【12】「ひょっとして」
皿洗いに手を出し始めるや否や立て続けにガシャンパリン――とかそういう妙なお約束をしでかすでもなく、むしろ三毛次の手際は見事の一言に尽きた。
着流しの袖をタスキで絞り上げ、頭にはなんでか三角巾まで被り始めた三毛次は、喫茶店『Wolf in forest』のキッチンにて次々に食器を洗い終えていく。汚れた皿をまずはスポンジでてきぱきと洗っていき、そして蛇口の下に泡だらけの皿を潜らせる瞬間以外は随時水を止めるという徹底ぶり。人様の家の――それも飲食店の、おおよその一般家庭とは多少つくりが異なるキッチンであろうが、まるで我が城の如くに使いこなしていた。その仕事の出来たるや高級料亭の厨房で何年下積みやって来たんだお前と思わず言いたくもなるようなもの。もしもやれと言ったらこの調子で料理の一つ二つも作ってのけてしまいそうだった。
「皿洗いなら皿洗いで別にそれだけで全然構わないワケなんだが…」
「いえ大加美殿、一宿一飯の恩義にござんす。あっしの、ひいては手前ども白黒一家の顔を立てると思って、ここは一つこの渡世の仁義、どうかどうか果たさせて下せえ」
「なんなんだ一体、泊めてもいない内から一宿一宿言いやがって。さては遠回しに今晩泊めろっていう前振りなのかオイ」
水仕事を終えた三毛次は今度は雑巾片手に店内の掃除を始めている。
義理堅いを通り越して明後日の方角目掛けて目一杯ずれているようにしか思えない着流し独眼竜の後ろ姿を眺めながら、稜牙はまた手ずから淹れたコーヒーをマグカップで啜っていた。
店の隅に吊り下げられたプラズマテレビは相変わらず合戦の中継映像を映し出している。
まあもっとも目下大映しでピックアップされているのは学生区そこかしこで繰り広げられている「本戦」ではなく――
<おい見たか京平! いま石くれの一つがワシの目の高さにまで舞い上がって来おったぞ! ふふふ、やはり神無月の生徒会長はぱないのぅ>
『だからお前本当何属性開拓しようとしてるんだよ、妙な現代語まで身に付けやがって…。っつーかどうなんだこれ。すみませーん? スタジオー? 運営サイドがストップ掛けに入って来る様子とか本当にないんすかー? 別にこのままここの中継続けてても怒られないですよね? 実はそれだけが凄い不安なんですけど』
神無月学院の校庭にて絶賛勃発中の〝戌亥ポートアイランド第一位〟対〝謎の乱入銀髪小僧(猫耳付き)〟なのだが。
「しっかし、まさか本当に神無月にまで乗り込んじまうとはな。挙句の果てに生徒会長と一騎打ちと来た。…まあ相手してやってるあの眼鏡っ娘も眼鏡っ娘で大概なんだが。見てくれだけはあんなに大人しいのになぁ…」
任侠にかぶれた妙な行きずりの二人組を拾ってやってからこっち、苦笑しっぱなしの稜牙である。
戌亥ケーブルテレビのヘリが神無月学院上空から生中継し続けている映像の中で、また一発、校庭を引っ繰り返すような大爆発が起きる。神無月学院生徒会長の攻撃だ。何やら小さな影がくるくる回りながらぶっ飛んでいるのが映っていた。それは猫だった。白黒ぶちの、小さな猫だった。その猫は受け身も取れずに地面へ墜落した後、すぐさま作務衣姿の銀髪小僧へとその身を変じさせていた。
白黒二色の正体――〝化け猫〟。それを目の当たりにした所でさしたる驚きの色は稜牙の顔には浮かんではいなかった。ただ改めて再確認でもしたかのように「ふぅん」と呟きつつコーヒーをまた一口。それだけ、だった。
「祭りのてっぺんとやらは随分とえらいことになってるが、あんた自身は案外と静かなんだな」
「へい?」
窓ガラス相手に水拭きと乾拭きを交互に掛けていた三毛次が振り返る。
テレビかぶりつきで「若ァァァァァ!」だのと騒ぐでもなく、画面の中で大爆発がどれだけ立て続こうが実に平然としたものだった。今も時折その隻眼で中継映像を見遣っている程度である。端的に言うと、かなり素っ気無い。
「あァ、若の心配をせずとも良いのかと仰ってるんで?」
「ついさっきまであれだけ騒いでたのに急にそんなに静かになられるとな。一体どうしたんだか気にもなるさ」
「…。時代の流れとは酷なもんでさァ。あっしら化猫任侠――〝化猫任侠〟白黒一家は四十六代目たる若とあっしを遺して、いよいよ確実にその霊性を枯れさせてしまいやした」
刃傷が縦に跨った右の横顔をやおら伏せ、唐突に三毛次は言う。稜牙は稜牙で化猫任侠とかいう言葉が出て来た辺りで「なんだそりゃ」な顔をしていた。
「しかし若は一家再興の望みをまさしくその身一つへ背負われたが如く、こと喧嘩に関しちゃァ歴代当主――歴代〝物九郎〟の中でも随一の天賦をお持ちにござんす。そこを疑いなどしていては何の為の目付でやしょうか、ということでさァ」
目付としてそこを心配しているようでは、それは不忠に値する、と。とどのつまり茶斑三毛次はそのように言い切った。
そして力を込めて窓ガラスをキュッと一拭き。如月学院の桜花晃と弥生学院の八坂櫓が対決していた時、白黒がベタベタ引っ付きながら観戦していた為に汚されてしまっていた所がすっかり綺麗になった。
「はぁ。欲目とまでは言わないが、随分と買ってるんだな」
「若がお生まれになってより不肖この茶斑三毛次、しかとお教えして来たことが五つありやして」
掃除もキリが付いたらしい。バケツの縁に折り畳んだ雑巾を引っ掛けると、三毛次は頭の三角巾を脱ぎながらテレビへと近付いていった。
「仁義の心得に読み・書き・算盤、そして今先程も申し上げやした通りの喧嘩のイロハ。座学がお世辞にもよろしい出来たァ言えねえほどに総じて不得手でらっしゃるものの、こと身体を動かされるに関しちゃァ一を聞けば十の道理を悟った言わば神童――っとと」
そこで三毛次は一旦言葉を切り、
「失礼。白黒一家は世田谷豪徳寺に根差した化け猫の系譜にござんす。神もとい招福観音と言うべき所にござんした」
「よく分からんが…。とりあえず頭使うよりは手足振り回すことの方が楽しくて楽しくてしょうがない奴だったってことは理解出来た」
うむ、と頷きながら稜牙。三毛次も三毛次で「仰る通りで」と首肯していた。
「しかし――そんな育ち方しててよくこの島の編入試験パス出来たもんだな? ある意味で来る者拒まず、オカルトの縁者はとにかく招待する土地柄とは言え、基本があんまりにも壊滅的なようだと入島の前に初等教育くらいは履修させられる制度があったはずだが」
「ふふ。それしき」
三毛次は我がことのようにしたり顔で薄笑んだ。
「運気を司る民間信仰に於いて認知度だけなら日本最高位に位置する化け猫の系譜――それが白黒一家。そして若はその直系。そんな若の〝右手〟のお力を以ってすれば、たかだか八分の一そこいらの確率を百回そこそこ連続で試された程度で何を外そうはずがありやしょうか」
「…なんだそれは?」
何故座学の話をしていたのに確率の話になるのか。稜牙は眉を顰めた。――が、その懐疑的な表情はすぐに確信めいた色を結んだ。
「ひょっとして――、マークシートのことを言ってんのか?」
稜牙の問いにしかし三毛次は応えない。
一体何があったのか、今度はその隻眼をいっぱいに見開いてジッとテレビ画面に見入っていた。そしてわなわなと震えながら言う。
「こ、これは…? 葛飾北斎は富嶽三十六景、神奈川沖浪裏!」
「…おーおー。あの眼鏡っ娘〝赤信号〟まで出し始めたか」
画面の中では作務衣姿の銀髪小僧が吹っ飛ばされたり転げ回ったりかっ飛んだりかっ飛ばされたりしている――




