【5】
「DOGS! ~戌亥ポートアイランド騒動記~」は【じょぉん】を言いだしっぺ兼代表とする物書き仲間同士による共同執筆作品です。
本作品は【椎菜】による著作であり、当人の許可を得て投稿しています。
教会、魔術結社、更には人外…魔物・魔族の集団。
古来より人知の及ばぬ超常の力が入り乱れる欧州、とある人狼の群れがあった。
闘争と殺戮を友とし、暴力の化身であり人類の敵…そんな人狼であるにも関わらず、彼らの目標は「人類との共存」。
歴史を動かし、世界を動かすのは人間に他ならないという事実を認め、人狼の地位向上、名誉回復を図るという思惑こそあったが、しかしその行動は異端に他ならない。
本来狩るべき相手である人間を守護するということは、同類からさえ理解を得難いものだった。
だが彼らは100人程度の小集団であるにも関わらず、実力で抵抗勢力を押さえ込み――今や欧州の魔の勢力の中では強い発言力を確保するに至っていた。
「牙無き人の牙となり、暗黒の闇夜に暁を呼ぶ」
それこそが理想。それこそが目的。――いつしか彼らは自らを”暁の牙”と名乗るようになっていた。
そして今、地上のあらゆる超常を詰め込んだ不思議の国、戌亥ポートアイランドに、”暁の牙”は一人の少女を送り込む。
彼女の名はヒルデガルド・シュナイダー。
これは、白き狼が駆け抜けた、もう一つの”DOGS”の物語である。
<2026年4月25日(土)7:10 東京国際空港>
フランクフルト国際空港から約12時間の空の旅を終えて、ヒルダは羽田…東京国際空港に降り立った。
とは言え、時差のために日付は既に翌日だ。
朝に発って朝に着いたというのは奇妙な感覚だが、ひとまず時差ボケはそう深刻なものではなさそうだった。
まだ早い時間帯ということもあり、空港内のカフェで軽くひと息ついていた頃、ヒルダの携帯が鳴った。
「んー?」
既に携帯電話が世界中どこでも通話が可能になって随分経つ。
ヒルダの身を案じた両親が早速かけてきたのかと思ったが、ディスプレイで確認した発信番号は未登録のものだった。
何はともあれ、ヒルダは電話に出てみることにした。
『おはようヒルダ。俺だ…稜牙』
「稜牙さん!? おはっ、おはようございまふ!」
無事に日本に着いたせいもあって、一瞬の気が緩みがあったのは否定できない。思いがけない相手からの電話に、ヒルダはつい慌ててしまった。
『悪いな急に。もう羽田には着いたのか?』
「はいっ。お陰さまで」
『うんまあ俺のお陰である筈はないんだが…そんなことはいい。お前、東京の地理は分かるか? 来た事あったっけか』
「いえ。今回が初めてですよ?」
群れの活動は世界中で行われるが、ヒルダにとってはアジア圏に出張ること自体が珍しい。
東京どころか、日本自体訪れたことはなかった。日本の知識は本で読んだ以外は、母や稜牙が話す内容から得たものが殆どだ。
『そうか…俺が行って此処まで連れて来りゃいいんだろうが、生憎店も空けられなくてな。その代わりっちゃ何なんだが、俺の古い知り合いが居てな…そいつも今日戌亥に来る用事があるんだ。で、ついでに案内を頼もうかと思ってな』
母は言った。東京の混雑ぶりはベルリンやシュトゥットゥガルトの比ではないのよ、と。
日本人でさえ地方から初めて東京にやって来た者は交通の利用法が分からず、そういう者を「おのぼりさん」というのだと。
ヒルダとしては、初めての訪日のスケジュールをスムーズにこなしたい。そのため、第一歩から躓くことは避けねばならなかった。
「そういう事なら、是非お願いしたいです。稜牙さんのお知り合いなら間違いはないでしょうし」
全幅の信頼を込めて、そう返事をした。
『そうか。…まあ、性格に難っつーか、癖が強すぎるところはあるが…悪いヤツじゃないからな。そこから東京駅までは行けそうか?』
「ええと…はい、大丈夫だと思います。鉄道を使えば一本で行けそうです」
熱心に何度も熟読したガイドブックを開き、改めて移動手段を確認する。
『ああ。なら、10時に東京駅で待ち合わせって事で心づもりをしといてくれるか。詳細はメールで送る、相手の写真も付けてな』
「あ、はい。分かりました!」
『オーケー。じゃあまた後でな、何かあったら気兼ねなく連絡してくれ。俺の番号登録しといてくれていいから』
「はい! ありがとうございます!」
通話を終えるや否や、ヒルダはその申し出に甘えて早速電話帳登録を実行した。
日本で初めて登録する相手が稜牙さんだなんて! などと、すっかりご機嫌になってしまうヒルダであった。
<2026年4月25日(土)10:00 東京駅 八重洲口>
ヒルダは稜牙からのメールを今一度確認した。
添付された画像ファイルをまじまじと見、待ち合わせ相手の風貌をしっかりと頭に叩き込む。
…のだが、どうしても引っ掛かってしまうところがあった。
「どう見ても、子供……だよね」
カメラ目線でVサインを送ってくる、小さい女の子。何度確認しても、他に人物が写っている様子はないのだ。
しかし、これがただの女の子ではなさそうだというのはヒルダにも何となく分かった。
随分と質のよさげな着物を纏い、艶やかな亜麻色の長い髪を靡かせたその姿は子供ながらに妖しいほどの魅力を湛えている。
メール本文には八重洲口近辺の目印についての説明と共に、「玉之緒」という一言が添えられていた。どうやらこの子の名前らしい。
「タマノオ…って読むのかな?」
この一ヶ月で更に徹底的に向上させた日本語力を駆使して、その漢字を読み上げたその時、
「うむ。いかにもワシが玉之緒じゃが」
不意に、至近からそんな声がかけられた。
「ひゃわっ!!?」
あまりに突然のことだったので、素っ頓狂な声を上げて驚くヒルダ。
携帯を取り落とすことは避けたが、思わず本性である狼の耳がポンと飛び出してしまい、慌てて両手で隠した。
「何もそうあからさまに驚くことはなかろ。ただ声をかけただけじゃっちゅーのに、何やら申し訳ない気分になるじゃろが」
「はわわわ…す、すみません! わたしこそ! つい携帯に気を取られてしまって…!」
狼の耳を引っ込めつつ、ヒルダはぺこぺこと頭を下げた。
玉之緒はそんなヒルダの様子に、思わず苦笑を浮かべる。
「ヒルデガルド・シュナイダー。間違いないかの?」
「はいっ。えと…タマノオさん」
「うむ、なかなか日本語が達者じゃの…ま、ワシのことは「お玉」でええ。そう畏まる必要はないでの」
「じゃあ、おタマさん。今日はよろしくお願いします」
礼儀正しく背筋を伸ばし、ぺこりとお辞儀をする。ヒルダのそういう真面目なところはお玉も満足したらしい。
「ん。見目は若いが、殊勝な態度じゃ…感心感心」
などと、しきりに深く頷いてみせたのだった。
それにしても、見た目というならお玉こそヒルダよりも遥かに年下に見えるのだが――しかしそこはヒルダも人間ではないのだ。人間の基準で迂闊な物言いをしない、ということは徹底していた。
そう、この時点で既にヒルダはお玉が人間ではないという事を完全に察知していたのだ。
(こうして直接会うと、尚更只者じゃないって感じ…)
先ほど画像で確認した時に抱いた感想は、益々強いものへとなっていた。
妖艶とさえ思えるお玉の雰囲気――その正体は、今ならはっきりと分かる。全身から発する”妖気”だ。
勿論、そこらの有象無象のように、やたらと撒き散らしているわけではない。じっと押し殺し、完全に人間に擬態している。
だが、だからこそ分かる。ほんの少しだけ嗅ぎ付けられるその気配の密度の濃さが。冷たく鋭い、圧倒的な質が。
「ま、此処で立ち話も何じゃ。ヌシ、朝メシはもう済んだんか?」
「いえ、まだ。空港で軽くお茶した程度です」
「うむ、ならまずは腹ごしらえと行こうかの。とにかく横浜まで出るとしよう、ええトコ案内しちゃるわい♪」
そんな大妖の貫禄を持つお玉だったが、振る舞い自体は至ってフランクであるらしい。
お玉に連れられるまま、ヒルダは駅構内へと向かった。
<2026年4月25日(土)12:15 東京湾海上/横浜港発快速モノレール『よもつひらさか』車内>
横浜中華街で軽く食事を済ませ、ヒルダとお玉は戌亥ポートアイランドへと直結するモノレール車内にいた。
流石は自信満々に案内を買って出ただけはあり、お玉の薦めるスポットは大当たりだった。
特に中華まんというものに開眼できたことは、ヒルダにとっても実に有意義な出来事であったと言える。
「しっかし、長旅をして来たにしては軽装じゃの。ヒルダよ」
「あ、はい。最低限の手回り品以外は全部郵送しちゃってますから」
ヒルダの手荷物は、ショルダーバッグが一つあるだけだ。
両親が揃って異様なフットワークの軽さを誇るシュナイダー家ではあるが、そもそも人狼の習性としてもゴチャゴチャと物を持ち歩くことはない。
常に最低限のものしか持たない。それが彼らの常識でもあった。
「結構結構。お陰でワシも気兼ねなく連れ回せたわけじゃし」
「お詳しいんですね、横浜のこと」
「ふふーん。横浜だけではないぞ、日本中のウマいもんをワシは把握しとる!」
鼻高々、という風に胸を張るお玉。純朴な性格のヒルダでさえ、この人はおだてに弱いのかな、と気付く程だ。
勿論ヒルダとしてはおだてたつもりはなく、純粋に感心したのだったが。
「それにしてもヌシ、何とも愛いのう。月並みな言い方じゃが、お人形みたいじゃ…こりゃさぞモテるじゃろ? ん?」
「ふえ!? そ、そんな…わたしなんて全然!」
不意にお玉から、本気ともからかいとも付かぬ言葉を浴びせられてヒルダは慌てた。
確かに今の服装は気合が入っている。初の訪日であり、また稜牙との再会が待っていることもあり、完全によそ行きモードだ。
シンプルだが爽やかな白地のブラウスに、赤いチェックのプリーツスカート。
黒いストッキングで脚を覆い、ブーツは下ろしたてである。
飛行機を降りてからも入念に髪のセットはチェックしたし、最低限のナチュラルメイクとは言え化粧もバッチリ整えた。
とは言え、ヒルダにとってこれらは当然のことであって、初対面の相手に特別褒められるような謂われはないのだった。
「ほっほっほー。その反応もまた良し、稜牙が気にかけるのも納得じゃわい。…いいと思います」
「そんな真顔で言われても!?」
追い討ちを受けて、ヒルダのパニックは更に加速する羽目になってしまった。
「いやマジで言うとるんじゃがの。少なく見積もっても美少女と呼ばわれるに相応しいと思うが…無自覚っちゅーか何ちゅーか。ま、本格的に学校暮らしを始めてからが色んな意味で楽しみじゃがの」
「もー…変なプレッシャーかけないでくださいよぅ。それに、お玉さんだって和人形みたいで可愛いです。わたしよりずっと」
「む。今ヒルダたんいいこと言うた。よいよい、もっと褒めい♪」
もはや完全にとりあえず褒めとけばOKなお玉だった。と言うか、すぐ調子に乗るタイプらしい。
なぜ名前に「たん」を付けられたのかはよく分からなかったが、ヒルダはひとまず安心した。
実際、妖しさを差し引いてもお玉自身は純粋に可愛らしいと思うのだ。
訪問着という呼称をヒルダは知らないが、そういう着物を着た姿は実に様になっている。
自分でも着物は一度は着てみたいと思うのだが、ここまでバシっと決まるかどうかヒルダには自信がなかった。
「それにしても、おタマさんは稜牙さんとはどういった関係なんです? 古い知り合い、としか聞いてないんですけど」
会話の流れも止められたので、ヒルダは改めてお玉に疑問をぶつけることにしてみた。
「ふむ。関係のう…まあ、友人という程度ではなかろうかの。あ奴との付き合いはかれこれ200年以上になるが」
「200年…ですか」
「おうよ。ワシが初めて会うた時は、稜牙の奴も今よりずっと可愛げがあったもんじゃ…外面の話じゃがな。中身はちーっとも変わっとりゃせんが」
表面的には素っ気無いようで、人当たりがよく他人の面倒を見てばかりいる。
ヒルダにも、そんな稜牙の性格がずっと昔から変わらないというのは頷けた。寧ろ性格というより、本性とか本質とかいう類のものなのだろう。
そして同時に、おタマさんこそ当時から全く外見が変わってないんだろうなあ、ともヒルダは思った。流石にこれは言わなかったが。
「ま、ワシも昔はワルじゃったからのう。あ奴めとは何度となく争ったモンよ」
「え…そうなんですか?」
「うむ。――結局、勝てなんだがな…」
しみじみと言うお玉だった。だがそこには、負け通しで悔しいとか、恨みに思う気持ちはまるで見えない。
いい関係なんだな、とヒルダは感じた。ぶつかりあったからこそ理解しあえる同士となる、という事もあるのだろう。
何より、お玉は「勝てなかった」と過去形で言い切っている。今現在、稜牙とは雌雄を決する間柄にないという証だ。
「その辺の昔話はそのうち、ゆるりとな。こういうのは本人が居合わせんと面白うない」
「あはは、そうかも知れません。楽しみにしていますね」
悪戯に笑うお玉に釣られて、ヒルダもくすくすと笑った。




