穏やかに輝く光①
寮での暮らしにも大分慣れてきた頃。
学院への入学から1カ月以上が経った。
気づけば窓から見える樹木の葉は青々と茂っていて、葉っぱ越しに覗く光が室内を淡く照らしている。
昨日、アラン様が私の部屋に訪れ、明日__つまり今日、特訓のため王城に来るように言われた。
特訓をつける専属講師も既に手配済みだと言われた。まったく、どこまでも抜かりのない人だと思う。そこまで私に女神でいて欲しいのだろうか。私に女神としての記憶なんてないというのに。
それに、わざわざ王城で特訓をする必要もないと思う。学院の実技ドームは常に週末は開放されているし、王城でやる意味もない。
__と思っていた。王城で彼に出会うまでは。
「はい、じゃあ1回休憩にしよっか」
「はい……」
何なんだここは!と本当は今すぐ叫びたかった。
まず、最初に王城内のアラン様に指定された場所に着くと、待っていたのは若手の、見るからにチャラそうで、両耳では金のピアスが軽やかに音を立てて揺れている。鮮やかすぎて地毛かどうかもわからないサラサラの短く耳の下で切り揃えられた金髪に、薄いココアブラウンのの瞳が印象的な男性だった。その洗練された一挙手一投足は可憐で美しく、誰がどう見ても女性だ。
しかし、声や口調は男性のそれだったので、正装すれば、その姿は御伽話に出てくる王子様のそれに化ける。そこが少し噛み合っていないなと思う。
きっとマリーシアが見たら黄色い悲鳴を上げたのだろう。
だが、その身に纏っているのは魔術師であることを示す薔薇の刺繍が入った美しい黒紫色の外套。それだけで一般の貴族令嬢は手を出せなくなる。
私がそんなことを考えていた時、そのヘラヘラとした笑顔で彼はとんでもないことを言った。
「じゃあ、今から俺が魔術を君に向かって放つから、全部一歩たりとも動かずに防いでみて。」
「はい……?」
そこからはもう消耗戦に等しかった。最初から私の返事なんかは求められておらず、すぐに魔術が飛んできた。彼が操るのは、すべての属性の最高位魔術。どれも操れるようになるまでには途方もない時間と努力を要するだろう。常人がやろうと思ってやれるようなことではない。それに、本人の才能も影響する。だから本当に、ごく僅かの限られた魔術師にしかできない。
属性の数もただでさえ多いのに、それを入学後間もない学生の令嬢に一歩も動かずに防げだなんて__。
と、一般の魔術師なら思うだろう。
「……余裕」
きっと彼の耳に私のその呟きは届かなかったのだろう。
彼が操る速く、重たい魔術がポンポン飛んでくる。
一歩間違えれば、死ぬ。そのぐらいの威力。かすり傷では済まない。
「……驚いた。その若さで俺の技を防御できるのか」
そう。私は彼の魔術をすべて防御し、最後には全部まとめて跳ね返したのだ。
そうするには結構な魔力量を消費するため、私は魔力切れを起こし、今に至る。
彼だって相当な量の魔力を消費しただろうに、疲れを一切感じさせないのは、やはり一流の魔術師だからだろうか。
床に何の躊躇いもなく腰を下ろした私の近くに、彼も腰を下ろす。
「驚いた。伯爵家の令嬢なら、地べたに腰を下ろすことを厭うかと思ったけど?」
「私は、伯爵家の養子で、もとは孤児でしたから……。生まれつきの貴族の感覚は今もいまいちピンと来ません。」
最近、自分の過去に対する考えが、少しだけ変わった。
自分のルーツなど、卑しく、恥ずべきものだと思っていた。今だってそう。
でも、スピアナが受け入れてくれたことで、心が少し軽くなった。
だからこそ、もう過去に囚われたくないと。強くなりたいと思った。そのために、他人に私の過去に対する後ろめたさを感じさせたくない。
何故だろう。横目に映る彼は、どこか寂しそうな顔をしていた。まるで彼だけ、ここではない何処かの景色を見ているかのような錯覚に陥る。
「俺も、もとは戦災孤児だったんだ。両親も兄貴もみんな死んだ。でも、俺が1人彷徨ってた時、ある魔術師が俺を引き取ってくれた。俺に才能があるとか言って。俺はずっと畑を耕して生きていただけで、まともな教養も受けていなかった。当時は心底不思議だったよ。でも、今間違いなく言えるのは、その人のおかげで今こうやって君と話せてるってことさ。俺みたいな奴は大勢いる。」
私だけじゃ、なかった。もしかしたら、この人以外にもそういった経緯で今王城にいるという人もいるのではないだろうか。
でも、現実がそう甘くはないことを、私はすぐに思い知らされる。
「でも、世の中そんな簡単に上手くはいかないんだよ。俺たちには、才能があった。身分がどれだけ相手より格下だったとしてもそれを上回れるだけの力が。だから俺たちは忘れてはいけないんだよ。救われなかった者たちがいること。これが、その人たちを助けるためにある力だってこと。」
この能力があるのは、決して当たり前ではない。だからこそ、力を持つ者としての役割をまっとうしなければならない。そう彼は言いたいのだろう。
「ありがとうございます。私はそれを、知っているようで、本当は全然、解れていなかった。だから、御礼を。」
軽くなった腰を上げ、私は彼に頭を下げる。貴族令嬢としてではない。ただの『私』として礼。
彼もまた、私の向かいに立ったのがわかった。
近くで見てようやく気がついたが、彼もやはりサファイアのペンダントをつけている。
「俺の名は、ソレイユ。ソレイユ・ティカルソーネだ。ソレイユって呼んでくれて構わないよ。ちなみに、年齢は君の2つ上だ。何かあったら、気兼ねなく俺を頼って。必ず君の力になる。」
そう言う彼は、またさっきのような軽い笑みを浮かべ、私に自身の右手を差し出す。
「よろしくお願いします……、ソレイユ」
「よろしくね、スピリット」
雲間から差し込む光は、まばゆい輝きを放つ粒子を纏わせて、私たちのもとに降り注いでいた。
しばらく雨は降らないだろう。




