【3】「月に一度の祭り」
白黒は下駄履き、三毛次は雪駄履き。
時代錯誤な格好に相応しい独特の足音が二つ、戌亥ポートアイランド島内表面積のうち四分の一を占める学生区へと静かに鳴り響いていた。
起伏のないどこまでも平坦な地面に整然とした街並みが並んでいる。建物の並び方や道路のつくりはまるで将棋や囲碁といった板状遊戯の俯瞰視点を想像させた。
「空が随分と広く見受けられやす。お天道様がいつにも増して眩しいくらいでさァ。…? ああ、成る程。電線が一本たりとも頭の上を渡っちゃァいねえと来たもんで――ははぁ、だからでございやしょうか」
三毛次の言葉に「おお、そういやそうですわな」と目をしばたく白黒。と、唐突にうつ伏せになって地面へ張り付いた。耳を地面に押し当てている。しばらく口を「へ」の字に曲げて何やら集中していたかと思えば、これまた唐突にガバッと跳ね起きた。
「ホアー。ニャんだかビビビビビッとした感じが地面ン中をタテヨコ直角に走り回ってるますような気がしますでよ」
「そういや冊子の方に斯様な記述がございやした。電気然り水然り〝らいふらいん〟は基本的に地中を通して網羅されている、と。ちなみに水についちゃァ島を支える各支柱に搭載された浄水漕が海水を汲み上げることで供給されている――とも」
「ヌーヌヌヌ。この島ってばパッと見はどこもかしこもキチッキチッとしてますけどもよ、地面の下じゃァそんなドエラいことになってるんスか…。アリもモグラもいい迷惑なんじゃねえですか? ろくろく住み家も掘ってられねえでしょうわ!」
「さすが若…! 常にカタギの衆を気に掛けるとはなんとお優しい! それでこそ一家を背負って立つに相応しい器でさァ!」
どこまで本気なんだか判らない間抜けたやり取りを交わしながら(少なくとも白黒は本気で気遣わしげな顔をしていた)、二人は静かな街の中を進んでいく。
静かな街だった。
どこまでも静かだった。
片側二車線の広い車道が通っているのに車の往来はまるでなく、辺りを行き交う人の姿もやはり無い。ただでさえ学生ばかりのこの島で学生ばかりを集めたこの区画、しかも平日の授業時間中、とは言え――
「なんつーか随分と静か過ぎねっスか? 俺め、ひょっとしていつの間にやら神隠しにでも遭っちまったんでしょうかや…? さっきのモノレールにしましてもよ、冷静に考えたらスゲー不吉な名前だったような気ィしますし」
「確かに…。人っ子一人居ねえたァ、こいつは確かに妙な話。いま目に入る中で動いているものといやァそちこちの風車ばかりと来たもんで」
「ウォォオオオエエエ」
「若ッ!? どうされたんで!?」
「く、くだんのその風車を思わずガン見しっちまいましてよ、し、しましたら、目が、目が回って――ウップ」
「若ァァァァァ!」
まるで無人の往来にて再度ぶっ倒れる白黒。三毛次も三毛次で律儀にいちいちそんな彼を抱き起こすのだった。
「…ったく、ヘンなこと言うんじゃニャーですよ三毛次ィー! 動いてるモンをばついつい目で追っちまいます俺めのクセは重々承知でしょうわ!」
「も、申し訳ありやせん!」
「ゴメンで済めば閻魔様は要らないんで――が、がふっ」
「若!? 今度はいかがされたんで!?」
「実は新天地に緊張しっパでしてよ…。は、腹が、もう、減っ――あううー」
「若ァァァァァ!」
三毛次の腕の中で白黒の重みがずしりと増す。自分の力で自分の身体を支えなくなったが故の重み――完璧に、虚脱したのだ。
「くぅっ! あっしが付いていながらなんという失態! 噂に伝え聞いちゃァいたが、戌亥ぽぉとあいらんど、やはり生半可なもんじゃねえ…。白黒一家再興の悲願、やはり一筋縄では行かねえってことかい――!」
「…いや、どう見てもソイツが一人で七転八倒してるだけだろ」
仁侠映画の中で凶弾に倒れて胸をゆっくりと緋色に染める親分にすがりつく子分よろしく歯噛みしていた三毛次に、そのとき掛けられる声があった。
三毛次は振り返り、そして驚きに左眼を瞠る。
そこにはいつの間にか呆れ顔で頭を掻いている人物が立っていた。
涼しげな雰囲気を纏った、すらりとした長身の青年である。首の裏で一度結わえられた長い灰髪が風に遊ばれてふわりと揺れている。右耳に一つ二つ散見されるシルバー製のピアスやらカフスやらの存在がワイルドさ加減を醸していた。
――ワイルドとは言えゴリマッチョとは系統が違う。
――喩えるならば、しなやかに駆ける肉食の四足獣のような。
そこに加えて顔の造作はというと気立ての良さそうなあんちゃん風味である。道端で転んで泣いている子供を見掛けたら「おら泣くな坊主、男が下がるぜ?」くらいのセリフを違和感無く言ってのけそうなイケメンだった。
「まぁ話聞いた限りじゃ、お前さんら今日の〝祭り〟の怪我人ってんじゃねえらしいな。…まだ前半だし連中は殆ど〝円卓〟だしな。それにその荷物、今しがた島に来たってトコか? 物好きな奴らだ」」
――〝祭り〟?
相変わらず熱にうなされたように(実際には空腹なのだが)あうあうのたまっている白黒を背負い上げながら、三毛次は眉根を寄せた。死んだように――といっては言い過ぎかもしれないが――静まり返った街並みを捕まえて、いったい何が祭りだというのか?
「失礼。御仁はいったい…?」
「しがない喫茶店経営者だよ。従業員ゼロ、店主は俺一人の――でもまぁ自慢の店だ」
そういって灰色髪の青年は身に付けている長い前掛けを示して見せる。『Wolf in forest』――白地に黒抜きの瀟洒なレタリングで、そのようなロゴが入っていた。
「とにもかくにも〝ようこそ戌亥ポートアイランドへ〟って所か。いち島民としてアンチ戌亥のテロリスト以外なら歓迎しておくぜ。…そっちの作務衣のガキは、なんだ、とにかく腹空かせてるってコトなんだろ? まあ中に入ってけ入ってけ。基本的にはコーヒーやらブレンドティーやらを味わってって欲しいのが経営者としての本音だが、軽食の品揃えだってなくはない。ナポリタンくらいなら出せるぜ」
女子高生辺りが実に放っておかなさそうなイケメン喫茶店店主は、次に己の背後を親指で指し示して見せる。エプロンのロゴよろしくの看板が下げられたこじんまりとした喫茶店がすぐそこに建っていた。白黒と三毛次はそんな所で仁侠映画ごっこを繰り広げていたようだった。
「! ナ、ッナナナ、ナッポォリタァーン! ナポリタンと聞いて俺めは帰還!」
「若! 気が付かれやしたか!」
食べ物の気配を聡く察知した白黒ががばりと上半身を跳ね起こす。喫茶店店主殿はますます呆れ顔を濃くしていた。
「ナポリタンってェとアレですか! アレっスね! アレですよな! 〝我輩の辞書に――〟」
「それはナポレオンな。ちなみに言っておくとスパゲティナポリタンは別にイタリア発の料理ってわけじゃないぜ。日本発明の洋食だ」
ツッコミついでに豆知識まで披露する。その慣れっぷりたるや客商売の長さを思わせた。
「がっふァ! お、大声出しましたら、空腹にトドメ刺しっちまいましたわあ…。もう指一本動かせませフオオオオ」
「若ァァァァァ!」
「いいからお前らとっとと中入れ…! 人の店の目の前でやいのやいの騒ぎやがって、いい加減にしねえと出るトコ出るぞ!」
まるで猫よろしく首根っこを掴まれて引き摺られる作務衣と着流し両名。勢いよく開閉されたガラス戸のカウベルが苛立たしげにガランガラン鳴っていた。
※ ※ ※ ※ ※
喫茶店『Wolf in forest』。温かみを感じさせる木目を基調とした内装の店内にはカウンター席に加えてテーブル席が幾つか。常に最新を目指す科学と常に最古を目指す魔術とが集中する島にあって、どうやらここは何の変哲も無いごくごく普通の喫茶店のようだった。
灰髪のイケメン喫茶店店主は二人に自らを大加美稜牙と名乗った。
宣言通りに登場あそばしたスパゲティナポリタンを箸でガツガツ食い散らしている白黒は、一旦咀嚼の口を止めて顔を上げた。
「ヌ? オオカミですって?」
「オオガミだ、オオガミ。オ・オ・ガ・ミ」
「アオーンなんつって。ニャーははは」
「オオガミだって言ってんだろうが…! 飲み食いしてるモンまとめて取り上げるぞ。もしくは代金きっちり払わせるぞ」
カウンターに寄り掛かって立ちながらマグカップでコーヒーを啜る稜牙がやおら睨みを利かせると、白黒は「ギャー申し訳ナッシング!」と涙目になって悲鳴を上げた。
白黒二色に茶斑三毛次。
両名はぶっちゃけ文無しだった。
白黒が『よもつひらさか』車内で三途の川目掛けてトリップしながらのたまっていた通り、モノレールの乗車代と購入した海軍カリー弁当(五人前完食)とで彼らの路銀はスッカラカンになっていたのだ。そんな彼が何故いまトマトソースの酸味もほど良い(手製だという話だった)スパゲティナポリタンをかっ喰らっていられるかというと、それはひとえに稜牙の温情以外の何物でもなかった。
(はぁ? 金が無いって?)
(スミマセ、これが今の俺めの手元にあります全財産でして…)
(どれどれ。入島許可証、ビー玉二個、すり切れたお守り、異様に丹念にヤスリがけされたベーゴマ一個――いったいこの島に何しに来たんだお前)
(だ、大事な思い出の品々なんですわ!)
(財布とケータイすら持ってないのか…。入島許可証だけが逆に浮いて見えるとは、とんだ不思議もあったもんだな…)
(御主人! 何卒、何卒、せめて若にだけでも何か口に出来るものを――! 代わりにあっしのことは如何様にでも使い潰して下さって構いやせん! まずは水汲みなどやらせて頂きやす)
(いや要らん。井戸とかねーし。浄水漕を通って海から水道水が幾らでも出て来るんだよこの島は。…っつーか、なんだ。その言い草からすると、お前さんも腹減っちゃいるのか…)
――とまあそんなこんな。
三毛次が土下座姿勢に入り始めた辺りで「もういいよ奢るから…」と稜牙が折れたのである。
「え、ええと、オオカミ…? オオガミ…?」
「オオガミだ。仏じゃないが、三度が限度だぞ」
「若。口元が汚れておりやす。こちらを向いて下せえ」
「ふにゃー」
「…。いったいなんなんだお前さんら」
ではお言葉に甘えて緑茶を所望致しやす、と言い出した三毛次は(腹減ってるんじゃなかったのか)、湯呑みに両手を添えて茶を啜りつつ白黒の面倒を見つつと涼しい顔で大忙しだった。
「っとと、そうだそうだそうですわ! そう言やオオカ――げふんげふん。オオガミ兄貴にばっかし先に名乗らせっちまいまして、全く俺めってばダメダメですに」
「なんだ今の兄貴ってのは」
「当方、姓は白黒名は二色と申しまさァ! つい今さっきこの島の敷居を跨がせて貰いました身ですでよ!」
「おいおいスルーかよ。いい度胸だな坊主」
「御容赦下せえ、大加美殿。若は一人っ子です由、兄というものについてかねてより憧憬を抱いておりやした。大加美殿のような出来た年嵩の御仁に良くされてはまさに無理からぬことかと」
「ああそうかい。いいよもう、なんでも…。それで? お前さんはこの白黒ってのの保護者ってトコなのか?」
こん、と湯呑みをテーブル上へ下ろす三毛次。
「へい。あっしは若の目付役でさァ。姓は茶斑、名は三毛次と申しやす。よしなに」
「目付ねえ。の割にゃ甘やかし放題に見えるがな…」
「ヘイ兄貴! オオガミ兄貴! 自己紹介も終わったトコでちょいとばかしよろしいでしょうかや!」
三毛次にテーブル備え付けの紙ナプキンで拭いて貰った先から口元をベッタベタにする白黒が、手元をばんばん叩いて大声を張り上げ始めた。幸いというべきか他に客の居ない昼下がりの『Wolf in forest』である。
「なんだ? お代わりか?」
「おお、よろしけりゃァ是非にお願いしま――ってそうでなく!」
「要らないのか。じゃあ片しちまうぞ。この島に住むんなら、次からは金払えよな。今回の分は奢りにしとくから」
「…! す、スミマセ! 頂けるんでしたらやっぱし貰ってもイイですか!」
まるで頭突きで瓦を割ろうとする格闘家のような速度で額をテーブルに擦り付けてカラになった大皿を差し出す白黒。稜牙は「へいへい」と殊更呆れ顔でタダ飯をもう一度準備してやる。真実なんだかんだで面倒見のよろしいあんちゃんのようだった。
「それで? いま何を言い掛けたんだ?」
「ンにゃ。今さっき〝今日は祭りの日〟なーんて言ってたじゃニャーですか。表通りはあんなガラガラですってに、一体どーゆーワケですよ?」
「そいつは――あっしも気になっておりやした」
白黒と一緒になって三毛次も揃って稜牙を見上げる。
「祭りは祭りでもあっしはてっきり何かの宗教的祭祀…。そう、例えば物忌の類かなどと思っておりやしたんですが――」
「おま…。いくらオカルトなんでもござれの島だからって、向こう三軒のみならずどこもかしこも戸締りして引き篭もってって、どんだけ陰気な島だよ」
苦笑し、稜牙はカウンター奥に設置されている流しへとマグカップを置きに行く。二人してそんな喫茶店店主の動きを、ぐいーん、と首を巡らせて追うのだった。
「こっちの方は今はたまたま静かなだけだ。騒がしい所なら引っ切り無しにバチバチやってるはずだぜ。戌亥ポートアイランド名物、月に一度の祭り――島の顔役、十二の学院が激突する擬似戦争、人呼んで〝合戦〟がな」
「? ドッグ…?」
「ふぁいと…? でございやすか?」
顔を見合わせる白黒と三毛次。まるでポカンな表情だった。
「島に入る時に管理セクションのねーちゃんから説明されなかったのか? …っつーか、戌亥ポートアイランドへ就学しに来といてこれを知らないってどういうことだオイ。どんなパンフにもたいがい記載されてる要綱だろうによ」
「ヌヌヌ。この島でベンキョーせにゃァなるまいと思い立ったが吉日の善は急げ、諸々手続きしましたり編入試験受けさせられましたりでドッタバッタしっパで――」
「まるで知らない、と…」
若干ヒき気味の苦笑を零しながら、稜牙は「さてどう話したもんか」と一人ごちる。
「まあ、そうだな――百聞は一見に如かずってやつか。ちょっとそこから表見ててみな。来るぞ」
ポカンの次はキョトンな表情で、言われるがままガラス窓越しに表通りを見遣る新島民二名。
――次の瞬間。
――落雷じみた閃光と爆音が無人の交差点のど真ん中で炸裂した。
「ギャース! まぶしッ!」
白黒は思わず両目を塞いでもんどり打ち、盛大な叫び声を上げていた。