第十二話 酒神バッカス
飲み回。
次に瞼を上げたとき、私が立っていたのは神殿ではなく、大きな樽や壷、酒瓶が雑多に納められた巨大な倉庫──いや、酒蔵の中だった。そして、
「ようこそ、新たな信奉者よ。私は酒神バッカス。君の来訪を心より歓迎するよ」
長髪で優男風のイケメンが私にほほ笑みかけていた。
◆オラクルルーム
「ハハハ、急な召喚で驚かせてしまったかな? 最近、稀人たちの信奉者がめっきり減っていてね。久しぶりに見込みのある稀人が神殿を訪れたものだから、つい嬉しくて、この場所に招待しちゃったんだ」
「はあ、いきなり『招待しちゃったんだ』と言われましても……」
どうやら、このよく喋るイケメンはお酒の神様らしい。
そして、私をここへと召喚した張本人でもあるようだ。
なるほど。ゲーム上のシステムや設定としてだけではなく、キャラクターとして神様が存在するのね。でも、いきなり出てこられても正直反応に困る……。
「おや? ここは『うわ、マジで神様なの!? やったー、バッカス様最高ー! 抱いてー!』って喜ぶところじゃないのかい??」
「ナイナイ。驚き半分、呆れ半分です」
しまった。今のは失言だったかも。
大袈裟な身振り手振りとフランクな語り口調につられて、思わず本音が漏れた。
神様の方は依然ニコニコと笑みを浮かべていて、気にした様子もないけど。
どうしたものかな。
態度はこんなのだけど、仮にも相手はこの世界の神々。その一柱だ。
ゲームとはいえ、あまり迂闊なことは口にできない、一応。
「そっかあ。しまったなー、失敗か。せっかく頑張って色々と干渉したのになあ」
「失敗というか、なんというか……ん?」
……干渉? 今「色々と干渉した」とか言ったよね、このイケメン。
つまり、私をここに召喚したこと以外にも……、
「あのー、神様? もしかしてさっき私にイタズラしませんでしたか?」
例えばスクロールバーを操作して自分の名前のところまで誘導するみたいな。
「おや、バレてたか」
悪びれもせずに犯行を認める自称・神。
やはり貴様か、私の完璧なヴァリアント入手計画を邪魔したのは。
「神様ともあろうお方が、なんでまたあんな嫌がらせみたいな事を……」
「いやー、将来有望な稀人が道を踏み外そうとしていたからね。親心のようなものさ。そう、善意から来た行動だとも! うん!」
「善意だと……」
はは……イケメンで神様じゃなければ叩いてたかも。
私が健気にもスクロールバーと格闘した数分間を返せと言いたい。
よし、通報しよう。悪質な妨害行為兼NPCの不具合報告だ。
「とりあえず、この件に関しては運営に報告させてもらいますね」
「げ……待った待った! そんなことをしたら私がどんな目に遭うと思っているんだい?! 君は鬼か! それとも悪魔か!? ニッキーにはヒトの心が無いのかい!?」
私の言葉を聞いて明らかに狼狽する神らしき男。
さすがの神も創造主たる運営には逆らえないらしい。
「私はすでに、自由なゲームプレイを邪魔されるっていうヒドイ目に遭ってるんですけど。あと、誰がニッキーだ」
「ぐぬぬ……仕方がない、わかった。その件に関しては謝ろう。すまなかった! でも、こちらにも事情があるんだ……。つもる話もある、とりあえず一杯やらないかい? ほらほら、そんな不具合報告用のフォーラムなんて閉じてさ。ね?」
謝罪を口にしながら、酒神を名乗るイケメンがどこからともなくグラスとワインボトルを取り出す。
意外にも素直に謝られて少し拍子抜けしてしまったが、それで全て許すほど私は寛容でもない。それに、"こういう手合い"は痛い目を見ずに窮地を切り抜けると、味をしめて遠からず同じようなコトを繰り返すものだ。相手にしてはいけない。
「話を逸らそうったって、その手には乗りませんよ、私」
「まあまあ、見ていたまえ。きっと、お気に召すハズさ──」
そう言うとバッカスは、手にしたグラスにボトルの中身をトプトプと美味しそうな音を立てて注ぎ始めた。やがて、一切の淀みが無い薄桃色の液体がグラスを満すと、酒蔵の空気は嗅いだことのないような甘い酒精の香りに塗り替えられた。
え。なに、あのお酒……今まで色々なお酒を飲んできたけれど、これは……。
通報メッセージを作成していた指が止まり、ごくりと無意識に喉が鳴る。
いったいどんな味がするんだろう?
仮にも酒神を名乗る存在が供してきたお酒だ。
ともすれば現実では味わえないような逸品なのかもしれない。
「こ、これは……神様の奢りなんです??」
「もちろんだとも! ささ、まずは一献」
グラスを差し出してくるイケメン。
近づけば近づくほどに、甘い芳醇な香りが強さを増す。
それだけで酔ってしまえるのではないかとさえ思えるほどに。
私は差し出されたグラスを迷うことなく手に取った。
「で、では一杯だけ──あれ? 何これ、こんなお酒初めて……まるで熟れた桃に滴る朝露みたいな──」
違う。これはそんな稚拙な表現では全くの役不足だ。
言うなれば天上の甘露……いや、まだ足りない。遥かに遠い。
口に含むと、柔らかな甘みを伴った様々な風味が心地よく舌に溶け、いつの間にか喉を抜けて全身に染み渡っていく。
気が付くと、手にしたグラスは空になっていた。
理想的な……。
史上最高の……。
空前絶後の……いやいや、某有名ワインの謳い文句じゃあるまいし。
……駄目だ。この味は私の知る言葉では、とても言い表すことなど出来ない。
「フフッ。どうだい、ニキータ。お気に召したかな?」
「……すごく美味しいです」
「──っ! そうだろう、そうだろうとも! この神酒の名は『ネクタル』! 暇を持て余した私が手ずから醸造した自慢の逸品さ! さあ、今日は無礼講だ。ニキータ、君も肩の力を抜いて存分にやりたまえ。時間が許す限り私秘蔵のコレクションたちで飲み明かそうじゃあないか!」
えっ、コレクション……??
まだ他にもこんなお酒があるの???
それを……飲み、明かす????
そんなコト言われたら、私──、
「やっ──」
「やっ?」
「やったー! バッカス様サイコー!!」
「ハハハ、いいぞう! その調子で、もっと私を称えたまえ!」
◇
「コレも美味しい!」
「……キミ、思ってたよりも酒に強いね」
「うへへ、今更後悔しても遅いですよぉ?」
「なんの、まだまだ! 次はこの酒だ!」
「よーし、かかってこーい!」
次々と出される秘蔵のコレクションに舌鼓を打ちながら、私はバッカス様と色々な話をした。
「ところで神様って暇なんです?」
「おおっと! いきなりグサリと来るね! 鋭い! これは致命の一撃だ!」
「だって暇だからお酒を造ったみたいなコト言ってましたし」
「はは……私に関しては、というくくりでの問いならば正解かな。実のところ私は信奉者の数と貢献度が少ない、新大陸ではマイナーな部類の神様でねえ──」
バッカス様いわく、このゲームの神々には世界を管理する為の様々な仕事が与えられているそうだ。
しかし、その仕事量は信奉者の数や担当している役割の需要に比例する。
目の前に居る酒神──バッカス様が担当しているのは当然「酒」関連の事象なのだが、現在の新大陸ではお酒や音楽などの娯楽関連の神々よりも、炎や剣といった開拓・戦闘面で有利な神々が重要視される傾向にあるらしい。
故にバッカス様は他の神々に比べて信奉者の数と貢献度が少なく、受け持つ業務も多くない。そのせいで自由時間を持て余してるのだとか(信奉者に関しては、新大陸におけるお酒の地位が低くく、水魔法などの存在によって「保存できる飲み物」としての価値が薄いというのも追い打ちになっている)。
「ちなみに私以外にバッカス様の信奉者は今どのくらい居るんですか?」
「今は君を含めて二十人だ。ギリギリ手足の指で数えてしまえるね」
「ふぅん」
「あ。君、今聞き流しただろ。私ってば結構鋭いんだぞ、神だから」
「そんなことありません。聞いてますよー」
ぐびぐび……おつまみも欲しいなあ。
そうだ。そういえば私、ゆで卵を持ってたな。
また買えばいいし、食べちゃお。
私はポケットからヴァリアントの触媒用に用意したボイルドエッグを取り出し、殻を剥いて齧りついた。
「んぐ。ところで、神様を信奉すると特典が付くとか聞いたんですけど」
「ああ。アレかい? 確かにそういうのもあるね。神々によって付与される加護の内容が違うのだけれど、私こと酒神バッカスの加護は信奉者の数が多いほど『飲酒時のバッドステータス軽減』というものさ。さらに貢献度に応じた『酒に関するスキル成功率、効果量上昇』というものまで付く!」
なんだか使い道が限られそうな効果に思える。
お酒が好きだけど弱い人や、酒造に関わる人向けの加護なのかな?
私には必要ないかも。
アルコールには強い自信があるし、お酒は飲む専門だ。
まあ、あえて口には出すまい。
バッカス様が自信満々に語っておられるのでそっとしておこう。
「ほうほう。それで、その貢献度はどうやって増やすんですか?」
「そうだねえ、コレって本当はあんまり教えちゃいけないんだけど……」
酒を飲む。
酒宴を開く。
酒造に携わる。
酒に関連する通り名を獲得する。
バッカスの名を称えて乾杯する。
などが貢献度を稼ぐ行動の一部だそうだ。
さらに、ここに幾つかの条件が絡むことで貢献度が増減したりもするようだ。
これ以上詳しい内容は「さすがに規約に抵触する可能性がある」とバッカス様は教えてくれなかった。
それにしても平気でメタなことを口にするNPCである。
プレイヤーによっては好き嫌いが分かれるのではないだろうか?
私はシステム周りの情報を詳しく知れてありがたいけど。
「バッカス様、私は平気ですけど、他のプレイヤーにはあまりこういう話をしない方がいいかもしれませんよ……?」
「おっと? それはつまり、私を独占したいってことかい?」
「いやいや、どうしてそうなるんですか」
「ハハハ、残念だが私はこれでも神なんだ。そして、君は稀人とはいえヒトだ。つまり、私は君の想いには応えられない! すまない、ニキータ! この話は涙を飲んで辞退させてもらうよ! だから君も泣くな、泣くんじゃない! よよよ……」
「えぇ……」
うわあ、面倒くさい。
残念なのはバッカス様の頭ではないだろうか。
アルコールが入っているときの私が面倒だと思うのは相当にアレな証拠だ。
黙っていればイケメンなのになあ……。
やはりこの人(神)は無闇に人の前に出ない方がいいと私は思う。
永久的に顔出しNG推奨だ。
「よしよし、悲しい涙は酒で流すに限る。そろそろ私もとっておきを出そう」
「いきなり頭を撫でないでください──って、まだ他に凄いお酒があるんです?」
「フフ、先に言っておくけれど、この酒はかなーり強いぞう? 君がいくら大酒飲みだといっても、そろそろまわってきた頃合だろう。さあ、ここで満を持して登場した、この『大神殺し』を相手に呑まれずにいられるかな?」
大見得を切ってバッカス様がしめ縄の巻かれた巨大な酒樽を取り出す。
どう見ても和風の装いの酒樽……もはや世界観が行方不明である。
けれど、それも些細なことだ。中身がまだ見ぬ名酒というのであれば関係ない。
「上等ッ! その挑戦、受けて立ちましょう!」
「その意気やよし! いざ!」
このあと私は、ちょっぴり強めのお酒を口にした……ところまでは覚えているのだが、そこから先は記憶がない──。
◇
──数時間後。
「それでぇ……下水道のクエストをやろうと思うんれふよ」
「ほうほう。なるほどね」
「らからヴァリアントが欲しゅくて……炎と竜の神様をぉ──」
「いやいや、彼らはやめておいた方がいいよ! なんたってどちらも性格が悪い! アグニは高慢ちきだし、ズメイは頭が固すぎる!! この間の定例会議でも信奉者が多いからって偉そうに……まるで自分たちが神々の中心のようにさぁ! アイツらはさぁ! あー、思い出しただけで腹が立つ!」
「しょうなんらぁ」
「そうなんだよ、ニキータ。だから悪いコトは言わない。あの二柱はやめておきなさい」
「れもぉ……お金稼ぎ……が……」
「大丈夫。そこはこの酒神バッカスにお任せあれ、だ。私に任せておきなさい」
「ふぁい……むにゃむにゃ」
「ニキータ? 寝ちゃったのかい? おーい」
「すぴー」
「……本当に寝てる?? 狸寝入りをしていないかい?」
「んぅ……にばんかっしょうろでおねがいしましゅー……にゃむにゃむ」
「むっ、今のは寝言かな?」
「くかー……」
「ようやく眠ったね…………よぉし! 言質は取ったぞお! ニキータ、等しく愛すべき私の信奉者よ。次に目を覚ましたとき、君は私を信奉してよかったと心から思うハズさ。フフフ──」