【1】「ただし砂糖は二本までだ」
一体どういった複雑な理由があったのかは知らないが、とにかく両親の結婚は駆け落ち同然のものだったらしい。
サンタクロースの正体だとか。赤ん坊の出生とコウノトリには何の関係も無いとか。その辺りの事情が理解出来てくる程度の物心すら付く前に、そんな両親は揃って死んだ。ありふれた交通事故だった。
葬式にすら姿を現さない親類一同。完膚なきまでの絶縁状態。そんなわけで、一人残された娘の「引き取り手」は誰も居ない。どこにも居ない。
――そうして「彼女」が幼少期を過ごすことになったのは。
――東京都は目黒区にある、経済的に余裕があるでもないのに結構な数の子供の面倒を見ている、俗にいう養護施設というものだった。
DOGS! ~戌亥ポートアイランド騒動記~
<神無月学院入学案内・前編>
別にそこで苛烈な幼児体験をしただとか、そういったものは別にない。せいぜいが「施設の子供」だということで小学校でありふれたひやかしやイジメらしきものを受けた、その程度である。面倒を見てくれた人は優しくて、周りの子供も皆素直な性格のいい子達だった。
しかしいかんせん経営は困窮している。
玩具の人形一つを取っても、きっちり手足が揃っているものなど一個も無い。
それでも子供達が毎日笑っていられたのは、よく庭先にやって来ていたやたら人懐っこい野良猫に紛らわされた部分が大きかっただろうか。
一匹はぶち猫。
一匹は三毛猫。
ぶちの方は子猫の上に発育不良らしく妙に小柄、三毛の方は片目が潰れていたりする――とりあえず妙な二匹だった。やたらチョロチョロ動き回るぶち猫の首根っこを三毛猫が咥えてどこかに消えるというのが帰る時のお決まりで、そんな様子からして、まるで親子のようだったことをなんとなく覚えている。
周りの年下達の面倒も見られるようになって来たくらいのある時。彼女は子供達に混じってぶち猫の方に手を伸ばしてみた。
尻尾を掴んで逆さ吊りに持ち上げてみた。
(ふみゃぁぁぁーご!?)
すっげー鳴かれた。
挙句の果てに手の甲まで引っ掻かれた。あれは痛かった。
――そして彼女は猫が嫌いになった。
以来、その野良猫どもにはノータッチを貫き通した。というかそれ以降あのぶち猫が自分にだけは近寄って来なくなったというべきか。何かの手違いで接近遭遇することがあったとしても、尻尾をビンビンに立てるや電光石火で逃げていったものだった。よく覚えている。
そして彼女が結局暇潰しの道具として行き着いたのは、それさえあれば他の一般家庭と変わりないレベルの娯楽が得られるという代物。テレビだった。
相応に世間のことが分かってくる歳にもなれば、画面の中で取り沙汰されている情報にした所で、何を言っているのか、何を伝えようとしているのか、その辺りの理解も行くようになってくる。自分の身の丈が社会の流れに噛み合って来たかのような自覚。それが面白かった。
――そして彼女は目が悪くなった。
幼少の頃の話を、と言われて、彼女がすぐに思い出せるのはこの程度のことである。こんなしょうもないようなあれこればかりが思い起こされてくるということは、まあ要するにそれだけ概ね何の問題もない生活だったのだ、本当に。
あと何かあるかと言われれば――そう。
多数の反対やら国内外を問わない様々な政治レベルのバッシングやらも跳ね除けて東京湾上に建造された〝とある総合文化研究機関〟である島の存在感というべきか、公的な市民権を得始めて来た〝本物の超能力〟などという代物を扱っていたテレビ番組の真似をして、バカらしいバカらしいとは思いつつも台所からくすねてきたスプーン相手に「曲がれ」と念じてみたらなんと曲がった挙句に柄からバッキリと折れたことがあり、それと同時期、書類審査に通りさえすれば学費免除で就学・進学出来るエスカレーターに乗れるという案内を〝その島〟の〝とある学院〟が全国区で配布しており、施設の先生や子供達からは反対があったが自ら口減らしのつもりでそれに申請するだけ申請、するとなんと翌日には合格通知が送られて来、それを契機に中学生になると同時に施設を出た形になるまでの一連の流れであるとか――
もっとも彼女にしてみれば「大事な思い出」の集約時期は幼少期にはない。
決してその時周りに居た人間のことが嫌いだというわけではないが(今だって連絡を取り合ったりしている)、それでも彼女の「今の彼女」を形作る決定的な出来事は本土には無かったのだ。
本土には、無かった。
彼女はこの島で変わった。
変わることが出来た――引き上げて貰ったと、そう言い換えてもいい。むしろ彼女自身はそのように認識している。
入学した学院で特別な開発カリキュラムを受けるまでもなく、スプーンを曲げること――「手で触れて念じることで物を動かすことが出来る」という超常が自分には備わっていた。
――超能力。
――念動力。
それが彼女にある天与の力の名前だった。
しかし島に来て一週間とせずして残酷な真実が彼女を打ちのめす――どうやら自分は、それしか出来ない、と。どれだけカリキュラムをこなしても本当に〝それ〟しか出来なかったのだ。しかも利き腕ではない方の手で集中した時だけという妙な条件付きで。
努力は重ねた。
しかし進歩は得られなかった。
そんな彼女が、どうしようもなく越えられない壁を感じるまでにそう時間は掛からなかった。
時は中学二年生になるかといった頃。端的に言えば、自棄を覚えた。
大見得を切って本土から出て来たというのにこの体たらく。所詮自分はこんなものか。この島から落ちこぼれた矢先、そもそも自分に帰れる場所はあったものかどうか。
友人を作るでも周りに相談相手を持つでもなかった彼女である。そんな差し迫った精神状態では「あること」を思い付くまでにそう時間は掛からなかった。
それを実行に移そうかどうかという瀬戸際に居たある放課後のこと。
――本当に。
――本当になんとなく、ふと目に付いた喫茶店に入った。
客も従業員も居ない店だった。どうやら店主一人で営業しているらしい。
飲み物ならなんでもいいと注文する。すると歳若そうな店主が持って来たのは一杯のコーヒーだった。
なんでもよかった。
本当になんでもよかったのだ。
超能力を使う都度に糖度欠損症をしばしば起こし掛ける彼女に必要なのは、嗜好ではない。純粋に、糖分だ。糖分であればなんでもよかった。その日も中等部で自分の能力を「一応」限界まで測定し尽くした後であっただけに意識は白み掛けていた。
――こんな状態で思い付いたことを実行するよりも、せめて。
要するにその時の彼女の心情はというとそんな具合だった。聖人が最後の晩餐にパンと酒を食したというならば、自分はこの泥のような水でも啜って終わりにしよう、と。そんなことをふと発想するくらい、発想してしまうくらい、彼女は自棄になっていた。
備え付けのスティックシュガーを片っ端から投入する。手持ち無沙汰そうな店主が軽く引いているのが見えた。構わず更に投入する。隣の席に備え付けられていた分も引っ張って来た。もっともっと投入する。
コーヒーを飲むというよりも砂を噛むようにしてカップをカラにする。
(ほらよ)
すると。頼みもしていないのに、店主がもう一杯のコーヒーを持って来た。
訝るような表情になるも、どうせ出されたならと彼女はまたスティックシュガーへと手を伸ばし――
(おっと、ただし砂糖は二本までだ)
そこで店主のストップが掛かる。その時彼女は訝しむどころか射殺さんばかりの視線を返した。
(ミルクが必要なら出すぜ。コーヒーに蜂蜜を入れるって嗜み方だってある、試してみたけりゃそれも出してやる。ただ、砂糖だけそんなバカスカ入れるのはナシだ。ちょっと見てられないからな――お前がいくら甘党だっつってもそりゃ無いだろう、眼鏡っ娘)
言われ、喰って掛かるような言葉を返す。
何を言ったかは彼女は覚えていない。こと〝この日〟に関する記憶容量は全部全部、この時の店主の言葉を集約することで使い切られている。
(取り分けこの国なら今この瞬間にコーヒーを飲めなかったってだけで死ぬようなことはそうそう無いだろ? 要するに、どうでもいいレベルの商売なんだよ。喫茶店なんてな)
自分で自分の商売を全否定する店主。
(でもなんつぅのかね――そういうどうでもいいことだからこそ、どうでもいいくらい拘ってみるのも一興ってやつだろう?)
それは余裕のある人間だけがかませる余裕だ。そんなことを思ったのか、それとも口にしたのか。
とにかく店主はこう続けた。
(特に切羽詰まってる時ほどな。仕切り直しにはもってこいだ)
――瞬間、彼女の中で何かが決壊した。
この店主のことは何も知らない。あちらだって、こちらのことは何も知らない。そうに決まっている。たまたま投げ掛けられた言葉が、なんとなく、本当になんとなく、ふとした弾みで状況と噛み合った――それだけのことだ。それだけのことなのだ。彼女は頭ではそう理解出来ていた。
だが。
心の方では、堰が切れた。
たぶん泣いたと思う。大声も出したかもしれない。ただはっきりと覚えているのは、自分が抱えていた鬱屈したあれやこれを小一時間は掛けて片っ端から吐き出したということだけだった。
店主は余計な相槌すら挟まずに話を聞いてくれた。
(なるほど。――そうだな、例えば)
最後の最後でようやっとそう相槌を打ったかと思うと、変に気を遣うでもない素振りで言う。
(真剣が1本あんのと、木刀が100本あんのと…。どっちが良いっつったら、どう思う? ま、場に真剣が100本あったり、拳銃が一丁あったりすりゃ前提は覆るだろうが…。でも、まずお前の1本が何かってこったろ?)
この店主のことは何も知らない。あちらだって、こちらのことは何も知らない。そうに決まっている。
――だが、それでも。
――店主の言葉はこの上なく、彼女へと向けられているものだった。
コーヒーは奢りということにされた。
思い付いていたことの〝実行〟は止めることにした。
――彼女は「引き上げられた」。これがその顛末である。
そして彼女はその翌日から、それしか出来ないということを嘆くよりも先に「それが出来る」という一点をひたすら磨くことにした。
かなり間抜けな絵だったが、足の指の間に挟んだスプーンでも「同じこと」が出来ることにまず気が付いた。そこからは芋づる式だった。脇だろうが口だろうが、とにかく「右半身」ならば力は駆動する。
零距離からの念動力。
彼女はそれをひたすら練磨した。
練磨して研鑽して開発して研究して分析して強化して――磨いて、磨いて、磨き上げた。
努力は重ねた。
しかし進歩は得られなかった。
だから、もっと努力した。
もっともっと――もっともっともっともっともっと、努力して努力した。
一本までしか折れなかったスプーンが、二本同時に折れるようになった。
二本までしか折れなかったスプーンが、三本同時に折れるようになった。
三本までしか折れなかったスプーンが、四本同時に折れるようになった。
四本までしか折れなかったスプーンが、五本同時に折れるようになった。
五本。
六本。
七本。
八本。
九本。
十本。
一日ごとに昨日の自分を追い越していく。
ふと気付くと、スプーンではもう役不足を覚えていた自分は、測定用の大型機材を相手取っていた。またある時に気付くと、自分用の特注機材が準備されていた。そして――それら全てを、ぶっ壊していた。吹っ飛ばして、ぶっ壊していた。
彼女はそのまま突き進む。彼女はそのまま昇り詰める。その過程で右手だって左手と同じように使えるようにした。
高等部に進む頃には各委員会活動のヒエラルキートップに位置する生徒会入りをフクロウ似のじーさんに勧められるまま受諾。磨き続けてきた自分の力を試そうと思ったら、当時の生徒会長を一撃で吹っ飛ばしてしまっていた。
そんな彼女が今以って続けていることは大きく二つ。
それは――自らに最強を課し続けることと、あの店主が居るあの店に毎朝通うことだった。
※ ※ ※ ※ ※
――二〇二六年四月二十五日(土)7:20 戌亥ポートアイランド / 学生区・西側入島管理セクション付近――
店の前には猫が居た。
茶斑模様の三毛猫で、なんと片目が潰れている。
「…なんかどこかで見たような気がする猫ね」
今朝見た(ような気がする)夢の中でだったか。いや、つい昨日辺りに逢ったような気がしないでも――ない?
無改造制服に身を包んで朝早くに学生寮を出、自らの通う学院まで直行しているバスをわざわざ途中下車してやって来た「彼女」は呟く。
戸口の脇に伏せってウトウトしていたくだんの三毛猫はこちらに気付いたらしい。耳をバサリと起こしながら丸まっていた背筋を正すと、こちらをジーッと隻眼で見詰めて来る。
「何よ」
昨日猫と会話するという経験をしてしまったが故か、なんとなく喋ってしまう。
と、三毛猫が動く気配を見せた。
何を始めるかと思えば、右前足を持ち上げて、こいこい、とばかりに手招きの動作を始めた。
「いらねーわよ。いいからとっとと退きなさい。踏むわよ。故意に」
入り口目掛けてずかずか進んでいくと、三毛猫はピュッとどこかへ(店の裏手側だ)走り去っていった。
「…ったく。招かれなくたって普通に入るんだから、視覚的に煩わしいことしてるんじゃないわよ」
鞄を提げた手でドアノブを開く。慣れた手応え。カウベルが奏でる心地良い音色も、実に耳慣れたものである。
彼女は掛けている分厚い眼鏡の位置をブリッジに軽く指で触れて正しざま、鋭く一息を吸い込み、そして――苛立ちが常に滲んでいるようなそれから表情を切り替えた。
「おはようございます、稜牙さんっ! 今日もとっても晴れてますね!」
「あー? ――おう、おはようさん眼鏡っ娘。っつーか本当に今日も早いな」
「やぁだぁ、いつものことじゃないですか! それじゃ早速ですけど、こっちもいつものお願いします」
「はいよ。モーニングティーセットな。フレンチトーストには? シナモンか、それとも――」
「メープルたっぷりで☆」
彼女――神無月学院生徒会長、乗降拒。
〝ツンギレ〟の通り名を持ちながら、唯一、喫茶店『Wolf in forest』でだけデレる少女である。




