白い風景(虹色幻想7)
私立和泉高等学校の一階の奥に図書室がある。
入り口を入ってすぐ目の前には新刊の本を紹介する棚、右手にはカウンター、そして机とテーブルが並び、その奥には沢山の棚があった。
生徒は思い思いの本を手に、勉強をしたり読書をしたりする。
部屋の右壁は前面ガラスで中庭に通じている。左側は壁になっており、そこに大きな出窓がしつらえてあった。
暖かな日差しが大きな窓から注いでいた。
真理子はその出窓で本を読むのが日課だった。部活に入っていない真理子は、放課後に図書室で本を読んだ。今日もいつものように図書室へと向かった。
何の本を読もうかな、真理子はウキウキしながら扉を開けた。棚の間をウロウロし、本を探す。やがて棚から一冊の本を取り出し出窓に向かった。
しかし、今日は先客がいた。男子生徒が窓辺に座り、本を読んでいた。真理子の足が止まった。胸に抱えた本を握り締める。
そこは私の場所だわ、と真理子は思った。楽しい気分が台無しになった。がっかりして帰ろうとした。
その時、男子生徒が顔を上げた。男子生徒は眼鏡をかけていた。サラサラした前髪が眼鏡にかかっている。彼は眼鏡の奥から真理子を見て言った。
「やあ、君もここで本を読むのが好きなのかい?」
真理子は頷いた。彼は笑った。
「僕もなんだ。ここがお気に入りでね」
入学してから本を読むのはここと決めているのだ、と言った。真理子は少し出窓に近づいて、ドキドキしながら声をだした。
「私も。私も入学してからここが好きで、いつもここで読んでいるんです」
「不思議だね。今まで会わなかったなんて」
彼の笑顔が真理子を引き寄せる。そうですね、真理子は答えた。
暖かい初夏の日差しが窓辺に降り注いでいる。まぶしくて、世界が白くなってしまったようだった。
「僕は二年の佐藤洋介。君は?」
「一年の菊池真理子です」
こっちへおいで、と洋介は真理子を手招きした。大きな出窓は二人で座っても余裕があった。
真理子は緊張しながら隣に座った。硬い感触がスカートの下から伝わる。持ってきた本のことなど忘れて、真理子は洋介を見上げた。読んでいた本を膝に置き、洋介は微笑んだ。
真理子の頬が赤く染まった。
それから真理子は洋介に会うために図書室へ来るようになった。二人は隣り合って本を読んだ。たまに、お互いが好きな本の話をした。
暖かな日も、雨の日も、二人は放課後に本を読んだ。
五時になると真理子は帰った。高校へはバスで通っている。五時十分のバスに乗るためだった。真理子は洋介を置いて図書室を出た。洋介の家は歩いて帰れる距離にあった。だから真理子は先に帰るのだ。
そんな日々が一年続いた。
暖かな初夏の日差しの中、真理子は図書室の扉を開けた。棚から本を取り、出窓に向かう。洋介が座って本を読んでいた。
ちょうど一年前だった。こうして洋介と会ったのは。真理子は少し離れたところで洋介を見つめた。洋介が日差しを浴びて白くなる。半そでのワイシャツがまぶしい。まるで洋介が溶けてしまいそうだった。
真理子は不安になった。急いで出窓に近寄り、洋介のワイシャツをつかむ。洋介が驚いた顔をして、真理子を見た。
「どうしたの?」
真理子は洋介の存在に安堵した。
「…消えてしまいそうに見えたから」
洋介は苦笑して真理子の頭を撫でた。
「そんなことないよ」
洋介の言葉に真理子はホッとした。洋介の腕が真理子の背中にまわる。洋介は優しく真理子を抱きしめ、背中を撫でた。
「この学校の図書室の不思議を知っている?」
真理子を抱きしめたまま洋介は言った。真理子は首を横に振った。
「この図書室にはね、死んだ生徒が自分の死を分からずに、本を読みに来るんだって。その生徒はどうして死んだのか分かっていないから、毎日ここに来るんだよ。この出窓で本を読むんだ」
嫌だ、その話は聞きたくない。
真理子は頭を横に振った。そうして洋介にしがみついた。
私立和泉高等学校にある図書室の不思議。
それは、本当だった。
自分の死をしらない生徒が図書室を訪れる。そうして出窓で本を読む姿がたびたび目撃された。暖かな日差しを浴びて本を読む。普通の生徒と何も変わらない。
しかしふと目を逸らした隙に消えてしまう。
その生徒は本が好きなのだろう。そう皆はささやいた。
真理子は窓辺に座っていた。夏が過ぎて秋が来た。窓辺から見える木々が紅葉を始めている。洋介は来なくなった。受験があるから忙しいのだろう。そう思うことにした。
だが一方で、真理子は洋介が図書室の不思議の生徒だと思っていた。だから入学してからずっと出窓で本を読んでいたのに、会うことがなかったのだと。
それを考えると色々なことが浮かんだ。洋介は決して図書室から出ようとしなかった。きっとそれもそのせいなのだ。
真理子は毎日図書室で待った。洋介が来る日を待ち続けた。
洋介の存在を信じたかったから。待っていた。
雪が舞い降りた。すごく寒い日だった。真理子はいつものように出窓で本を読んでいた。図書室はストーブがたかれて暖かい。真理子の前に人が立った。
洋介だった。
真理子は待っていたのよ、と笑って言った。
「真理子、僕も待っていたよ。毎日ここで」
洋介は悲しそうな顔をして言った。
「嘘よ。私も毎日ここで待っていたわ」
真理子は眉をひそめ、立ち上がった。洋介を見上げる。
「真理子、ごめん」
洋介はうつむいて拳を握り締めた。真理子はそっと洋介の手に触れた。
「どうしたの?どうして謝るの?」
洋介が顔を上げて真理子を見つめた。
「私、あなたが幽霊でも好きよ」
真理子が真剣な顔で言った。
僕も好きだよ、洋介も言った。
その答えを聞いて真理子はホッとして笑った。
図書室に五時のチャイムが響き渡った。真理子は洋介の手から自分の手を離した。
「もう、帰らなくちゃ。また、明日ね」
真理子はそう言うと洋介に手をふり、扉の前で消えた。洋介は扉を見つめていた。
「おい、洋介」
声をかけられ振り向くと、クラスメイトの健太がいた。健太は驚いた顔をしている。真理子が消えたところを見ていたのだろう。洋介は苦笑した。
「僕の好きな子だったんだ」
半年前だった、真理子が交通事故にあったのは。バス停でバスを待っていたら、車が突っ込んできたそうだ。
真理子は即死だった。だから自分が死んだことに気づいてない。あれから真理子は毎日図書室へ来た。
初めは驚いた。出窓で真理子が本を読んでいたから。幽霊になってまでも図書室へと来た真理子。
嬉しかった。待っていてくれることが嬉しかったのだ。
そして同時に悲しかった。
真理子は自分の死を知らない。ずっと知らずにここで待ち続けるのか。
洋介が卒業しても…
健太は洋介の肩を軽く叩いて言った。
「俺の好きな人も旧校舎にいるんだ」
仲間だな!と健太は笑った。洋介は弱弱しく笑った。
真理子は明日もあの出窓で待っているのだろう。それなら卒業するまでここに来よう。
洋介は暗くなった出窓を見つめて健太と共に図書室を出た。