ニンゲン
「変わった生物……もしかして新種かな?」
目の前で少女がこちらを見つめています。
クライは水槽に入れられ、完全に海から遠ざけられていました。
(人間……ついに出会ってしまったか)
その存在はずっとクライの心の底で引っかかっていました。
様々な生物を喰らい、研究し、好きなように弄ぶ生物。
クライのタツノオトシゴに転生する前の姿であり、現状最も食物連鎖の頂点に近い生物。
彼らは必ずクライにとって障害になると思っていました。
(この程度の水槽のガラスならパンチで破壊できるが……ここがどこか分からない以上危険だ)
クライも結局海の生物。
水が無いと呼吸が出来ません。
そして転生を繰り返してこれたのは能力をコピーできる生物が近くにいた時の場合のみ。
今、死んでしまったら転生できるとは限らないのです。
家の様式から寒い地方のどこかだという事しか今のクライには分かりません。
(くそっ……とりあえずは様子を見るしかないか)
「ほら、餌だよー」
人工的に作られた餌が水面に散らばります。
クライは彼女と共に生活をすることにしました。
俺はゴンという名前を付けられた。
彼女と毎日過ごしていると、少しずつ生活スタイルが分かってきた。
朝。彼女は起床し寝ぼけながら寝間着を着替え、下の階に降りていく。
少しして行ってきますと声が聞こえてくることから、恐らく学生か何かだろう。
昼。特に何もない。下の階からたまに掃除機の音が聞こえるくらいか。
俺は窓の外の雪景色を見つめながら、時間をつぶす。
夜。彼女が帰ってくる。どたどたと階段を駆け上がり、餌を水槽に入れる。
正直この時間が一番の楽しみだ。
その後、学校で何があったとか他愛のない話をされることもある。
そして俺は彼女の名前がエマであることを知った。
就寝。
エマは規則正しい生活を送っており、22時までには寝てしまう。
これが一日の生活サイクルだ。
……誰に襲われることも無い、平和な日常。
こんな人生も悪くないかもな。
クライがそう思い始め、日々が経過していくある日の事。
エマは大人二人を連れて部屋に入ってきました。
「これが君の発見した生物かね? ふむ、確かにこんな生物は今まで見た事が無い」
博士のような男が眼鏡のフレームを触りながら、クライの入った水槽を見つめます。
「この生物が新種だと学会に発表すれば、君は第一発見者として有名人だよ」
「本当ですか!? 良かったなエマ!」
父親らしき男に褒められ、エマは恥ずかしそうに父の後ろに隠れました。
「というわけで、エマ。この生物を研究所に渡してくれないかね?」
「嫌!」
「エマ! わがまま言うんじゃない!」
「これは私のゴンなの!」
「……エマ。 すみません、わざわざ来ていただいたのに」
「仕方ありませんね、今日の所は帰ります。君にゴンの事は任せましたよ、エマ」
博士はそう言うと、部屋から去っていきました。
「エマ……母さんが出ていって寂しいのは分かるが……」
「大丈夫よ、パパだっているし、ゴンだっているもの」
「エマ……、……寂しい思いをさせて済まない」
父親はそういうと、エマを強く抱きしめました。
(何やら訳ありのようだな)
クライは餌を食べながら、部屋から出ていくまで父娘の様子を見ていました。
「行ってきます!」
あくる日の朝、いつものようにエマは元気よく挨拶し、学校に行きました。
クライの声は彼女には聞こえませんが、手を振って挨拶に答えます。
「ん? パパさん?」
数時間くらい経った後でしょうか。
いつもなら仕事に行っているはずの父親がクライの水槽の前まで来ていました。
「ごめんよエマ。でも今の僕たちにはお金が必要なんだ」
後ろには前も来ていた博士と助手数人がいます。
「……連れて行ってください」
父親の言葉で、博士の助手たちは水槽を外に運び出そうとします。
「おい、マジかよ! ふざけんな!」
クライは精いっぱい暴れると、ガラスケースを破り、その場から逃げ出そうとします。
「捕まえろ!」
博士の支持で、ゴム手袋を付けた助手は素早くクライを捕え、より丈夫なアクリルケースに詰め替えました。
「うおおお! 離せ―!」
「ふむ、健康状態も申し分ない。これで新種だと認定されれば、貴方は一躍大金持ちですよ」
助手の一人は暴れるクライを抑えつけながら、父親に話しかけます。
父親は複雑な表情を浮かべ、その場に立っていました。
「後は私たちに任せてくれたまえ、この新種は第一発見者である娘さんの名前を付けさせてもらうよ」
「……ありがとうございます、博士」
アクリルケースに黒い布が被せられるとクライの視界はシャットアウトされ、そしてトラックで遠くの研究所まで運ばれて行きました。
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(エマ……今頃どうしてるだろうな)
暗所で放置されているクライは彼女の事で頭が一杯でした。
急に大事にしているペットがいなくなれば、きっとエマは悲しむだろう。
クライはそれを思うだけで胸がはちきれそうでした。
「!」
黒布が取られ、クライの視界が広がります。
白い壁に、鉄の扉。
まさに研究所といった場所の机にクライはいました。
周りには全身白いマスクと白衣を来た研究員たちが立っています。
「まずは簡単な検査から始めようか」
助手の一人は博士にやたら太い注射器を渡しました。
その横には他にも様々な器具の数々が並んでいます。
「えっ……ちょ、まじで? やめっ……ぎゃあああああああああ!」
これがまだ地獄の序章だとは、クライは知る由もありませんでした。