【3】
「DOGS! ~戌亥ポートアイランド騒動記~」は【じょぉん】を言いだしっぺ兼代表とする物書き仲間同士による共同執筆作品です。
本作品は【椎菜】による著作であり、当人の許可を得て投稿しています。
ひとしきり談笑に花を咲かせてから、ヘリで送らせるという大佐の申し出を丁重に断わり、シュナイダー母娘は母・ユーディットの運転する白いポルシェ911で帰路についていた。
「ところで、ミランダさんは?」
「基地に残ったわ。彼女が極秘裏にKSKの魔術関連の軍事アドバイザーを引き受けてるって話は?」
「知ってる、けど」
「よろしい。――近く、ドイツ連邦軍内に魔術テロ対策組織が発足される事になっててね。恐らくはKSKの管轄下になるだろうって話で、この所頻繁に接触してるのよ。打ち合わせとか」
「ああ…」
なるほど、とヒルダは頷く。
欧州は古くから魔術勢力や多数の魔族・人外勢力が跋扈する、異常識の坩堝ともいうべき土地だ。
諸勢力はそれぞれが他者を排斥する性格が強く、それゆえに数々の衝突が起きていたのだが、それらはしかし21世紀の今日に至るまで表立って人々の知るところとなりはしなかった。
極めて信憑性の低い迷信、と。科学至上主義を旨とする近現代の価値観が、彼らの存在を社会から抹殺していたからであり――また、彼らのほうでも大多数を占めるそんな価値観に対して興味と敬意を払わず、独自の動きを取り続けていたからでもあった。
だが、この20年でそんな情勢は完全に覆ってしまった。
世に遍く異常識の存在を認め、白日に晒すと。世界中にそんな事を宣言した男が現れたことをきっかけに――彼の目標を形とした”島”、そしてそこに住まうことを選択した”異端者”、これらの出現が世界を変えてしまったのだ。
何も、かの島に居住する200万人が全てではない。
世界にはその何十倍、何百倍という数の異端者が――超能力者が、魔術師が、魑魅魍魎が、超科学の徒が、既に存在している。
後に”戌亥宣言”と名付けられたその男の言葉は、図らずも彼らに市民権を与えたのである。
あらゆる法秩序がそれを認めなくとも、世界中が彼らの存在を知った。
そして彼らもまた、自らの存在を誇示するかのように、あちこちで堂々と活動を始めたのだった。
それは、旧来の世界情勢に対し積もり積もった怨嗟、怨念を吐き出すが如く――多くの場合に破壊と流血を友とした。
このドイツとて、例外ではない。
寧ろ、この地こそが欧州における異常識の最先端であり、最前線であった。
「あれ? という事は…今日わたしがやった模擬戦も、そういう意味で?
つまり、わたしが人外のサンプルっていうか――仮想敵っていう…」
「あら。何、今頃気付いたの?」
途端、ヒルダの笑顔が引き攣った。
「別に、含むところのある話ってわけじゃないわ。寧ろご近所さんだからこそ、よね。相応の実力があって、しかも信頼のできる人外勢力。軍の超エリート部隊にそう思われてるのは悪くないでしょ?」
「それはそうだけど…だったら最初から言ってくれても」
「何言ってるの、そんな事したら貴女絶対手抜くでしょうが。気遣いが行き過ぎて」
「そ、そんな事ないもん!」
「本当に?」
「ほ…本当だもん……多分」
語尾を弱めて俯いてしまう。実のところは自信がない、というのが丸分かりだ。
何事にも気を遣うというのはヒルダにとってこの上ない美点だが、同時に欠点でもあった。
「まあ、戌亥製の新兵器を撃破するっていう実戦テスト、ってのも嘘じゃないし。私たちにとっても、彼らにとっても、この上ない成果だったわよ。そう落ち込まないの」
「落ち込んでないもん…」
それは、頭ではそういう大人の事情というのは理解できる。
だが、ヒルダの内面は多感で傷つきやすい十代の少女のそれと同じなのだ。
俄かに母に同意しかねる複雑なヒルダを乗せて、車は高速道路を抜けていく。
夜の暗闇を、白い車体が地上の流星の如く駆ける。ヘッドライトが闇を切り裂き、行く手を照らし続けている。
だが、鬱蒼と茂る森の木々は、そんな光など大海の一滴であるかのように、深く深く黒い影を落としていた。
車は遂に”黒 の 森”に辿り着いたのだった。
森と一口に言っても、南北に160kmもの長さを持つ極めて広大な土地だ。
内部は起伏に富み、天然自然の雄大な光景が広がる一方、町や村も点在し、車道も通っているのだが――
ユーディットの操るポルシェが走っているのは、道路ではない。いや、地上ですらない。
地下だった。大森林の広い広い地面の下に、秘密の通路が存在しているのだ。
凹凸を見事に削りきった石材を、一分のずれも無く上下左右にびっしりと敷き詰めたその地下道は、アスファルトの路面と変わりない感覚で車を走らせることが出来るほど。
しかもちょうど往復二車線程の幅が常にキープされている。明らかに、自動車での通行を前提とした設計だ。
これを実現したのは確かに職人技には違いないが、人の手によるものではなかった。
人狼を初めとした獣人たちが、魔女が、エルフ・ドワーフ・ホビットといった妖精族が、果ては悪魔や妖魔の類が力を合わせて作ったのである。
人間でこの道を知る者は殆どいない。当然、地図に載っている筈もない。
それぞれの集落に通じた、”黒の森”に住まう者たちのためだけのこの道は、同時に緊急脱出のための役割も併せ持っていたからだ。
天井には魔法を帯びた不思議な丸い石が点々と設置され、トンネルの中を24時間仄かに照らし続けていた。
「しかし、今やエルフだって車に乗る時代だからねぇ。あの大戦で充分世界は変わったと思ったけどね」
「でも、流石に外じゃ擬態してるんでしょ? わたし、外で会ったことないから直接は知らないけど」
「そりゃあね。涙が宝石になるなんて迷信はとっくに廃れてるけど、だからって堂々と世の中に出ていくわけじゃないし。私たちと同じよ、その辺は」
「人でない存在」の全てが人間社会に敵対しているわけではない。
かつて伝承の中にのみ生きていた筈の彼らは、依然として人間と距離を置くものが大多数だったし――ヒルダたちのように、積極的に人間と交流を持つ者たちも居る。
事態が動き出してまだ20年だ。まずは人間社会に紛れ込んで様子を伺う、というのが主流だった。
「――でも、あの島は…戌亥ポートアイランドは違う」
ユーディット・シュナイダーは突如、きっぱりとそう言った。
「何憚ることなく、ありとあらゆる異端の者が闊歩する街よ。まだ純粋な人外勢力って言うと、中国の李家とかそれぐらいらしいけどね…他の殆どは混じりって聞いてるし」
「うーん。別に、力の本質は純血でも混血でも変わらない気がするけど…」
「そういう小さいトコに拘るのが人間ってもんでしょ。まずは少しでも人間寄りのヤツから慣らす、ってね」
母の言葉は、独自の見識に基ずくものだ。そこに嘲りや侮りの意図が無い事はヒルダにはよく分かっていた。
「えーと。そういう系の能力が集まってるのが…確か”第五学区”だよね。サ…サツキ、とか何とか」
「皐月学院を頂点とするエリアね。皐月っていうのは、日本の古い言葉で5月のこと」
母はかなり多数の言語に通じている。日本語も完全に自分のものにしてしまっていた。
ヒルダ自身も日本語については相当の習熟度ではあるが、伝統的な言葉が飛び出すとちょっと苦手だ。
「うん。でも、わたしが通う予定になってるのはそこじゃないんだよね」
「ええ。”第十学区”…錬金学を基にした、神無月学院が君臨するエリア。まさにその神無月に編入って事で、話がついてる」
「え、と…前から思ってたんだけど、何でそこなの? わたしたち、錬金学と別に深い関わりがあるわけじゃないし」
うーん? と首を捻ってしまう。
ヒルダの頭の中には、怪しげな錬金釜や卓上にずらっと並んだ謎のガラス管が色とりどりの煙を上げる光景が浮かんでしまっていた。
「そうね、理由は幾つかあるわね。先のシュトゥットゥガルドの一件で、そこのボスの”第十議席”には借りがあるとか。稜牙が住んでるのもそのエリアだから、貴女の面倒を色々見てもらうのにも都合がいいし」
「そっか…リョーガさんやル・フゥ君たちが居るところなんだもんね」
その事実を失念してしまうほど、ヒルダもうっかり者ではない。その一件からまだ1年も経っていないのだし。
しかし、そんな「家が近所だからその学校にしました」みたいな理由が決め手になるとは思えないのも確かだ。
ヒルダがそう考えていると、ユーディットは先を続けた。
「でも、そもそもの誤解があるわね。錬金学って言っても、パラケルスス派みたいな中世依然としたものじゃないのよ。今という時代に沿って変容を果たした錬金学…いわば現代錬金学、と”第十議席”は主張してるわ」
「えーと…それって何が違うの?」
「ま、簡単に言えば――何でもあり、ってところかしら? かつての錬金学が釜にあれこれ材料を放り込んで物質合成を目指したように、あらゆる学問、知識、技術…果ては概念すらも一所に集めて融合させる。混濁の島にあって更に混沌。科学や魔術、種族に民族、全ての壁がそこには存在しない…そんな場所ね」
絶句するしかなかった。ル・フゥと名乗る少年がドイツに訪れた時には、そこまで突っ込んだ話は聞かずじまいだったというのもある。
しかし、それを抜きにしてもただ驚くばかりのヒルダだ。世界が変わりつつあるのは確かだが、今この時点で地上にそんな場所があるなんて。
「…そんなのアリなの? だって、統括理事会っていうのは…科学や魔術の陣営から選りすぐりのVIPが集まってるんでしょ?」
「そういう面々に対して、しれっとそういう事のやれる人物だってことね。”第十議席”っていうのは。――何より、その学区のあり方は…「あの宣言」の指した世界の理想図そのものだっていうのが面白いじゃない」
「え…。それって――」
ヒルダは察した。母が何を言わんとしているのか。
20年前の”宣言”を行った男は、未だに何処の誰とも正体が知れないが…小さいながらもその理想を形にした場所がある。
――ならば。そこを統括する人物とは。
「まあ…これは単なる私見なんだけどね。本人にただしたわけでもなし」
結論は、しかし母のその一言で霧の中に留まった。
「話が逸れたけど、そういうわけで…人外の勢力から留学生を送り込むのに不都合はないってこと。さっきも言ったけど、皐月のほうはまだ混血ばかりで充分な体制とは言い難いしね。尤も、近くウチとは別口から純粋種の人外を招くって話があるとか聞いてるけど」
「はわぁ…なるほど。確かに色々あって決まったってことなんだね」
何だか一気に大量の情報を頭の中に刻み込んだような気がする。
ヒルダは大きく深呼吸して、その整理に務めた。
「ま、貴女はそういう裏事情は気にしないで…日本の学校生活を目いっぱい楽しんで来なさい。たくさん学んで、たくさん友達を作って、たくさん思い出を作ってくるといいわ」
「うん。そのつもりだよ、お母さん」
「よろしい。…とは言え、日程が本決まりじゃないからこんな事言うのちょっとフライングかなって感じだけどね。まあ、遅くても4月のうちには向こうに送り出せると思うけど」
「調整、難しいの?」
「んー。戌亥側はいつでもOKってことだけど、こっちの情勢がね。未だにあちこちキナ臭いし、話を通しとかないといけない陣営も多いし――」
溜息混じりにユーディットは呟く。
「中でも一番の頭痛の種が、ね…」
ヒルダも頷き、それに続いた。
「――”ヴァナルガンドの爪痕”…」
眉間に皺を寄せて、目を細める。
白いポルシェは迷宮のようなトンネルを抜け、母娘の暮らす集落の真下へと辿り着くところだった。




