造形のない白①
あれからオフィーリアという少年によってつれて行かれた場所は王城だった。約1か月ほどの時間が過ぎた。
今までの自分にとって当たり前だと思っていた暮らしが、ここに住む人たちにとったらむしろ異常なのだと知った。
毎日三食与えられる私では食べきれないぐらいの量の食事。食べきれない分は、いつここから追い出されてもいいように用意された紙ナプキンに包んでベッドの下に隠している。もちろん誰にもバレてはいない。
扉がノックされた。いつも入ってくる人の鳴らす音とは違う音。
別に誰が来ようとどうでもよかった。いつも通り適当に、でも丁寧にどうぞ、と言う。扉を開けて入ってきたのは、あれから一度も顔を見ていないオフィーリアだった。服装から高貴な人だろうということは分かるのに、何故かオフィーリアと年の近そうな男の子一人しか連れていない。それが不思議だった。
「体調はどうですか?」
外行き用に浮かべられた笑み。孤児院によく来ていた大人たちも今の彼と同じような笑みを浮かべていた。だから、助けてもらった恩よりも彼らを疑う気持ちの方が強くなった。
「目的は何ですか。」
私は自分の体調に興味なんて一切ないし、私に今向けられている笑顔がとにかく嫌だと身体が拒否反応を示している。それがすべて。
すると、オフィーリアはその笑顔を浮かべたままで言った。
「やはり貴女には僕がどれだけ繕っても、分かってしまうのですね。」
そう言う彼はどこか余裕そう。
「単刀直入に言うと、貴女にお願いに参りました。まぁ、もう決定事項なのですが。」
言葉を切ったオフィーリアの後に続いて、その後ろに控えていた少年が話し出す。
「はじめまして、私はこちらにいらっしゃるオフィーリア様の従者のアラン・クレバーと申します。貴女にはこれから1年間王城に滞在していただき、このフェリスティア王国で生きていくために必要な教養、礼儀、作法などを身につけていただきます。早速、講師をこの王城内に呼んでおりますので、私どもについて来てください。」
そう言って私に部屋から出ることを促す。もとから私に選択肢なんてないのだろう。とにかくついて行く。
私の後ろにはオフィーリアがいた。逃亡を防ぎたいのだろうか。私にそんなメリットがあるとでも思っているのですだろうか。
つれて行かれた所には、魔術師の外套を纏った濃い紫色の髪を、肩より少し上で揃えて切って下ろしてあるかなり美形の穏やかな笑みを浮かべた青年が立っていた。私を目に捉えた瞬間、優雅に一礼する。
「はじめまして。私はスピリット様専属の教育係を任された魔術師第一騎士部隊隊長のシャルルと申します。私のことはどうぞ、シャルルとお呼びください。」
この人、見たことある。私がオフィーリアに助けられた時、その場にいた_。
「シャルルは優秀な魔術騎士だ。教養、礼儀、どこを取っても完璧だ。それでは、あとはよろしく頼む。」
子供のくせに、10歳以上は年上だろうシャルルの肩を偉そうにポンと叩いてアランを連れて去っていった。
あれから、2年の時が経ち、私は6歳になった。
シャルルにしっかりとしごかれ、教養も礼儀も、同年代よりも優秀な子女になった。表情の仮面も、自然と被れるようになった。
そして今日は、シャルルと一緒に国王陛下に謁見する日。昨日王城専属執事の方が突然伝えに来たのだ。
心の準備は大丈夫。シャルルの後に続いて大広間の中に入る。5メートルぐらい先の高い位置にある玉座に国王陛下と王妃陛下がそれぞれ腰掛けておられる。その威厳は幼い私でも分かる程だった。
「スピリット、貴女に会ってもらいたい人たちがいるの。」
口を最初に開いたのは、王妃陛下。みんな、所詮は孤児院から助け出された可哀想な少女ぐらいにしか思っていないのだろう。
ただ頭を垂れて聞いていると、知らない人の足音が聴こえた。それも、複数人のだ。そして私の前で足を止める。
「スピリットさん、はじめまして…!」
驚いて顔を上げると、そこには薄いサーモンピンクの髪を後ろでお団子にまとめ上げた若い女性と彼女が抱える私より少し年下ぐらいの少女、少女の父親で、彼女の夫である男性が目の前に立っていた。控えめだがきらっと輝いた笑みを浮かべる。
「スピリット、そなたにはこちらにおられるクランドール伯爵夫妻の養子となることを命じる。」
「謹んで拝命いたします。」
国王陛下と王妃陛下に淑女の礼をする。
こうして初めての陛下への謁見は幕を閉じた。その後、シャルルは仕事があるからと先に帰ってしまった。私は、クランドール伯爵夫妻とその娘であるマリーシア様と3対1でお話しする場を王妃陛下のはからいで設けられていた。
クランドール伯夫人のマリーア様はとても優しい顔をしていらっしゃる。
「改めて、私たちの子供になってくれて本当にありがとう。」
クランドール伯夫人のその笑みが眩しい。
「お礼を申し上げなければならないのは、私の方です。この度は、私のような者を養子に向かい入れてくださってありがとうございます。この恩は、必ずお返します。」
習った通りに礼をする。今の私は、ちゃんと子供らしい笑顔を浮かべられているだろうか。それだけが気がかりだ。
「スピリットさん、そう固くならないで。私たちはもう家族になったんだ。私とマリーアのことも父、母と呼んでほしい。だから、その…名前で呼んでもいいかな?」
そうおっしゃってくださる伯爵と夫人の温かな雰囲気が赤子を包むおくるみに包まれたように、ふわふわとした不思議な感覚だった。
__家族。
私がずっと欲しかったもの。手を、どれだけ伸ばしても届かなかったもの。それを、この目の前にいらっしゃる人たちが叶えてくれる。
でも、私が幸せになって本当にいいんだろうか。あの日、同年代の子たちはみんな死んで、私だけ生き残って。今目の前に幸せが提示されていて。許されるのだろうか。言葉にならない感情が私を襲う。
ハッとした時には、私が黙ってしまったからか伯爵夫妻が気まずそうなお顔をされていて、申し訳なさが込み上げてくる。何か言わなければ。なのに、頭が急に真っ白になっていく。言葉が浮かんでこない。
「お姉ちゃん、だいじょうぶ?たいちょうわるいの?」
マリーシア様がソファから立って私の側に来てくれた。私とひとつしか年齢が変わらないのに、なぜかひどく幼く見えた。
「マリーシア様、私は大丈夫です。ご心配いただきありがとうございます。」
たとえ相手が年下であろうと、言葉遣いには注意して。年齢と身分は比例していないとシャルルが教えてくれた。今、確かにそうなのだと思った。今現在6歳の私は、かつて孤児だった。けれどこの子は生まれた時から貴族という、人生勝ち組が約束されたような人生を送っている。この世界の倫理が、到底理解できそうになかった。
「私のことはマリーシアって呼んで!けいしょうはいらないっ。」
私の真っ黒をこの子が真っ白に塗っていくような、言葉だった。私もそれにできるだけ応えよう。
その時、私は多分、初めて心から笑ったと思う。
「ありがとうございます。……マリーシア。」
私は幼いながらに確信した。その時の、マリーシアの笑顔を忘れる日なんて一生来ない、と。
私とマリーシアを見つめる伯爵夫妻__お父さまとお母さまの微笑みは、どこまでも美しく、優しかった。
あぁ、これが家族なんだ。
私はたまらなく嬉しかった。心の中の何かが沸々と心地よい。私の瞳から溢れる涙が、止まらなかった。