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痛み

読んでいただいてありがとうございます。これは間違って消してしまったものを再度アップロードしたものです。何卒宜しくお願い致します。

同じように森とベージュの石畳の間を、絵里とノアを先頭にして歩いていく。

その後ろで二人の男子が歩く。何もすることがない。もう15分ほど経過した。

それでも空の明るさも、太陽の向きも、変化を感じるほどでではない。何もしていなくても汗だけは、せっせと体外に排出される。

その間、黎の頭の中は黒い霧に包まれていた。やることがないと、退屈だと、人はろくなことを考えない。特に、黎の場合はそれが顕著だった。

約2週間でノア達とある程度の関係を築いたとしても、どうしてもその間には壁が存在する。でもそれは黎だけの持つ認識であり、3人はもう彼のことを既に仲間だと思っているだろう。それでも、黎にとってはそう簡単なことではなかった。ノア達はまだ、黎の抱える苦しみを、痛みを何も知らない。

ノアや絵里たちが必死に人を助けるために自分を犠牲にしていても、やっぱり、俺はそこまで必死になれない。やっぱり何かが欠けてるんだろうな。人として。

―徐々にその煩悶が別のものへと転化していく――

同じように親に捨てられて、社会に還元することなんて何もないだろ。

あいつらが死んだところで…


――5年前――

「お姉さんのことは本当に残念だったね」

黒のスーツに、オールバック。いかにもエリートと思われるその男が11歳の黎に頭を下げる。背筋は伸び、無駄のない、まるで計算されているような所作。


黎が小学校から帰り、お姉さんの帰宅を待っていた秋の日。

その日は雨が降っており、お姉さんの帰宅がいつもより遅かった

今日は姉さんの日なんだけどな。まあいいか

最近、姉さん、体調が悪いみたいだから、僕が作っておこう!

曜日によって料理の当番が決まっていたのだ。

お姉さんの帰りを、晩御飯の用意をして待つことにした黎。冷蔵庫の残り物の食材から肉じゃがを作ることに決める。食材を炒め、水を注ぎ、味付けをする。後は味を染み込ませるだけ。週に3日は黎が夕飯の準備をしていた。お姉さんの帰りが少し遅くなるからだ。だから基本的な料理は黎でも作ることが出来た。

ピンポーン

肉じゃがの完成を待っていると、突然、インターフォンが鳴った。

インターフォン越しに玄関前を確認する。

姉さんじゃない。誰だろ?

玄関に向かい、覗き穴から確認するも、やはり誰か分からない。ゆっくりと玄関を開ける。

玄関の前には黒のスーツ姿の男がいた。

「月城 黎君だね?」落ち着いた低めの声。

「…はい、そうですが。どちら様ですか?」。

「弁護士の間藤まとうです」

そう言い間藤は胸元のポケットから名刺を取り出して渡した。

黎は弁護士が何の用で来たのか分からなかった。

「…何でしょうか?」

「突然だけど、君のお姉さんの事で伝えなきゃいけないことがあるんだ」

それを聞いて、黎の胸の奥がざわめいた。何かは分からない。でも、嫌な予感。

黎の頭の中に、いろいろな可能性が浮かんでくる。けれど、ポジティブなものは何一つなかった。妙な、しかし、はっきりとした胸騒ぎだけが黎を不安にさせた。

…何か事件に巻き込まれたの…無事なの?

一瞬、絶対にお姉さんの身に起きてはいけない事が黎の頭をよぎる。

しかしすぐに、黎は別の可能性を考え始めた。

そんなわけない。

喧嘩?そんなこと、姉さんがするとは思えない。

もしかして…お金を得るために、なにか罪を犯したの?僕のために…

でもそれなら、弁護士じゃなくて警察が来るはず…

逡巡して何も言葉を返さない黎を見て、間藤は告げた。

「お姉さんが事故でお亡くなりになった」―――


時間が止まった。冗談かと、疑うことすら出来なかった。

胸が強く締め付けられる。足が震える。立っていられなくなり膝から崩れ落ちた。

激しい動悸の後、黎は意識を失った。


黎はソファで目を覚ました。時計は20時を指している。

2時間以上意識を失っていたことになる。

はッ!

黎は驚いて、すぐにキッチンに向かった。火を消していたか心配になったのだ。

火は消えていた。そんな安心も束の間、すぐに間藤の顔が、そして、その口から出てきた言葉が黎の脳内で反芻された。現実の事なのかすら分からない映像を。

“お姉さんが事故でお亡くなりになった“

呼吸のリズムが狂いだす。

「はっ…はっ…」

姉さんは!?

ダイニングを見渡しても、お姉さんの姿はない。

靴下を履いたまま走ったため、茶色のフローリングでこけてしまう。

しかし、そんなこと気にせず、一心不乱に玄関に向かう。

玄関にはお姉さんの靴がなかった。まだ帰ってきていない。

よりいっそう黎の呼吸が乱れていく。

玄関の鍵が空いている。黎は恐る恐るドアを開ける。

外を覗くと、玄関横で間藤が白い外壁に背を預けて電話をしていた。

間藤の横顔を見て、さっきの話が夢ではなかったことが、黎の心を強く揺さぶった。

間藤は誰かと話していたが、玄関ドアから黎が顔を覗かせているのに気づいて電話を切った。

「目を覚ましたんだね。良かった」黎はたじろいだ。

「体調は大丈夫かい?さっき意識を失ったからソファに寝かせておいたよ」

黎の心情とは裏腹に淡々と丁寧に間藤は話す。

「姉さんは、、今どこにいるんですか、」胸の苦しみで、言葉が詰まる。

「今、君のお姉さんは病院にいる。会いたいかい?」

黎は弱く頷いた。


自宅から一番近い総合病院へと間藤の車で向かう。

道すがら、黎はずっと放心状態だった。

ただ、病院との距離が近づくにつれ、現実の痛みが彼の心に傷をつけ始める。

広い駐車所に車が留まり、病院正面の大きなガラス張りのエントランスに向かう。

受付や待合スペースが外からでも視認できる。時間も20時過ぎになっており、外から各病室の明かりが見える。

エントランスを抜け、入り口奥のエレベーターで地下1階まで行くことになった。

黎は病室に行くものと思っていた。だから向かう先が地下1階であることに不安を感じた。

扉が開くと薄暗い光が点々とした廊下に出る。冷たい光が、無機質な白い壁に反射している。誰も歩いていない無音の廊下。間藤が廊下の突き当りを指しながら言う。

「左側の一番突き当りの霊安室に君のお姉さんがいる」

”霊安室“その言葉でいっそう鼓動が早まる。

間藤は先行し霊安室に向かう。2人の距離は徐々に離れる。

黎の足取りが、そこに近づくにつれ重くなる。

心臓が強く打ち鳴らされ、耳鳴りのように響く。黎の指先が強く震え始める。

ただ逃げ場のない感情が黎を襲う。

間藤は霊安室の前に着き、振り返って、ここだ、と指し示す。

黎は俯きながらもその前に来た。間藤が中に入るように促す、だが黎は拒んだ。

中に入ってしまうとお姉さんの死が確定してしまうかもしれない。それを拒んだ。

「あなたはそもそも誰なんですか、、」

力をふり絞って、訊く。その抑揚は不安定でか細かった。

「先ほども言ったと思うが、弁護士のー」

「なんで、お前なんかに言われなきゃいけない!」

どん!

黎は思い切り右足で廊下を踏み鳴らして、怒りを表した。音が廊下で反響する。

間藤はその怒りに少し驚くが、すぐに冷静になる。

「何をだね?」

「なんで、姉さんの死に、弁護士なんか関係ある!」

怒りで体温が跳ね上がり、言葉遣いが荒くなる。

そして自分で認めていないことを言ってしまったことに、

心臓を鷲掴みされたほどの苦しみを黎は覚えた。

そして同時に強い怒りが彼の心に現れる。

何に対しての怒りなのかは黎自身分かっていない。

しかし、目の前にいる弁護士に非常に腹が立っている。いや、それだけではない。

何もかも滅茶苦茶にしたいとすら思っていた。そんな精神状態だった。

弁護士は黎にゆっくり答える。

「君には言いにくいが、私は事故の加害者の代理人だ」

その言葉で黎の心臓が暴力的に脈打った。

「ふざけるな!」

バン!

霊安室前の壁を思い切り叩く。音がずっと強く、ゴワゴワと反響する。

「お前ら、どれだけ人から奪えば気が済むんだ!」

親の身勝手で捨てられた過去と重なった。しかし今回はそれ以上だった。

それ以上に重要なものだった。

キー、

金属の不快な音。

廊下からの怒声を聞いて、霊安室のドアが開いた。

中からナース服を着た中年の女性看護師が出てきた。後ろの方には、喪服を着た葬儀関係者の姿もある。看護師は状況を確認しようと間藤の方に目を向ける。

間藤は少しバツが悪そうにしながらも簡単に説明した。大した話ではありません、と。

そして看護師に、黎が唯一の遺族であることを説明する。

看護師は不憫そうに黎を見てから話す。

「中にお姉さんがいるわ。入れるかな?」

確定させたくなかった事実を看護師によって決定づけられてしまった。

第3者の介入で黎の感情は先ほどよりか落ち着いて、いや、落ち着いたというより、

もう諦めてしまった。

それでも間藤を霊安室には入れたくない、と黎は思っていた。

間藤の眼にお姉さんを入れることすら許せなかった。

暗い霊安室に入る直前に間藤に一瞥もくれず、低い声で、

「お前はそこにいろ」と黎は発した。

看護師もそれを配慮して、霊安室に彼が入るなり、弁護士に申し訳なさそうに、

そこに留まってもらうようにお願いした。

「ええ、もちろん大丈夫です」

その言葉が黎の耳に入ってきた。


扉の中にはひんやりとした空気が充満している。視界の先に白いカーテンで区切られた場所がある。カーテンの下から安置台の金属製の足が見える。彼女がそこで眠っている。

その光景がすぐに黎の頭の中でイメージされた。

看護師は霊安室の扉を閉め、哀れな男の子の歩幅に合わせるように進む。

静寂が支配する空間には、機械の低い駆動音だけが響く。薄暗い照明が、灰色の壁に冷たい影を落とす。奥へ進むたび、足音が無機質な床へと吸い込まれ、息遣いが硬くなる。

看護師が黎の少し前に出て言う。

「お姉さんに会えそう?」

「はい」全ての感情を削ぎ落としたような返事だった。

看護師は心配そうにしながらも、ゆっくりとスペースを区切っていた白いカーテンに手をかけた。少しずつ、視界が広がっていく。少しずつ、お姉さんの死が確信へと変わっていく。


そこには安置台に横たわっているお姉さんが確かにいた。顔以外は面布めんぷで覆われている。だから体の輪郭ははっきりしない。

その光景を見て胸が苦しくなって、黎はその場で立ち尽くした。

それでも、力を振り絞って安置台へ、ゆっくりと近づいていく。

近づいて初めて、お姉さんの顔を視認できるようになった。その遺体はやはりお姉さんのものだった。

優しく、頼りになる、そんなお姉さんが強い痛みとして彼の心に、そして記憶にも刻まれた。全身の力が抜け、膝から崩れ落ちた。

灰色のタイルが両ひざに強く接触する。でも黎の意識は保たれていた。

失った方が楽だったのに。

看護師がしゃがんで、黎の背中を優しくさすり「大丈夫?」と声をかける。

大丈夫…?  そんなわけないだろ

黎は膝に手を当てながらゆっくり立ち上がる。彼女にもっと近づこうとする。

お姉さんの目は閉じ、口元は僅かに緩んでいる。皮膚は無機質さを帯び、静かに時間の流れから切り離されている。

右手で顔を触ってみる。やはり何の反応もない。右手には冷たさしか残らない。両手で触ってみても同じことだった。

黎はその場で数分間、立ち尽くしていた。その間、ただの機械の駆動音が響く。

看護師がゆっくり近づいて、黎の隣に立ち、その肩に両手をあてる。そうやって安心させようとする。そんな中で、黎がゆっくりと、口を開いた。その目は何も映していないように、ただぼんやりとしていた。

「僕はこの後、何をすればいいんですか?」

「この後…そうね。あなた両親がいないのでしょう?」

「はい」

「両親と連絡とかは出来そうかな?」

「無理です。勝手に消えました」

「…そう」

「その場合、どうなりますか?」

「その場合、葬儀の関係者が役所の人と調整して、火葬を行うことになるの。あなたは未成年者で親もいないとなると、そうなってしまうの」

少しの間、沈黙が広がる。

「それはいつ頃ですか?」

「火葬のこと?」小さく頷く。目線は終始、お姉さんに注がれている。

「直葬ってことになるから、おそらく、明日か明後日にはお別れをすることになる」

「直葬?」

「ええ、ここのような遺体安置所から直接火葬場に行くことになるの」

看護師は申し訳なさからなのか、黎から視線を外してそう説明した。

通夜や告別式は行われないらしい。

「えらく簡易的なんですね」

黎は棘を刺すように冷笑的な言い放った。看護師は俯いている。

…孤児っていうのはそんなもんだよな…この人に八つ当たりしても仕方ない

「分かりました。それでも、一度だけ姉さんを家に帰らせてください」

こんな場所にお姉さんを長居させたくないと黎は思っていた。

それに、彼女に会いたいと思ってる人の顔が黎の頭に浮かんでいる。

お姉さんの友人の優玄ゆうげん雨衣うい

だから、何とか別れの場を用意する必要があった。

それだけは、しなければならないと黎は思っていた。

けれど、そんな微かな頼みでさえ、叶うのは難しいようだ。

看護師は口ごもる。言いにくいことがあるようだ。

「…それは、難しいかもしれない」

「どうして?」言葉を遮るように黎は反射的に返した。

「こういう場合は直接、安置所から遺体を運びこぶことが多いから…」

黎は唇を強く結んだ。

「分かりました。少し外にいる人間に話をしてきます」

そう言って、黎は怒りを押し殺して静かに出口へと歩いた。



興味を持っていただいてありがとうございます。本当に感謝します。

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