【18】「どうあっても」
「マジなんなんですよあの数字だきゃァ…? 例えばあの一〇分の一の金額だって、俺め、いっぺんに手で持ってみたことなんざありませんでよ…?」
風に吹かれる木の葉のような足取りで購買部を後にした白黒の姿は、気持ちまだ白くカサついていた。
歴代物九郎にしてやられてきた恨みがどうとか息巻いて襲い掛かって来る妖怪変化どもを相手に立ち回ったり逃げ回ったりしている時以外、基本、首根っこを三毛次に咥えて持ち運ばれながら野良猫の振りをして生きてきたような白黒である。とりあえず人間社会を眺めながら育ってきて、時折興味本位でうろついてみたりなどもしたものの、そこで当然のようにやり取りされている「通貨」という概念については、理解していこそすれあまり関わらずにきたというのが正直な所だった。
今あなたにはこれだけの金が必要ですと突然突き付けられても「意味は分かるが実感が湧かない」とでも言えばいいのか。心境はひたすらこんがらがっていた。
とにもかくにも、取り分け今だけに関して言うならば――
「ってゆーかホントどうしましょ…? そも自分の腹に小判抱えてホクホク顔してますのが招き猫の基本スタイルですってに、その俺めがなんだって金の問題でこんなにも青色吐息になってなきゃァいけないんですよ…?」
――とまあこんな感じの内心だった。
ただでさえ猫背気味だというのにますます首を竦めて歩く。共有棟を出、高等部校舎へ続く渡り廊下を進む白黒は今は一人である。拒がすぐに戻って来る様子もなかったので、とりあえず高等部1-Aに戻っておくことにしたのだ。
三毛次が管理していたなけなしの現金なんて『よもつひらさか』に乗った時点で消し飛んだ。現況として学生として必要なものがまるで揃えられていない。揃えられない。
どうなるのだろうか。
下手するとこの島にすら居られなくなるのだろうか。たったの昨日今日だけで。
――その、たったの昨日今日だけで。
――せっかく色んな人と逢ったり喋ったり出来たというのに。
(あー、そういや)
どよんとした目付きで眼前の虚空を眺めるだけ眺めながら、凹か凸かで言えば間違いなく凹の側の精神状態にめいっぱい突入中の白黒は、そこでふと思う。
(今日になって一人になったのは――ひょっとすると、今が初めてですわな)
だからか。
つまりは反動か。
だからこんなにも――逆にいっそ面白いくらいに――マイナスの方へマイナスの方へと頭が突っ込んでいってしまっているのだろうか。
「そいつも妙な話ですよな」
苦笑する。
白黒一家の白黒二色としてこの世に存在してこの方一五年、一人の散歩も一人の昼寝もさんざん慣れていたはずだったというのに、それがもうたったの昨日今日だけで駄目になってしまったということか。
沢山の人に囲まれてあれこれと会話が出来るという、この味を知ってしまった。
――もうたったのそれだけで。
――行き交う人の波を前に道端で野良猫の振りをしているばかりだった頃の自分に戻るのは、もう無理だ。
「どうあっても日曜日の間にあれやこれやうまいことアレしませんことにゃァ、ですわな…」
先刻決意した通りだ。方策はもうそれ以外にあるまい。
いち任侠者としてシノギに精を出すというならまだしも、招き猫に歴然と存在する〝金運〟という〝力〟で人間社会を行き交う通貨を極めて私的に己自らへと引き込む行為は、白黒一家の仁義に反する所だ。それは物心付く頃から三毛次に教え込まれてきた。まかり間違っても力に頼る気はない。初代から四十五代目に至るまで、歴代物九郎が構成員ともども遵守し続けてきたというその鉄の戒めを、たかだか「今はもう一家も残り二人になってしまったから」だの「再興に向けたスタートを切る為」だの――その程度の逆境で破ってしまうわけにはいかない。
自分がこのように考えているのだ。
ならば自分にものの考え方を教えてくれた三毛次にしても、やはり考えは同じだろう。確認するまでもない。
白黒一家と言えば、かつては江戸中の夜の住人達の間で知られた妖怪任侠(と三毛次が言っていた)。たかだか状況が状況だからなどという逃げ口上で手前共に課した約を軽々翻してしまうようでは、何が誇りか。何が矜持か。何が極道か。何が――四十六代目か!
しかしそう自分を奮い立たせてはみるものの――今は単にテンションが落ちているから、かもしれないが――どうしたって物事がうまく運ぶようなヴィジョンが浮かんでこなかったりする。これがまさに社会の厳しさというものなのだろうか。白黒はカクンと首を落とした。
「いやいや、とにもかくにもヘコんでたって始まりませんよな! ヘコんでたって! そう、ヘコんでましたって! ええ! ヘコんで…ましたって…。――…。……。………。…うなぁーご」
終盤、人語を使う気力も無くなってきていた。こいつは重篤だと白黒は自ずから理解した。
本当に大丈夫なのだろうか。
いくらこの島が「自分のような存在」であろうが公然といち個人として扱ってくれる環境とはいえ、ほんの少し決心を固めて動き回ってみた程度で、本当に一日そこらでまとまった金がどうにか出来たりなど――するのだろうか。
白黒がそのように悶々としながら口を渋い形に引き結んで歩いていた、その時だった。
「もしもーし? アタシアタシ」
ちょうどあちら側からやって来る人影が目に入る。隣の席と相成ったクラスメイトのスパッツ少女・在美だった。明るいグリーン色の着せ替えカバー付きのスマートフォン(メッシュともども、何かあの色に拘りがあるのだろうか)相手に話し掛けながら、校庭の方を見回しなどしている。まだこちらには気付いていない。
「というわけで報告ね。白黒君、校庭の方には居なかったよー」
――ヌ?
――俺めのことでも探してたんでしょうかや?
白黒は小首を傾げつつ、在美の方へとヒョコヒョコ近付いていこうとした。
と、その前に。まず自分で自分の頬を両手を使ってビシャビシャ引っ叩いた。
鏡を見るまでもなく分かる。今の自分は辛気臭い面をしていたに決まっている。こんな顔で人様に逢えるものか。
「少し前には学食で見掛けてたんだけど、その後どこに行ったかまではちょっと。会長さんに連れられて委員会巡りしてるんだろうけどさ、うん、さっき会長さんの方がなんだか放送で呼び出されてたでしょ? ひょっとして一緒に居るのかなーと思って一応校庭の方様子見てたんだけど、そうそう。居なかったの」
どうも誰かと連携して白黒のことを探しているような様子だった。
「どこ行っちゃったんだろ。会長さんにある程度連れ歩かれてたんだし、一人で図書室地下に入っちゃったりしたとかじゃなければ、まさか神無月の敷地内で迷子になってるってこともないだろうし。どうする? サンマでも焼いてみたら匂いで出て来るかな? …って、あ」
校庭の方を目で探っていた在美の視線がふとこちらを向く。目が合った。
「居た居たー。それじゃ回収してクラスに戻るからね。――おーい、白黒くーん? ちちちちち」
通話を終了した在美がパタパタ手を振ってくる。なんか猫扱いされているような気がするのは、まあ確かに猫であることには違いないので、そこの所はスルーしておくことにした。
白黒は努めて背筋を伸ばす。そして最後にもう一度だけ頬の筋肉をグニグニ引っ張って伸ばしてから彼女へと向き直る。
と。どこか気遣わしげなような、もっと端的に言えば――怪訝な顔をされた。
――ヤベ。
――まだ辛気臭ェツラのまんまなんでしょうかや、俺め。
白黒は内心、自分で自分に尖った気持ちになる。
全力で大遠投された野球ボールのような速度で五つ六つの人体が白黒と在美の間を横切る形でブッ飛んでいったのは、まさにその時だった。
「ちょ、ヒアアアアアアアアア!?」
「わわっ!? なになに!?」
二人揃って思わずバッ! と首を巡らせ、目で追う。
校庭の方角から吹っ飛んできたそれらは、皆が皆めいめいに着崩してはいるものの、紛うことなき神無月の制服を着ていた。全員、男子。背格好からして高等部と見える。耳のみならず、鼻やら唇やら目尻やらにもピアスをジャラジャラぶら下げていたりした。
彼らはズドグシャァとかなんとか割ととんでもない音を上げつつやがて接地する。まるでサイドスローで投擲された平べったい石が水面を跳ねるようなノリで二・三度バウンドし、そして――ズザザと地面を滑っていった。全員が全員、こんがらがってぶっ倒れる。
白黒と在美は顔を見合わせた。
一体何が起きたというのか?
事態の察しは付かないものの、それでも確実に分かることはまず一つ。
ヒトをこんな風にまとめて扱うことが出来るような人間は、神無月広しと言えども――
割と。
というか、かなり。
というか、とんでもなく。
というか、ほぼほぼ確実に。
新参者の白黒にもすぐ分かるくらいに――非常に限られる、ということだった。




