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第2話 静かに轟くキミの悲鳴


 

 翌週の土曜日。


 俺はいつものように学習スペースの一番左の席に座り、水筒のお茶をひと口すする。

 リュックからB5サイズのノートと参考書を取り出して机に並べると、ようやく落ち着いた気分になった。


 今日は俺の右の火災報知器の柱の右側の②番の席に、新聞を丁寧に折って読んでいる中年のおじさんがいる。

 老眼鏡を前にずらしたり戻したりしながら、眉間(みけん)にシワを寄せて記事を追っていた。

 ページをめくるたびに、バサッ、と小さく音が響く。


(さて、今日も集中するか)


 そう思って勉強を始めて三十分ほど経ったころだった。


 ――やってきた。


 あの、ノートを忘れてい他校の女子生徒――四宮 澄香(しのみや すみか)だ。


 黒髪を揺らしながら、彼女はいつも通り静かに一番右、④番の席に腰を下ろす。

 鞄から筆記用具やノートを取り出す姿を、俺は横目でちらりと見る。


 だが彼女は、何かを思い出したように席を立ち、受付のほうへ向かった。

 先週、彼女が忘れていったノートを取りに行ったのだろう。


 受付の女性も「あぁ、はいはい」と慣れた様子で、本人確認もせずに付箋のついたノートを手渡した。――それは、俺がこの前届けたものだった。


 

 彼女は俺とおじさんの後ろの学習スペースの入り口に戻ってくると、一瞬立ち止まったような気がした。


(ん?)


 俺の背後の彼女の一瞬の“間”に違和感を覚えた。

 当然、おじさんはそんなことに気づくはずもなく新聞を読んでいる。


 彼女はすぐに④番の席に戻って、いつものように勉強を始めたようだった。


 その後しばらく何事もなく、時が過ぎた。


 おじさんがバサッと新聞を綺麗に折りたたむ。その後、左腕の時計の針を見ると少し慌てて席を立って新聞を返しに行った。

 そのまま受付に利用終了の手続きをしにいって図書館の自動ドアをくぐっていった。


 これもよくある光景なのだ。


 その学習スペースの空間には俺と四宮 澄香のみが残った。

 聞こえるのは俺達のペンを動かす音と、時折、近くを通る利用客の足音のみ。


 俺はだんだん勉強に集中できなくなってきていた。

 横目でチラっと彼女を見た。彼女の顔そのものは髪に隠れて見えなかった。


 ここで俺は少し彼女に違和感を覚えた。


 俺はこの学習スペースに居ながらよく自分のスマホを触る。

 疲れた時の休憩がてらSNSを見たり、友達からのメッセージを返したり、暇つぶしに音を消してゲームをしたりもする。


 それはさっきのおじさんもそうだった。真面目に新聞を読んでいたかと思えば、競馬のアプリのゲームをしていたりする。


 でも――


 彼女、四宮 澄香はそれがない。


 俺と同い年の若い女の子が。

 彼女がいかに真面目な性格だったとしてもちょっと変だ。

 俺が彼女をなんとなく認識しだしてから、ただの一度も彼女が自らのスマホを触っているのを見たことがない。


(やっぱりなんか変だぞ)


 スマホを持っていない? 

 いや、流石にそんなことはないだろう。あるいは何か他の理由が……

 

 先週に俺がみた「HELP」と関係があるのか?


 俺は一つの考えにたどり着いた。



 自分のノートを一枚破って、机の端に置いた。


 そして左上に、書く。




『HELP


 先週のキミのノート、よんだ。スマホがあぶない?』




 俺はそれを持ってできる限り静かに①番から④番の席へと近づいた。


 ――そして、座っている彼女の視界に入るようにノートの紙をそっと押し出す。


 胸の鼓動が止まらなかった。


 身体が熱い。


 間違っていたら笑いものだ。

 恥ずかしくってこの楽園も使えなくなるかもしれない。


 だが、笑われてもいい、とも思っていた。笑ってくれたら、それはそれで安心だからだ。


 彼女が俺の字を凝視する。


 数秒して、四宮がこちらを一度だけ見た。


(二重の大きな瞳だな)

 俺がそんなことを思っていると。


 その黒い瞳が、俺のノートに落ちる。

 彼女は自分のペンを手に取り、俺の字の隣の余白に綺麗な字で短く返した。


『はい』


 その短い「はい」には、重いものが全部詰まっていた。


(やっぱり!)


 俺は、次の問いを書く。


『だれか、みてる?』


 彼女は視線を落としたまま、ペン先を走らせる。


『いつも。スマホも。SNSも。ぜんぶ。音もカメラも』


 胃のあたりがひゅっと冷えた。彼女がスマホを鞄から出さないのはそういうことだったか。


 俺は続ける。


『どうしてここでこんな方法で?』


『学校の友達も、家族も、話したら声でバレる。SNSもみられてるし。でも、図書館は、中立。しらない人に、たくせる』


 俺がしばらく次の筆談に困っていると。彼女が続けた。


 さらさらとノートに走るペンの音が聞こえる。

 俺は立ったままそれを見ていた。



『最初にノートをとどけてくれたの、あなただって受付の人にきいたの。1回目はほんとに忘れただけだった。

 2回目はためしに、3回目はねん押し。


 昨日の4回目は――ごめん。まきこんだ』


 彼女は俺を見上げた。

 俺は、首を横に振った。これは俺が勝手に選んだことだからだ。



 そのあとも四宮との筆談は、ゆっくりと続いた。


 彼女は高校一年のとき、ファミレスでバイトをしていたという。そこで同じ時間帯のシフトに入っていた大学生に告白され、それを断った。


 ある日、彼女がロッカーに入れていたスマホが見当たらず、数分後に「床に落ちてたよ」と返された。

 そこから、SNSのメッセージが読んでもないのになぜか既読になったり、覚えのないアプリの通知が現れたりした。


 ある出来事もあり、問い詰めると、その大学生は平然と笑ったらしい。「俺と付き合えば、全部やめるよ」と。

 そのファミレスのバイトはすでに辞めたが、家族や友達に相談したら、何をされるかわからない。

「嫌なら友達や家族に、危害を加える」――それが、彼の口癖になったのだ。


 四宮は、その日以来ずっと、誰にも言えずにいた。


 けれど図書館で、一度だけノートを忘れたとき、俺がすぐに届けた。

 “信頼ができる他人”という妙なアドバンテージを俺は知らず知らずのうちに獲得していたということだろうか?


 二回目も、三回目も。だから四回目で、彼女はダメ元でわざと先頭のページに縦読みで「HELP」を仕込んだのだ。


 わざわざ遠回りに縦読みで助けを求めなければならないという状況だ、ということを考慮できる人間ならば、私のことを静かに助けてくれる。

 多分そう思ったのだろう。


 なんとややこしいことか!


 紙の上で、俺は書いた。


『直接のひ害はないけど、それはあきらかにきょう迫だ。けいさつ にいこう』


 彼女のペン先が、紙の上で震える。


『いきたい でも ひとりじゃこわい』


『だいじょうぶ いっしょにいく』


 四宮は、袖口で静かに涙を拭いながらゆっくりうなずいた。小さな字で、彼女は書き添える。


「ありがとう。ほんと」


 その「ありがとう」を俺は嚙み締めた。

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