柊 ノア
読んでいただいてありがとうございます。これは間違って消してしまったために再度載せたものです。
昼休みが始まったばかりだった。
にわか雨が地面を叩いて、土に染みた匂いが校舎中を漂っている。
春の空気にしては、やけに冷たい。まるで自分の心みたいだ。
黎は渡り廊下の真ん中を歩いていた。
誰かとぶつかりそうになっても、自分から避けるつもりなんて毛頭ない。
何が起こってもいい、喧嘩を売られても、不快そうに顔をしかめられても、何でもいい。
それだと争いは避けられない。
渡り廊下を抜けようとした瞬間、不快な声が響く。
「ぶつかっといてシカとはなくね?」
黎が振り返ると、無精ひげの金髪、それに角刈り。その間には清純そうな女子。
その女子は無理やり2人の男に連れられているようだ。
「こいつむかつきますね、安さん」
角刈りが金髪を安と呼んだ。それって本名か、と黎は口元が緩んだ。
「なに笑ってんの、お前…きもいんだけど!」
そう叫び、安がいきなり黎に殴りかかる。
肩をわずかにずらし、その拳を黎はいとも簡単にかわした。無駄のない動きだった。
そして初めて口を開いた。
「俺にかまうなよ。興味あるのはその子の裸だろ」
掠れているような低い声で分かりやすく彼等を挑発した。不敵な笑みを携えて。
「いい気になんなよ、くそが!!」
安と角刈りが二人がかりで黎へと襲い掛かる。
黎は、やっと来たか、と言わんばかりの表情で相手の攻撃に備える。
まるで、獲物がトラップに引っかかるのを待っていたかのようだ。
黎は上半身を後ろにそらし安の拳の射程から外れる。そして蹴りのモーション。
すぐに彼の右足が安の左足の脛を直撃する。
「いっ!痛ぇ~!」
姿勢を崩して安は前かがみで倒れた。脛を押さえている。
でも、これでは、終わらない。
黎は、すぐに俯いた安の顔面を膝で蹴り上げた。
くっ、、!という音にならない声が安から漏れ出てくる。
そして、安が後ろに倒れこむまえに頭を押さえた。安は抵抗せずに、目を頑張って開いている。その金髪を持ちながら黎はもう一人の角刈りを睨みつける。
「お前もこうなりたいか?」
「わ、悪かった。や、安さんは返してくれ、、」声が震えている。
「ああ、返してやる」
そう言い、黎は安の頭をしっかりと押さえ、顔面めがけ、再度、膝蹴り。
安は角刈りのいる方向に蹴り飛ばされた。顔面は血で覆われている。
その様子を確認して冷笑する。
「そいつを二度と俺の視界に入れるなよ、クズ」
黎は気分がすっきりして、校舎に戻っていった。
「どう考えても過剰防衛。やりすぎ」
黎が体育館に入ろうとしたとき、そんな声が聞こえてきた。
しかし、そんなことには気にも留めず、彼は体育館に入ろうとする。
「ちょっと…あなたに言ってるの!」
黎は右肩を掴まれ、無理やり振り向かされる。
嫌でも視界にはその女子の姿が目に入る。
髪色はブラックでセミロング、左右に髪が流れており、体形はすらっとしている。
それに制服が黎の学校のものではなかった。
「やりすぎたかな?」
悪びれるそぶりも見せず、少し憎たらしい笑みの黎。
「いくら彼らがつまらない人間でも、あなたまで彼らに合わせる必要はないわ。
それじゃあ、同レベルになる」
「同レベルだよ。俺はあいつらと何も変わらない」
彼女はその言葉の意味を理解しかねている。
「どういうこと?あなたと彼らが同じなわけないでしょ」
「お前には関係ない。それにここの生徒でもないだろ。
この学校の関係者に見つかったら問題になるんじゃないか?」
黎は適当に会話を終わらせ、再び体育館に入ろうとする。
「待って!あなたに用があってここに来たの」
「ああ、ウザイ、何?」
「単刀直入に言う。
あなたには国家特定分野育成機関、ARCに入ってほしいの」
「は?」
「すぐに説明できるものでもないから、私に付いてきて。そこで説明するから」
「急すぎるだろ。それに、そんな機関が何の用?」
「それを説明するから付いて来てほしいのだけど」
「勝手すぎる」呆れたと言うのを表情に出しながら再度、体育館へ。
それでも、ノアは黎へと話を続けていく。
「そうかもね。あなたがこの学校にこれからも居続けたいなら、無理にとは言わない」
含意のある言い方だった。
黎はそれを、はっ、と笑い飛ばす。
「初めて笑ったわね」
「ふざけた話があったもんだ」
「そうかもね。でもこの学校にいるよりは、あなたにとってもいいと思うわ」
確かに、それもそうだな、と黎は思う。
ここに居たって、何もすることなんかないんだ。
「聞いてやるよ。お前の言う通り、ここに居るよりかは、ましだ」
「理解してくれたみたいね。でも、お前っていうのはよしてくれるかしら」
少しの間の後、黎はぶっきらぼうに尋ねる。
「名前は?」
「柊ノア」
「柊か。俺はー」
「あなたは月城 黎」
「調べてるんだ」
「ええ。さっきも言った通り私の属する機関は国の管轄機関の1つ。公立の学校の生徒の名前を知ることなんて造作もないの」ノアは自信ありげにそう語ってみせる。
一方、黎の表情は少しだけ曇っていった。
その複雑な表情をノアに見られているのに気づいて、黎は調子を戻す。
「早く案内しろ」
ノアが先行して体育館を周って正門へ。
正門近くのバス停にちょうど、バスが停車している。
2人でバスの最後尾に座った。移動中、バスからの眺めを見ているだけで、特に会話らしい会話は発生しない。乗客数が徐々に減っていく。
高校前から8つ先の終点で下車する。バス停の名は“ARC前”
降りた場所は外郊外とでも呼ぶべき辺鄙な、しかし自然豊かな場所であった。
とはいえ少し交通機関を乗り継げは都市部にアクセスすることが出来る便利な場所だ。
にわか雨はすでに止んでおり、雲の間から光が差し込んでいる。
そのわずかな光が大きな建物を照らす。
大きな棟3つが連なる、3連棟という構造。全体の色合いはマットな白。
大きな外窓が張りめぐらされており、各棟には外階段が充実している。
建物正面には、大きな庭が広がっており、ベンチや樹木が綺麗に配置されている。
俗っぽく言えばおしゃれな建造物だ。
「ここがARC。ついてきて」
正面入り口へ伸びている石作りの通路をノアは先行する。
ノアがリスト型デバイスを入口横の機械に接触させる。入り口は自動ドアで、ほとんど音が出ることもなく開いた。
「こっち」
正面入り口奥のロビー2人は向かう。そのロビーは天井が高く、ステンドグラスが配置されている。外からの印象とはだいぶ異なる。
ロビーの端っこに、シックなクッション性の椅子があり2人は向かい合って座る。
周りには誰もいない。
「ではこの機関について説明するわね。ARC,ここは研究機関と教育機関の2つの機能を持っているの」座って早々にノアは話始めた。
「ふーん」黎の生返事からは興味のないということが伝わる。
「興味ないの?」
「いいや、続けて、続けて」手のひらを上に向け続きを促す黎。
「そんな感じだと、説明しないわよ」ノアは顔を少し強張らせた。
「ああ、悪い、ちゃんと聞くから」続けて、と再度促す。
「何か質問しなさい」
「は?」突然の命令に黎は面食らった。
「ここについて何か聞きたいことの1つや2つあるでしょ。何か質問しなさい。
そういう積極的な姿勢を見せなさい」
黎はため息をつきながらも、面倒くさそうに訊くことにした。
「お前はここの教育機関にいるってこと?」
「そんなとこよ。ちゃんと話は聞いていたのね」
「どうしてこんなとこに?」
「…あなたと同じような立場だから、と言えば分かる?」
ノアの顔を見た後、黎は少し考える。なんのことかよくわからない。
「俺のこと調べてるんだっけ」
「ええ」
ああ、と何か思い出したかのような声が、黎から出る。
「お前は親に捨てられたのか」
「…そういうことをストレートに言うのはどうかと思うけど」
「別に大した話じゃないだろ、今の時代」
「まあ、あなたの言う通り、孤児率は現在進行形で増加している。
ここは、そのような子供たちのための施設としても存在している」
―ノアの言う孤児率の増加が現在起こっている。それは少子高齢化対策のために作った制度がもたらした弊害だった。孤児率は現在約5%にもなろうとしている。それ以外にも、個人主義圏の”自由“という概念が悪いほうに活性化した結果と言えなくもない。
そのような大人たちの都合により生じたのが、彼等のような子供たちだ。―
「で、この教育機関が可哀そうな孤児を拾ってあげようってか」
「勝手に先走らないでくれる。私があなたに会いに来たのは別の理由」
「別?」
「ここはただの教育機関ではないの。特に今は緊急事態」
「そうか?」彼は冷笑する。
いつも通りのクソみたいな日常だけどな。ニュースなんて見ないから世間様が何にお困りなのかも皆目、見当がつかない
「でしょうね。でも実際、世間ではまだ知られてはいない大事件が起きているの」
「大事件?」
「ええ。部外者のあなたには、ちょっと言いづらい話だけど、、」
ノアは前のめりになり、声量を抑えるように口元を抑えた。
「人が殺されているの、、化け物に」
「化け物?」
「ええ。これは比喩なんかじゃない。人ならざる者、化け物が存在するの」
異常なノアの告白にも黎はそれほど驚かなかった。というより信じていなかった。
オカルトか…どうせなら、もっと面白そうなのがよかったな
「で、それが俺に何の関係がある?」
「あなたには、その化け物を排除するのに適した能力がある。
これが、私からあなたへの評価。だから力を貸してほしくてあなたに会いに来た」
真剣な表情で黎を見据えている。
「お前、馬鹿だろ。人殺しの化け物相手に、警察や軍ならいざ知らず。
高校生の俺に何が出来るんだよ」
「難しいの…軍や警察では。」
「なら俺らにとってはもっと難しいよ」
「いいえ。このケースに関しては彼等より私たちのほうが適任」
「というと?」もう少し話に乗ってやるか、という感じだ。
「まぁ…そうね。どこから話せばいいのかしら…」
ノアは少し俯いて思案に暮れる。
「その化け物は、、普通の感知レベルしか持たない人間には対処できないの。
そいつらを見つけること、それ自体が私たちにしかできないこと」
「これは、幽霊とか、そういう類の話か?」
「違う。実態はあるし、見たらそれとはっきり分かる。
けれど、簡単に見つけられるような相手ではない」
「防犯カメラがそこら中にあるだろ」
「その化け物たちは、そういう性質なのか、目立つ行動をほとんどしない。
それに監視カメラなんて国の至る所に配置できるわけでもない」
ふざけてるには凝、った話だな、と黎は思った。
「だから監視カメラからも探せないと?」
「ええ。その化け物…いえ、ちゃんとした名称があるわ。Veil」
「ヴェイル?」
「そいつらを指す時に私たちが使う言葉であり、私たちしか知らない言葉ともいえる」
少しの間互いに向きあう。黎はこの話が、どういう終わり方をするのかを考えていた。
「で、それをお前は見たことがあるのかよ」
「ええ、あるわ。私と仲間で見つけたことがね」
「そいつをどうした?」
「排除した」彼女は真顔でそう言い切った。
「そんな化け物、ヴェイルだったか、をお前が?」
黎の唇の端がピクリと持ち上がり、目元のしわが深くなる。
「疑っているのね、その目を見れば分かる」
一瞬の沈黙後、普段よりも高らかな笑い声が空間に響く。
「ぶっ、ははは。お前どこまでふざけた奴なんだ、、ははは」腹を抑えて黎は笑い転げる。
「真面目な感じで、それは、、はははは。どんなギャップだよ、それ」
ばっっっん!!!
ノアが思いきり机をたたいた。その音がロビー中に響き渡る。
それでも黎はまだ笑いつづけている。片目には涙まで溜まっている。
「あなたには口で説明しても分からないみたいね。いいわ、証拠を見せてあげる」
「もうこれ以上やめて…もう無理…」
ノアはロビーを出ていった。
「久しぶりにこんなに笑ったよ…」と誰もいない場所で、黎は一人ごちる。
数分間、椅子にもたれたまま、彼はロビー全体をゆっくりと見渡した。
突き抜けた天井にARCの大きさを知る。ステンドグラスが四方八方に配置され、鮮やかな色がロビーを照らしている。今になって、黎はこの謎の機関に少しだけ興味が湧いた。
興味を持っていただいてありがとうございます。