【13】「アタシはもっと欲しいのよ」
「伐折羅って名乗られてましたっけか、あの式神のカノジョ? 自分の召喚主目掛けて酒ブっ掛けただけで〝よし治った〟なーんてマジしれっと言い放ってましたモンですけどもよ、ホントのホントに、その――保健室に連れてかなくってもダイジョブだったんでしょうかや。カイ先輩ー」
白黒は歩きながら何度も何度も校庭の方を振り返っている。その視線の先では、割と普通にこめかみの辺りから軽く流血沙汰血だったりしたはずの美化委員長・甲斐がもう仕事をキリキリ再開させていた。
そして白黒の数歩先を進んでズカズカ歩む拒はというと、そんな風にソワソワしっ放しの銀髪小僧をえらい億劫げに一瞥するのだった。
「そんなに後悔するくらいなら後先考えずに人様の背後目掛けてタックルぶちかましてるんじゃないわよこのバカ」
「ニャー」
「…ったく。バサラは地属性の術の他に医術にも覚えがある式神だそうよ。治ったって言ってたんだから〝治した〟んじゃない? 実際、保健委員会の活動の補佐に姿見せてることなんかもあるみたいだし」
医術。それは十中八九、尋常な医学の域にない、つまり異常識の域に突入した〝医術〟なのだろう。そもそもが神将の名を冠する式神なのだ。それくらいの真似、しれっとやってのけてもあまり不思議でもない。むしろ自然か。
拒の話に「ホアー」と相槌を打ちながら、白黒は思う。
美化委員長・土御門甲斐。
いくら式神・バサラの回復手段らしいとはいえ、怪我した直後に自分の使い魔に酒をぶっ掛けられて、それでもすぐに自らの職務を遂行しようと動き出しているおにーさん。
身体こそ細いがあれで案外タフなのだろうか。というか物理的に打たれ強いのかもしれない。
(物理的に…?)
――いや、と。
――そこまで考えて白黒は軽くかぶりを振る。
甲斐と出会う前にこれまで七つの委員会の長と面会してきた格好(拒に関しては昨日からのお付き合いということになるが)だが、彼はどうも群を抜いてごくごく一般的な感性の持ち主と見受けられた。多少度を越して腰が低過ぎるような所は、まあ、あるとは思うが――それでもフルネームの末尾に忍者だからという理由だけで(仮)とか続けて名乗る糸目のあんちゃんとかに比べたらかなり常人だった。そもそも東洋発オカルトの名家の末裔だったりするくせに、かなりかなり一般人だった。
保健委員長。
図書委員長。
残るお二人に関しても、拒からの前振りのお陰で結構な奇人だという察しは既に付いている。
ということは、即ち――
「会長サンをはじめとした奇人変人列伝万国びっくりショー集団に囲まれて常識人ひとり…? ヒアアアア! サスガは精進中の坊さんっスわ! 修行の仕方が伊達じゃナッシング! こいつァ物理のみならず精神的にも打たれ強く仕上がってるに違いねーっスわ!」
「そうね。次は保健室で保健委員会の活動について触れてやるから、ここらで試しに少し怪我しておくのも悪くなさそうね。そう思うわよね? そう思ってるのよね? そう思ってるからこそ、そんな性懲りも無くそんなしょうもない口を利いてられるのよね?」
奇人変人の筆頭に据えられた生徒会長が、指をゴッキゴキ言わせながら魔王の右手を振り翳す。
白黒は逃げた。
全力で逃げた。
※ ※ ※ ※ ※
どうにかこうにか「バカらし…」と攻撃意志を喪失して下さるまで拒の魔の手から逃げ切り続けることに成功した白黒は、ふと気付くと共有棟にまで戻って来ていた。
「保健室はここの一階よ。位置的にはちょうど購買部の裏手になるわね。何かあった生徒をさっさと担ぎ込めるように、とりあえず立地は別棟の建物一階。この辺りのセオリーは本土の小学校やら中学校やらと同じね」
というか誘導された結果っぽかった。
――会長コエエ。
――大人気ねえと見せ掛けて、それよりもまず先に無駄がねえ。
白黒の頭へまた一つ新たに拒への畏怖に関する追加パッチが導入された。
相変わらずデフォルトで不機嫌そうな半眼の眼鏡っ娘に先導されて、かくして白黒は保健室前に辿り着く。
放送委員会はほとんどテレビスタジオのような設備を擁しており、寮監委員会は大型フードコートのような学食を運営しているものと立て続いたので、ひょっとすると保健委員会は保健委員会でちょっとした病院のような門構えになっているのではなかろうかなどと考えていたりしたのだが――そんなことは無かった。取り立てて変わった所と言えば、廊下から見ただけでも分かるくらいに間取りがでかく取られている程度で、パッと見は「普通の」学校の保健室と変わらない風情だった。
壁には『手洗いうがい励行ポスターコンテスト・初等部優秀作品発表』と銘打たれた掲示物が並んでいたりする。どれもこれもクレヨンで大雑把に描かれたイラストに『てあらい・うがい!』といった感じのキャッチフレーズが添えられている構図のなんとも微笑ましいもので、白黒はそれらをなんとなく眺め回し始めた。
金賞を見てみる。
明らかにバイキンの類なのだろう、矢印のようなツノや尻尾を生やしたキャラクターが目を×の字にしてぶっ倒れている絵があった。
「ニャーははは。あるある。ありますわー、こーゆーの」
そしてそのバイキンをやっつけている――というか、マウントポジションを取って素手でボコ殴りにしているのは、恐ろしく憮然とした表情の三つ編み&眼鏡なブレザー女子だった。
「あるある――、いやねーっスわ!? ねーっスよ!?」
「何騒いでんのよ」
「ギャーこんな所に実物が!」
拒を指差して悲鳴を上げる白黒。今度は逃げる暇もなくぶちのめされた。
尚この時、拒と白黒は二人でくだんの金受賞作品のポスターイラストの構図をくしくも再現していたのだった。
かくしてしっかり拒にダメージをぶち込まれた白黒は、めそめそ泣きながら「お邪魔しますでよー」と拒に先んじて保健室の戸を潜ってみた。学生大食堂の喧騒と比較すれば、まさに対極。中はガランとしていた。とりあえずすぐ視界に入る範囲に誰かが居るような様子は無い。
軽く鼻を刺すアルコールの匂い。ずらり並んだ薬品棚。簡単な止血・消毒用途のキットが常備されたデスクに、それと対面して設置されている処置用のベッド。仕切りのレールカーテンが付いているベッドは、その数悠に五〇床オーバー。ちょっとしたクリニックでも開業出来てしまいそうな間取りだった。
デスクにはいかにも高価そうなタッチパネル式の電子端末が据え付けられていたり、部屋の隅でひっそり佇んでいる皮膚を半分剥かれて筋繊維を露わにした人体模型さんの額に『悪霊退散』と書かれたお札が貼られていたりする以外は、割と普通めな保健室風景である。
「そこの端末の中には生徒の健康診断記録や傷病履歴なんかがデータベース化されてるわ。勝手に触ったりすんじゃないわよ」
「分かりましたでよー」
「それからそっちの人体模型はなんか知らないけどたまに動くそうよ。下手に叩いたりすんじゃないわよ」
「ギャー知りたくありませんでしたわあー!」
「なんで〝本物の妖怪〟が動く人体模型程度を相手に悲鳴上げてんのよ…。ほんと読めないバカね」
低い姿勢で人体模型から距離を取り始めた白黒を眺めながら、拒はすっかり呆れ顔だった。
「学連委員は購買部、寮監委員会は学生大食堂――どっちの委員会もそれらの売り上げ記録推移なんかを詰め込んであったり、ほかにも内輪で何か会議したりするとき用の〝本部〟を共有棟内に構えてるわけだけど、保健委員会に関しては主な実活動の場である保健室が本部兼用なのよ」
「ありゃ、そうなんスか? さてはイジメられてるんですかねえ」
「なんでそういう相槌になるのよ!? …本当、三女に言われた言葉が微塵も生きてないわねアンタ…。変にタフだから痛みを伴う教訓が入って来ないのかしら。ひどい欠陥ね。どうやって躾けろっていうのよこんな駄猫。――ったく、とりあえず言っておくとイジメってわけじゃないわよ? 単にわざわざ別室を設けるような空間的余裕を全部ベッドスペースに充ててるててるってだけよ。保健委員会が保健委員会だけで何か会議なんかやるような時は、基本的にこの中に椅子並べてやってるわ」
実の所、拒の機嫌の悪化をかなり脅威に思ってあれこれと人間的(人外だが)に成長しつつある白黒なのだが、どうもまだまだお気に召されないようだった。銀髪頭の上に出現させた猫耳を伏せて見せながらシュンとする。そんな白黒へさも面倒臭そうな一瞥だけ突き付けて、拒は更に説明を続けた。
――保健委員会。
美化委員会に仕事が発生するのと同じくらいの頻度で毎日何かしら生徒が担ぎ込まれて来るここ神無月学院の、比喩でもなく誇張でもなく、真実「生命線」である。
その主な仕事は、学内傷病者の救護活動に始まり、生徒の健康管理及び衛生活動。そして薬品を含めた保健室内の備品管理――とのこと。
「学内じゃ〝衛生兵〟なんて呼ばわれるほどに忙しくはあるセクションね。まあ実際合戦に於いてはそういう具合な扱いの少し特殊な位置付けで参戦することになる委員会だし、言い得て妙って所かしら」
「ホアー。しっかし衛生兵と来ましたかよ。こいつァもう掛け値なしに将来は病院ですとか医学の道ですとかに行っちゃう人がザラなワケですな?」
口笛はド下手だったくせに、やたら達者に指をパチーンと鳴らす白黒。更に得意げな表情のオマケ付き。
だが何かが拒の癇に障ってしまったらしい。白黒はその指をバキンと鳴る寸前までグイグイへし曲げられた。泣いた。
「基本的にバカなくせにたまに正解を口に出来た程度でここぞとばかりにドヤ顔してるんじゃねーわよこのバカ」
「…ふぁい」
なんだか中指の爪が手の甲にぺったり接触するくらい反るようになっていた。
ちょっとこれはやばいのではなかろうか。そんな感じで冷や汗をダラダラ流している白黒には委細構わず、拒はガランとした保健室内を眺め回しながら話を続ける。
「まあとにかく――ただでさえ〝治癒能力持ち〟どころか〝治癒能力がなけりゃむしろ邪魔〟なんて言われても過言じゃないような仕事を普段からしてる委員会だからね。そうね、保健委員の経験者は大体卒業後は医療関係に進むのが普通よ。特に活躍するのは救急分野かしら」
〝能力〟でだろうが〝技術〟でだろうが、とにかく保健委員会の仕事を一年も務め上げれば、道端で一次救急レベルの事態に鉢合わせた所で問題なく対処出来る人材が仕上がる。拒は続けてそんな客観的事実を述べた。
「なーるほど…? つまりー、こと校内に於いちゃァ〝どなたかお客様の中にお医者様はいらっしゃいませんか!〟ならぬ〝どなたか生徒の中に保健委員の方はいらっしゃいませんか!〟ってなカンジなワケっスね? ニャーははは」
「パッと出て来た喩えがそんな具合とはね…。絶対アンタとはタクシーに乗らないことに決めたわ。今決めたわ」
「ヌ? なんでですよ?」
「どうせ〝前の車を追ってくれ!〟とか言い放ってみたいクチでしょ? 大声で。さも切羽詰まった風に。更に恥ずかしげもなく」
「あッッッたり前でしょうわ! 白黒二色プレゼンツ〝一生に一度は言ってみたいセリフ〟ベスト一〇〇に余裕のよっちゃんでランクインしてますでね! そいつァ言わば侠のロマンっスよ!」
自分の胸をドンと叩いて応える白黒。
拒はその胸へズドンと拳を突き込んだ。
「ぐぇぇぇぇほげほげほげほウボァーッ!? ――ン、げふんげふん。ま、とにもかくにもそゆことで? 保健委員会の全容をば説明頂きましたワケですわな?」
「…つくづくイラッと来るわねそのタフさ…」
アンタ割と保健室の世話になる機会は少なそうね、と。今日だけで昨日の戦闘の間よりも数だけなら圧倒的に多い攻撃をぶち込んでいるはずの拒は、まさに頭痛を堪えるようにこめかみを揉み始めた。
「ンーで? こちらの委員長ってなァどちらに居るんでしょうや? パッと見ガラーンとしてますけども、今は不在なんでしょうかや」
「ああ…。多分そこのベッドの所に居るのがそうよ。ちょうどカーテン閉まってるでしょ。そこよ」
拒が顎でしゃくった先に白黒は視線を遣ってみる。成る程確かに言われた通り、仕切りのカーテンが閉め切られたベッドが見受けられた。
ただし二床隣接して並んでいる。
――どっちでっしゃろ。
拒を見返してみる、が、彼女は彼女でむすっとした表情で室内の掲示物を眺め始めなどしていた。下手に声を掛けたらまたぶたれそうだった。
「えーっと、スミマセー…?」
白黒は気持ち小さめの声でそう言いながら、とりあえず手近な方のベッドへと近寄っていく。カーテンをシャッと開いてみた。
そのベッド上には、ビクンビクンしながら仰向けになっている人物が一人。
「…ヌヌヌ? この人が保健委員長っスか? ニャーるほど、これまでの方々らにいずれ劣らぬツワモノのようですわな…! ――まさか顔の九割がたに包帯グルグル巻きたァ。なかなかブっトンだ装いですわ」
「よく見なさい。それは虚よ」
「ウェ?」
言われて、白黒は目をしばたいた。
虚だった。
そこに居たのは生徒会副会長・神薙虚だった。
冷静になってよくよく見直してみると、黒塗りの鞘に納められた日本刀がベッド脇に立て掛けてあったりした。
「ニャーんだ。ウツロ君でしたかよー。…ってゆーか彼も彼でなかなか壮絶なことになってますわな、コレ。何事ですよ?」
「おおっと、この声は…? そこに居るのは白黒と会長かい」
声で判断している辺り、包帯グルグル巻きのお陰で目も見えていないようだった。
「全くひどい目に遭った。まさかいきなり新撰組鬼の副長――もとい、風紀委員会副委員長が飛んで来るとはねえ」
クックックと笑いながら言う。見た目に反して割と余裕はあるようだった。更に、問題ないぜオレは色んな意味で元気だぜなんせぼくらのレイ姉は毎度毎度スカートのままで大立ち回りしてくれちまうからな全く嫁入り前だろうに――とかなんとか言いながら鼻の辺りに赤いジワッとした色彩を滲ませ始めたりなどもしている。
彼が一体何を言っているのか白黒にはよく分からなかったが、むしろ元気過ぎるのかもしれないということはなんとなく察しが付いた。拒も拒で「そう良かったわね」と言いながら足の裏のおかしなツボをグリグリ圧迫して虚に悲鳴を上げさせている。本当に重篤な怪我人だというなら、まさか拒とてあんな仕打ちは重ねるまい。虚の怪我については心配はしなくても良いようだった。白黒は胸を撫で下ろした。
「さーて、そうしますと…? 正解はこっちのカーテンの方だったワケでしょうかや」
開けてもイイんですかねダイジョブなんですかねと改めて拒にお伺いの視線を投げてみるが、拒は虚に苦痛の悲鳴でドレミファソラシドをしっかり歌い分けさせるのに忙しいようだった。
「―――――。まあダイジョブですよな?」
白黒はカーテンに手を掛ける。
「…嬉しいわ。来てくれたのね? やっと来てくれたのね? アタシの所まで、やっとやっと来てくれたのね?」
その時だった。
厚手の生地で作られたカーテンのあわいを割り裂いて、向こうから色白く細い腕がヌッと伸び出て来た。作務衣の襟元を捕まえられる。
そして――間髪入れずに、グイッと引っ張り込まれた。
「ヒアー!?」
近接格闘キャラのくせに、この不意打ちに為す術なくワタワタ手を振るばかりの白黒。やがて鼻先からバフンとベッドの上へと墜落させられた。
――いや。
――ベッド、ではない。
「昨日の貴方を見ていたわ。今朝から噂にも聞いていたわ。逢えるのを楽しみにしていたの。本当よ? 本当なのよ?」
そのベッドの上には足を斜めに崩して座り込んでいる一人のおねーさんが居た。制服の上にヨレッッッヨレの白衣を引っ掛けて、黒髪にはジャラッッッジャラとビーズが編み込まれている。顔立ちはパッと見エキゾ系の美人さん風味である。
――そんな彼女の膝上に。
――頭を乗っけさせられている格好だった。
「信じてくれる? 信じてくれるわよね? 証明の材料はどこにも無いから、アタシは今精一杯言葉を尽くして貴方に語るわ。だから聞いて? ねえ、聞いて?」
「…ウェ? ちょ、その、あの」
白黒は離れようとはした。
相手は女性なのだ。とりあえず拒には接近しただけでぶたれて来た覚えがある。ならばこの近距離はよくない、まずい、よろしくない。とにかくこの至近距離は駄目だ。
が、白黒よりも先にヨレヨレ白衣のおねーさんの方が先に動いた。白黒の頭を固定したまま軽く身じろぎするように動いたかと思えば、手首の上に膝を置いたり喉を掌で撫でるように押して来たりと、怪しいというか妖しい動きでポジショニング変更。
かくして二秒後。
白黒はマウントを取られていた。
「アタシは高等部二年、保健委員長の七裂こより。けどこの名前は覚えなくていいわ。それよりも貴方のことを教えて? ねえ、教えて? もっと教えて?」
はいィ!? と驚愕&動転に目付きをグルグルさせる白黒に、ズズイと顔を最接近させるヨレヨレ白衣のおねーさん――こより。
美人さんだと思った。
だが目元には闇を煮しめたような隈がどんよりとわだかまっていた。
そんな彼女の口元は時折引き攣るような動きを見せながら「ふふふ」と隙間風のような笑い声を漏らしている。
なんかもう色々と台無しな美人さんだった。ひどいダウナー臭がした。
まるで徹夜明けのおかしなテンションのまま鏡に向かって「お前は誰だ」と問い続ける危険な心理実験を小一時間ばかりガチで実践してしまったかのような――
「会長サァァァン! 助けてミー!」
そう。
端的に言えば。
保健委員長だということらしいのに。
白黒がこれまで見てきた、どの神無月の学生よりも――
「明らかに病んでますでよ、この人――!?」
それも、ぶっちぎりで。
「ああ、早速こよりに捕まってるのね…。まあ大丈夫よ」
「ウェ!? ぐ、具体的にどこがどう!?」
虚が泡を吹いて完璧にオチた辺りで退屈になっていたらしい拒はというと、保健室の片隅に設置されている給湯器でコポポポポとお茶を入れている。勝手知ったるなんとやら、と言わんばかりの慣れた手付きだった。
「…もう、そんなに騒がないで? こっちを見て? アタシを見て? アタシだけを見て?」
「ギャーなんスかこの固め技!? まるで動けねっスよ!?」
かなり危険なうっとり笑顔に突入しているこよりはこよりで、作務衣なんかもうはだけさせて白黒の胸へ頬擦りなど始めている。挙句の果てに、ツツーッ、と鎖骨を指でなぞりなどもしてきた。白黒は「あばばばば」という自分でも意味不明な言語と共にひたすら恐怖で痺れていた。
ベッドの上でこんなことをされちまっている相手は仮にも女性なのだ。いち男としてはもう少し違ったリアクションをしてもいい所なのかもしれないが、しかし駄目だった。どうしても駄目だった。一年A組サージェント先生の繰り出す掴み技が「組み付かれた瞬間に動かそうと思った四肢から、順に的確に間接可動域を封殺しながら地面へ落として来る超絶技巧」とするならば、このおねーさんの零距離接触は技術あれこれではない。「川遊びをしていたら水底から亡霊が絡み付いて来た」とでも言うべきか、なんというかもう純粋にどうしようもないレベルの代物なのだ。
――恐怖。
――これが恐怖か。
戌亥ポートアイランド第一位〝バタ足アクセル〟の突破口をなんと暴いて合戦史を無茶苦茶な形でこそあるがとにかく引っ繰り返しだってしてのけたはずの化け猫の少年は、ここに来てとうとう完全に心がぶち折れかねない経験をしていた。現在進行で。
「…ふふ。素敵。素敵ね。とても素敵よ。名前は――白黒君、だったわよね?」
「ギャー名前覚えられてますわあー!」
やけにひんやりとしているこよりの手に胸と言わず頬と言わず撫で回されながら、もう白黒はボロボロ泣いていた。
「素敵…。本当に素敵…。頭と言わず眉間と言わず目も頬も胸も背も腹もどこもかしこも――痛みだらけ。教えて? 貴方の痛み、もっともっともっともっともっともっともっと、アタシに、そう、アタシに、アタシだけに…教えて…?」
「ふ、フオオオオオオオオオ! 燃え上がりなさいや俺めのブレイブ! 今こそ必殺のォー! イッツァ猫変身緊急脱出!」
ドロン。
掴み技被弾中にコマンド入力成功で攻撃をオールキャンセルするチート技。その名も〝猫変身緊急脱出〟を今ここに炸裂させる白黒。
ちっちゃなぶち猫へと変化し、こよりの全体重を利用した拘束からスルリと抜け出る。腰が抜けている為、床の上をシャカシャカ這い回るような動きで素早くこよりの傍から退避退避、かくしてネコ白黒は拒の足元にまでどうにかこうにか逃げおおせた。
「な、なんなんですよおたくァ!? 嫁入り前の娘っコがンなふしだらな! えー、っと――七裂こより? って名乗ってましたっけか?」
「…もう。その名前は覚えないでいいって言ったじゃない。言ったわよね? アタシ確かに言ったわよね? 言ってなかった? そんなこと無いわよね? そうよね?」
気だるげにベッド上に突っ伏し直すこより。
なまじスカートなので脚の動きなんかもう一般的に見ればえらく艶かしいことになっているのだろうが、差し当たってネコ白黒にはおぞましい双眸を剥き出しにした大蛇がとぐろを巻いて鎌首をもたげているようにしか見えなかった。
「厭なのよ。この名前はアタシに相応しくないの。足りないわ。全然足りないわ。まるで生殺しよ。足りないの。足りないのよ。貴方、貴方、ねえ貴方? 貴方はこんなアタシを埋められる? 埋めてくれる? 貴方の痛みで、アタシを埋めてくれる――?」
「かァーかかかかかかか、会長サァーン!? この人ガチで末期ですよねえ!? 何かの――そう、何かの! よく分かりませんけど! ってゆーかあんまし理解したくないトコですけども!」
白黒にせっつかれようがどこ吹く風。うるさいわね静かにしてなさいよと片手掴みの湯呑みからほうじ茶を啜るのに忙しいようで、拒はまるで取り合ってくれなかった。
「そう――足りないの。アタシはもっと欲しいのよ。七裂こより? 駄目ね。とっても中途半端。アタシはね、そう、例えば、そう――〝八裂五寸釘〟くらいの名前が欲しいの。欲しかったの! 本当、術の行使に影響さえなければ今すぐにだって改名してしまいたいくらいよ…。ふふ。ふふふふふ。ふふっ、ふふふふふ…? ふふふ?」
「ちょ、保健委員会は何を於いても今すぐ総力を挙げてあすこのカノジョをば治療すべきなんじゃァ――って」
アルェ? と。
人型に戻って手足をジタバタさせながらひたすら喚き倒していた白黒は、そこで唐突に動きを止めた。首を捻る。
動く。
動くのだ。
まるで差し支えなく全身が動く。
なんだかんだであれやこれやと拒やらにボコられて来たはずなのだが――身体にダメージが、まるで蓄積していない。綺麗さっぱりと負荷が解消されていた。
「こよりは〝大十字隠秘信仰会〟師走学院に居たっておかしくないような人材なのよ」
と。空にした湯呑みを流しの中に放り込みながら、拒が口を開いた。
「隠れ切支丹の末裔で、癒術の使い手。本気出したら、装備も祭壇も一切無し、素手での心霊手術だってやってのけるのよコイツ」
「隠れ切支丹だからアタシはドMよ。どうしようもなくドM。よろしくね、白黒君?」
何か問題発言が聞こえたような気がしたが、白黒はとりあえずそこはツッコまずにおいた。改めてこよりを見遣る。
「つまり癒術師ってヤツっスか…? ってゆーか、その――え? 俺めのこと、治してくれてたんですかよ?」
「貴方の抱えていた〝痛み〟…なかなか沁みたわよ…? この間在校生も全員〝診〟終えちゃったし、新しい刺激が欲しかったの。本当に欲しかったの。欲しかったのよ? でも貴方が来てくれた。待ってたわ。待ってたの。待ってた甲斐があったわ。ふふふ」
「それが果たして本当に治療に必要あるんだか無いんだかは本人のみぞ知るって所だけど――まあたぶん真に必要は無いんでしょうね――こよりはね、治癒を使う時に相手と〝痛覚〟を霊的に受信一方通行でリンクさせてるっていうのよ。そういうわけだから、コイツが怪我人の世話してる時に失神し掛けてたらその時は頭ぶっ叩いてでも止めなさい。許すわ」
許すて。
拒に相槌を打てばいいのか、それとも治癒を頂いていたというのにギャーギャー喚き倒していた詫びをこよりに入れればいいのか。
白黒はえらい迷ったが、ひとまずは後者を優先することにした。
「その、ナナツザキ先ぱ――」
「あぁぁぁぁん厭よ厭その名前でアタシを呼ばないで呼ばないで呼ばないで呼ばないで呼ばないで」
ベッドの上でのろのろとジッタバッタし始めるこより。
――どうすればイイんでしょ。
白黒は拒に視線を投げてみるが、彼女はもう「それじゃ次で委員会巡りも最後ね。さっさと行くわよ図書室」と踵を返している所だった。
ひとしきり拒とこよりとを順繰りに見回していた白黒は、ええとええと、と悩んだ後に――
「ざ――ザッキー先輩? その、ビックリしっちまいましたけども、なんつーかサンクスでした!」
八裂五寸釘なんていういかれた名前が欲しいらしい七裂こより。
そんな彼女を、とりあえず一つだけ共通している漢字を用いて考えたあだ名で呼ばわってみた。
瞬間、こよりから恋する乙女の目で見られた。
白黒は逃げた。
全力で逃げた。
先行していた拒も追い抜いた。




