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36.無知


36.無知



 ライラは淡々とザルナークの後を追っていた。そろそろ決戦が近いと感じていた。明らかに周りの雰囲気が変わっていく。ここは、きっとコウテンの城に仕えている者も滅多に入ることができない場所だろう。空気は重く、じっとりとした湿気のような気持ち悪さも感じた。まるでダウンタウンだ。と、こんな場所で自分の生まれた町を思い出したことにライラは少し笑った。

 コウテンのキングはなかなか面白そうな奴だ。イメージしていたような横着でふんぞり返ったようなアホな奴ではなさそうだとライラは思う。


『スペースシフター……』

 ライラはカフスを少し回してスペースシフターへ声を送った。

『ライラか!?』

 間髪いれずにレイスターの上ずった声が返ってきた。

『……大丈夫か?』

 なぜかライラはそう聞いてしまった。明らかレイスターは平常心を失っていると悟ったから。

『こっちのセリフだろうが!』

 そう返された。確かにそうだが……。ライラは少しぶすくれた。まぁいい、と気を取り直す。

『城の中は感度がいいみたいだ。ほぼ全員とは通信できるようになっている』

『そうか、みんな一緒か?』

『いや、全然。俺なんて一人だ』

『な……』

『それはいいんだ。合流する手立てはできてる』

『ああ……。わかった。で、どうする。こちらの出番か?』

 レイスターの読みは鋭い。しかしレイスターは鈍感な方だ。たまたま今回は読みが当たった。

『ああ。俺の合図で一気にしかけてくれ』

『……。お前たちの安全は……』

『忘れてくれていい』

 ブツ。

 ライラはそれだけ言うと一方的に通信を切った。それから先うだうだ言われるのはごめんだった。全く、人一人の命ぐらいなんてことない。それは俺の命もキングの命もその他の♠たちも同じこと。そして周りにいるコウテンの奴らの命もそんなものだ。大局を見ろ。ライラはここに来て思うことがあった。レイスターやアスリーンに出会ってすっかり大人しくなったと思っていたが、昔の自分の中に流れていた邪悪とも言っていい血は抜けていない。俺は、生死をかけて、生きるか死ぬかの狭間で、『生きて』いたい。それは、弱肉強食世界の中において頂点に立ちたいという理屈だ。





―ジャスティーとイリス―


「……ご、ご苦労」

 ジャスティーはイリスの部屋の前にいる1人の衛兵に向かって右手をあげた。それはなんともぎこちのないものだった。

「……」

 衛兵も言葉が見つからないようだ。

「イリス様ッ……」

 そこで衛兵はイリスに向かって助け舟を求めた。

「アザナルからの伝言です! 王が狙われています! 私の警護はこの直下兵に任せて、素早く王の警護に行くように!」

 イリスは素早くそう衛兵に言った。右手の人差指を立てていた。どこか緊張感のない姫様だ。

「え……、いや、この者は……」

「王族の直下兵ですよ! この緊急事態、久しぶりの帰還でしょうけど、このマントこそ証拠! この大国コウテン、あなた方の知らない軍がいたっておかしくはないでしょう? 詳しいことはアザナルに聞いて。アザナルはきっと前線にいるのでしょうけど……」

 イリスは少し視線を下に向け、悲しげな表情をしてみせた。

 『アザナル』。ジャスティーはその名を覚えた。胸がもやっとする名前だ。

「……ほ、本当ですね?」

「疑うのですかっ!」

「……イ、イリス様、我々はもう二度も貴方様を逃がしましてアザナル様のお怒りを買っているので……」

「私の怒りを買うことを恐れた方がいいのではないの!? アザナルよりも権力を持っていることは忘れないで! 私があなたがたの身の保障をいたします」

「はっ!」

 衛兵たちはイリスの気迫に押されて、イリスに敬礼をすると足早に駆けていった。イリスは少し息を乱し、下を向いていた。

「似合わない言葉使ったね」

 ジャスティーはそんなイリスを見てそう言った。

「……誰のせいだと思ってるのよ」

 目を細くさせてイリスはそう言った。確かに、とジャスティーは思う。

「身の保障ってのは、難しい話だと思うけどな……。ここの警護がいちばん安全なはず」

「ジャスティー!」

 イリスは顔に怒りを溜めていた。何か余計なことを言ったら追い出されそうだった。せっかくここまで辿りついたっていうのに。

「ごめん」

 素直にジャスティーは謝った。

「……はぁ、とにかく座りましょう。落ち着いて……」

 イリスはソファーに倒れ込むように座った。

「……」

 ジャスティーはイリスの部屋を今一度見渡した。開いた口がふさがらない。なんてキラキラした部屋なんだ。どこかへ飛ばされたみたいだ。いや、実際に飛んできたけど。昔図書館で読んだことのあるおとぎ話の中の世界だ。あれはおとぎ話でもなんでもなく真実だったのか?

「……紅茶を入れて下さる?」

 イリスがそう言った。

「え?」

 ジャスティーは聞き返した。聞こえていたが。

「……紅茶です」

「コウチャ?」

 ネスには紅茶はなかった。コーヒーと、まずいハーブティーしかない。

「……あなた……」

 イリスは怪訝な顔でジャスティーを見た。

「幼いころから軍人として生きてきました。そんなもの知りません」

 ジャスティーはヤバイ、と思って咄嗟にそう答えた。この答えで大丈夫かな。

「……ごめんなさい。メイドじゃないのに」

 イリスはそう言って力なく笑った。ジャスティーはその顔を見てホッとした。

「じゃあ私が入れますから、あなたも疲れてるでしょう? 座って」

 イリスは立ち上がった。ジャスティーは言われた通りに座った。小花模様がまんべんなくひろがるふかふかのソファーに。座った途端に疲れがどっとジャスティーの体にのしかかった。これからなのに……。ジャスティーは頭を抱えた。

 落ち着いたら色々なものが頭を駆け巡ってきた。必死になって辿りついた。ここから先が本番なのに、俺は今ここにいて大丈夫なのだろうか。戦況は? みんなは? ルイ、あの後どうなったんだ? ここが潰れていないってことは、どういうことだ?

「もう、とりあえず休みましょうよ」

 とてもいい香りがした。見上げると、優しく微笑むイリスの顔と、綺麗なオレンジの色をした紅茶があった。

「ああ……、ハーブティーだ」

 ジャスティーはそう言った。

「いえ、これはハーブとは違いますよ」

 イリスはジャスティーの向かい側に腰を下ろした。

「あ、いや、似てる……」

 ジャスティーはそう言い訳をした。

「……。私が知らないことは本当に多いのですね」

「……おっ、俺が知らないんだろ!」

「いえ、本当なの。私が知らない。外の世界がどうなっているのか。この星が今何に直面しているのか。紅茶を知らない人間がいるとか……」

 今のはバカにしたのか? とジャスティーはそう思った。でもイリスは悪くないぞ。俺はコウテン人じゃないから、とジャスティーは心の中でイリスを慰めた。


「きっと、こういう日が来ると、お父様は……、キングはおっしゃっていました」


 イリスはそう言った。

「……こういう日?」

 ジャスティーは厳しい顔つきになった。


「ええ。必ず、私たちを恨む人間がこの星を潰しにやってくる、と」


 イリスが言ったその言葉は、ジャスティーの意志の根本を揺るがすものであった。




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