#9
呼びかけても、お姉さまは返事をしないまま、厳しい表情をしている。
私は何か怒らせてしまったのかともう一度呼びかけた。
「えっと、公爵様? すみません、何かお怒りでしょうか」
私の返答に首を横に振り、お姉さまはテーブルにひじをついて頬を乗せると、不満げに口を開く。
「……公爵様じゃ、遠すぎる。お姉さまって呼んでもらえないかしら?」
「え?」
「私に妹がいるのなら、お姉さまと呼んでもらいたいと思っていたの。あなたは、私が姉では嫌かもしれないけれど」
その言葉に巻き戻る前のことを思い出す。
前回の私は、当然のように彼女のことを「お姉さま」と呼んでいた。
今「公爵様」と呼んでいるのは、成人を機に「お姉さま」と呼ぶことを禁じられたからだ。
大人になるまで育ててやったのだから、必要以上に甘えることは許さない、公爵家の恥だという自覚を持ち、普通の家族だとは思うな、と。
もっとも、お姉さまが直接そう言った訳ではなく、成人を迎えた十五歳のときに成人祝いを届けに来た側近の騎士に告げられたのだけど。
私の死に際のお姉さまの様子からして、本当にお姉さまが言ったかは怪しいと今では思っている。
騎士の言葉がフラッシュバックする。
「あなたのような下賤な娘が、私の主人を姉と呼ぶのは無礼な行いであるといい加減気付くべきだ」
「あの完璧な方の恥であることを自覚しているなら、もっと大人しくできるだろうに」
忙しいお姉さまの代理で来る度に繰り返し言われた嫌味が頭の中で再生され続ける。
実際、私がお姉さまと呼ぶ度に、周りの貴族が顔をしかめ、お姉さままで悪く言うことに気づいてからは心の中でしか呼べなくなってしまった。
一回目の頃も口調は固くても常に優しかったお姉さまを次第に信用できなくなって、孤立して。
それでも心の中ではずっとお姉さまと呼び続けた。
どんな形で在れ、私を見つけてくれたのは、後にも先にもお姉さまだけだったから。
最後の時に見たお姉さまは、私のことを心から愛していたと確信させてくれた。
きっと、私がお姉さまと呼ばなくなったことだって、口に出さずとも傷ついていたに違いない。
……だからこそ、最初からこうして距離をおけば、お姉さまが心を痛めることは無いと思ったのに。
「公爵様が問題ではありません。……私のようなメイドの娘が、公爵様を姉と呼べばご迷惑がかかるでしょう?」
「リリアーネ? それはどういう意味?」
ついこぼしてしまった言葉をお姉さまは聞き逃さなかった。
聞き返されて少し驚いたけれど、初対面で前回のことなんて話せるわけがないので、想像という体で伝える。
「公爵様は、北部の大領主なのですよね? 私みたいな私生児が必要以上に近付けば、公爵様まで悪く言われてしまいます。これくらいの距離ならば、政略の道具としても扱いやすいですし、ご迷惑もかけにくいはずです!」
「そんな訳……」
あくまで、嫌っているわけではないことを分かってもらいたくて言葉を尽くす。
頭の中のトラウマがぐるぐると渦巻き、動悸が激しくなる。
「私は公爵様がこうして会いに来てくださっただけでもう充分です! 会えないと思っていた家族に、出会えただけで! ……だから公爵さ、ま」
私が言い終わる前にお姉さまがぎゅっと抱きしめてくる。
驚く暇もなく、お姉さまはすぐに私の体を離すと、肩を掴み視線を合わせる。
私は、お姉さまのその蒼い瞳がまたしても潤んでいることに気付く。
私はきっとこの人の涙に弱いのだ。どうか泣かないでほしい。
「私のことは、嫌いではないのよね?」
その問いには全力で頷く。こんなに優しい姉をどうしたら嫌えるのだろう。
今回は私だけでなく私の大事な孤児院の仲間すら救ってくれた人なのだ。
「嫌いなんて、もちろんあり得ません!」
「なら、公爵様はやめてちょうだい。心の距離は少しずつで構わないから、呼び方だけでもお願いしたいの。私は何と言われようと気にしないし、私にそんなことを言える人間はほとんどいない。もしあなたを傷つける理由に使おうとするやつらが居れば、私が処分する」
「でも……」
本当にその願いを受け入れても良いものか、前回の記憶のせいで躊躇してしまう。
何も言わず頷くには、私の心は傷つきすぎたのだ。
「……あなたがどうしても嫌なら、無理強いはしないわ。けれど、あなたは私にとって唯一の家族だから。私を思うならどうか私のすぐ隣で、家族としていてほしいの。……やはり、無理を言ったわね。忘れてちょうだい」
私が返答出来ないでいるのをどう解釈したのか、お姉さまが肩から手を離して立ち上がると部屋を出ようとする。
その表情が純粋にただ傷ついている少女のそれだと気付いてしまえば、私ももう、意地を張ることはできなかった。
咄嗟にその手をつかみ、叫ぶ。
「待ってください、お姉さま!」
私の言葉を聞いた瞬間、お姉さまの苦しそうな顔が一気に美しい笑みに変わり、ぎゅっと抱きつかれる。
「ありがとう、リリアーネ! とっても嬉しいわ! 私はあなたのお姉さまよ!」
「おね、お姉さま、少し苦しいです……」
この歳で既に領地の騎士たちとも張り合えるほど鍛えているお姉さまに全力で抱きしめられるのは少し苦しい。
「ご、ごめんなさい。嬉しくてつい……はしたない真似をしたわ」
お姉さまは私の十歳年上、まだ十五歳の少女に過ぎない。
このくらい、表情に出してもおかしくないのに、我に返ったお姉さまは頬を赤らめて恥ずかしそうだ。
「そんなことありません、お姉さま! 私、お姉さまがぎゅっとしてくれるの、好きです」
十七歳まで一度生きた私が子どものようにねだるのは少し恥ずかしいけれど、お姉さまが許してくれるなら、と少しだけ素直に生きることにする。
「……本当? じゃあ、もう一回だけ、抱きしめても良いかしら?」
「はい! 一回と言わず何度でも!」
改めてお姉さまが両手を広げたところに、今度は勢いをつけて飛び込む。
お姉さまは私を危なげなく受け止めると、先ほどよりもゆるめに抱きしめてくる。
前回の人生でこうして抱き合ったことが果たしてあっただろうか?
誰がくれたか分からないチャンスだけど、きっと、よい方向に向かっている。
「お姉さま」
「なあに?」
「私のこと、リリって呼んでくれますか? 親しい人はみんな私のことをそう呼ぶんです」
「良いの?」
「お姉さまは家族ですから、そう呼んでほしいんです」
「そう……リリ?」
「はい、お姉さま!」
「ふふっ、生きていてくれてありがとう。私を一人にしないでくれて」
「私も、私を探してくれて、家族になってくれてありがとうございます」
「もっともっと、リリのことが知りたいわ。少しずつ、教えてくれる?」
「いいですよ。その代わり、お姉さまのことも教えてくださいね」
「もちろん。あなたになら、なんだって教えてあげる」
お互い抱きしめ合ったまま、私たちは時間の許す限り話をした。
お互いの好きなこと、普段のくらし、それから、家族。
辛かったことも、楽しかったことも、お互いに話したし、お姉さまは私の両親のことも教えてくれた。
私の母親は、確かにメイドだったけれど、決して浅ましい考えで父と結ばれたわけではないこと。
お姉さまの母親である公爵夫人は、父の不義理はともかく、よく働くメイドだった母のことは恨んでいなかったこと。
私の母は、公爵家の皆にも好かれていたこと。……そのなかにはお姉さまもいたこと。
お姉さまが公爵夫人の日記から知ったというその話は、私としての生が二回目である私も聞き覚えがないものだった。
私の実母については、お姉さまは良く思わなくてもおかしくないのに、私に語るその口調は本当に大事な人を語るような口調だった。
私たちはただの仲の良い姉妹で、愛し合う家族になれそうだと、確かに思えて。
だから、忘れていたのだ。
____私を、不幸にするそのきっかけは、またしてもすぐそこまでやってきていることを。
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