産ませてよ!
ここは海。まぎれもなく海です。
繚乱としたサンゴ礁に一匹のタツノオトシゴがいるようですね。
すぅ~……ぱくっ。
彼は餌取りにも慣れ、タツノオトシゴ人生もそんなに悪くないかなと思い始めていました。
彼の身体も成長して大きくなり、天敵も少なくなったため、今ではサンゴ礁を散策できるくらいには余裕が出来ていました。
「あぁ~、交尾してえ~」
そんな彼は目の前の砂場を上下するチンアナゴを見ながら、とんでもないことをつぶやいています。
彼の身体は既に成体。
成体は普通カップルを作り子孫を残すのが当たり前。……ですが。
「……どうやってメスに声をかければいいんだ」
彼の前世は童貞だったので、交尾なんてリア充行為は未知の領域です。
次々、他の仲間がカップルになっていく中、一人取り残され、周りの仲間が奇異の目で見るあまり、彼は群れから孤立していました。
「くそーーー! 誰でもいいから俺と交尾してくれー!」
とんでもなく恥ずかしい事を堂々と大声で放ちます。
ですがいくら言っても声に反応し、イソギンチャクがびっくりして引っ込むだけです。
「はぁ……」
彼は無駄に使ったエネルギーを蓄えるべく、ベントスに立ち寄ることにしました。
「ん? 先客がいるぞ」
色鮮やかなベントスが浮遊する中、しなやかな体躯に艶やかな鱗、タツノオトシゴ目線で見るものを魅了するメスがそこには立っていました。
「……君はあの時の」
「あら久しぶりね、元気にしてた?」
彼女は稚魚のころに出会ったタツノオトシゴでした。
その表情は何故か憂いげで餌もあまり食べていません。
「……横、いいか?」
「ええ」
彼女が巻き付いている海藻の横に彼は尾を巻き付かせ、隣に鎮座しました。
あの頃と環境の変わらないサンゴ礁だけが、彼らを見ています。
「……何か悩みがあるのか? 俺でよかったら聞くよ、喋ったら楽になるかもしれないし」
「ありがとう、優しいのね。……実は私、許嫁がいるんだけど彼と本当に結婚しようか悩んでいるの」
「ほうほう」
「長老は強く選ばれた雄と交尾するのは当然だと言うけれど、それは本当の愛なのかなって。だから群れから抜け出してきちゃった」
「きっとみんな心配してるよ」
「……そうね、貴方はどう思う?」
彼は今までの薄い人生経験をフルに思い出し、自分の言葉をひり出します。
「やっぱりお互い好きなもの同士結婚するのがいいんじゃないかな。望んでないのなら愛なんてないじゃないか」
「……あなた、変わってるわね。仲間はみんな強い雄を優先するべきだって言ってたのに」
「生物としては、確かにそうかもしれない。でも、僕は違うと思う」
「ふふっ、本当に変わってるわね。……ねえ、してみる?」
「えっ……何を? ……まさか」
彼女は煽情的に尾を絡めてきました。
彼も彼女の申し出を受けるため、尾を強く握り返します。
その形はまるでハートのようで、とてもロマンチックでした。
(……俺は一人の女性に愛されて何て幸せなんだろう)
彼は人生半ばで死んで経験できなかった幸福を噛みしめ、欲望のままに達したようです。
「あ、あの、ごめん……その……」
「いいから。ほら、お腹出しなさい」
彼女はしきりに身体から伸びる卵管を振り回します。
「……え?」
「え? じゃないわ。タツノオトシゴはオスが子供を育てるのが当たり前でしょ? そりゃ」
――ブスリ。
「アッーーーーーーーー!!!」
やっぱりタツノオトシゴ人生なんか最低だと彼は心から後悔していました。