【16】「一体何考えてるワケ?」
「縁起がいい数字なんだってのはイヤってほど判るんだけどさ」
変声期前の甲高い声で少年はぼやく。
「いくらなんでもナイよなぁ、この〝部屋〟のムダなだだっ広さだけは。毎回足運ぶコッチの苦労も考えろっつーの。全く、あのバカアニキは――」
――戌亥ポートアイランド島内 どこか / 統括理事会〝第十議席〟執務室〝七七.七メートルの部屋〟――
「ホント、アニキが〝こんなの作ろっカナー〟とか言い出した時になんで意地でも止めとかなかったんだろオレ…。まあ今更後悔しても遅過ぎだけど」
口を「へ」の字にひん曲げた不機嫌そうな表情がやけに板に付いている――若々しい反骨精神の豊かさを誰にも一目で感じさせるような、そんな小柄な少年だった。
髪の色は銀。しかしその髪の色のギラつき加減にはムラがあり、生え際には明らかに黒いまだらが散見される。ついさっき歩きながらカラースプレーを適当に一缶使い切って頭を染めました、と言われても納得出来てしまいそうな、えらくぞんざいな銀髪だった。
少年の顔立ちにはもう一点、否応にも目を引く要素があった。右頬に目尻を掠めるほどの大きさで青い星が描かれているのだ。ぶすっとした表情に反してえらく奇矯な意匠だった。
それは刺青ではない。
それは化粧のようだった。
「ま、いっか。呼び出されるたんびにコイツの試運転してるもんだと思えば」
少年は歩いているわけではない。直立した姿勢のまま、高度一メートルも無い低空を時速六〇キロで真っ直ぐ滑るように移動していた。
前後に肩幅ほどの大きさで開かれた彼の足が踏んでいるのは一枚のボードだった。タイヤの無いスケートボード、と形容すればそれだけで終わってしまいそうな代物だが、しかしそれは反重力システム準拠の浮動原理と推進剤の適宜噴射による加減速機構ほか様々なシステムが積み込まれた、島のどこでもまだ一般流通していない、紛れもない超科学の産物たる一点物のエアライディングボードである。
――〝じゃじゃ馬妖精〟。
長ったらしい正式なロット名や型番やらが別個に存在しているということは知っているが、取り分け彼はこのボードをそう呼んでいる。
毛細血管の造影図よりも複雑な複雑さで光の点が心電図のようなペースで時折床・壁・天井を走っていく――それ以外に明かりと言えるような明かりも無い闇の中を、一人の少年を乗せた一機の妖精が飛んでいく。七七.七平方メートルもの広さの最中央の中を、真っ直ぐに。寸分違わず。
やがて行く手に人影が見えて来た。
後頭部で両手を組みながらめいっぱいリクライニングさせた椅子にふんぞり返り、トランプが滅茶苦茶に散らかったガラス製のテーブルに長い両足を投げ出している、公営カジノの支配人のような黒服姿。顔には黒帽子が被せられており、起きているのやら眠っているのやら判然としない。
――ここ七七.七立方メートルの部屋の主。
――戌亥ポートアイランド統括理事会〝第十議席〟。
「よっと」
少年はボードの後尾を軽く踏み込んだ。呼応して先端がホップする。
いきおいティンク・ア・ベルが宙へ舞った。そのまま少年は黒服黒帽子の直上をムーンサルトで抜けていく。
少年の首に掛かっているアクセじみた認識票がジャラリと旋回した。所属、血液型、生年月日――そのタグは何もかもが空欄、かと思いきや、ただ一つ。名前の欄だけに刻まれている文字がある。
Le fou。
フランス語で〝道化〟の意。
第十議席補佐官――これが〝彼〟の名前だった。
エア噴射でホバリングを効かせながら、スルスルと高度を下げていく。やがてボードは床までペタリと接地した。ル・フゥがつま先で機体表面を二度三度突付く。静かに唸り続けていた機体の駆動音が止まった。
「アニキー。ご注文の品だぜ」
ぞんざいに声を掛けながら、ル・フゥは片手にぶら下げていたビニール袋を持ち上げて見せた。そこには島内で営業している大型ホームセンターのロゴが描かれている。
「…。……。………」
へんじがない。ただのしかばね――ではなかろうが、とりあえず返事は無かった。
「アニキー」
「…。……。………」
「…アーニーキー」
「…。……。………」
「…。……。………」
「――ンだよもォ食べられねェよzzz」
「ッッッ!」
ル・フゥはずかずかと歩み寄ると、ガラステーブルの上からトランプを一掴み取り上げる。
「起きろっつーの! JOKER!」
そしてそれを――バサァと投げ付けた。
グフェアという妙な呻き声が上がる。手首も白ければ手の甲も白く掌だって白ければ指もやはり白くもちろん爪まで白い――ひどく病的な色彩の手がゆるゆると持ち上がり、顔の上から黒帽子をのけた。
銀髪白皙。血色の瞳。左頬には涙の刺青。
その時くしくも彼の鼻面にはそのカードが引っ掛かっていた。
玉乗りしながらジャグリングをする狂ったように笑うだんだら服に二股帽子の――道化師が。
起き抜け(爆睡だったらしい)の定まらない焦点のまま、タトゥーの男・JOKERは言う。
「戌亥ポートアイランド〝第十議席〟――俺のコトはそォ呼べっていッッッッッ・つも言っ」
「はいはいダイジューギセキダイジューギセキ! 可愛い弟分が律儀に言い付け守って来てやりましたよ!」
「ハ? 可愛い…?」
あからさまにゲンナリした目でこちらをしげしげと眺めて来るJOKERに、ル・フゥはビニール袋の中から取り出したものを思いっ切り投げ付けてやった。今度は軽く翳した手でキャッチされる。
要望の品、瞬間接着剤だった。
ただし超お徳用サイズ。
練りハミガキのチューブを三本束ねたくらいのでかさがある。
どう考えても無駄に余りまくるだろうこと請け合いの代物だった。
「と・サンクスサァーンクス! そそそ、コレだよコレ♪ この超極細先端ノズルさえあればイッツァ百人力! この手頃な太さもなッ・かなかに握り易くてグー」
「しまった…イヤガラセがあんまり通用してねえよこの人…」
椅子のリクライニングを跳ね起こし、接着剤片手、嬉々としてテーブルに向き合い始めるJOKER。トランプをざかざか掻き集めるや、チャッチャとタワーを築き始めた。その手付きは淀みない。ちょっとおかしいレベルの器用さだった。
ル・フゥはそっぽを向いて肩を竦めた。しばらくの沈黙の後、胡乱な目でガサガサやかましいばかりのビニール袋をねめつける。
舌打ち混じりに袋の表面を指で一発、弾いた。
ザラァ。
急速風化したかのように袋が消失した。
もしここに専門の観測機器でもあったならば、それは分子レベルで崩壊したのだということが判っただろう。
「っつーかアニキさぁ」
「ァンハ?」
トランプカードの各辺に薄く接着剤を塗りつつ、タワーを組み立てつつ。まるで上の空なJOKERの返事にしかしル・フゥは構わず話を続けた。
「マジでどうすんの? あのヘンなヤツ。ほっといたらほっといたで本当に色々とどえらいことしでかしちまったじゃん」
「ンー。そォだにぇー」
「全島内にがっつりピックアップの上生中継だぜ? あの会長さんのトップシークレットもどうしようもなくついに陥落だ」
「ンー。そォだにぇー」
「こりゃもう来月からの合戦は完全に泥団子展開だろーな。どこの学院も、恐らく――とうとう神無月狙いで動く。下手すりゃ次の一戦の間くらい十一学院が同盟組んじゃったりして」
「ンー。そォだにぇー」
「…。……。………」
接着剤による奇跡の耐震強度を得たトランプタワーは着々と組み上がりつつあった(ガラスの天板に直接ベタベタ接着させていた)。JOKERはその出来映えに陶酔し切っている様子で、時折軽く身を引いたアングルから眺め直したりなどしてはえらいニッコニコしている。ル・フゥは溜め息を深く深く吐き出した。
「一体何考えてるワケ? ここ一年ずっと不動のトップだった自分担当の学院をわざわざ蹴落とすようなマネしてさぁ」
「俺はサ」
――と。全く出し抜けにJOKERの首がぐるりと巡らされた。いきなり視線が合い、ル・フゥは思わずぎょっとする。
「この島は基本もっと派手に揺れてイイと思ってる。滞った流れは須らく腐っちまうからねェ」
「…。……。………。そりゃ結構だけど」
ル・フゥは色ムラだらけの銀髪をわしわしと掻きながら、ふと小脇へと視線を滑らせる。と、彼の視線に呼応して床に変化が生じた。
【Error!】
床のタイルそのものがディスプレイ的な機能を発揮したかのように、否が応にも警戒心を煽るような赤色発光で、そんな文字を表示したのだ。
【Error!】
【Error!】【Error!】
【Error!】【Error!】【Error!】
【Error!】【Error!】【Error!】【Error!】
【Error!】【Error!】【Error!】【Error!】【Error!】
一つではなかった。
一つでは終わらなかった。
その警告文字群は幾つも幾つも、まるで連鎖的に発火する爆竹のような勢いで出現し広がっていく。
「でも『あまつみかぼし』をここまでバグらせたのはマズったんじゃねえ? 今日の天気に有り得なかったあの雨降らせたの、確実にアイツなんだろ? なら回り回って放置かましたアニキの責任じゃん。まーた他議席のオッサン方にねちねち言われるぜ。…主にオレが。っていうか徹頭徹尾オレが」
「ハッハハァ♪ ま・ダイジョブダイジョブ。コレくらいなら一五〇〇秒で自動復旧するサ」
「その一五〇〇秒があるのとないのとで向こう何日分の演算の精度が何パー落ち続けるんだっけ?」
「・ったく、るッせェなチミは」
げろげろと呟きながらJOKERは指を鳴らした。瞬間、全ての赤色表示が消失した。部屋は再び真っ暗な闇に落ちる。
「そんなに天気が確実に知りたきゃ俺発信の勘情報でも入力しといてやるサ」
「――あー。ま、それなら大丈夫か」
ル・フゥは実にあっさりと引き下がるとティンク・ア・ベルの側面をつま先で突付いた。フィーン、と浮力を得始めたボードの上に慣れた調子でその上に飛び乗る。
「しッ・かし予想外のスペックだったねェ? あのアイツ」
もう完璧に帰ろうとしている流れだったル・フゥを尻目、ここに来てJOKERが自ら口を開いた。
ル・フゥは呆れ顔でボードを一旦その場に低空ホバリングで留め置く。話に付き合ってはやるらしい。
上空へスクリーンもなしに映像が直接出現する。そこに映し出され始まったのは――土柱を断続的に空高く叩き伸ばしている神無月学院の校庭だったり、その中をぶっ飛んでいる小さなぶち猫だったり、かと思えばその猫が軽トラばりにでかくなって校舎壁面を疾走している絵だったり、最終的には体育館の屋根上で作務衣姿の銀髪小僧と三つ編みお下げの眼鏡っ娘が真正面から向かい合っている所に雨が降り始めた瞬間だったり。要するにJOKERが「敢えて勃発させた」一戦のハイライトだった。
「? ル・フゥー? なに目ェ背けてるのサ」
「…訊くなよ。知ってるだろ、オレが猫嫌いなの」
「アッアー。そォだっけ」
「そうだよ! っつーかこの話前にもしたろ! オレはこのエアライドのコト〝ティンク〟って名前付けてんのにアニキがやたら〝チェシャ・キャット〟なんて呼ぶからさ、こないだいっぺんキレて――」
「だァーってェー。ソレ、簡易ステルスも積んでるじゃん? それだけに丁度イイじゃん? 尻隠して頭隠さず、不思議の国の透明猫! ハッハハァ♪」
「わーわー聞きたくない聞きたくない! 聞こえない! オレの前で猫の話をするなぁぁぁぁぁ!」
耳を塞ぎながら猛烈な勢いでかぶりを振るル・フゥを眺めながらJOKERはニタニタしている。明らかにリアクションを楽しんでいた。人を嫌がることを進んでするタイプらしい。悪い方の意味で。
さておき。
「まァとにかく結ッ・構ォな台風の目だっつー話。犬達のド真ん中で猫が台風の目になるなんざなッッッ・かなかシャレが効いててイカしてねェ? なァ♪」
「そうだね! さすが第十議席! アニキかっこいー! だからオレもう帰るわ! じゃーな! 死ね!」
「四〇〇年級の準大妖怪を供物抜きで会話成立させながらノーリスクで連れ歩いてるのは、まァ別勘定としとくとしても・だ。特筆すべきは――〝ナインライヴス〟っつってたカナ? こと猫に関して伝承された信仰を取捨選択して実再現する能力…。アレだにぇ。サスガは枯れたとは言え文字通り腐っても日本で一番有名な化け猫を創始に戴く直系ってトコ・か。最後に見せてたあの〝爪〟にしたってどォやら生態の拡大解釈なァんて力の使い方も出来る・っつぅ証明。まさに――」
顔面をいよいよ蒼白にしながら必死に目と耳を塞いでいるル・フゥを尻目、JOKERはさも楽しげに語る。
「民間信仰の申し子ってトコ・か♪ オケオケ、ソレでこそ入学案内送った甲斐もあったってモンだ」
「え?」
耳は両手で塞いでしまっていた。だからうまく聞き取れなかった。
ル・フゥは首を傾げる。
今なんと言っていたのか?
なあアニキ、と声を掛けようとして――
「・あ」
矢先、ガラステーブル上のトランプタワーに向き合っているJOKERの背中が頓狂な声を上げた。
「? ど、どうしたのさ、アニキ」
「ル・フゥ」
「お、おう」
いつになく真剣な声音。ル・フゥは思わず背筋を伸ばした。
「――重大な指令を伝える。イイか? よく聞けよ?」
JOKERがル・フゥへと鋭い視線を流す。
瞬間、ル・フゥは急速に口の中に乾きを覚えた。
緊張。それは紛れもない緊張だった。
そしてJOKERの血の気の薄い唇がゆっくりと開かれる。
「ホームセンターで接着剤用のはがし液買って来い。テーブルに指ィくっついちった」
ル・フゥのドロップキックが炸裂した。




