19話 『ピッグ』謎の化け物
恐れ慄き叫び出す人々。
「東門だ!東門から化け物が出たぞー!!!」
そんな声が彼方此方から響き渡る。逃げ惑う人々。彼らが恐怖するのは、汚らしい人型の化け物。
その化け物は魔法師の特殊部隊を瞬く間に摩訶不思議な術で倒し、平民街に進出してきた。辺りに漂うのは劣悪な激臭。とても人が発していいものだとは思えない。
魔法師の特殊部隊、通称『国王の杖』の援軍として事態の鎮圧に派遣された上級騎士隊、『国王の騎士』は謎の化け物に突撃した。
「うぉおおぉおおおおおおお!!!」
大気を震わせるような雄叫び。正体不明の敵はただ近ずくだけで『国王の杖』を瞬殺したという。だが、それでも騎士は愚直に突撃する。
彼らにとって、突撃こそが騎士道。猪突猛進が誇るべき戦闘技術。30を超える剣術、槍術、斧術、槌術の達人たちはその化け物に各々の得物を当てようと必死になった。
ーーしかし、それに対して化け物は微かに息を吐き出しただけ。心なしか薄汚く見えるその吐息は瞬時に『国王の騎士』の優秀な騎士達を叩きのめした。
そう。本来遠距離から攻撃出来る筈の『国王の杖』は『コレ』にやられたのだ。王国において重要な戦力たる彼等を一瞬で葬り去るその化け物の姿に、遠くからその光景を見ていた全ての人が恐怖した。
スラムの住人も、普通の平民も、大金を持った商人も、運悪くこの大事件に巻き込まれた数人の貴族も、当然、どんな種族であろうと、誰も彼もが肩を抱き合い、恐怖を和らげようとした。
一人が言った。
「ああ、ラファエール様…我ら信徒をどうか、どうかお助け下さい……」
と。その言葉を聞いた者たちは口々にその言葉を繰り返し始めた。だんだん広がる言葉の合唱。
だが、助けは来ない。あの人型の化け物は徐々に、本当に微々たる速度だが此方に近づいて来ている。彼が近づく度に足元で倒れている『国王の騎士』の騎士達の痙攣は激しさを増した。
先程の『国王の杖』のメンバーは皆、倒された後で泡を吹き始めた。ああ、『国王の騎士』の比較的若い男の騎士が泡を吹き始める。
ーーおぞましい
この光景を見たものは誰もがそう思った。
我々も、こうなる運命にあるのか………先程、一人の若者が立ち上がり化け物から距離を取ろうとした。実に真っ当な行動だ。
だが、その若者に対して化け物は吐息を吐き出しただけ。たったそれだけで若者は気絶した。目方でも30ユルはあるのだ。この距離でも瞬殺……最早、立ち上がる者は一人もいなくなってしまった。
子供達の鳴き声。あまりに悲痛なその声は大人達をも絶望の淵に立たせた。既に合唱は止んでいる。辺りに響くのは化け物の足音のみとなった。
「ああ、ここまでなの…?子供は、子供だけは助けてよ…!!」
女の悲痛な叫びに、誰もが心を痛めた。
そうだ。子供だけでも、我々大人が助けるべきだ。これが…人生最後の大勝負になったとしても………
王都最大戦力の一つである『国王の杖』、『国王の騎士』をものともしなかった化け物に自分たちが勝てるとは爪の先程も思っていない。だが、子供たちを見捨てる訳にはいけない。
全ての大人の心が一つになった。『子供たちを助けよう』その思いが血肉を動かす。死地に向かうことすら物ともせず、一人の女性が立ち上がった。
次の瞬間ーー
一人の、たった一人の男が突如として目の前に現れた。いや、『男』と呼ぶ程の年齢には見えない。『少年』と呼ぶべきだろう。
本物の黄金だと言っても差し支えない金の髪は、揺れる度に辺りを照らす。『少年』の周りは光で満ちていた。
『少年』は此方を向いてフッと微笑みを浮かべる。誰もが息をするのも忘れた。
黒を貴重とし、金と真紅の糸で刺繍を施されたローブ。裏地は血のような赤色だ。どれほど高価な素材を使い潰せばあれ程の色艶を実現できるのだろうか…
腰には見たことの無いおかしな形をした剣を2本差している。鞘の彫刻と装飾から予想するに、Sランクの武器であることに間違いは無い。いや、もしかしたら伝説と言われる『神器』なのかもしれない。
右耳には妖しい光を放つ銀色の片眼鏡をかけている。瞳は右目が紫苑色に近い透き通るような紫で、左目が常盤色のような重厚な緑。
その場にいた者は一人の意見も違えずこう思った。
『ラファエール様の使いだ…天使が、天より舞い降りて来たんだ……』と。
誰が言い始めたのかも知れない神頼みは、ついに実を結んだ。手を合わせて感謝の意を天使に示す。
ーーこれでもう大丈夫だ……
人々の心から、恐れは消え、安心感だけが心を満たしていた。
▲▽▲
あの部屋を出た俺は、やっとの事で屋敷から出た。本当に長かった。≪瞬間移動≫を使おうかとも思ったが、人の家……人の城で魔法を使うのは失礼かな…?と考え、大人しく歩いて外に出る事にした。
だが、俺はもう決めたぞ……!!次はそんな配慮はせず、とっとと≪瞬間移動≫を使って帰る!高々帰るってだけの事に毎度毎度こんなクソ長い時間掛けてたまるか!!
そう決意した俺の足取りは軽い。まだ太陽はそう傾いていない。夜更けまでの時間は十分あるだろう。
この辺りの地面は雪のように白い。土に石灰でも混じっているのだろう。
真っ白で穢れのない大地を見ながら、俺は真っ先にどこに行くべきかで迷っていた。
最初は王都の冒険者ギルドに行くつもりだったのだが……あの豚の件…流石に終わってるよな…?
俺は…不安だった。俺のやった事で人に迷惑をかけるのは出来るだけ避けたい。俺が東門を去っておおよそ一時間とちょっと。魔法師の特殊部隊が事態の解決に向かったと聞いたし大丈夫だと思うが……
逆に解決出来てなかったら……いや、だって門番7人を瞬殺したんだろ?あいつの戦闘能力でそんな事をするのは不可能……
つまり!あの豚の武器は強烈な匂い!!それも、何人もの大人を瞬殺する程の!!!
な、なんて事だ…俺は……俺はとんでもない化け物を生み出してしまった……
ってか本当に心配になって来たぞ……
よし、決めた!俺はまず東門に行って事態の経過を知る!解決してれば万々歳!してなければ俺が解決してヒーローになる!!
ーーさあ、早速東門に行こうか。
ほんの少しだけ強い風が吹いた。揺れる草花。騒ぎ出す木の葉。既に、そこにアラスはいない…
〜プタ・テプールside〜
あの日囚われてからどれほどの時が経っただろうか。ここは地獄のような場所だった。どれほど叫んでも相手方から一切の反応は無い。排出物は増えるばかり、最早、『人』に対する扱いとは言えない。
更に酷いのは飯が無い事だった。食べるものに困るという経験は始めてだった。
必死で泣き叫んで許しをこうた。だが、それでも一切の反応はない。
堪り兼ねて自殺を計画したが、実行する勇気も無い。光は一切入らず、目に映るのは闇ばかり。それはつまり、日付が変わった事にすら気づかない事を意味する。
この拷問の終わりはいつまでたっても見えてこない。もしかしたら、永遠に続くのではないかと、死ぬまでこのままなのではないかと、そう、覚悟した。
もう何も分からない。あの魔貴族たちを監禁していたのが許されない事だったのだろうか?それとも帝国と手を組んだのが許されない事だったのだろうか?
いや…そんな筈はない。儂のやる事に間違いなどない。儂のやる事こそが正義。つまり、あの忌々しいガキは悪だ。
絶対に許さない。悪を滅ぼしてやる……
そう考え続けて、悠久の時が経ってしまったかのように感じ始めたその時。闇が破れた。余りにも懐かしい『光』に思わず目を瞑った。
ーーようやく目が慣れた。ふと周りを見渡すと何人もの男が転がっている。闇の柵を破ったのはこの男たちなのだろうか?
分からない…何も分からない。
取り敢えずドアを開いて外に出た。その瞬間、目の前にいた大勢の人々は地に伏した。何かと思って近ずくと、今度は泡を吹き始める。
訳が分からない。まあ、そんな事はどうだっていい。
ここはどうも王都の東門らしい。以前ここに来たことがある。王都…つまりあの糞餓鬼がいる筈だ。
コロス…アイツダケハコロス……
決意が胸をよぎる。
既にその時、プタ・テプールには大した理性は残っていなかった。あるのは唯あのガキをコロスという醜い意思だけ。
暫くすると、驚いたことに『国王の杖』の魔法師が目の前に現れた。
何故『国王の杖』が…?豚は疑問に思った。あの部隊は基本的には何もしない。戦争時にほんの少しでも優位に立つためだ。所謂、情報戦。これに勝利した国が戦争に勝つと言っても過言ではない。
だが、本来、不信感を抱き警戒すべき事態でも、豚には関係のない事だった。
ああ、保護してもらえる…そう期待して手を伸ばしたプタ・テプールは驚くべき光景を目にした。『国王の杖』の魔法師たちは呪文詠唱を始めたのだ。
何故だ…?何故儂に危害を加えようとするのじゃ!!そう言おうとして口を開くと、瞬く間に『国王の杖』は壊滅した。
何が起こったのか、全く分からなかった。分かったのは自分が何か強力な力を手に入れたということ。そう。きっとラファエール様が儂に力を下さったのじゃ!!(力(?)を与えたのはアラスです)
それが分かれば話は早い。何故か近づくだけで泡を吹き始めた『国王の杖』の連中を無視し、あの忌々しい糞ガキを探すために門をくぐった。
何故か響き渡る叫び声。普通なら流石に何故こんな事になるのかを気にし出す頃合いだが、豚にそんな知能はない。
また暫く歩くと、次は『国王の杖』の騎士達が出て来た。またしても強大な敵だ。以前の自分では太刀打ち出来なかっただろう。
しかし、今は女神様より頂きし力がある!(繰り返しますが、力(?)を与えたのはアラスです)儂は勝利の宣言をしようと口を開いた。
次の瞬間、何故か『国王の騎士』の騎士達は皆倒れた。凄い。なんて強大な力だ。これならあの小僧も倒せるかもしれない。
遠くに怯えている女子供が見える。もう随分と溜まっているし、あやつらではっさんしてやろう…
豚は下卑た笑いを顔に貼り付けた。
するとどうだろうか、突如としてあの生意気な小僧が目の前に現れたではないか。ああ、またしても女神様が儂にプレゼントを下さった。
豚は走り出した。2人の間を一陣の風が通り抜けた。
ーー戦いが、はじまる。
▲▽▲
≪瞬間移動≫で街中に転移した俺は安堵の笑みを浮かべた。もし俺が転移したその場所に何かがあれば、それが物なら木っ端微塵。それが人ならスプラッタ。
どちらにせよロクなことにはならなかっただろう。
ん?何故そんな危険な事をしたのかって?……べ、別に忘れてた訳じゃない。ちょっとだけ記憶の一部が失われていただけだ……うん。
ふと周りを見渡す。先程から感じる鼻につく激臭。もしかしたらこの辺りは暫く完全封鎖されるかもしれない。
遠くにあの豚…?かな?よく分からんが汚らしい人型の何かが見える。
あの変なのの足元には騎士っぽい格好をした人が30人程倒れていた。可哀想に……泡を吹いているじゃないか。どれだけ臭かったらああなるんだろう?
更に遠くの門の付近を見ると、これまた20人程の魔法使いっぽい格好の人が倒れている。あ、魔法師たちも泡を吹いている。情けない奴らだ。あんな豚っぽい何かに負けるとは。
それにしても……俺の嫌な予感が見事に的中していやがる。しかもさっきから首筋にチクチクするものを感じる。それは先程から感じる複数の視線だ。なんとなしに笑顔で振り返ってみると、目を輝かせた30人程のいろんな種族の大人や子供がいた。
何故俺をそんなキラキラした目で見るんだ…?まあ、いいか。俺は巫山戯てウインクをかました後、あの豚っぽい何かを見る。ああ、後ろから歓声が聞こえる…
………あれ?男からのも混じってる…?いや、俺は女の子の歓声が貰えたらそれだけで良かったんだが……
まあ、せっかく応援してくれているのだ。有難く頂戴いたそう。
あの豚っぼい化け物。通称『ピッグ』を(俺が今考えた。そのまんまだって?気にするな)倒す方法は実に簡単。まず、激臭を嗅がなくていいように無色透明な≪結界結≫で俺の頭を覆う。
その後、雷魔法第一階級≪雷砲≫を使えばいい。仕上げに『ピッグ』も≪結界結≫で囲えばそれで終わり。
ーーさあ、さっさと終わらせて冒険者ギルドに行こう。
身の危険を感じたのだろう『ピッグ』が唐突に走り出した。強力な匂いだ。ってか10日もあんな残飯だけ食ってよくあんなに走れるな。やっぱり蓄えていた脂肪のおかげか?
ーー俺は無詠唱ですぐさま顔を≪結界結≫に覆わせた。これで匂いはもうしない。多少息苦しくはなるかもしれないが、どうせ勝負は一瞬で終わる。
俺の右手を電流が迸った。狙うのは頭。一瞬で気絶させる!一瞬、ほんの一瞬だけ光が強くなる。
発動!!
ーー≪雷砲≫は『ピッグ』の頭を丸焦げにして通り去った。前のめりに倒れる『ピッグ』。
あ、あれ?死んでないよね?まあ、死んでたら生き返らせよう。…あ、生き返らせても記憶が無くなるから意味ないじゃん。………うん。死んでない死んでない。大丈夫さ。……多分。
ーー恐らく、魔法師の特殊部隊とやらは≪結界結≫を頭にかぶるという下準備を怠ったのだろう。二つの部隊が壊滅しているにしては実に簡単な化け物退治だった。ん?騎士達の敗因?考える必要ある?アレ、確実に突撃したよね?騎士、馬鹿過ぎじゃね?
仕上げに≪結界結≫で『ピッグ』を囲い。ついでに風魔法第四階級≪聖なる竜巻≫の威力を最低に設定して放った。これで悪臭は無くなる…はず。……無くなるよね?
こうして、一分もかからずに『ピッグ』の捕獲は終了した。
俺は≪結界結≫を解除。
暖かい春の風が足元を過ぎ去る。
ーー臭い。ヤバイな。これはどうしようもないかもしれない。
早くこの場を離れよう。そう思った俺は先にラフィスに聞いておいた冒険者ギルドのある方向に足を向けた。ーーが、
「ああ!お待ちください天使様っ!せめて、せめて名前だけでもお教え下さい…」
一人の女性がいきなり俺に走り寄って来て、そんな事を言い始めた。天使様って……俺?
……は?いや、え?何でそうなった?俺が天使?な、なんだ?何が起きているんだ!?おい、ラファエール!今すぐ説明しろ!今何が起こっているのかを!!
「………………。」
返事は、返って来なかった。クソっ!こんなわけ分からん事態を放置していいと思ってるのかラファエール!!お前だろ?どうせお前が何かしたんだろ!?
(勝手な思い込みです)
「そうです!お名前だけでも…ッ!お名前だけでもお教え下さい!!」
座り込んで『ピッグ』に怯えていた大体30人くらいの人々が走ってきて口々にそう言ってくる。鬼気迫る表情とはこれの事だろう。
ーー流石にちょっと怖いぞ…そもそも俺は人間、つまり人族だ。天使じゃ無い。……あ、俺≪現人神≫になったから神族の括りなのか?うーん、分からん。
まあ、とりあえず質問には答えるべきだろう。どんなに気味が悪くても。
「俺の名前はアラス・アザトースだ。一応人族、天使じゃ無い」
俺は突っぱねるようにそう言った。しかし…
「アラス・アザトース!史上最速でSランク冒険者になった少年の名前だ!!同一人物なんですよね!?」
こんな声が多数出現。俺の周りはお祭り騒ぎだ。ウザい。勘弁して欲しい。
「あ、ああ。その通りだよ」
俺は気圧されてそう言った。何かこの人達には狂信者じみた物がある。余り関わり合いになりたくない。俺にそう思わせるなにかがこの人達にはあった。
怖い……早くギルドに行って用事を済ませたいな…
「そ、その…今から冒険者ギルドに行きたいんだけど…通してくれないか?」
ちょっと吃りながら俺がそう言うと
「お前ら!例の化け物は何処だ!『国王の弓』が加勢しに来たぞ!!」
という威勢のいい声が聞こえてきた。最悪だ。どうやら援軍が来たらしい。面倒な事になった…そもそも俺は冒険者ギルドに行きたかっただけなのだ。こんな奴らを相手する必要は全くない。多分。
俺はすぐさま火魔法と風魔法の応用で煙幕を作り出し、その場を離れた。
ーーしまった。余計ややこしいことなったか……?まあいい。とっとと当初の目的を果たそう。面倒ごとはもう懲り懲りだ。
今度こそアラスは冒険者ギルドに向かって足を踏み出した。
ん?10日間飲まず食わずで歩けるのか?とか、10日間そんな生活をしてると人が瞬時に気絶するくらい臭くなるのか?が気になったって?
ーーそれはお前……ファンタジーだし。気にすんな。




