地獄色の黒②
あの日からちょうど一週間が経った。
今日は昨日と一変して雨が、止むことをまるで知らないかのように、ただ降り続けていた。
もうこの間までとは違い、天気が変わっても何も感じなくなった。私は間違いなくあの瞬間、感情のすべてをあの場所に置いてきてしまったみたいだ。
「おい、行くぞ。」
私に有無も言わせず昨日と同じように抱え上げるダントの声はやはり冷えた氷よりも冷たい。
特に変わったことといえば、あれから私の両手には黒く錆びた重い鉄の手錠がかけられたこと。こんなことしなくても、私に逃げるメリットなんてないのに。
この生活が嫌とか、そんな思いも特に感じていない。あの生活が嫌とか、それさえも私の中から綺麗さっぱり無くなってしまった。
私の中に広がる散らかった感情のどれを拾えばいいのかわからない。なら、選ばなきゃいい。そうすれば、もう苦しむことなんてないはずだから。
ダントに連れられて、男たちはただひたすら進んでいく。私はただ無心に地面に目を向け、自分の影を見て今太陽が昇っている位置を感じていた。
ダントたちがどこに行くのかは知らない。ただ、私が売り物であることは偶然に聞こえた彼らの会話で知っていた。彼らは全員戦闘魔法が使えることも。私は、誰に売られに行くんだろう。あまり興味はないけれど、それぐらいしか考えられることがなかった。
その時。
「誰だ!」
ダントが辺りに何もないにもかかわらず、彼の柄にもない警戒心が大いに含まれた、大きな声を上げる。
それに合わせて他の仲間たちも瞬時に警戒心を露わにして戦闘態勢に入る。ダントの周りを仲間たちが囲み、四方八方に視線を泳がせる。
そしてその周りに突然現れたのは、綺麗な装飾の施された美しい服を着て、私たちに両手を向ける老若男女問わずいるたくさんの大人たち。孤児院で読んだ本に出てくる魔術師とは、彼らのことなのだろうなと思った。
「その娘を解放しろ。応じなければ、これより我らは戦闘態勢に入る。」
一人の若い男の人が言った。無駄をすべて削ぎ落としたような凛とした声だ。
「それは無理だ。お前ら、殺れ。」
ダントは良くも悪くも、どこまでも冷静な人だ。だからこそ仲間たちも冷静な顔をしていられるのだろう。
ダントは私を雑に地面に投げ捨てて自身も戦闘態勢に入った。
身体を強く地面にある無数の石や小さい岩にぶつける。不思議と痛みは感じなかった。
この場にいる私以外の全員が両手、または片手を向け合う。そして魔法を放ち合う。
火、水、雷、光、蔓、音、…。
人生で初めて見るものばかりだ。あたりに火の粉が飛ぶ。光がぶつかり合って、弾ける。こんな危機的状況でも思わず惚けてしまう私の感性は、だいぶおかしいのだと思う。
「行くぞ」
突然、耳元に聴いたことのない声が聴こえた。誰、と問う暇もなく、黒紫色の外套のフードを深く被って鼻先まで隠した人に腕を引かれ、誰もいない道を猛スピードで駆け抜ける。周りの景色がすべて同じに見えるくらい、景色を見る余裕もないくらい。頬を掠める風が尽きないくらい、速かった。きっとこの人も、魔術師なんだ。よく見ると、外套にはさっきの人たちと同じような薔薇の装飾が施されている。
それに、地面に足をついていないということは、つまり、この人によって私たちはあり得ないくらい猛スピードで低空飛行しているということを意味している。
そのままだいぶ遠くまで来た頃。もう辺りは夕暮れ色に染まっていて、やけに眩しくて目を細める。
そしてようやく、外套の魔術師は被っていたフードを上げて顔を見せる。私と歳はあまり変わらないくらいの、黒髪の少年だった。そのすみれ色の双眸に、穢れなんて一切ないようだ。どうして、こんな目ができるんだろう。
「俺の名はオフィーリア。魔術師だ。君を助けに来た。このまま王都に向かう。俺の手を取れ。」
あまりに簡潔すぎて、一瞬ついていけなかった。そしていつの間にか、私の両手を繋いでいた、あんなに重かった手錠がなくなっている。おそらく、目の前の少年が外してくれたのだろう。手錠がついていないというだけで、こんなにも手だけではなく、体全体わ、軽く感じることができるのか。私は驚いた。でも、そんなすごい魔法使いの印象とは対照的に、私の前に差し出された彼の手は、彼の外見にはそぐわないくらいに傷だらけだった。今、目の前にいる彼のことは、よく知らないはずなのに、なぜか私と似ていると感じた。
もう人を信じることに抵抗感しか憶えなくなってしまった私だけれど、この手はとってもいいのかなと思えた。
だから、彼の手を取った。私は何も言わなかったけれど、のせた私の手をたしかに握りしめて彼は言った。
「行こう。」
さっきよりも優しい声。この声を聴いて、私の中の何かが緩まった。私にかけられた手錠を外してくれた、優しい声を掛けてくれた、貴方に。ついていきたいと思った。私が、何かを望む。それがいいことだとは思わない。だけど、これは許して欲しい。そう、心から思う。これが狡いことだと分かっていても。
「目を閉じて。」
私のそんな思いも知らない彼の言葉に従って、ただ目を閉じた。ほんの、一瞬のことだった。目を開けて、と言われて私の目に映った世界は、ついさっきまでいた森の中ではなく、人で溢れた見たこともない街だった。
「ここが、王都だよ。」
__王都
感情を失ったと思っていた私に、たくさんの知らない人たちの笑い声が聴こえた。
この声が少しだけ羨ましいと感じたのは、また別の話。
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今、数ある世界観の中から、私のこの物語を読んでくださって、本当にありがとうございます。
この言葉にし難い喜びを、作品に変換してあなたにお届けできるように日々精一杯頑張っていきたいと思います。
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