れた私の方だ。
ヴァリアントとして私の元に生み出された彼に非など無いのだ。
それに、そもそもの原因はバッカス様だ。
あの顔だけは良い酒神が八割方悪い。
残り二割は哀れにも美味しいお酒で潰されて二日酔いになった私ね。
これでも最大限譲歩した二割だよ? むしろ被害者だからね、私ってば!
と、まあ以上がログアウトしている間に私がまとめた考えでもあるのだが……。
参ったな。この状況をどうしたものか。
私は紅葫蘆に「あの時は悪かったよ、ごめんね! これからは仲良くやっていこうぜ!」とでも伝えてサクッと明るく解決しようと考えていたんだけどなあ……。
正面から申し訳なさそうに「こういうコト」を言われると困ってしまう。
本当にどうしよう。
よしよしと優しく慰めてあげるってのは私の柄じゃないし……。
ここはそれとなく叱咤激励する方向で行ってみるべき?
「紅ひ──」
『だがな、安心しろ相棒ォ……いや、ニキータァ!!』
「え」
フォローを入れようかと口を開いた矢先、私の言葉は再び遮られた。
『この俺様を誰だと思っていやがる!! たかだかトカゲの親戚ごときに、この紅葫蘆様が遅れをとる訳が無えッ!!』
「あの」
『フハハハッ! 見ていやがれニキータ! そして光栄に思え! これから先、俺様がドラゴンなんぞ目じゃねぇ有能なヴァリアントだって示してやるからよォ!』
閉口。
その自信はいったいどこから来るのだろうか?
いや、それよりも「生まれたばかりのヴァリアントにヒドイことを言っちゃったよねー」とか「やっぱり傷付けちゃってたか、謝らないと」とか一瞬でも考えた私の気遣いは一体……。
私のヴァリアント──紅葫蘆。
彼はその口調に違わず、随分と図太い性格をしているようだ。
傲岸不遜というか、なんというか……。
どうやらコイツのことを心配した私が馬鹿だったらしい。
よし、決めた。これからはもう少し雑に接しよう。
その方が私の精神衛生にもよさそうだ。
しかし、ヴァリアントって私が想像していたよりもずっと人間くさいね。
最初はもっと「YES、マスター!」とか言っちゃうような機械的なのを想像してたよ。個体差もあるのかもしれないけど、それにしてもコイツはなんというか……喋り方といい、性格といい……、
「…………はー、面倒くさ」
『オイィ!! 今、面倒くさいとか言わなかったか!? 言ったよなァ!!』
「言ってない、言ってない。それよりも早速、役に立つってトコ見せてよ」
『応よ! 望むところだッ!! んじゃ、行くとしようぜェ!!』
「はいはい……ひとまず平原かなー」
こうして私と紅葫蘆は晴れて行動を共にすることとなった──。
『……あァ、そういえば』
「なあに?」
『お前、酒神のヤローには落とし前つけなくてもいいのかよ。あのまま泣き寝入りするようなタマじゃねーだろうが、テメェはよ』
「あー、アレね。大丈夫、もう済ませておいたから」
『ほう──?』
◇
◆オラクルルーム 酒神バッカスの領域
同時刻。
神々に割り当てられた領域でほくそ笑む一柱の男神が居た。
「ようし! いいぞお! ニキータがいきなりログアウトしたときはどうなることかと思ったけど、これからは私の見立て通り、お互いに手を取り合ってやっていけそうじゃないか!」
かの神は自由時間を持て余すあまり、己の信奉者とその分身たるヴァリアントとのやり取りを、先ほどからこっそりと見守っていたのだった。
「フフフ、彼女が飲み干した『大神殺し』の樽をヴァリアントの触媒にしてみた甲斐があったというものさ。私の持ち物を触媒に、私のみを信奉した状態で、私の手によるヴァリアント授与。ニキータとの相性も考慮すると、もはや酒神の眷属確定排出ガチャといっても過言ではないね。いやー、ホントにいい仕事をしたよ」
創造主たる運営チームからバッカスと名付けられたこの神は、今回、自身が親切心からニキータというプレイヤーに対して施した善行を誇らしく思っていた──。
何せ自分は、信奉者の多さゆえに高慢な炎神や、貢献度の低い新参者のことなど路傍の石程度にしか思っていない他の性悪な神々から彼女を守ってやったのだ。
しかも、特別にオラクルルームへと招き、ヴァリアントまで授けた。
なんと気さくで慈悲深い神なのだろうか私は! とまで考えている。
──彼は今、自身の行いにすっかりと酔ってしまっており、己の考える善行が施された側にとって、"どのように映るものなのか"などは想像する余地も無かった。
「それにしても本当に良い稀人とめぐり合えたものだよ、私は。初日に<酒乱>の通り名を得て、しかも心から酒を楽しんでくれるような子は珍しいからね。──君もそうは思わないかい? モリガン」
「そうね。あなた好みの良株で好いんじゃないかしら」
バッカスが声をかけると、そこには杯を傾ける一人の少女が居た。
少女はその身体に似つかわしくない扇情的な黒いドレスを身に纏い、背中からは一対の黒い翼を生やしている。女神モリガン──彼女もまたフロンティア・オンライン内における、役割を与えられた神々の一柱である。
本来モリガンは別の領域を支配する女神なのだが、今は客人としてバッカスの領域に訪れていた。
「モリガン。君も早く私のように有望な稀人を探すといい。君はただでさえ私よりも信奉されにくい神なのだから」
「お生憎さま。私は貴方ほど軽くは無いのよ」
見所のある信奉者をたった一人得ただけだというのに、まるで自身を諭すかのように語りかけてくるバッカスに対して、モリガンは呆れた表情を浮かべた。
しかし、表情は取り繕えても、彼女は内心穏やかではなかった。モリガンもバッカス同様に受け持つ仕事が少ない神なのだが、実は彼女は信奉者の数と担当している役割において、ある意味バッカス以上に恵まれていない女神なのだ。
「君の選考基準は少し厳しすぎるのさ。まだ一度も倒されていないんだろう? あのユニークモンスター。もうそろそろ弱体化させてみるべきではないのかい?」
「いいのよ。あの程度のモンスターも打倒できない稀人なんて要らないわ。そんな実力では到底、私の元で貢献度を稼ぐことなんて出来ないもの」
モリガンが不機嫌そうに眼を閉じ、空になった杯を差し出してきたので、バッカスは変わらぬ笑顔で彼女の杯に酒を注いでやった。
「フフフ、お互いに厄介な役割を与えられてしまったものだね」
「……そうかもね。──あら、バッカス。あなた宛にメッセージみたいよ?」
バッカス手製の酒をモリガンが味わっていると、酒蔵の上からペーパーレターが舞い降りてきた。古風な外見のソレは神々同士のやりとりか、それよりも上位の存在から神々への通達に使われる物なのだが、今回はどうやら後者らしい。
「おや。運営……じゃなくて創造主からか──どれどれ、中身は……うげっ」
「どうしたの?」
「な、なんでもないさ、ハハハ……ニキータ、君ってば本当に容赦がないなぁ」
「……?」
この後、酒神バッカスは前日に神殿で行った越権行為の数々と運営チームに届いた一通の抗議文について、創造主と上役にあたる神々から厳しく問い詰められることとなる──。