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怒り

読んでいただいてありがとうございます。これは間違って消してしまったものを再度アップロードしたものです。何卒宜しくお願い致します。

霊安室の扉を開ける。

間藤が扉の正面で腕を組み、壁に背を預けている。目をつむり、下を向いていた。

扉が開き、薄暗い光が足元を照らしたことで間藤は正面を見た。

「対面は済んだのかな?」

「訊きたいことがある」

冷静に話をしていく必要がある。互いに相手の眼を見て向かいあう。

「なんだろう?」

「あんたは加害者の代理人なんだろ?」

「ああ、そうだ」

「さっき事故って言ってた。具体的に教えて」

正直、聞きたくなかった。訊いてすぐに黎は後悔した。

でも聞かないわけにはいかない。黙って間藤を見る。それに間藤は答える。

「君は心臓振盪しんぞうしんとうって聞いたことあるか?」

「ない」

「そうだよな、珍しい症状なんだ」

「症状?事故って言ってただろ、あんた」

黎の強い、責めるような口調にも男は普通に対応する。

「ああ、事故ではあるんだ。事故によって心臓振盪が起きてしまった。心臓振盪っていうのは、胸部に強い衝撃が加わることで不整脈が起こり、心臓の機能が停止してしまうことだそうだ。その症状で君のお姉さんは帰らぬ人になってしまった」

珍しい症状とそれらの因果関係に黎は歯がゆさを憶える。

…そういう複雑な言葉は勘弁してほしい。もう、あまり考えられない…

「加害者がいるんだよな、そいつのせいで姉さんは…」

先の言葉を出すのをどうしても躊躇してしまう。分かっているのに。

「ああ、その通りだ。もっと順番に説明したほうがいいよね?」

初めてこの弁護士が黎の聞きたいことを先読みした。黎は頷く。

男は事故のことを話し始めた。

「今から4時間ほど前、夕方の5時過ぎだった。私の依頼人、この場合は、事故の加害者のことだ。その依頼人が車を運転していた。自動運転ではない、手動でだ。そして、帰宅途中だった君のお姉さんと車が接触しかけた。でも、当たりはしなかった」

その説明に黎は呆気にとられた。

「事故って…言ってただろ」

「事故っていうのは、べつに接触事故だけを指すわけじゃない。それに故意ではなく起こってしまった不幸も含んでいる。君のお姉さんは依頼人の車と接触する直前で、車を避けようとした。その時に、体の正面から倒れてしまった。おそらく受け身をとれなかったんだろう。

彼女は縁石に胸を強打してしまった。それで心臓振盪が起きてしまったんだ。病院に着いた時にはもう手遅れだった」

間藤は黎の表情をじっと伺っている。黎は今聞いた話を出来るだけ整理する。それでも普段以上に頭を使うことが億劫だった。思考がはっきりしない。

「接触しそうになったって、、車がぶつかって来たってこと?」

「いや、依頼人の運転で法律に違反したところはなかった」

…依頼人の運転に違反はない…?

…それなら、まるで…姉さんに問題があったみたいじゃないか

少しの沈黙が霊安室前の廊下に流れる。そんな沈黙もすぐに終わる。

「君のお姉さんが、急に車道に飛び出してきたそうだ」

「嘘だ!」何度、黎はこの代理人に怒りを表せばいいのだろう。

それでも今の言葉は、ほとんど反射的に出たものだった。男の言ったことを、黎は少しだけイメージ出来てしまった。最近、お姉さんの体調が悪かったことを黎は知っていた。

「私の依頼人が言うには、君のお姉さんは意識が曖昧だったみたいなんだ。歩道をふらふらと歩いていると思ったら、赤信号の時に車道に出てきたそうだ」

…嘘だ。そう思っていても、脳内で再生されてしまう。

家でも休んでいることが多かった。黎が理由を聞いても、「疲れているだけ」としか言ってくれなかった。そんなお姉さんを見ていた。でも…

「姉さんは自殺したりしない」

自分を置いていくなんてありえない。そんな人じゃないという確信が黎にはあった。

「私も依頼人も、そこまでは言ってない。ただ意識がもうろうとしていたのは事実なようだ。目撃者が複数人いた。事故が起きた場所は東公園という場所と接する道路の横断歩道だった。知っているだろう?君達が暮らす場所の近所だ」

黎達の住むマンションの近所にある自然豊かな公園。

徒歩十分ぐらいの距離しかない。黎が遊んだこともある場所だった。

「それで…あなたは、僕に、何の用で家に来たんですか?」

既に黎の精神は消耗している。それが言葉の弱弱しさに表れていく。

「私はね、その運転手の代理人として、君に賠償金を渡しに来たんだ」

「…賠償金…姉さんが飛び出したって言ってたじゃないか…」

「ああ、それでも依頼人はこの事故に無関係ではない。法律上、加害者ということに変わりはない。たとえ偶然の出来事だったとしてもね。だから賠償金を払うというのは当然のことなんだ。君にはそれを受け取る権利がある。それに、受け取ってほしいと、依頼人自身もそうおっしゃっていた」

「どうして本人が来てくれないの?」

その素朴な問いに、間藤は一瞬だけ戸惑いの表情をみせたが、その後すぐに戻した。

「私の依頼人はとても多忙な人なんだ。しかし、すぐにでも君に会って謝りたい、そうおっしゃっていた。彼自身も、ひどく心を痛めていらっしゃった」

「お金を受け取ったら、その後は」

「苦しいだろうが、君はこれからも生きていくことになる。そのために賠償金を受け取る必要があるんだ。それで君はお姉さんの分も生きなくてはならない」

この病院に来てから、怒りと絶望、黎はどっちを多く感じたのだろう。分からない。

渦巻く多くの感情が、彼を着実に疲弊し衰弱させていった。

けれど、最後の力を振り絞らなくてはならない。そのために間藤と話す必要があったのだから。

「受け取る」

「そうか、なによりだ。君の都合のつく日に、直接持っていく」

黎はゆっくりと間藤を見上げる。

「でも、1つだけ頼みがある」

「なんだね?」

お姉さんの遺体を一度、家に戻したいという旨を黎は話した。

看護師に制度的に出来ないと言われたけど、諦めきれなかった。弁護士なら何とか出来るだろうという期待の下での頼みだった。

男はその儚い願いを了承した。「役所と調整する」と黎に説明した。

それで、少しだけ、ほんの少しだけ、黎は安心感を覚えた。

お姉さんの別れの場を用意する必要があったのだ。彼女の友人にその場を設ける義務だけは果たすことが出来た。そうする必要があった。優玄と雨衣が彼女と、とても仲が良かったのを黎は知っていたから。

弁護士が霊安室内に入り、その奥の関係者専用の部屋に入っていく。葬儀関係者と役所との取り決めに、少しの変更を加えるよう取り計らった。

黎も続いて中に入る。再びお姉さんの遺体が置かれた安置台のもとへ向かう。

その場所だけ、時間が止まっているように黎には思えた。

顔以外に掛っている白布を上からゆっくりとめくる。遺体は事故当時のままだ。

青と白が基調のセーラー服に濃紺のスカート。見たところ特に大きな裂け目や、外傷はない。

お姉さんの胸の間に黎は手を当ててみる。

心臓への強い衝撃による死。縁石に正面からぶつかって起こった心臓振盪。

胸のあたりを触ってみても手からの情報だけでは何も分からなかった。心臓近くに分かりやすい外傷はない。

お姉さんの遺体を見ていると、黎の視界に複数の大人が入る。さっきの看護師に、間藤、それに葬儀関係者の3名が出てくる。黎はすぐにシートを元通りにした。

弁護士の取り計らいで、お姉さんは一度家に戻れることになった。今日はもう夜も遅いため、明日の夕方に彼女の遺体が家に戻される。その時に、簡易的な通夜を行うことになった。

現在の時刻は9時半。病院についてから1時間以上の時間が経過していた。

「葬儀の手続きはこちらで済ませておく。君は何も心配しなくていい」

無人タクシーが来る短い間、病院外で間藤が言った。未成年者に事務手続きは出来ない。役所が代わりに行うことが一般的だ。それを弁護士が調整する。

病院外の夜風が黎の体温を少しずつ奪っていく。

…寒い。急いでいたため、黎の服装は秋には肌寒さを感じさせるものだった。

間藤が無人タクシーの支払いをして、黎は一人で帰路に着く。

全身の力が抜け車両内で体を横に倒す。

黎は、気づいたらマンション前に着いていた。寝ていたわけでもないのに、ガラス越しに外の景色が目に入っていたはずなのに。

何とか階段を上がり、2人が暮らしていた部屋に着いた。

玄関に手をかけると、鍵が開いていた。家を出るときに閉め忘れていたのだ。

黎はそのまま自分の部屋ではなくお姉さんの寝室に行った。ぬくもりを感じたかったのかもしれない。そのまま布団に横たわった。顔を枕に深く沈める。そこに染み込んでいるお姉さんの匂いが、今までの記憶を思い起こした。心の奥で押し込めていた悲しみが、一気に溢れ出してきた。

「ああぁ……、ああぁーあーーーー!!

悲痛な泣き声が、部屋中をこだました。

目尻から次々と涙がこぼれた。体が震えて、息が乱れる。もう抑えられなかった。

そのまま、一晩中、悲しみに襲われた。


次の日の夜、間藤が黎のもとを訪れた。お姉さんの火葬が終わった後だった。

間藤は多額のお金が入ったアタッシュケースを持ってきた。

黎は銀行口座なんて持っていなかったから現金を直接持ってきたのだ。

加害者からの賠償金と黎は説明された。「本人も直接謝りに来る」と間藤は言った。


嘘だった

そんな人間は1度たりとも訪れては来なかった。

そしてまだ幼かった黎でも理解できた。

この賠償金がただの厄介払いの道具でしかなかったこと。

加害者が、お姉さんの死に、微塵も罪の意識を感じていない事。

――現在――

よく考えれば分かることだった。人が亡くなるような事故に、警察という存在が一度も出てこなかった。姉さんの死を伝えたのが、警察でもなければ病院でもなく、加害者の弁護士だった。どこの世界にそんな道理が存在する。

姉さんを殺した人間は、犯した事故を隠避したんだ。だから警察が介入することもなかった。姉さんが亡くなってから1年以内に、何回も警察に問い合わせた。公式の記録には、姉さんの事故は“偶然起きた不幸”そういう扱いをされていた。

つまり、加害者は警察にまで圧力をかけることが出来る人間だった。

…だからもう、加害者が誰なのか分かりやしなかった。

「ちっ、」

全員ろくでなしだ。どいつもこいつも!!

その権力者も、そいつに力を与える社会も全部、下劣でろくでもない。

だからヴェイルが誰を殺そうが、知ったことじゃない。

そいつらを助けなくても罪の意識なんて微塵も感じない。

あいつらが姉さんの死に何も感じなかったのと同じように。

いいじゃないか…やらせておけば。俺からしたら、そっちの方がずっと清々する。

どっん!

突然、黎は何か柔らかい物にぶつかった。目の前には、目を丸くした絵里がいる。

じっとこっちを見ている。

絵里とぶつかったのか…全然前を見ていなかった。

周囲を見渡してもあるのは自然と古民家。

…ていうか、ちゃんと歩けてたんだな。

絵里にぶつかるまで、黎の意識は現在にはなかった。過去に囚われていた。

そんな彼に絵里は、何かを伝えようと頑張って何かのジェスチャーをしている。

しかし、黎には全くと言っていいほど絵里が伝えようとしていることが理解できない。

「だいじょうぶだよ!何も心配なんかしないでもいいっ」

発話の抑揚や声のトーンが普段の絵里とは違い、ぎこちないが励まそうとしていることは黎でも理解できた。横にいる春人がクスクスと俯きながら笑っている。

「なんだよ」不快感が語尾に現れる。

「ごめんごめん、いやー、自分も絵里に同じこと言われたな、って思って」

春人はそう言いながら、黎を見ている絵里に対して、先頭に戻ってノアと一緒になるように促した。ノアも絵里の大きな声で後方に振り向いている。絵里がノアのところに戻り、ある程度二人と距離が離れたとこで再び春人が話し始めた。

「黎、さっき何考えてたの?気づいてたか知らないけど、ずっと俯いてたよ。もしかしてノアたちと比べて、自分の不甲斐なさでも感じてたのかい?」

「ああ、そんなとこだよ」黎は適当にそう返した。

春人が柔らかい口調で訊く。

「ほんとにそれだけかい?」

春人はそれ以外の表情も見ていた。途中から黎は明らかに怒っていた。顔全体が強張っていた。唇は噛み締めるように結ばれ、拳を強く握りこんでいた。

少しの沈黙の後、黎は話し始める。

何故かは分からないけど、春人になら、醜い本性を出してもいいと思ったからだ。

「俺はお前らみたいに、他人のために自分を犠牲にするなんて正直理解できない」

「犠牲か。まあ確かにそうだね。あの薬が安全なんて保障はどこにもない」

「馬鹿らしくならないか?」乾いたため息とともに、冷笑気味に黎は訊いた。

「君は社会に対して、恨みに似た感情でも抱いているのかい?」

…その通りだよ、本当に

「お前は違うのか?」

「どーだろ」

口調は軽いが、いつもよりトーンが一段階程下がっている。

春人の焦点はボーっと、空を捉え続ける。何か、うつろな目で。

黎の目線は終始、ベージュの石畳に注がれている。

無言が続く。それでも怒りの導火線は確実に短くなっていた。

「何か一つでも、社会から恩恵を受けたと感じたことはあるか?」

「うーん」

「ないだろ」

「かもね」

「奪われたものの方がずっと多かった!」黎の爪が拳に強く食い込む。

冷静に話そうと思っていたはずだったが、ずっと抱え込んでいた不満が強い語気として現れた。積年の恨みが春人との会話で表れてしまったことに、黎は自分への強い不快感を覚える。

前方で絵里が心配そうに振り返って見ている。ノアは見てこそいないが絵里とは対照に黎の言葉が聞こえていたようだ。絵里の手を握り、任務に集中するように促す。

黎の気持ちの整理は、春人に任せようということだ。

「だから絵里は僕の時と同じように、君を励まそうとしたんだろうね」

黎の目はうつろで、まるで放心したように地面を見つめている。

「僕もね、誰かを助けたいなんて、正直分からないよ。君の言う通りさ。奪われたものの方がずっと多かった。大人の勝手に振り回されてばかりだった。まったく不愉快な思い出だよ。君と同じだ。それは今も変わらない」言葉とは裏腹に淡々とした言い方だった。

「それなら…なんで」その言話を遮り、春人は続ける。

「でも、僕にはもう、大事なものがある。あの時とは違う。だから自分を犠牲にしてでも我慢できる。僕の動機は、ただ友達と、あの2人と一緒に居たい、それだけだ。

それに、君のことも、もう友達だと思ってる」

恥ずかしさすら感じさせる、そんなことを春人は自然に言ってのけた。

―黎、友達を大切にしなさい。私たちは一人では生きられないのー

再び、お姉さんの言葉が黎の脳内で反芻される。

彼女が自室のベッドから起き上がった状態で話していた言葉。

部屋の中に入る柔らかい光のせいで、輪郭はぼやけ、瞳までも見えない。しかし口元のわずかな緩みが、黎を穏やかな感情へと導いていく。そんな優しい記憶。

彼女の大切にしていた”友達“という存在。黎には大した意味を持たなかった概念。

…いいのか。俺にそんな言葉を使って。友達なんて

―春人が優しい表情で手を差し出しているー

ずっと一人だったんだ。誰にも必要とされなかった。そんな社会に迎合なんてしたくなかった。家族、友人、愛情、何もかも奪われてばかり。姉さんまで奪っていったんだ。

もう俺に頼れる存在はいない。それに、求めようとすら思わなくなった。

そして荒んでいった。そんな自分を顧みるなんてことは一度もなかった。どうせ、くだらない人生を送るしかないんだから。そう思えば思うほど、いっそう顧みることはなくなっていった。誰かを傷つけることに快感を覚えるようにまでなっていった。だから同じように出来の悪い不良どもを殴ったり、蹴ったりするのも楽しかった。ただの気晴らしだった。

そして一層、普通からは遠ざかっていった。

だからこそ、春人のポジティブな言葉は、俺にとって耳障りだ。今までの自分が否定される。社会に対しての反転像としての自分が否定される。それはもう、社会を肯定するのと変わらない。

それなのに、こいつらは出来損ないの自分を直視させようとしてくる。願ってもないのに、頼んでもないのに……不出来な俺を顧みさせようと。まだ立ち直れると、そう言い聞かされてるみたいに。こいつらとの出会いがまるで、そのためのものかと、そういう錯覚すら抱いてしまう。偶然やら、運命なんてもちろん信じない。

―――けれど、これが最後通告―――

もうこれ以降、まともに戻れることなんてないのかもしれない。

戻りたいのか…?俺は……

…抜け出せるのか…この意味のない人生から“

―差し出された手は、変わらずそこにある。その手を拒む理由はー

気づいたら、黎は手を伸ばしていた。

「気持ちの整理はついたかい?」返事の代わりは、表情が表していただろう。

誰かを助けたいなんて大儀を持てはしなかったけど、そんなもの黎には必要なかったのかもしれない。

「もー、早く手を放せよー」

握手は解かれた。前方で絵里が安心したような表情で振り返っている。

聞こえていなくても絵里には分かるようだ。

俺にもその言葉、理解出来た気がするよ、ゆき姉…

―月城 雪。それが彼のお姉さんの名前だったー


興味を持っていただいてありがとうございます。本当に感謝します。

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