#16
驚異の一時間半遅れ。
万死に値する所業!
柔らかな日差し。小鳥のさえずり。
吹き抜ける爽やかな風。
うーん、と軽く伸びをして体を起こすと、部屋のカーテンを開けていたミディと目が合う。
「おはよう、ミディ」
「おはようございます、お嬢様。昨夜はしっかり眠られたようで良かったです」
「ミディが安眠用のアロマを用意してくれたおかげね。体調ももうそろそろ寝るのに飽きてきたわ」
会話を交わしながらミディが用意してくれた紅茶を飲む。
子どもの私が飲みやすいようにと、ミルクと蜂蜜がたっぷり入ったミルクティーだ。
ミディはこの間まで見習いだったというのに、私に対する細やかな気遣いが素晴らしく、私の好みもこの四日ほどで完璧にしてしまった。
私も最初は年上だからと敬語が抜けなかったけれど、次第に緊張も薄れて今ではミディ限定で少しずつ敬語を抜けるようになってきた。
「本当に熱が下がって良かったですね、お嬢様。お医者様も咳がないようなら今日からは外に出ても良いとおっしゃっていましたし」
公爵邸に引っ越してから今日で五日目。
初日の部屋騒動の後、一先ず入浴しようとしたところで私は熱を出して意識を失ったのだ。
原因は単純に疲労。
如何に魔法やポーションがあると言えど、そうしたものは傷や病を癒しても体力までは回復させてくれない。
馬車移動はただでさえ子どもの体力を奪うが、それに加えて騎士やアデラ夫人との騒動は自分で思っていたより精神に負荷をかけていたようで、私は到着早々、三日三晩ベッドの住人として過ごすことになってしまった。
幸いなことに、熱に浮かされて悪夢を見るようなこともなく、ただ息苦しさと朦朧とした意識が断続的に続くだけだった。
あとでお姉さまが寝ている間も傍にいてくださったことを知った時は、巻き戻りのことを口走っていやしないかとひやっとしたけれど、ミディの知る限りは寝言もなかったというので恐らくは大丈夫なはず。
「私は途中から自分の体調よりも、お姉さまが逆に心配だったわ……」
「確かに。私も閣下があれほどまで動揺なさるとは思いませんでしたね。まさか滋養強壮に良いと聞いて魔蜂の巣をお一人で取ってこられるとは……。おかげさまで向こう一年は蜂蜜不足にはなりそうもないと厨房の者が笑ってましたけれど」
ミルクティーを飲み終えた私が思わず遠い目になると、ミディもそれに苦笑いをする。
私が熱を出したことを知った直後のお姉さまの動きはとてつもなく早く、後からミディが教えてくれたのを聞くと、酷く心配させてしまったと申し訳なくなったくらいだ。
魔蜂というのは、王国全域に生息する魔虫の一種で、見た目は普通の蜂とほとんど変わらず額に小さな魔石が埋まっているくらいなのだが、サイズが通常の蜂とは比べ物にならないくらい大きい。
働きバチでさえ、人の頭蓋骨くらいの大きさで、女王バチともなれば優に小型犬くらいのサイズにはなるという。
気性は荒すぎるわけではないが、巣に触れようとすれば集団で反撃してくるし、一部の蜂は魔法も使うので対処は厄介極まりない。
巣の駆除は勿論、近づいて一部を切り取ることですら、軍を一部隊は動かすのが一般的だ。
ただ、その蜂蜜は、体に良い魔力を含む上質なもので、味も最高級品。
市場に出回ることは滅多になく、主に高位貴族や王族がごくまれに口に出来る程度のものなのだ。
それをお姉さまは一人でご自身の倍くらいの量の巣を切り取って持ってきたのである。
執事長が呼んでくれたお医者様と入れ替わるように姿を消したかと思うと、その晩には玄関に大量の蜂の巣を引き摺って来たお姉さまが立っていたというから、相当な無茶をしたに違いない。
一応お医者様から見ても怪我はなさそうだったが、戻ってきてから私の熱が下がるまでほとんどの時間をベッド横で過ごしていたので、体力はかなり使ったはずだ。
最終的に熱が下がり始めたことを理由に、お医者様と私と執事長の三人がかりで説得して休んでもらったのだ。
「まあ、おかげで熱も咳もこんな短期間で治ったから……。これからは出来るだけ、体調には気を付けようと思ったんですけど」
薬の材料としても使われる魔蜂の蜜の効果は抜群。
お医者様が用意してくれた薬と併用しても問題なかったので、一週間寝込むであろうと言われたところが、三日で回復まで進んだのである。
「そうですね。体調不良は貴族と言えど金で解決できない場合もありますからね、お嬢様の為にも閣下の心情の為にも気を付けるに越したことはありません」
あまりに今度のお姉さまは過保護だなぁ、と思うけれど、考えてみれば再会してからのお姉さまはだいたいこうな気もする。
お姉さまの為にも、振り回される人たちの為にも、体調だけは気を付けようと密かに決意する。
「それで本日はどうなさいますか? 明日からはお披露目に向けての準備が順次入りますが、本日は公爵邸の敷地内なら好きにして構わないと聞いておりますよ」
ミディが私の髪を整えながら、聞いてくる。
昨日お姉さまに謝られたけれど、あまり存在を長く隠すと痛くもない腹まで探られるので、できるだけ早くに私を貴族社会にお披露目しなければならない。
貴族の子どものお披露目は本来十歳を迎える年に行うのが普通なのだが、私のように嫡出でなかったり養子として引き取った場合は、年齢に関わらず出来るだけその年のうちに見せるしきたりだそうだ。
なんでも、この取り違えかなんかを誤魔化したケースが起きたそうで、それを防ぐためにも顔見せの事実が重要らしい。
確かに、巻き戻る前も私の公表は引き取って一か月も経たないうちに行われた。
その時ばかりは、お姉さまともおそろいの豪奢な衣装を着て、パレードもどきのようなこともやった気がする。
後にも先にもおそろいの服なんて、その一度きりだったからよく記憶に残っている。深く吸い込まれるような青いドレスを。
そんなわけで、明日からは礼儀作法の練習であったり、衣装の用意だったりといろいろ動き出さなければならない。
今日は、復活してすぐだからとお姉さまが配慮してくれたそうだ。
ちなみに本人は、朝から私が寝込んでいた間の仕事を片付けるために、公爵邸を出ている。
……公爵邸の敷地内、か。
「それなら私、やりたいことは決まっているわ」
私の大事なもう一つの家族に、会いに行こう。
魔蜂の巣を取って来たお姉さまの一言
「グレイシアがいたので一人ではないわ」
(そういうことじゃないんだよ)
お読みいただきありがとうございます。
ここまでの執筆はストックをリライトする形で投稿してきたのですが、
ストックがそろそろ尽きて来たことと、最近の体調不良により更新予定時間から遅れての投稿が増えております。
近々投稿頻度や時間帯を変更させていただく可能性が高いです。
出来るだけ、週三回投稿を維持できるよう頑張りますので、
引き続きお付き合いをいただけますと嬉しいです。
次回更新予定 3/4 できるだけ12:00




