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最終話 ②番と③番

 

 翌日の日曜日の午前。


 約束通り、俺たちはまた学習スペースに時間を合わせて来た。

 

 彼女に付きまとうストーカーのことを、今日こそもっと具体的に聞いて行動するために。


 いつもの①番ではなく、俺は自分の「特等席」から柱を超えて一つ右へずれ、②番に腰を下ろす。四宮も④番ではなく、一つ左の③番へ。俺と彼女は四席の真ん中に、初めて並んで座った。

 

 なんだか少し違和感がある。多分、四宮もそう思っているんだろう。


 その少しあと、二十歳くらいの男がノートパソコンを抱えて学習スペースに入ってきた。キャップを目深にかぶり、イヤホンを片耳に差している。


 彼もここ数か月間、たまに俺と時間が被る。その耳のイヤホンから音が漏れていることがあって、俺にとっては少々気が散る存在ではあった。

 彼は何気ない足取りで①番に座ると、Wi-Fiに接続してすぐに作業を始めた。画面にはコードのようなウィンドウがちらちらと開いては閉じる。


 俺と四宮(しのみや)は、相変わらずノートの紙で会話した。声は出さない。いや、出せない。


『直接のひ害がまだないっていってもおどされてるなら なにかがおきるまえに警察にいったほうがいい

 しょうこ なにかスマホにのこってない?』


 四宮は首を振った。


『彼にえんかくでけされる 通知も りれきも ぜんぶ』


 胸が重く沈む。だが、そんなことは諦める理由にはならない。


『日本にはストーカー規制法ってのがあるらしい こわいってかんじた時点でうごいてくれる 電話はあぶないから 直接いこう たぶん生活安全課とかだとおもう』


 四宮は少し考えてから、顔を上げた。眼差しに、決意の色が乗る。


『わかった 今日いきたい いっしょにきてくれる?』


『もちろん』


 俺はさらに書き足す。


『キミのスマホ おれが写らない角度で 念のためもう一度かくにんしよう

 消しもれがあるかもしれない スクショも おれのスマホでとるから』


 四宮はうなずき、バッグからスマホを取り出した。


――その瞬間、机の上で微かな震動音。画面に通知と文字が浮かび上がる。


『その男は誰だ?』


 俺達の血の気が引く。

 見られてる――!?


 俺は反射的に周囲を確認した。①番にいたノートパソコンの男が、いない。椅子だけが、ぽつんと残っている。ついさっきまで両手をキーボードに置いていたはずなのに。


(……そういうことか)


 あの男は、あいつの知り合いだ。図書館の中に「目」を置いて、四宮の様子を探っていた。俺と彼女が並んで座ったのを見て、すぐに連絡を入れたのだろう。


 俺は四宮のスマホの画面を、自分のスマホで撮影する。証拠は一つでも多いほうがいい。


 そこで、はじめて声が出た。


「――四宮さん、すぐに警察に行こう!」

「……うん!」


 四宮も学習スペースの外を見ると、堪えきれずに小さな声を洩らす。


一ノ瀬(いちのせ)くん。あの人……!」


 四宮は学習スペースの外、ガラス越しの入口を指した。自動ドアが開き、黒い帽子を目深にかぶった大学生の男が入ってくる。視線は真っ直ぐこちら。懐から、銀色の刃のようなものが一瞬きらりと覗いた。


「っ!!」


 逆上している。

 時間がない。


 右手のすぐそば――②番席の左脇の柱に、赤い火災報知器。


 透明カバーの向こう、赤いボタンが待っている。


(今は迷っている暇は、ない!)


 俺はカバーを跳ね上げ、ボタンを力いっぱい押し込んだ。


 ――けたたましいベルが、図書館中に鳴り響く。


「火災が発生しました。落ち着いて避難してください。職員の指示に従って――」


 機械的なアナウンスが重なり、図書館内の空気が一気にざわめいた。

 俺は腹の底から声を絞り出す。


「その男はストーカーです! 刃物を持ってます! 皆さん、逃げてください!」


 椅子が引かれる音、足音、ざわめき。司書が顔色を変え、避難誘導を始める。男の目が怒りに濁り、こちらへ一歩踏み出そうとする。しかし、非常ベルと俺の告発により、周囲の視線が一斉に集まり、彼は舌打ちして踵を返す。

 自動ドアが開くと同時に、男は走り出て走っていった。


 俺と四宮はそのまましばらくその場を動けなかった。

 四宮の手が、俺の袖をぎゅっと掴んでいるのが分かる。手が震えている。

 俺は反射的に、彼女の手を握ってこう言った。


「大丈夫。もう、大丈夫だよ」


 ほどなくしてパトカーのサイレンが近づき、制服の警官と、生活安全課の職員らしき人達が駆け込んでくる。司書が早口で状況を説明し、俺は撮影した画面を見せた。四宮のスマホに残っていた数少ない通知の痕跡、これまでの経緯――それを俺と四宮は語った。


 事情聴取は長かった。けれど、誰も急かさなかった。

 「正直かなり怖かったです」

 「あなたの勇気ある行動に多くの人が助けられました。ありがとう」


 生活安全課の女性職員が、何度かそう言ってくれた。


 その日から四宮は、警察による保護を受けることになった。通学路の見回り、家族への説明、スマホの初期化と各種アカウントのパスワード変更。


 日本の警察は優秀だ。図書館の監視カメラや周辺の目撃情報も集まり、数日後、男はあっけなく逮捕された。所持していた刃物、彼の端末に残っていた監視アプリの痕跡、メッセージの送信記録。逃げ道は、もうない。勿論彼に強力していた友人も同様に。



 * * *



 あれから一週間。土曜日の午前。


 図書館のカウンターで、俺は学習スペースの利用の受付をしていた。


「学習スペースのご利用ですね。今は①から④番、どこでも空いてますよ」


 俺は少しだけ迷ったがやがて言った。


「じゃあ――」



 中に入って、荷物を置く。ノートと参考書を机に並べる。


 空調の柔らかい風が額を撫で、シャープペンシルの芯が紙をこする音。


 三十分ほど後、四宮が入ってきたのを背中で感じ取った。

 彼女は席に座る。


 やがて俺は、B5サイズのノートを一枚、定規で丁寧に切り離した。

 そしてシャープペンシルでさらさらと書く。

 

 途中で一回、芯が折れた。書いた内容は次の通り。


『四宮さん あのあと だいじょうぶだった?』


 紙をひらりと持ち上げ、隣――そう、③番の席の彼女の机に、そっと滑らせる。

 彼女は一瞬きょとんとしてから、目尻をゆるめてペンを取った。


『うん 一ノ瀬くん ありがとう』


 顔を上げる。目が合う。

 彼女は、ちゃんと笑っていた。


 それきり、筆談は一旦終わった。


 俺たちは各々の問題集に目を落とす。


 シャープペンシルの音、ページをめくる音。


 やがていつものように、四宮が先に席を立つ時間が来る。


 ノートを重ね、鞄にしまい、立ち上がる。

 彼女は学習スペースを後にした。


 遠くで入り口の自動ドアが開き、暖かい外の空気が一瞬流れ込んで閉まる。


 残された俺はふと、彼女がいた机を見る。

 B5サイズのノートが、一冊だけ置かれているのに気づいた。


(え、また――)


 手に取り、先頭のページを開く。

 そこには、短い英文が6行。


『My days are brighter here.

 Again we meet in quiet silence.

 Thank you for being beside me.

 All fears are gone at last.

 Now I can look forward.

 Everything begins again.』


 俺はすぐに頭文字を縦に読む。


『MATANE』


 ――「またね」


 思わず、声を出してしまい。『私語厳禁』の張り紙を見て自分の口を押えた。


 俺の胸の内側で、ゆっくりと温度が上がっていくのが分かる。


 ノートをそっと閉じて、自分の鞄の中に入れた。


(次に会ったら渡そう。そしたら今度こそ友達になろう)


 ペンを握り直し、俺は再び問題集に視線を落とした。


 エアコンが規則正しく息をする。

 ページがめくられる音が、静かな図書館に響く。

 その静けさの中で、俺は芯を少しだけ繰り出し、新しい行にペン先を落とした。


 ――俺の新しい特等席で。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

本作は「30分で読み切れる短編シリーズ」の一つとして執筆しました。忙しい毎日の合間や、ちょっとした休憩時間にでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。


また、アキラ・ナルセのページ内「シリーズ」として、同じく【30分読破シリーズ】をまとめていますので、ぜひ他の作品もお楽しみください。


今後も、同じく30分程度で読める短編を投稿していく予定ですので、また気軽に覗きに来ていただけると幸いです。

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