【11】「見上げて見下げた見上げたバカね」
結論から言うと白黒は九死に一生を得ることに成功した。
瞬間、もう一度ちっちゃな猫へと変身したのだ。身体の大きさそれ自体を変えたお陰で暴威の弾丸は一瞬前まで白黒の腹が存在していた場所を駆け抜けていく。銃弾が飛翔しているだけでそこにくっ付いてくる衝撃波によりネコ白黒の小さな身体は暴風域ど真ん中の木の葉のようにクルクルと吹っ飛んだが、直撃を喰らうのとどっちがマシだったかと言えばそれは言うまでもないだろう。
「ゲブファー!?」
受け身も取れずに地面へ墜落するぶち猫――ネコ白黒。次いで、これまでで都合十数回と神無月学院敷地内に轟かされて来た爆音がまた上がった。
ただでさえ推進力を持って運動している所に、そこへ更に拒の〝吹っ飛ばす〟能力によるブーストを掛けられた破壊神の指先のような銃弾。白黒への直撃が適わなかったそれが行き着き粉砕したのは――日の丸と島の標章と紅葉意匠の校旗。三つの旗を立てていたポールの台座だった。
メキメキメキとかいういかにもな崩落ぶり――では、ない。
ドカン、と。
起きた音は、ただそれだけ。
積み木で作られた城に通りすがりざま蹴りを一発叩き込んだかのようなあんまりにもなアッサリさ加減で、神無月学院生徒会長〝バタ足アクセル〟乗降拒の攻撃は問答無用の破壊を実現する。
「成る程ね。その猫変身、密着級の至近距離で使われると結構厄介――いえ」
拒はかぶりを振り、
「面倒ね」
口にし掛けていた評を即座に訂正していた。
――敵など全く敵ではない。
――ただ何もかもが少し手間なだけだ、と。
「彼我の距離が零距離に近ければ近いほどいきなり狙いを外される。卯月の柔術使い辺りにしてみたら天敵でしょうね。投げに行こうが極めに行こうが、文字通り出し抜けに抜けられる。――まあ、でも」
私にしてみれば取るに足らないことだけど、と言葉を結ぶ拒。
あちらこちらてんでバラバラの方角へ薙ぎ飛ばされたポール三本がへし曲がりながら地面を跳ね飛ぶのとブローニングから飛び出た薬莢が彼女の足元に転がったのは、くしくも同時だった。
「と、ッととととと、とんでもねえ娘っコですわなコンニャロ――!? ええと、コバミ嬢って言いましたっけか? 追い打ち駄目押し空中追撃、一切容赦ナッシングでお送りしてるじゃニャーですかコラ!」
「小動物のナリでもしておけば手心が加えて貰えるとでも思った? 血気盛んなのかと思いきや、案外姑息だったのね」
せせら笑うと同時に苛立ち紛れに吐き捨てる、そんな表情の拒。ちょっとドSなくらいでは到底辿り着けまい悪鬼じみた貌だった。「すげえ! さすが会長、相変わらず嫁入り前だなんて事実をまるで歯牙にも掛けねえ地獄っぷりだぜ!」という歓声がギャラリーの中で上がっていた。
トリガーガードに右手指先を引っ掛けて銃器本体をブラブラと揺らしながら、拒は白黒の姿を追った視線でそのまま睨み付ける。
「悪いけど――ああ念の為に言っておくけど別に悪いなんて微塵もこれっぽっちも小指の爪の先ほどだって勿論思っちゃいないわよあくまで日本語的な話の運び出しを意識して便宜上便宜的に言っただけだから――とにかく私はね? 猫なんてどうでもいいの。なんせ根っからのイヌ派だから。それも」
勢いを付けて振り出された様子も何もなく、ブローニングが唐突にギュルルルルととんでもない速度でガンスピンを始めた。拒の右手がグリップをがっしりと掌握することでその動きは急停止する。銃口を向ける先は狙い誤らず、人型へと姿を変じさせている白黒。
方角指定のような大雑把な照準ではない。
今度は精密に、正確に、正鵠に――照準していた。
「ワイルドな中にも気高さとしなやかさが同居してるような――そう、オオカミが一番好き」
「? オオカミ…?」
ファイティングポーズを取るでもなくぽつねんと佇んでいる白黒は、目をぱちくりさせている。
そして言う。
「それよっか灰色熊との方が気ィ合うんでねっスか? こう、冬眠明けでスゲー機嫌悪そうなヤツ」
――あっ、と。そのとき校舎は窓際のそこかしこで鈴生りに集っていた学生達が、一様に口を半開きにした。
すげえ。
イメージぴったりだ。
その瞬間皆が皆、まるで同じ言葉を心の中で唱和したかのようだった。
※ ※ ※ ※ ※
「…おっと。この気配はどうやら来たな、我らが会長のデフコン一」
「えっ? 虚さん、今何か言いました?」
「ああ、言ったとも。核サイロが開いた、ってね」
※ ※ ※ ※ ※
生徒会室で虚と和人形さんによるそんな会話が取り交わされた、その次の瞬間。ただでさえクレーターだらけだった校庭が津波と化してそそり立った。
拒が右足をその場で一発ズンと踏み鳴らした。
それだけで、たったのそれだけで、地面という地面が根こそぎめくれ上がって〝吹っ飛んだ〟のだ。
拒は何も語らない。一言も発さずに行動を起こしていた。
ただ彼女は――口端をぷるぷると引き攣れさせながら、大きく大きく吊り上げていた。
「ギャース!? け、けけけ、決して悪気は…! ――なんて言ってるバヤイでもなさゲっスね!」
そのままここに突っ立っていたら土砂に埋められる。そんな足止めを喰らったが最後、あの巡航ミサイルのような鉛玉にボッコボコに叩き潰されてしまう。
白黒は即座に動いた。拒の立ち位置を基点として扇状に広がるように生じた土砂の津波を前にまずは一歩引き、腰溜めに構える。
そして金色の瞳を見開いた。土つぶての嵐の中に駆け抜けられそうな隙を探そうと。
こんな大津波がいきなり目の前に現れては迂回してかわすような隙も余裕も無い。こうなったら多少の傷は負いながらでもどうにか層の薄い部分を真っ直ぐ突破して、本人目掛けて接近する――!
そんな白黒の決意はしかし、またもや起きた奇怪によって寸断される。
ピタリ、と。
高速連続撮影した写真のうち一枚を抜き出したかのように――もっと端的に言えばビデオの一時停止のように――白黒をひたすら高みから見下ろしそそり立っていた土砂の津波が、そこでそのまま静止したのだ。
トンの単位で数えた方が早そうな量の土つぶてが、いつまで経っても降って来ない。巨人の二の腕のような土塊はじめ小石砂粒の一つ一つに至るまで、全てが全て完璧に〝停止〟しているのだ。
世界はまるで時間ごと凍結したかのように、静かな静かな空隙に満たされている――
「〝赤信号急停止。…ったく。ベクトル計算凄い面倒なんだからね、これ? 私にこんな面倒を支払わせたこと、せめて光栄に思いなさい」
そんな中――拒の言葉だけがただ白黒の銀髪頭の上に張り出た猫耳へと響く。
「なん…なんですかよ、こいつァ…!?」
白黒は妙な既視感をこの時覚えていた。
なんだろう。どこかでこんな異様な絵面を見たような覚えがある。そして思い出してみれば、なんということはなかった。
――ああ、そうですわ。
――ドでっかい波がそそり立っているのにピタリと止まっている、そんな絵面。
(葛飾北斎の富岳三十六景、神奈川沖狼裏。そういや三毛次はあの絵がスキだとか言ってましたっけ)
自分自身が化け猫という「オカルトそのもの」である白黒。しかし、であっても、そんな自身の感覚を以ってしても、今目の前に広げられている光景は――とんでもなく非現実的だった。
(モノを〝吹っ飛ばす〟だけでナシにモノを〝止めたり〟も出来る能力――、いや! )
違うだろう。それは正確な形容ではないだろう。
もし拒に物体の現在位置をまるで録画映像の一時停止のように自在に止められる力があるとするならば、もっともっと早く、更に言えば対決開始時点初っ端で使っていてもおかしくない。少なくとも自分ならそうする。すぐやる。すぐに、それをやる。白黒はそう考えた。
敵と相対した所で突然動きを突然封じ込めてしまえば、あとは幾らでも好きなように煮るなり焼くなり出来る。そんな楽な話は無い。しかしそれはされなかった。
やらなかった、のではないだろう。あの通り彼女の一挙手一投足には常に苛々したような怒りが満ちている。本当にそんなことが出来るなら――あの乗降拒という少女の性格上、絶対にさっさとそれをやっている。やらないはずが無い。
ならば。
(条件があるハズですわな! 例えば〝自分が触れる〟もしくは〝自分の力で吹っ飛ばしたモノ限定〟でそーゆー操作が掛けられるー、ですとかよ!)
そこまで思考が行き着いた所で、白黒はぎょっとした。
――では何故いま彼女はあの〝赤信号急停止〟とやらをここで披露して来たのか?
答えはすぐ目の前にあった。
校庭の砂を根こそぎ空へと放り上げたような、土砂の大津波。それのお陰で今――拒の姿が、まるで見えない!
「め、目くらましー、なんつったらフツーもっとこそこそとしたようなモンってのが相場ですよな…?」
「〝黄色信号〟――」
「加減ってモンを知らないんですかよおたくはァー!?」
「――正解よく判ったわね〝急加速〟!」
白黒の眼前、土砂の壁のそちこちが円形に爆裂し始めた。拒がブローニングの残弾を遮蔽越しにありったけ乱射し始めたようだった。つくづく「狙いを付ける」という動作が無駄以外のなんでもない娘っコですわ、などと思いつつ、白黒はその身体を衝撃波の嵐になぶられまくる。
今の今まで地獄巡りのような連続爆撃の中を立ち回っていられたのは、それはひとえに拒本人を目視することが出来ていたからだ。銃口をこちらへ持ち上げる、引き金が引かれる――そういった「予兆」からどうにかタイミングを合わせて逃げ回っていたに過ぎない。しかし目隠し越しにこうして面制圧攻撃を乱射されれてしまうと、どうだ。回避の講じようが何も無い。まるで無い。
身体中に打ち身や青アザをこしらえながらひたすら地面をでんぐり返らされる。五〇メートルの距離を七秒台で吹っ飛ばされた。誰も計測などしていないが。とにもかくにも――それだけの距離を、それだけの速さで吹っ飛ばされる。
「フ、ッフフー、――…。……。………。まァだまだー!」
だが白黒は尚も再起した。こめかみから伝う血を手の甲で乱暴に拭いながら、八重歯を剥き出しに笑う。
砂の城壁が〝赤信号〟の制御下から解除されたようだった。重力に引かれてまっすぐにドドドドと土砂が地面に落ちる。そうして出来上がった小山へ拒は右足のつま先で軽く蹴りを入れた。たちまち粉塵と化し、横合いへとすっ飛んでいく。
傍若無人にして暴虐無尽。
神無月学院生徒会長――〝バタ足アクセル〟乗降拒。
「さすがにもう三分は経ったかしらね。褒めておくべき? 褒めて欲しい? 別に願いを聞いてやる気は微塵もないけど、たわ言くらいなら聞いてもいいわ。聞き流してあげるから」
「…。つくづく人の寄せ付けなさ加減がハンパなさめですわな、おたく」
「乗車拒否の進入禁止、違反者は奈落の底まで途中下車。これで誰か着いて来られる方がおかしいわよ、ふふふふふ――」
白黒は拒が笑っている所を初めて見た。
――見なければ良かった。
コンマ秒でそんな感想を抱いてしまうような、陰惨とか凄惨どころの騒ぎではない、なんというかもっと根源的に観念的に駄目な笑顔だった。
「ま、まあなんつーかアレですわ。よくぞ言った、ってカンジですかね、俺め的にはー。今の発言だきゃァ」
「は? 何がよ」
「俺めは着いて行けるからっスよ」
白黒は努めて不敵に笑みつつ、軽く二度三度の屈伸運動を行う。
「吹っ飛ばされっちまいましたけどもよ? でも、俺めの零距離ネコパンチを叩き込みに行くことが出来た。近付くことは出来た」
「だから?」
「俺めの瞬発力はおたくの射撃動作に先んじられる。察するに〝チョーノーリョク〟の〝ネンドーリキ〟とかいう括りのアレでしょうかや――とにかくズイブンとドとんでもねえ力をブン回されるようですけどもよ、おたく自身の運動能力はあくまでフツーのおにゃのこに過ぎねえと見た!」
「それが?」
「西部劇風に言うなら、そうですわな。〝抜きな! どっちが早いか試してみようぜ〟ってシチュエーションですわ!」
「で?」
「そら。お得意のドカンってヤツ、仕掛けて来てみなさいや。次に交錯しました時にゃァおたく目にモノ見ることになりますでよ!」
「――はん。上っっっ等よこの駄猫がぁ…!」
白黒が居丈高に言い放つが早いか、拒の右足が動いた。つま先を地面へと鋭く突き込もうとしている。また土砂津波で万里の長城を作り出す気のようだった。
そして白黒はまさに早撃ち勝負の如く――瞬間、スタートダッシュを踏み切った。
拒が土砂を巻き起こすよりも早く、白黒は拒の至近距離にまで低姿勢で踏み込んでのけていた。
妖怪。
人外。
魑魅魍魎。
これが化け猫の、瞬発力――!
「ゲェーット! つっかまーえ――、トゥァー!」
白黒は両手をすかさず伸ばし、拒が右手一本でこちらへと差し向けて来ている拳銃――ブローニングの銃身と遊底をガシィと掴んだ。会心の笑みを浮かべながら、これみよがしに銃口へ自らガツンと額を押し付けて見せる。
「映画で見たことあるんですからな、こちとら! 拳銃は懐に飛び込まれてここんトコをこうされっちまいますとどんだけ引き金引いてもタマが撃てなくなるって――」
「見上げて見下げた見上げたバカね」
「ウェ?」
が。対する拒はというと、掛け算九九の覚束無い社会人を見るような極寒の目だった。
「基本的にそれが通用するのはダブルアクションリボルバー。シングルアクションだったら撃鉄がまだ起こされてないことが条件よ」
「…はヒ? りぼ、るばー…?」
「オートマ相手にそんな掴み方したところで、引き金引けば薬室内の一発は出るわ。空薬莢が吐き出されずに確実にジャムって次弾が出ないけどね」
「ちゃ、チャン…? え?」
「それより何より。アンタ、自分で言ってたでしょうが」
言って拒はブローニングをパッと手放した。白黒は銃身を両手で握り締めた格好のまま、おっとっと、と数歩ばかりたたらを踏む。
「こんな銃。私にしてみれば〝小道具〟なのよ」
「あ゛」
ガシィ。
拒の右手が伸ばされた。掌が白黒の顔面へと置かれる。瞬間、すぐさま離脱しようとした白黒はしかし全身に不可思議な重圧を感じさせられた。身体が型に填められたかのような、奇怪な拘束感。少し気張ればセンチ刻みで腕も足も動かせないでもない、が、とんでもなく身体が重くなっていることには変わらない。
動けない。
逃げられない。
(ゲ!? 〝赤信号〟とやら!? 動きが、止められ――)
「〝赤信号急停止〟」
白黒が自分は今一体何をされているのかという類推を付けたその瞬間、それを裏付けるかのように拒が囁いた。そして右手中指を同親指の腹に引っ掛け、目一杯たわませ力を込める。
何をしようとしているかと言えば、とどのつまりが――
「〝青信号急発進〟」
――デコピン、だった。
ベチッと額を引っ叩かれる白黒。
次の瞬間、作務衣姿の銀髪小僧は、バッティングセンターの一番奥で稼働している難易度最高のピッチングマシーンが硬球をぶん投げている速度よりもなお速く、大きく仰け反った姿勢で吹っ飛んでいった。




