38話 エルフィの手料理
遅くなってすいません
そんなこんなでヘレン学園長に追い出された俺は、今、『幻影の魔女』こと、ジュリアナ・リッジウェイに手紙を届けるために、この島を手当たり次第に探索している。
俺の現在地は島の南側。
学園は島のほぼ中心部に位置しているため、学園の南側という表現も出来るだろう。
時刻は正午。
燦々と照りつける太陽は、まるでオレンジのようだ。
目の前に差し当たったY字路を目に、一旦足を止めたアラスは、少し汗で湿ってしまった≪神魔の衣≫を≪一味違う道具箱≫に収納した。
≪神魔の衣≫は確かに通気性に富んでいるのだが、それでも袖長のローブであることには変わりない。
神器といえども、気温調節に関するスキルがない。その上、黒を貴重としているのだ。
正直、クッソ暑かった。
この研究室が寄り集まり、様々な研究をしている≪研究区域≫において、魔法の使用は厳禁だ。
言わずとも分かるとは思うが、実験の妨げとなるためである。
何時もなら氷魔法か風魔法で暑さに対処したのだが、一切の魔法を禁じられた現状ではどうもこうも、対策の取り用がなかった。
ローブの下には無地のTシャツ(正確にはTシャツでは無いが)を着ている。
踵にまで届きそうなズボンの裾を捲った俺は、周りの研究室を見渡す。
真昼間だというのに人っ子一人いないのは、ここにいる誰もが研究熱心だからなのか、それとも、誰もが昼夜逆転型の生活を送っているからなのか
……案外、どちらもなのかもしれない。
何にせよ、闇雲に探していては見つかるものも見つからない。
どうにかして誰かに接触し、『幻影の魔女』の研究室の位置を教えて貰う必要がある。
なんせ、その研究室の方角すら分からないのだ。
手詰まり過ぎて、逆に笑えてくる。
俺は、苛立ちを背に、足元にあった小石を、軽く蹴飛ばす。
話し声すらも聞こえない不気味な道端で、俺は今後の事を考える。
まずは、人を見つける。
これが最優先だ。
『幻影の魔女』は様々な発明をし、国王からも一目置かれているらしい。
そんな彼女の研究室を知らない研究者はいないだろう。
彼らは知的好奇心が人一倍強い為、研究者をやっているのだから。
立ち上がり、少し逡巡した俺は、右側の道に入ることに決めた。
何と無く、此方側には何かがあるような気がしたのだ。
歩き出す。
その後を、ゆっくりと影が追いかける。
だが、歩を進めても、一向に人は現れない。
時折物音がするが、正直、どの研究室から漏れた音なのかさえ、俺にはさっぱり分からなかった。
湿った胸元をパタパタと動かし、風を誘い込む。
ふと、鼻をピクピク動かした俺は、何処からかいい匂いが漂って来ていることに気付いた。
「ーーあ、昼飯まだじゃん」
思わず俺の口から声が漏れる。
今日の朝はバタバタしていたため、朝飯も食べていなかった。
気付いた途端に腹が減り、グルゥ〜。
と、腹の虫が鳴く。
『急がば回れ』ともいうし、取り敢えず帰ってエルフィに適当な飯を作ってもらうか。
いや、サボるって訳じゃ無いんだからねっ!
ぶっちゃけクッソ面倒臭いけど、それでも任された仕事はしっかりこなすんだからねっ!
……………………。
虚しい。
うん。さっきのは忘れよう。
何にせよ休息は必要だろう。
ついでに、『幻影の魔女』についてエルフィに聞いて見るのもありだな。
蛇足になるかもだけど。
そうして俺は、自分の部屋へと歩き始めた。
足取りは、軽い。
後に残った渇いた地面は、風と共に揺れたーー
▲▽▲
「おーい、帰ってきたぞー!」
と、鍵を開け、玄関に入った俺は、靴を履いたまま部屋に入り、エルフィに大声で呼び掛ける。
当然、部屋に入る前にタオルで靴の汚れを取ることを欠かしてはいない。
俺の履いている靴は、超高速戦闘用に強度を限界まで上昇させた代物ではあるが、神器ではなく、
外で動き回っても汚れが付かない!
というほど利便性に優れた装備では無かった。
ーーこの世界の文化は基本的に西欧のものに似ている。
この世界での生活を何年も続けている俺は、既に室内を土足で歩くということに対して一切の疑問を抱かなくなっていた。
「あれ!?ご主人様、学校はどうなさったんですか!?」
恐らくキッチンからだろう。エルフィの、酷く焦ったような声が聞こえる。
確かに俺は基本的に、
朝→エルフィの手料理。
昼→購買で適当な物を買う。もしくは、学食を利用する。
夜→エルフィの手料理。
という食事サイクルを保っているため、昼食を取るために帰ってくる事は珍しい。
ーーというか、今まで無かった。
「兄弟子学園長様におつかいを頼まれたんだよ。今、相手の家を探してる途中なんだ。でも中々見つからなくってさ、取り敢えずエルフィの美味しい手料理を食べるために帰って来たって訳」
台所まで歩き、疲れたような顔でエルフィにそう告げる。
おまけに、イタリア人がやるような、肩を竦めるジェスチャー付きだ。
アラスの『美味しい手料理』という言葉にだろう、エルフィは顔を綻ばせた。
ただ、それだけの言葉でも、あの辛い修行を乗り越えた価値があったと思えるのだ。
ちらりと台所を除く。
幾つかの道具が規則正しく並べられ、既に少量の食材も台の上に乗せられている。
どうやら、エルフィは自分用の昼食を用意する直前だったらしい。
「俺の分の食材、ある?」
「大丈夫ですよ。当然、あります」
まあ、そうだろうな。
なんせ、無ければ下の食堂に食材だけ貰いに行けばいいし、野菜も肉も魚も、最近補充したばかりだったからだ。
じゃあ聞くなよって?形式美だろうが。
「そうか。じゃ、お勧めで何か作ってくれ」
俺がそう言うと、エルフィが困ったような顔をした。
「えーと…あの、ご主人様。いつも言っていますが、そういう、『お勧めで』というような曖昧な表現をされると、かえってやりにくいのですが…」
「じゃ、ムニルを煮込んでくれ」
俺のその言葉に一瞬不安そうな顔をしたエルフィは、冷蔵庫の中にムニルが一尾保存してあるのを見るとあからさまに安心した表情になり、それを手に取った。
ーームニルというのは鯛のような白身魚で、淡白な味をしている魚だ。
煮詰めると味にコクが出て旨味を増し、そこらの魚と比べ物にならない程美味になるため、高値で取引されている。
「分かりました。煮込むのに少し時間がかかりますが…」
「別にいいよ。というか、寧ろかかっていい。出来るだけ問題を先延ばしにしたいんだ。外、暑いし」
「そうですか。そういえば、今日はどんな事を頼まれているんですか?」
軽口を叩きながらも、エルフィは手慣れた様子で腕を動かしている。
最初は料理の際、一切喋らず黙々と作業をしていたエルフィだったが、無口なエルフィを気味悪く思った俺が、何をする時でも軽口くらい叩いていいぞと許可を出したのだ。
「ああ…何か、今度学園行事で何かのクラスマッチがあるとかで、それについての手紙なんだと。今まで一度も会ったことの無いS'aの先輩に手紙を届けろだなんて、面倒な仕事を押し付けやがって……」
「そうなんですか……よしっ!と。これで後数分煮込むだけです。ーーそれにしても、本当にここに置いてある魔法具の調理器具は凄いですね!調理がとても簡単に出来るのに、普通よりずっと美味しくなるんですから!!」
勢い込んでそういうエルフィに、俺はそれはそうだろうと頷いた。
なんせ、エルフィの再就職祝いに金貨数百枚をつぎ込んだ超特別性の調理器具なのだ。
日本円で換算しても数千万は下らないだろう。
普通なら、どれほど便利であろうとそこまでの物を作りはしないのだが、世界は広い。
大売り出し!お願いだから買ってくれ!!
という切実な願いが込められた張り紙に同情したアラスは、軽い気持ちでそれを手に取ったものだ。
何より、俺はそんなものを作る馬鹿さ加減に好意を覚えた。
こういう、無駄に技術をつぎ込み、誰にも相手にされ無くなってしまった道具が、俺は結構好きだった。
俺は数分の時間を休息に当てるため、食卓につき、グッタリとした体を更にグッタリとさせる。
十数人は座れそうな、無駄にでかい机で、エルフィはわざわざ俺の隣に座った。
本来なら自らの主人が食事をとる際、数歩後ろで身動き一つせず、眈々と食事の終わりを待つのが従者のあるべき姿であり、この行動を第三者に見られればメイドとしてどうかと思われ兼ねない行動だが、出来るだけ主従関係を意識しないで接してくれというのは、俺の言葉だ。
俺に良くも悪くも忠実であってくれるエルフィが、俺の言い付けを破るはずがなかった。
とはいえーー
「エルフィ。近いぞ」
どんどん近付いてくるエルフィを、流石に我慢ならんと、俺は片手で押し留める。
エルフィはそんな俺の言葉に反応一つ返さず、唇を近付けて来た。
「ご主人、様……」
よくある事だ。
暫く一切の接触を絶っていたせいだろうか。
以前よりも積極性を増したエルフィは、やっと大人しくなったアリスについで、俺の頭を悩ませている。
俺は軽く闘気を纏ってエルフィの頭にチョップを叩き込む。
エルフィは短く悲鳴をあげ、頭を押さえて床をゴロゴロと転がった。
頭を抱えてギャグ漫画であるような反応をするエルフィに、俺は満足気な笑みを浮かべた。
俺は、生来のドSなのだ。
ーーエルフィはこんな酷い有様でも、家事全般に関しては完全である。
今も、こうして巫山戯ながら時間を計算しているのだろう……
…………ねぇ、してるよね…?
暫く転がり回ったエルフィは、ようやく痛みが治まったのだろう、やかましい音を立てるのをやめ、追いすがるように俺の足へと這い寄ってきた。
ーーエルフィは足に縋り付く様に纏わり付き、上目遣いで俺を見つめている。
「ご主人様…私、身体が火照って来ました……」
……性懲りも無く、まだ言うのか……
俺は黙りこみ、呆れを通り越して感心へと移ろった感情を隠そうともせずに、氷魔法で室温をー3度まで下げた。
途端に部屋は霧で包まれ、急な温度変化が原因で、幾つかの食器が割れる音が響く。
世界が変わるというのは、こういう様相なのかもしれない。
俺は、慌てて≪一味違う道具箱≫から≪神魔の衣≫を抜き取り、身体に纏う。
大した足しにもならないが、それでもあるのと無いのでは全然違う。
錯覚かもしれないが、冷えた体が一瞬で温まるのを感じた。
ふと視線を下に向けると、エルフィはブルブルと震えている。
それはそうだろう。
ぶっちゃけ、俺も凍える一歩手前だ。
「ど、どうだエルフィ、こ…これでも身体は火照るのか…?」
余りの寒さに、俺の言葉は噛み噛みだった。
口が上手く動かない。
唾が凍りそうになるのを、どうにか火魔法で押さえ付ける。
どうやら、エルフィは口も動かす事が出来ないらしい。
上気した頬がその色を無くし、顔を茄子のような色に変え、黙々と首を横に振った。
俺はその反応を満足気に見るでもなく、一目散に室温を元に戻す。
急激な温度変化に、体調の心配をするアラスだったが、体調に関して言えば≪完成された吸血鬼≫が常に最適化しているため、全く問題なかった。
まあ、エルフィにはそれが適用される訳では無いのだが、これも天罰というものだろう。
せめて風邪でも引いたら、付きっ切りで看病してやろう。
そう決めた俺は、未だに震えているエルフィに『アイテム創造』で作った分厚い毛布を被せかけ、火魔法を使って一瞬で体を温めた。
小声でありがとうございます…と呟いたエルフィは、次の瞬間、何か思い出したかのようにドンッと立ち上がり、台所キッチンへと早足で向かう。
ああ、煮込み終わったのか…
と、エルフィの突然の奇行について理解した俺は、一瞬で冷え切ってしまった体を更に温めるため、自分用の毛布も創造した。
ーー何の煮込みかまでは指示していなかった為だろう、出来上がったのはシチューだった。
体の芯まで冷え切ったこの状態にある今、シチューはこの上なく有難いメニューではあるが、暑い暑いと帰って来たご主人様にシチューを用意するとは…
公爵家のメイド長であろうと、生まれ持ったセンスまでは変えられなかったらしい。
もしもあのまま何事も無く、ごく自然に食卓にシチューが上がっていたとすれば、さしもの俺でも笑みを浮かべる事は出来なかっただろう。
まあいいか。
先人達は言ったのだ『終わり良ければすべて良し』と。
「どうぞお召し上がり下さい、ご主人様!」
何処か浮き浮きしたエルフィの言葉に、俺は疲れた笑みを見せた。
ただ、目の前にあるシチューにはあのムニルが大胆にぶつ切りにされてブチ込まれているのだ。
俺の笑みは、自然と綻びを得ていった。
ーー前に一度、俺はムニルの刺身を食べた事があった。
当然、醤油でだ。
そう、何故かこの世界には醤油や味噌といった日本の調味料が当然のように使われていたのだ。
おかしいおかしいと思って来たが、益々雲行きが怪しくなってきた。
ーーってかあるんなら屋敷でも使えよ糞師匠!始めて見た時驚きすぎで変な声でたわ!!
ちなみに、今アラスが食べたい食材、堂々の1位を飾る『米』は、魔界でしか食されていない。
いつか魔界にいくことがあれば、是非とも食べさせて貰いたいものだ。
先程、ムニルは鯛のような白身魚だと紹介したが、実際の所その姿形は鮫の様で、大きさは鰹と同等だ。
味は鯛のような味に鮃の食感で、鮭に酷似したさっぱりとして、口当たりのいい甘い脂が特徴的だ。
まさに美味。
値段は日によって変わるが、10切れ金貨一枚は固いとされている。
その理由は類稀なる味だけではなくその希少性と凶暴性にあり、ムニル自体がAランクの魔物だとされている。
Aランクの魔物ともなれば、漁船一隻で対抗出来る相手では無い。
そのため、狩る際には相当数の漁師が集まり、専用の機器を使って合同で狩るという話だ。
話は最初に戻るが、シチューに魚介類を入れるのは至難の技であることを、一度でも試みた事のある人は良く良く理解していると思う。
必ず身がほどけてしまい、グチャグチャになってしまう為である。
しかし、流石はAランクの強さを誇る魔物の一部、煮込まれるくらいでは身崩れせず、煮込む前と同じ形を保っていた。
手を合わせ、頂きますと呟いてからスプーンを手に取る。
そのスプーンは、ゴルフボール大のムニルの身を掬い、俺の口へと運ぶ。
「むぐ……うん。うまいよエルフィ。ほら冷めないうちにエルフィも食べてくれ」
成る程、煮込むと絶品だという噂は、間違いなく真実のようだ。
ムニルは、溶けるような舌触りで、豊満な旨味を口いっぱいに広げた。
「わぁ、嬉しいです!」
と声を弾ませたエルフィは、スープを飲み込み、実に幸せそうな顔をした。
そういえば、改めてエルフィに聞かなければならない事が2つあった。
「なぁエルフィ。エルフィの自室を用意してもいいと学園長が言ってるんだが…ほら、年頃の男女が同じ部屋で寝泊まりっていうのは色々と問題があるだろ?」
これが1つ目だ。
ついでに言うなら、寝ぼけた風を装って勝手にベットに侵入してくるのをやめてほしい。
エルフィ用のベットは、ちゃんと作っているのだから。
俺のその言葉を聞いたエルフィは、その長い耳を悲しげに震わせた。
「ご主人様は、私と同じ部屋で寝ることがそんなにお嫌ですか…?」
「うん。ヤダ」
「い、嫌がられるような所は全部直します!お願いです、お側に置いてください…」
悲痛な表情でそういうエルフィだが、正直、このまま側に置いておくのは危険だと考えている……いや、まだ、奪われてないよね……?
何がとは言わないけど、言うなればナニをだけど……
心配すぎて死にそうだ…いや、マジで。
それにしても、直すと来たか。
では、問題点を教えてあげよう。
「じゃあエルフィ、まず、俺の部屋から下着を盗むのを辞めてくれ」
「あれは、洗濯するために…」
「いや、洗濯はいっぺんにやってるだろうが。何で洗濯した後の下着を盗んで行くんだよ」
「いえ、幾つかの下着は洗濯せずにとっておいて……あ!」
「あ!じゃねえよ!何とんでもねぇ事暴露してんだよ!」
てへへ。
と笑って誤魔化すエルフィ。
可愛い。
だが、騙されないぞ。
今言ったこと、ちゃんと覚えて置くからな!
とはいえ、洗濯の仕方など知らない俺は、エルフィに頼むしか無いのだが。
取り敢えず、次の問題へと移る。
「次、お前…この前俺の料理に惚れ薬仕込んだよな。あれ、どういう事だよ」
何故それを知っているんだ!?という表情を浮かべるエルフィ。
恐らく、効果が無かった為、粗悪品だったのだと思っていたのだろう。
≪異常な護り≫の『状態異常完全無効化』に反応があったため≪紫水晶の魔眼≫の『選別眼』で料理を見たところ、惚れ薬との表示があったのだ。
あの時、俺は、マジでビビった。
惚れ薬は、馬鹿みたいに高い薬だ。効果はどれほど上手に作られた物でも3日と持たないが、それでも凄まじい影響を及ぼす。
ちなみに、惚れ薬はこの国の法で固く禁じられている。
「あ、アレはメイド長が…」
「…………」
絶句した。
信じられん。
いや、確かに金貨10枚以上する劇薬をエルフィが持っていたからには誰か協力者がいたことを勘繰っていたんだが…
「ほ、他にもまだまだあるぞ。とにかく、このまま俺の部屋で生活していたら何かとんでも無いことが起こるかもしれない。細かい事は後々教える」
「そ、そんな…」
「いや、そんな絶望し切った表情をされてもな…ああ、2つ目の質問だが、『幻影の魔女』の研究所が何処にあるか、知らないか?」
これについては、藁にもすがる思い。というやつだ。
今まで王都で生活していた訳でも無いエルフィの事だ、『幻影の魔女』の名前を知っているかどうかさえ怪しかった。
それでも、もしかしたら
ーーそんな軽い期待と共に、俺はゴクリと生唾を飲み込んだ。
案の定、エルフィは戸惑ったような表情を浮かべた。
「え?『幻影の魔女』の研究所ですか?それはまあ、知ってますけど……」
ーー目ん玉が飛び出た。




