#13
「リリアーネ、起きて。着いたわよ」
「んん……お姉さま?」
優しくゆすり起こされ、私は重たい瞼を開ける。
最初に視界に入ったのは、馬車の天井を彩る豪奢な装飾と公爵家の紋章だった。
ここは馬車の中だ。
身体を起こそうとして、体にかけられていた毛布の存在に気付く。
「あ、ありがとうございます、お姉さま」
「どういたしまして。よく眠れたかしら、リリ?」
私がお礼を言うと、お姉さまが私の頬をそっとなぞって優しく微笑むので、恥ずかしくなって目をそらす。
ビリーたちを私の家臣とすることが決まってから、お姉さまは忙しそうに部下に指示を出していた。
最初の計画であれば、私一人を連れ帰るだけで済んでいたのを、おまけが六人もいるのだから、当然だ。
それでも、公爵邸への移動の馬車にはこうして同乗してくれて、話し相手になってくれた。疲れて私が眠ってしまうと、何も言わずに隣で本を読んだり、書類に目を通したりしながら少しずつ公爵邸への道を行く。
孤児院を出て、一週間の後、私たちは公爵城とも呼ばれるブルーメ領都邸へ到着したのだった。
「もう着いたんですか?」
「ええ。さあ降りましょう。ここが今日から私と一緒に住むあなたの家、ブルーメ公爵邸よ」
そう言いながら馬車の外を見やるお姉さまの横顔は、どこか警戒心を孕んだ目をしている。
直接お姉さまが迎えに来たことで、共に来た騎士たちの多くが私に良い感情を抱いていないことを察したからだろう。
公爵邸の使用人にもそのようなものがいないか、心配しているのだ。
大丈夫。今度はお姉さまがいるもの。
前回みたいな結末には、させない。
胸の奥が、期待と不安でぎゅっと縮む。
外から、騎士の声と共に扉が開けられる。
「閣下、その娘は私が下ろします」
聞こえてきたのは、少し強張った男の声だった。
お姉さまの騎士、クラウスだ。
彼はお姉さまの叱責を受けた後、私たちに近寄らないという条件の下、一応許され、こうやって共に公爵邸に戻ってきたのだ。
「……いや、駄目だ。この子に暴言を吐いたお前なぞに任せておけるか」
お姉さまがそれに対して冷たい口調で返している。
お姉さまは強張っている私の頭を落ち着かせるようにそっと撫でる。
「それと、訂正しろ。この子は『娘』ではなく、私の妹『リリアーネ』だ。騎士のお前が呼ぶならリリアーネ様、もしくは、お嬢様、だ。主の家族に敬称を欠く騎士なんてありえないぞ。何度言えば分かる?」
――妹。
お姉さまが当然のように言うその一言が、縮こまりそうな私の心を鼓舞してくれる。
次の瞬間、視界がぐっと高くなった。
お姉さまが抱き上げてくれたのだ。
お姉さまはそのまま私と共に馬車を降りて、石畳を歩き出す。
一瞬だけ目が合ったクラウスは忌々し気に私を睨むと、すぐ目をそらした。
気を取り直して正面を向く。
「……」
「リリアーネ?」
馬車の外。
見上げるほど大きな城門と、石造りの壮麗な建物は美しくもどこか厳しい。
前回の私はこの屋敷の奥で、お姉さまと会うことはほとんどなく使用人たちに虐められていた。
今ではそんなのは横暴だと感じるけれど、当時の私はそれを当然として受け入れてしまっていた。
急に屋敷を見て黙り込んだ私に、お姉さまが少しだけ片眉を上げて怪訝そうな顔をする。
「いっ、いえ、大きくてまるでお城だなって! こ、ここで今日から暮らせるなんてすごいですね! 嬉しいです!」
慌ててそう誤魔化すと、お姉さまは小さく頷いた。
孤児院育ちなら、これほど大きい屋敷に圧倒されてもおかしくない。
言い訳としては無理がないはずだ。
「そう……」
でも、その声はどこか探るようで、納得していないことが分かる。
私は誤魔化すように言った。
「あっ、あの! じ、自分で歩けますから、も、もう、下ろしてください!」
反射的にそう言ってしまってから、後悔する。
公爵に対して家臣の前でそういう物言いをしてしまって、怒られないだろうか?
心配とは裏腹に、お姉さまは私を下ろすどころか、逆に私の心配をし始める。
「ご、ごめんなさい! 私に触られるのが嫌だった? それとも私の抱き方が慣れていなかったせいで体を痛めたの?」
「ちっ、違います! そうじゃなくて!」
誤解されてはたまらないと、慌てて首を振る。
「お姉さまが、お疲れになるんじゃないかと思って……」
路地で育った私のは、どう見てもこの場所にふさわしくない。
そんな私を抱いていること自体、お姉さまの評判を下げやしないか。
前世で散々言われたその言葉たちは、私の足元から簡単に離れてくれやしない。
そう思っていることは言わないでおく。
「……そう」
一瞬、感情の読めない沈黙が落ちる。
次にお姉さまが言った言葉は、静かだけど揺るぎない。
「私は幼い少女を馬車から部屋まで運んで疲れるほどやわではないし、可愛らしい妹を男に抱き上げさせるほど心が広くないのよ」
……私は何も言えず、ただ、胸が熱くなって、視界が少しぼやける。
滲んだ涙を誤魔化すように、お姉さまの胸に頭をうずめながらしばらく行くと、お姉さまの歩みが止まる。
大勢の人が控える気配に私もそっと顔を上げた。
ずらっと左右に並ぶ使用人たちの先頭に、一組の男女が立っていた。
「お待ちしておりました、マーガレット様、そして、リリアーネお嬢様」
低く落ち着いた声が響く。
白髪交じりの執事服を着た壮年の男性が、深く頭を下げる。
……以前には見かけたことが無い顔だ。
一体誰だろうかとじっと見つめていると顔を上げた彼と目が合い、少しだけ目を見開いた後に微笑まれる。
少なくとも、彼は私を敵視してはいないようだった。
「今戻ったゼルス、ガルム夫人。長く留守にしてすまなかった。この子がリリアーネだ」
「初めまして、リリアーネお嬢様。私はこの公爵邸にて執事長を務めております、ゼルス・シュプロッシュと申します。こちらにおりますのは侍女長のアデラ・ガルム男爵夫人です」
「……」
「リリアーネです! よろしくお願いします、ゼルスさん、ガルム夫人」
「これは、ご丁寧にありがとうございます。私めのことは、是非爺やとお呼びいただけませんか?」
「わ、分かりました、爺や」
「ありがとうございます」
「今日からは私の妹、正式な公爵令嬢として育てる。皆もそう扱ってくれ」
お姉さまがそう告げると、ゼルスは静かに頷き、一歩下がった。
その隣に立つ女性、ベルゼ夫人が、私をじっと見つめる。
彼女は先ほどの爺やの紹介の時も礼をするだけで一言も発さなかった。
……冷たい。
笑っているはずの表情でありながら、その視線は鋭く私を値踏みするよう。
その視線にはお姉さまは気付かず、そのまま話を勧める。
「手紙で指示したことは既にしてあるか?」
「はい、既に部屋とドレスは一通り夫人が担当しております。孤児院の子どもたちが住む場所についても、使用人たちに清掃を指示してあります」
「夫人、リリアーネの世話はひとまず夫人に任せるわ。汚れもあるだろうし、風呂に入れて、休ませてやりたい。晩餐にふさわしい装いを用意してあげなさい」
「……承知いたしました」
お姉さまの命令に対するベルゼ夫人の声は敬意がこもったものだった。
けれど、その視線は、私の服、髪、手先を一つ一つゆっくりとなぞり、最後にほんのわずかに嘲りを宿す。
ああ、今回も、この人には歓迎されていない。
それだけは、はっきり分かった。
「ゼルス、不在中の報告を聞きたいわ。手伝いなさい」
「はい」
お姉さまは執事長に指示を出すと、私に向き合う。
「リリアーネ、夫人は私の世話もしてくれた人よ。私は仕事があるから、また夕食の席で会いましょう」
「……はい、楽しみにしていますね」
仕事に戻るお姉さまに、直感だけでこの人はだめだなんて言えるわけがない。
お姉さまは、笑顔で返事をした私の頭をそっとひと撫ですると去っていく。
使用人たちもさっと解散し、その場にはガルム夫人と私だけが残った。
キッと、夫人が私を睨みつける。
「それでは、リリアーネ様。お部屋にご案内させていただきます」
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