シーホース・クライ
ここは海です。何といおうと海です。
そこに新たな命が生まれ変わろうとしていました。
「はっ……!」
彼が目を覚ますと、そこは薄暗い水の底でした。
「……生きてる? ……どうして?」
キョロキョロと辺りを見回します。
そして水面付近には、
「うっ……」
彼の死体が無残な姿で浮いていました。
既に微生物にほとんど食べられた状態のそれを直視できず、思わず目を背けます。
「俺……やっぱり一回死んだんだな……それに」
身体は稚魚に戻っていました。
どうやら彼は腹を破られ、多くの稚魚が死亡する中、何とか生き残った一体に転生したようです。
「……」
彼は無言で、自身の死体に群がる微生物を喰らい始めました。
――復讐。
どす黒い感情が彼の心を支配しつつ、成長するためひたすら喰らい続けます。
(……喰らってやる。今日から俺はタツノオトシゴを喰らうもの、【シーホース・クライ】だ!!!)
……じきにクライはベントスで成長し、彼は自身の身体に違和感を覚えました。
「ん? ……この姿……」
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「なんだあの美人、どこから来たんだ?」
タツノオトシゴの群れにひと際綺麗なメスが現れたと話題になっていました。
まるで天女か乙姫か、サンゴ色のヒレをたなびかせ彼女はやってきます。
「旅の者です。どうかここで一休みさせてください」
「は、はい! いくらでもどうぞ!」
さすがのボスもあまりの綺麗さにたどたどしい態度を取ります。
(はぁ全く、これだからオスは)
そう、転生した個体は雌だったのです。
身も心もメスになったクライは彼に復讐すべく近づくことにしました。
「あら? 立派なオス。今夜貴方の家に泊めてもらってもいいかしら?」
「えっ! は、はい! 勿論いいっすよ! ははは!」
……この野郎、許嫁がいるのにも関わらずか。
ボスのクズさ加減に呆れつつ、クライは彼の屋敷に案内されます。
「2階が開いてるんで、好きに使ってください!」
ボスだけあって良い家に住んでるな、と心に思いつつクライは計画の実行をするため夜を待つことにしました。
――その夜。
月光だけが辺りを照らし、夜行性の生物以外は寝静まっています。
(そろそろだな)
クライは置きあがり、ボスの部屋に向かいます。
――トントン。
「むにゃむにゃ、ん? 誰だ?」
「……私でございます、……入ってよろしいでしょうか?」
「はっ!? まじっすか……!? ……うむ、どうぞ」
思わず舌打ちを打ちそうになりましたが、その衝動を何とか部屋へと入ります。
「こんな夜更けに何の用だね?」
「……女子の口から言わせないでくださいまし。その立派な尻尾、ざらざらとしたお腹。一目ぼれいたしました」
「おっほー! そうかそうか! そこじゃなんだから座りたまえよ!」
(こんなあからさまに怪しい手口に引っかかる奴なんているんだな……)
世の中からハニートラップが無くならないわけだとクライは呆れつつ、彼の隣に座ります。
「……今日、妻は実家に帰っていて誰もいないんだ……。だから……な?」
聞いてもいないことをべらべらと口走り、ボスは行為をやる気満々です。
そんな彼に嫌悪感を覚えつつも、何だか哀れにも思えてきました。
「まずは……キスからにしてください」
「そ、そうか。雰囲気は大事だものな。……ほれ」
口を差し出してきたボスに唇を重ね、尾でしっかりと身体を固定します。
「ん? 君、中々積極的じゃないか……と、言うよりちょっと……吸う力……強くない?」
ボスの疑問を無視し、吸う力をより強め、
――ブチブチブチッ。
「いでえええええ!」
ボスの顔面の皮膚を千切り取りました。
「ひ、ひいいい! だ、誰か……」
「誰もいないってさっき自分で言っただろ?」
ボスが逃げようにも身体はガッチリと長い尻尾でホールドされ、逃げられません。
「……お前を、喰らう」
「あああ……ああああああ!」
ボスの悲痛な叫びがこだまします。
ボスの顔面は少しずつクライに消化されていき、少しして身体に力が無くなりました。
クライが尾を離すと、彼の胴体は天井まで浮かび上がり、ぶわっと水中に血が広がっていきます。
「……ちっ」
クライはぺっと血の塊を吐き出し、生前ボスだったものを眺めます。
これで復讐は達成できました。
……ですが。
――!
後ろに気配を感じ振り向くと、そこには彼女が絶望的な顔をして立っていました。
「きゃあああ!」
彼女は恐怖のあまり、その場から逃げようとします。
「ま、待ってくれ! 俺だ!」
クライは彼女を尾で掴み、壁に叩きつけます。
「こ、殺さないで……」
クライはその時初めて自身の身体が血で染まっていることに気づきました。
もうすでにクライは彼女の知るタツノオトシゴではなかったのです。
「……」
今更迎えに来たと言っても、彼女にとって今のクライはただの殺戮者にしか映らないでしょう。
その現実にクライは涙を抑え、現場から逃げるよう走り去っていきました。