ページ17~好きなのは
桜風が腕をゆるめて唇を離した。行ってしまうのが少し寂しかった。
「ねえ」
桜風の動く唇を見てさっきまであれに舌を入れていた事実を思い浮かべてしまう。
「秀一君」
俺は言葉を短く区切る桜風の虜だ。
「舞って呼んで」
桜風から想定外の提案を受けた。
「舞、マイ、アイ マイ ミー マイン」
思いつくままに言葉を滑らせる。
「秀一君」
「舞」
「秀一君」
「舞」
俺が何をしたいのか全く分からない。頭の中の不安を塗りつぶして欲しい。落ちているハリセンを拾い上げて舞を叩きたい。そう思ったとたん体は動いてた。
叩く側としては思ったより痛くなくて物足りない。相棒や俺を殴ったときはもっと痛かった。でも、叩かれてもそれほど痛くはなかったことを思い出した。こんなんじゃ駄目だ。もっと、俺も桜風も痛い事じゃないと。手の力が抜ける。
「動くままに動いて、私は受け止められるだけ受け止めるから。秀一君も受け止めて」
正座したまま両手を広げて桜風は誘惑してくる。
「ありがとう」
そう言って俺は桜風の右手をとった。中指の爪と指の腹を歯で挟んで吸う。
桜風は俺の顔を左手で愛撫する。頬の辺りがくすぐったい。
表現したい、激情のすべてを。知って欲しいんだ桜風に。俺が寂しいって事。俺が実は桜風自身を求めていないって事。でも、桜風を求めてるって事。
だけど言葉にしたくないししてほしくない。ただ、自分がこうしたいって表層の欲望のまま体を動かして桜風に受け止めてほしい。そのためなら桜風のすることなすことを受け止めきれるだけ受け止める。
「黙るんだ」
桜風は意外そうに言った。
「目玉ってどんな味がするんだろ」
桜風の左手が俺の右目をこじ開ける。桜風の舌が俺の目玉に迫ってくる。怖い。でも、来て。矛盾しているようでしていない感情が体に迸る。まるで身が割かれるようだ。身と心が一致しないことはよくあった。でも、この感覚は根本的に違う。前までの俺は変革を望んでいなかった。決定的に壊れたくなんてなかった。後戻りできる範囲で緩やかに変わってうだうだしていたかった。
でも、これは違う。俺は壊れたい。決定的に壊れてでも、桜風に依存してでも、今の俺を殺したい。新しい俺を産みたい。ただ、この壊れかけて割かれそうになってる俺が嫌なんだ。徹底的に壊れたらどうなるんだろう。中途半端にまともで中途半端に壊れてるから嫌なんだよな。どっちかに振り切れ。桜風はそのための道具にすぎない。でも、俺の中で一番大事な道具だ。大切に使わせてもらう。
何で俺は桜風じゃないんだろう。俺は桜風の痛みを知らないし、分からない。桜風になりたい。桜風になって桜風の悲しいことで泣いて嬉しいことで笑いたい。
桜風の舌が眼前で止まる。何で、止めるんだ? 怖いのか。なら、俺の方から近づけてやる。俺の口から桜風の手を離して、ちょっとだけ頭を前に持って行く。
痛い。でも、桜風に痛めつけられるならそれが良い。もし、桜風を傷つける物があるのなら俺でありたい。
桜風が目を押さえる手を離す。桜風の舌が離れる。右目を覆ってしまう。
「ねえ、秀一君。スケベ目的じゃ駄目だって思ってない? それでも桜風は良いよ」
桜風の言葉で分かった。俺と桜風は決定的に違う。でも、でも、叶わない夢でも桜風に成りたい。
俺は桜風に微笑み返す。
「ああ、もう。秀一君のヘタレ」
急に桜風の声量が落ちる。
この後のことは鮮明に思い出せる。この後、互いに脱ぎあって重ね合って一皮剥けた。俺はまだ桜風になれなかったがこの時、桜風の一部が俺に入ったと感じた。初めて感じる充足感。これまで知っていたどんな愉悦とも違うモノだ。
◇◆
もう、疲れ果ててしまった。桜風が俺の体の下の手を引きずり出そうとしている。桜風の裸体を改めてまじまじと見つめた。桜風の肌に白いモノが這っていた。顔にも全身にも白いリボンのようなモノが這っている。白いのを視線でなぞると全身がくまなく目に入る。
「そんなに……」
桜風はなにかを言いかけた。
桜風の全身を這い巻いている物がアカシと相棒が名付けたものだとようやく理解した。
「ノド渇いたね」
俺は桜風に同意を求める。
「それに、汗でびちゃびちゃだし体拭きたい」
言葉が止まらない。
「ちょっと臭いが気になるしここだけでも掃除したいな」
さっきまで黙っていること、言葉にしないことが良いと思っていたのに気持ちがどんどん言葉になっていく。
「桜風、そんなに黙ってどうしたの?」
さっきまであんなに饒舌だったのに。
微妙な間を経て桜風が口を開く。「えっと、なんで、その、どうしちゃった、秀一君」
言いたいことが分からない。桜風も分かってるか怪しい。
「舞って呼んで」
桜風はそう言って一瞬だけ唇を重ね合わせたた。
俺は気まずさから布一枚つけずに立ち上がり蛇口をひねる。ちょろちょろと出た水を手ですくい顔にかける。頭が冷めていく。目を瞬かせる。濡れた手で体を撫でる。そのうち蛇口からの水が止まった。
俺は無言で服を着る。桜風は何もないところをただじっと見つめている。
「どうしたの? 舞」
桜風は俺の言葉で色を取り戻す。
「ちょっと、考えちゃってさ。未来のこと。これからの未来がこれから産まれる子供にとって良い物なのかなって」
桜風の言うことがよく分からない。
「何世代後持つのかな? というか妊娠も出産も子育てもリスクが大きすぎるよね。あちゃぁ、こんなに簡単に性交渉しちゃいけなかったな」
桜風の悲しそうな笑みから嫌な感じがした。さっきのことを桜風に失敗だったと思われたのが嫌だった。
「避妊薬は飲みたいな。秀一君、今度からはコンドームつけてね」
桜風、それってつまり…… これからも良いって事なのかな? 握りしめた拳が離れなくなる。
「秀一君、水道止まってる? だよねぇ、止まってるよね。じゃあさ、じゃあさ、じゃあさ、秀一君が拭いてよ。私の体」
桜風の心が変わったように感じた。これまで俺に見せてなかった側面を初めて見せたような。
「ここにさ、冷たい水の入ってるビニール袋があるのよ。氷溶けちゃってるね。暑いもんね。これをタオルに浸してさ。あっ、秀一君持って」
濡れたタオルを持たされた。
「拭いてよ。秀一君」
そう言いながら桜風はくるくる回って自分の裸体を見せびらかす。この体をついさっきまで好きにしていたという事実が充足感を増す。
「汗で気持ち悪いから。はやく、はやく、はやく、はやく、はやく」
桜風がとっても急かしてくる。その勢いに負けてつい拭いてしまう。
布越しでも肌のやわらかさが伝わってくる。
「スケベな気持ち全開で良いからちゃんと拭いてね。秀一君。こんなに私の肌を触らせた人なんて家族をのぞいて二人目なんだからね。ホントに貴重なんだよ。お宝なんだよ。しっかり、噛みしめた? 味わった? なんかこうして欲しかったとかある? あったら教えて」
耳元でちっちゃな声でささやかれていろいろゾクゾクしていたのだが、だんだんと大きくなる声に耳が痛くなってきた。
元彼がいるのか。いたのか。いるのか。えっ、うらやましい。どんな事をしてもらったんだろう。どんな事を桜風はしたんだろう。
「秀一君、拭く手をゆるめない」
頭に痛みがある。桜風にハリセンで叩かれたのだ。
「雑にやらない」
また叩かれた。でも、心は桜風の元彼に負けたくない一心だった。足の指と指の間を拭いた。脇と股関節は念入りに拭いた。
「時間かかりすぎ」
桜風にどやされる。桜風は何事もなかったように服を着て互いの臭いを嗅いだ。
「煙の消臭効果を信じよう」
そう言ってくすっと笑う桜風は知的に見えた。桜風の可愛いと思った部分はアホっぽいところだったはずなのに、知的に見えてそれも可愛く見える。
ああ、俺は桜風の持つ物じゃなくて桜風が好きになったんだな。
桜風も年齢コール彼氏いない歴側の人間で処女なのですよー
ああ言ったのはなんででしょうね