第十三話 ログアウト
『──! ────!』
「ん──」
視界が暗い。
頭がぼんやりとして、思考がまとまらない。
『──、──────!!』
何か声のようなものが聞こえる。
うるさいなぁ。
せっかく夢見心地だったのに……ん? 夢??
「あれ──?」
私が目を覚ますと、そこは神殿の中だった。
いつの間にか時間が進んでいたらしく、周囲は薄暗い。
しかし、ステンドグラスから差し込む月灯りに照らされているおかげで、自分が居る場所は問題なく把握することができた。
確かここは"神託の間"と呼ばれていた場所だ。
私はこの場所で中央の台座にもたれかかるようにして眠っていたらしい。
待って。
私、どうしてこんな所で寝ているんだろう? なんか夜になっちゃってるし。
確か、酒神を名乗るうさんくさいイケメンからお酒をご馳走になって──、
「何だっけ、『大神殺し』とかいうお酒を飲んでから……」
『おォ! ようやく起きたか! 待ちかねたぜェ!!』
「え?」
霞がかったような頭で記憶を辿っていると、不意に声が聞こえた。
声の主を探そうと周囲を見回すが、姿は無い。そして、
「だ、痛った! うそっ、まさか二日酔い……? この私が!?」
久方ぶりに感じる鈍い頭痛。
いつ以来だろうか? 二日酔いになどなってしまったのは。
私は今の仕事に就いてからというもの、徹底的な自己管理を心掛けてきた。お酒を飲むときは常に量を把握していたし、そもそも簡単に酔い潰れることなんて無いハズ……だったんだけどなあ。
『オイオイ、情けねぇなあァ!』
「さっきから誰? ──どこに居るの?」
まただ、また声が聞こえる。
その声は男性のもので、あまりガラのよろしくない喋り方をしている。
痛む頭で思い返すが、私がこれまでゲーム内で出会った人物に該当者はいない。
神殿に従事している人間の可能性は……口調的にありえないでしょ、多分。
私は周囲へと意識を向け、提げている武器に手を掛けた。
神殿内で戦闘になることは多分ないだろうけど……念のため、
『おン? 何か居たのかァ? 怖えぇなあァ!』
「君さ、そろそろお互いに顔を合わせて挨拶でもしない? 今の状態で神経張りっぱなしなのは疲れるんだけど」
『ケケケ……顔を合わせてってか? いいぜぇ、なら下を見なァ!』
「……下?」
私は不意打ちを警戒しながら足元に視線を移した。
しかし、そこにあったのは……、
「神殿の床しか見えないんだけど?」
『オォッ!? テメェ、ドコに目を付けてやがるッ!! その眼は節穴かァ!?』
見たままを答えたら何故か煽られた。
そっちが下を見ろって言ったくせに……。
「そう言われても床しか……」
『もっと上だァ!』
「今度は上? というか、君の声、頭に響くからもっとボリューム──を?」
ふと、私は自分の左腰付近に見覚えのない物体が在ることに気付いた。
それは子猫ほどの大きさで、紐のような物でベルトに固定されている。
「何これ……瓢箪?」
紐を解いて確認すると、それは昔話などで見かけるような栓付きの瓢箪だった。
赤黒い色をしていて、ところどころに金色の紋様が入っている。
見た感じは、ちょっとお高い工芸品といった趣きである。
私、こんなもの持ってなかったよね?
身に覚えがない持ち物の存在に、思わず首を傾げそうになっていると、
『ヒヒ、ようやく顔を合わせることが出来たなァ!』
「え……?」
瓢箪が喋った……。
いや、別に口が付いている訳じゃないんだけど。
それなのに、何故か今の声は目の前の瓢箪から発されたものだと分かった。
なにこれ、気持ち悪い。
よし、捨てよう。
『オイィ!! ノータイムでブン投げようとするんじゃねぇよ相棒ォ!!』
「あ、相棒??」
相棒って? 私が?
どういう意味……ん? コイツと私が相棒……?
『おうよ! そういや、自己紹介がまだだったなァ!!』
瓢箪が嬉々とした声を上げる。
なんだろう。ひどく嫌な予感がする。
このとき私は、目の前の度し難い喋り方をする瓢箪を見ながら何故か──、
『俺様の名は[紅葫蘆]!! 感謝しなッ! 俺様こそがァ──』
「嘘、まさか──」
──自身がこの神殿を訪れた理由を思い出していた。
『手前のヴァァリアントよォ!!!!』
「えぇぇぇぇええええ!?!?」
「っあ、痛たたたた」
『オイオイ、大丈夫かァ? 無理すんなよ、相棒ォ』
素っ頓狂な叫び声の代償に激しい頭痛が走る。
段々と痛みには慣れてきたけど……それよりも今は、
「ほ、本当にヴァ……ヴァリアント、なの?」
『応ともよォ!』
「……君が?」
『そう言ったぜェ?』
「私の……?」
『……他に誰が居るんだよ』
「いつ! どこで! 誰が! 何を! 何故! どのように!?」
『七時間前に、オラクルルームで! バッカスのヤローが、この俺様を! テメェのためだとかほざいて、了承をとった上で授けたンだよッ! テメェはべろんべろんに酔ってたけどなぁ! 理解したか?!』
5W1Hで問いただしてみたら見事に全部答えられてしまった。
この瓢箪、なかなかに出来る……。
いや、そうじゃない。
重要なのは容疑者の名前が挙がったことだろう──その名はバッカス。
「酒神か!!」
『酒神だ!!』
あのイケメン、あろうことか私を酔い潰した上で、勝手にこの瓢箪をヴァリアントとしてあてがったらしい。
これ、犯罪じゃない?
多分、訴えたら勝てる系の悪質なヤツだよね。
私が意識朦朧としている状態で契約を持ちかけるとか、それが神様のすること!? ……いや、現実でも神話の神様って割とロクデナシが多かった気がするけど。
私の方にもまったく落ち度がなかったとは言い切れない。
だけど、さすがに"この状況"は少し落ち込みそうだ。
だって……、
「私の……ドラゴン……」
『アァン?』
私のヴァリアントが大空を羽ばたくドラゴンではなく、こんなちんちくりんな喋る瓢箪になってしまったのだから。
うう、名前はア○ヘルかミ○エルにして、母性を感じさせる中性的なCVのドラゴンになってもらう予定だったのに。
もう駄目。頭が重いし、疲れた。
集中力も切れて考えがうまく纏まらない。
許されるのなら、今すぐに目の前の出来事から現実逃避してしまいたい。
そうだ、逃避してしまおう。
あまりの没入感と今しがた起きたショッキングな出来事のせいで、これがゲームだということをすっかり忘れかけていた。
メニュー画面を開き、コンソールに指を滑らせる。
『おうコラ! 待てや、何ログアウトしようとしてやがるんだ手前ェ!』
「無理。ちょっとキャパオーバー。現実で考えまとめてくる……」
『オイ! 待てェ──!』
私は久しぶりに味わった挫折感を抱えて仮想世界から現実へと逃避した。