【11】「歓迎するアルヨー?」
――理由はある。
そもそもこの作務衣姿の銀髪小僧、高一男子の中に放り込んでわざわざ比較をしてみるまでもない、パッと見で分かるくらいに低身長なのだ。
拒の見立てではせいぜい一六〇センチそこらと言った所か。さすがはぶち猫姿の本性状態でも微妙に発育不良くさいだけのことはある。身長がそんな具合なので、上背は拒の方が普通に高い。
なので――頭の高さが丁度ひっぱたき易い位置に来るのだ。尻の位置が丁度蹴っ飛ばし易い位置に来るのだ。
とまあそんな理由で何かと白黒のことを張っ倒しがちな拒なのだが(「腹立つくらいにタフ」という追加要素もコミでつい加速)、並んで階段を降りていたかと思えば、特に何もしていないのにいきなり階下目掛けて頭から転落した時は「とうとう故障させちゃったかしら」と少しの後悔を覚えないでもなかった。
「…う、う、ううううう、ゥォェー」
「何? 構って欲しいならそう言いなさいよ。私、言っておくけど脈絡の無い体当たり芸の相手ほどしたくないことってそうそう無いわよ」
白黒は地面に這い蹲ったまま変わらず「あうー」だの「ニャー」だのと呻き続けている。
一応首根っこを引っ掴んで身体を起こさせてみる(体重も軽いのだこいつは)。それくらい近付いた所で、何やら小声で繰り返しているうわ言の内容が拒にも聞き取れるようになってきた。
「そう言や今朝ァ…会長サンにいきなし掴み技掛けられまして…朝メシ、なーんも喰ってねえことをば思い出しちまいましたでよ…? ううううう昨晩寝ます時〝朝食くらいは出してやるから〟ってオオガミ兄貴が言ってくれてましたってにニャんたる不覚オエエエエ空腹あまりに吐き気が吐き気が吐き気がオゥフ」
「…。……。………」
拒、数秒ばかりの沈黙。やがて彼女はにっこりと微笑んだ。――にっこりと、微笑んだ。
「もう、しょうがない子ね」
「…あうあうニャー」
「突然どうしたのかと思ったら、そんなこと? 心配しちゃったじゃない」
「あうう――って、ウェ?」
「ところで私も私でお腹空いてることを思い出したわ。ふふ」
視線の焦点も頭の中身もグルングルンさせていた白黒は、ビキッと動きを硬直させた。
彼は知っていた。彼は学んでいた。もう既に、朝一度見ている。
「か、会長サン? えーっと、その笑顔は一体…?」
――彼女が変に優しげになった時。
――それは即ち、ただで活火山な危険地帯が更なる爆発をする五秒前。
「アンタをボコるのにかまけてて稜牙さんの作ってくれたフレンチトースト手ぇ付けずに出て来ちゃったじゃないのっつってんのよ――!!!」
引っ掴んだ白黒の顔面を疾走ざまザリザリザリザリザリ! と地面に擦り付けつつ、そしてそのまま共有棟を出て昇降口まで一気に通過。シメは思いっ切り右トゥキック。
本日が初登校になる特待生は生徒会長にナイスシュートされ、砂煙の波を引き連れながら学院敷地内を一直線にブッ転がされていった。
朝に一度披露した掴み技。
ただしゲージ消費仕様の強化版だった。
「うわすげぇ衝撃波。何あれ。会長がまたなんかしてんの?」
「なんでも婿どつき回しながら共有棟の中行脚してるらしいぜ。さっきっから」
「ああ、あの噂の〝ヌコの婿入り〟?」
「っつーか何その壮絶な披露宴」
周囲では呑気な会話が繰り広げられていたが、鬼気を背負った当の拒が自ら吹っ飛ばした白黒の轍を追ってズカズカ歩んでいる姿を目撃するや、その生徒達は一斉に蜘蛛の子を散らすように逃げ出していった。
※ ※ ※ ※ ※
共有棟を飛び出した二人が次に向かったのは――というか白黒がふと気付くと転がっていた門前が――学院敷地内に構えられている『学生大食堂』だった。周りではゾロゾロと出入りしている生徒の姿も散見される。
屋根をブチ破って拒に叩き落とされた神無月学院の体育館はひたすらでかかったと白黒は記憶している。この『学生大食堂』はそこほどではない、が、本土の一般的な小学校やら中学校やらの体育館くらいの大きさは充分にある建物だった。カマボコ型の屋根。ちょうど形もそっくりである。
「ああもうとりあえず何か口に入れておかないことには苛々してしょうがないわね! 今日の半日登校がひけたら速攻で稜牙さんの所に行くわ! まあそれはともかくとして――ついでよ。ここで寮監委員会について触れていってやるわ。今ならちょうど委員長の緋華もここに居るだろうし」
「ヌヌ? 寮監委員会…? ちょい待ちですでよ会長サン! ここは、えーっと? …学食? ってヤツなんですよな? 寮監委員会ってなァ字面からして寮の方であれこれする委員会なんでねっスか? なんだって学食が関係あるんでしょ。委員長サンは大喰らいなんでしょうかや」
「大喰らいってのは間違ってないけどね。――とにかく、寮監委員会は学食の運営にも関わってるってだけの話よ」
拒が言う所によると、学連委員が運営する購買部と大体同じような位置付けで利益を上げているのだ、ということだった。ちなみに購買部で扱っている食品関係は通常仕入れの品の他にも寮監委員会が手掛けた調理品が普通に卸されていたりもする、とも。
そういえばあそこでは寮監委員長が作ったナントカが陳列されてたりしましたような。白黒はそんなことを思い出した。
中に入ってみると、そこには大型量販店のフードコートのような光景が広がっていた。
首都圏の駅のコインロッカーのようにズラリ並んだ券売機が隣接した窓口の奥には厨房スペースが取られている。椅子テーブルらが幾つも配された学生大食堂内は実に盛況である。白黒的には、とりあえず今日だけで言うなら、神無月学院の生徒が視界一つの中にこんなにも沢山居るという光景は登校中を除けば初である。
「ってゆーか今まだ思いっきし昼前じゃニャーですか。なんだってこんな時間っから食堂がフル稼働してる風味なんスか? 怒られないんですかよ?」
主に会長サンに。
そう続けようかと思ったが、なんとなくまたぶたれそうな気がしたので止めておく白黒だった。
「合戦翌日定例の無礼講みたいなもんね。さすがに平日でやってたら風紀委員差し向けるわよ」
「ニャーるほど。腹が減っては戦は出来ぬってヤツですに」
「戦は昨日終わってるわよこのバカ。…っていうか、ちゃんと正しく覚えてることわざもあるのねアンタ」
「ウェ?」
拒とそんな話をしながら進んでいると、ふと視界の隅に女だてらに剣豪の雰囲気を醸しまくっていたあの羽織少女の姿が見掛けられた。彼女も彼女で、瞑目したまま箸を操り、かっかっかっかっか、とおしるこを掻き込んでいる。どうやら当の風紀委員もああしているということは、とりあえず今日は本当に「いい」ということらしい。
ところでこの羽織少女――風紀委員会本部から何やら勇ましく飛び出していったのは見たが、もう用事は済んだのだろうか。白黒が不思議に思っていると、拒は「…ああ、もう終わったのね。虚は今頃保健室かしら」と呟いていた。よく分からないがなんだか怖くなった白黒は声を掛けるのを止めておいた。
「学食全体の利益計上なんかのデータが詰まってる本部は共有棟の中に置いてるし、主な活動の舞台って言うならそれは当然各学生寮ってことになるけど。ここもここで寮監委員会の戦場であることには違いないから、いいわ、ここで説明する」
通称・生徒のおはようからおやすみまでの暮らしを支えるオカン委員会。通称なのに長ッ、と白黒は思わず口を挟む。無論ぶたれた。
その主な仕事は、先に触れた学食の運営の他、学生達が共同生活を送る場である寮内の様々な当番業務の割り振りに始まり、各人の部屋の清掃状況の監督など、大まかに言えば寮内の秩序維持なのだという。
各生徒が気持ちよく日々を過ごせるように衣食住の環境が適切であるよう整える、面倒見や家事レベルが総じて高い面子で構成される委員会。生徒の授業外の生活指導や寮生のケアを行ったりする関係上、単に甘やかして世話を焼くというのではなく、多少口うるさかろうがおせっかいなくらいの人材でないとやっていけないセクションだ――と拒は説明した。
「他にも煩雑な仕事は色々あるわよ。寮に届く荷物や手紙を仕分ける、朝寝坊の生徒が居ればブッ飛ば――叩き起こす」
「ブッ飛ばすって言い掛けましたよな今? しかも言い換えてもあんまし意味変わってませんよな?」
「るっさいわねアンタこそブッ飛ばすわよ? ――それから、ホームシックをこじらせでもしたようなのが居ればそこの所の面倒だって多少は見るわ。後は、そうね。夜に点呼を取ってみた所で門限違反やら無断外拍者やらが炙り出されようもんなら、後でそいつをぶっ飛ば――、ぶっ飛ばす」
「ギャー今度は押し通してきましたわあー!」
白黒を引き連れて拒は学食内を往く。途中、席のそこかしこから「お、ヌコだ」「おーいヌッコヌコー」「ヌコ、チャーシュー喰う?」と白黒はあれこれと声を掛けられた。ちなみに差し出されたチャーシューにはヒャッホイと喜んで喰い付いた。おお食べた、と驚かれなどしている。ほとんど学校内に紛れ込んで来た野良猫を構って遊んでいるようなノリの生徒達である。拒は呆れた素振りでただ肩を竦めだけしていた。
「…合戦史上例を見ない自殺点をかまそうとしたバカ相手にこのノリこの待遇。本当、神無月の生徒は頭のネジがブッ飛んだようなお祭り好きが集まった学院ね…。今更だけど」
「おう、会長サン会長サン! たこ焼きまるまる一皿頂戴しましたでよ! どっスか? 一緒に突っつきませんかよ? 楊枝も二本ありますでよー、そら」
「要らないわよ。アンタ一人で食べてなさ――、って刻みネギ山盛りじゃないのよこれ!? アンタ猫なんでしょ!? 自分が食べていいもの駄目なものの区別も付かないの!?」
「ヌ? おお、確かにネギがこんもり乗っかってますわな?」
キョトン顔で首を傾げている白黒からひとまずネギたこ焼きを取り上げる拒。しばし迷ったらしい末、自分でひょいパクひょいパクと食べ始めた。
「寮監委員会の話に戻すけど。技術っていうか、むしろ人間性の方が強く培われる委員会活動ね。将来的には、そうね――福祉関係なり教育関係って所かしら。まあ強いて手に職的な次元で論じるなら、この通りこれだけの食堂を皆で運営するわけだし、調理師なんかに進んでく奴も多いわよ。大量の料理を一度に素早く作るタイプのね」
「チャーハン一〇人前イッキとか楽勝にやってのけそうですわな! あと、芋煮会とか仕切るのも上手そうですわー」
「…食い物が絡んだ話になるとたちまちピントがぴったり合って来るのね、アンタ…」
そこかしこの構ってくれる人から今度はポテト(Sサイズ)を頂戴していた白黒は拒のジト目に気付いていなかった。拒はとりあえずポテトを一つまみ略奪した。
「それでー? この委員会のリーダーはどこに居るんですよ? パターン的にはぼちぼちこっちの視界に現れてくれるんじゃねえかニャーなんて思うんですけども」
拒と二人、人波の間をすり抜けて、白黒は券売機の一つの前に辿り着いた。紙幣か硬貨を入れればメニュー表記があるボタンが金額が足りた端から点灯していく、何の変哲も無い、ごくごく普通に見える食券の券売機である。何か妙な超科学技術が盛り込まれているような様子も特には無い。
――が。
――そんな中に一つだけ、最初っから灯りっぱなしのボタンがあった。
『寮監査委員長特製激辛坦々麺 ~コレが食えたらお代は無料~』
どうもこのメニューに限っては、押せばいつでも券が出て来る仕様になっているっぽかった。
一体そこにどれだけチャレンジャブルなことが書かれているのか、そこの所をいまいち理解していない白黒は、まあどうせ手持ちスッカラですしー、という真実軽いノリでそのボタンを押してみた。
押してしまった。
ジョワァァァァァァァ――ン!
途端。カンフー映画で悪党どもを薙ぎ倒した主人公が決めポーズを取った瞬間のような銅鑼の音が、建物中に鳴り響いた。
「ヒアアアアアアアアー!? な、なななななニャんですかよ今の!?」
「…! ちょっ、バカ! なに押してんのよ!」
色めきだったのは拒だけではない。学食内の席そこかしこでめいめい憩っていた生徒達はおろか、厨房側で立ち働いていた寮監委員会の腕章を巻いた生徒達もこぞって顔を出して来る。
「おい、今の…?」
「挑戦者だ! 挑戦者だぞ!」
「特別メニュー、挑戦者が出たぞー!」
「放送委員は居るか!? 映像記録を残さない手はないだろ!」
「誰だ!? 勇者はいったいどこの誰だ!? 学部は!? クラスは!?」
「って、あの銀髪…」
「「「「「「――うわぁぁぁあの作務衣ヌコだ――!」」」」」」
ドォォ! と一斉に湧き上がる大食堂内。
すげえなんだあのヌコ! 会長相手にタイマン張ったと思ったら、その翌日は〝学生大食堂の伝説〟相手に殴り込みかよ! パネェ! 命知らず! 応援するぜ! ――場のヒートアップ具合の内訳はというと大体こんな具合だった。
白黒は目を白黒させながら(ややこしい)辺りを見回しているばかりである。
揉み潰されそうな喧騒の中、券売機が受け取り口の中に『寮監委員会特別メニュー』と書かれた食券を、カタン、と静かに吐き出した。
「…押した以上引っ込みは付かないわよ。こればっかりは生徒会長権限使ったって取り消させないって、寮監の委員長がさんざん吹いてるんだから」
まあせいぜい達者で生き延びなさい、と拒に頭をバフンと叩かれる。白黒はすます混乱を深くするばかりだった。
「モチのロン、当然ネ!」
――そしてそんな銀髪小僧の前に。
――ザン! と床を踏み擦り、満を持したかのようにしなやかなシルエットが現れた。
「フフフ? 一度出した矛を無かたコトする――そんな曲がた真似、お天道様もワタシも許すはず無しにつきアルヨ?」
目付きに活力が溢れまくった、スラリと背の高い女子生徒だった。制服姿、ではあるのだが、えっ制服? と思わず首の一つも傾げたくなるような制服姿である。
まずブレザーを着ていない。半袖ワイシャツ――四月中旬なのに既に夏服モードなのだ。スカートも拒のそれを三分の一くらいにしてしまったかのような激ミニである。
しかしそんなものはある意味些事だった。
ワイシャツの前留めはボタンではなく、代わりに交差状に掛け合わせられた紐がハシゴのように並んでいる。そして襟周りやら袖口の裾やらには流麗な金糸の縁取り。
超チャイナ仕様だった。
チャイナドレスの意匠をそのまま神無月学院の制服で再現しようとして「この通り実際にやりました」と全身で語っているかのような、そんな超改造制服だった。
ただでさえ激ミニなスカートだというのに、なんとなんとチャイナドレスでいう所のスリットの部分まで再現されていたりする。そんな短さでそんなことしたらどうなっちまうんですかよオイと白黒は一瞬視線の遣りどころにとんでもなく迷ったが、そこはそれ。普通にスパッツ着用だった。
頭のてっぺんでは左右二つのお団子に髪がまとめられている。どこをどう見ても間違いなくチャイナ娘だ。
「それで? 挑戦者は? アイヤー、カイチョーだたアルか! これは面白くなりそうネ!」
髪の色は緋色。
瞳の色は琥珀。
あらざる色彩を持つそのチャイナ娘は、えらい楽しそうにニッコニコしながら近付いて来た。
ちなみに余談だが、彼女が一歩歩く度に胸を盛大に押し上げている二つの膨らみはどえらいユサユサ揺れて周囲の野郎共の視線をかなり集めまくっていた。彼女はでかい方だった。しかし当の本人は何を気にした様子もなく堂々たる身のこなしで動く動く。どうやらその辺については良くも悪くも無頓着な、天真爛漫を地で往く性質らしかった。
チャイナ娘は出来立てホヤホヤのなんらかを入れているに違いない、湯気立つ蒸籠を両手に持っている。ただし左右各々十段重ね。ちょっと器用なウェイトレスさん、どころの騒ぎではない身体の使い方だった。
「私じゃないわよ冗談じゃねーわよこいつよこいつ」
「ニャー」
拒は白黒の額にくだんの食券をベシリと張り付るとチャイナ娘の前へと蹴り出した。
「アイヤ、そだたのカ? ンー。ま、いいアル。それじゃカイチョーは今度挑戦するヨロシ」
「何さりげなく勧めてんのよ」
拒相手にぶっきらぼうに一蹴されようが、アハハー、と極めて明るいチャイナ娘。ヒマワリのようなというか、むしろ太陽そのものというか。陰か陽かで言えば一〇〇パーセント〝陽〟の側に寄った精神構造の持ち主と見えた。
「で、そちは――アァーイヤァー! 噂のマオ・ナンだたアル! よく来たネ!」
「まお・なん…? なんですよなんですよ、俺めのことっスか?」
猫男。
中国でいう化け猫の雄の意である。
猫語は初期装備だが実践中国語はインストールされていない頭を持つ白黒がキョトンとしていると、チャイナ娘が出し抜けにズズイと顔を寄せて来た。ニンマリ笑顔で衒いもなく至近距離。むしろ白黒の方がびっくりして顔を引く。
腰を曲げて上から眺め下ろされるような格好。結構な身長差だった。
「歓迎するアルヨー? ――白黒一家四十六代目。一度キチンと話してみたかたネ」
と。これまた出し抜けに、無視出来ないセンテンスを口にされた。白黒はほぼ無意識に頭の上にぶち柄の猫耳をバサッと跳ね起こす。
「ウェ? おたく、俺めの〝家〟のことをば――?」
さて今の口振りは、自分が昨日校庭で名乗り上げていた啖呵を聞いていて、それで「その言葉」を知っている――というのとはまた違う。そんな気がした。
白黒が問おうとしたその時、チャイナ娘はフフゥーと微笑むと右手に十段積んでいた蒸籠を一斉に宙高く放り上げた。そしてその開いた手で白黒のデコに引っ付いている食券を掻っ攫って行く。
こちらもこちらで十段の蒸籠を塔の如くに積んだ左手が縦横無尽に動く。
ドカドカドカドカドカッ!
舞い落ちて来た十個の蒸籠を余さず受け止め、左手の上の十段重ねが二〇段重ねになった。
「ヒアー!? ざ、雑技団!?」
「雑技団? ンー。好きだケド、ワタシ違うヨー」
アクセントの箇所がいちいち割と愉快なことになっている片言の日本語でチャイナ娘は言う。
そして彼女は犬歯が僅かに目立つ口元で半券を噛み切りざま、もう半分を白黒へと投げ送った。
「ワタシ、高等部三年・李緋華! ちょと座て待つヨロシ。コレ皆に渡して来たら、特別メニュー、すぐ準備するのコトヨ」
きゃらきゃら笑いながら、持ち運んでいるだけで既にとんでもなくアクロバティックな二〇段重ねの蒸籠を「包子御注文の野郎共、待たせたアルヨー」とそこかしこの生徒へ届けていくチャイナ娘――緋華。
白黒から視線を切る直前、その一瞬。
彼女の瞳の形は、紛れも無く猫科のそれの如くあった。
「緋華には改めて礼言っときなさいよ? ナインライヴスとやらの反動だかでただの猫になるくせして後先考えずにあんな〝分身の術〟使ったアンタを後でちゃんと見つけ出してくれたの、アイツだったんだから。まあ〝同類〟だっていうなら別にそんな大した苦労じゃなかったんでしょうけど」
拒の言葉を横に聞きながらホアーと上の空じみた相槌を打つ白黒は、生徒達の間で立ち働く緋華をぼんやり眺めている。
「とりあえず、あの緋華が寮監委員長よ。アンタなら何か感じる所でもあったんじゃない? 化け猫の、アンタなら」
「ンー? ニャはは、ンなこたァわざわざ言われませんでも!」
財布から紙幣を取り出して券売機に向かい合いながら、拒はふと白黒の横顔を見遣った。
――寮監委員長・李緋華。
――白黒がこうして入学して来るまでは、神無月学院に生徒として在籍している者の中では唯一だった〝一〇〇パーセントの人外〟。
白黒は、委細承知、とばかりに緩く目を伏せて薄く笑んだ。
「まあ確かにビックリはしましたでよ。すっごいムネの大きさしてますよな、カノジョ」
メシリ。
拒は白黒の頭部へバレーボールでも掴むかのように右手五本指を食い込ませた。
「牛焼肉カルビ定食――私はこれにしようかしら。あら? ボタンを押しても券が出て来ないわね。故障かしら」
ゴスゥ! ゴスゥ! と白黒の眉間を券売機目掛けて何度も何度も叩き付ける。フギャァァァ会長サン会長サンそもそもお金入れてねえでしょうわ! という悲鳴が上がるが、拒は一切構わなかった。
「はいはいはーい! 会長さん会長さん、次アタシもそこ使わせて貰っていいですか?」
「あら三女。別に構わないけど、ちゃんと残しておくのよ(命を)」
「了解でっす。じゃあちょっとお借りしますねー。――猫も杓子も胸・胸・胸ぇぇぇ! アタシは所詮〝胸がない方のスパッツ〟扱いかコラァァァァァ!」
もはや券売機とか微塵も関係ない。白黒は薄れ往く意識と明かりを失い掛けた視界の中で、単純にエスカレートしていく暴力の嵐を全身で体感していた。
「――って、このパンチは会長サンの威力じゃァありませんわ!? 誰ですよコラ!」
ひとしきりボコり抜かれた所で、へばり付かされていた券売機からガバァ! と身を起こす白黒。辺りをキョロキョロと見回すが、遠くへと軽やかに駆けていくなんかすげー見覚えのあるスパッツ穿きの後ろ姿が「おねえちゃーん、相席させてー。あとそのおしるこ一口ちょうだい。と見せ掛けて残り全部食べる気満々のアタシなのであった」「やらん」とかやり取りしている光景が遠くに見えたくらいだった。首を捻る。ちなみに拒は食券片手に窓口に向かっていた。
「ハイ待たせたネ! ワタシこと李緋華全面協力学生大食堂特別メニュー、特製激辛坦々麺一丁! スープまで完食でお代は無料アル!」
そうこうしていると本当にすぐ緋華は戻って来た。一丁とかいいつつ、左右の手に各々一杯ずつラーメンの丼を運んで来ている。
「ヌヌ? 二杯あるじゃニャーですか」
「ワタシも厨房上がりネ。一緒に食べるアルヨー」
二〇段積みの蒸篭を片手で持ち運んでいても微塵も危なげがなかった彼女である。ラーメン丼二杯で両手が塞がっているくらい、真実なんとも無いようだった。クルリとターンステップなど踏みながら近場の席へと向かっていく。その先では寮監委員の腕章を身に付けた生徒達がバババババッ! と出ていた食器を片付け、テーブルに台拭きを掛け、椅子を二脚整え――下がっていった。そして『学生大食堂特別メニュー挑戦席』という札をテーブル上に立てていく。総じてよく訓練されたような動きだった。
「観客の方は五メートル以上離れてくださーい! このラインより中へは危険ですので立ち入らないでくださーい!」
寮監委員会の生徒達がキビキビと仕切る中、周囲の異様なボルテージの上がりっぷりにしこたま小首を傾げつつも、白黒は緋華と並んで座って丼を前にした。「使うヨロシ」と差し出された割り箸を受け取りながら、さてその丼の中を覗き込んでみると、
――坦々麺というものがどういうものかはむろん知っているが。
――とりあえず白黒は、ここまで徹頭徹尾赤い麺食品というものは初めて見た。
(え? 食べ物なんスかこれ?)
いっそ誰かに声を出して訊いてしまいたくもなったが、白黒はまずは改めてもう一度丼の中へと向き直った。
「…。……。………。スミマセ、なんだか眺めてるだけで目がピリピリしてきたんですけども…」
「さきの話の続きなるケド、ワタシ、オマエの家――〝白黒一家〟のことはオマエの昨日の暴れプリ見る前から知てたアル」
「…。……。………。なんでしょこれ。今スープの表面から〝ボコッ〟っつーヘンな気泡が…」
「ワタシの実家、香港を拠点に〝貿易会社〟やてるネ。一六年くらい前、ワタシのパーパが日本へ仕事に来た時、――オマエの先代てコトになるカ? 〝四十五代目にはとても世話になた〟らしいアル。もしあの時白黒一色と逢てなかたらお先真暗だた、そう聞かされて育て来たネ」
「…。……。………。麺自体に赤いツブツブが付いてますように見えるのは、これは――? え? 麺を作ります段階で唐辛子でも練り込んであるんスかこれひょっとして?」
「日本に来てから、戌亥に来てから、本物の白黒一家と逢てみたい――ずと思てたヨ。ワタシの一族、受けた恩義は決して忘れないアル。これからも気軽に学食に来るヨロシ! オマエにはいつでも大盛りの出血大サービスしてやるアル!」
「そ、そそそそうですわ! こいつァまるで血のような赤さ! ヒアアアア!」
びっくりするくらい会話が噛み合っていなかった。
どちらも喋りたいことを喋り倒しているだけの格好である二人にツッコミは不在。拒は拒で牛焼肉カルビ定食が乗った膳を持って遠巻きの席に陣取っていた。ツッコミ不在というか、ツッコミがツッコミを放棄していた。
「ささ! 熱い内に食べるヨロシ!」
二人揃って割り箸を割る。
二人揃っていただきます。
だが坦々麺目掛けて動き出したのは緋華一人だった。
「ちょいと待ちましょうや、その、ええと、えええええ…? なんスかこの――坦々麺? ただ単に赤いだけの何かなんでねっスか? ってゆーかこれはもう坦々麺(仮)でしょうわ…?」
ひたすらたじろいでいる白黒をさておき、緋華は早速スープ(赤)が絡んだ麺(赤)をレンゲと合わせて箸で一掬い。するするするーっ、とごくごく普通に一口食し始めた。「我ながら会心の出来アル」と満足げに笑んでいる。
(ウェ? フツーに食べられる代物なんスか?)
白黒は肩透かしを食ったような気分になった。
――なんだ。
――ちょっと見た目がアレなだけってオチですかよ。
我ながら気後れし過ぎた。こうして食堂に丼の体裁で出て来ている以上、まさかまさか、口に入れられないようなものであるはずがないのだ。そうだそうだ。
白黒はニャーはははと笑うと、異様に張り詰めた空気を醸す衆人環視の中、一人気楽な所作でまずはレンゲでスープを掬い(行った! 行ったぞ! というどよめきが上がった)、軽く口を付けた。そして啜る。
化猫任侠白黒一家四十六代目〝物九郎〟――白黒二色。
妖怪としてこの世に存在してこの方、口から火を吹いたのは初めての経験だった。




