灰色の霧③
こんなに嗚咽を漏らしながら泣いたのは久しぶりだった。
最後にこうやって誰かに抱きしめられながら泣いたのは、まだ平和だった孤児院時代を過ごしていた13年前。
私より1つ年上の、みんなのお姉ちゃん的存在だったサラが抱きしめてくれた。
すごく優しくて、明るい子だった。太陽みたいなライトオレンジの瞳にコーラルピンクの長髪をいつも高い位置から結んでいて、私も髪が伸びたら真似したいと思っていた。
でもサラが最後に私に向けたのは、醜い笑み。嬉々とした瞳。
それを見たときは声が出なかったのを今でも覚えている。
それ以降、泣いたとしても口は自然と引き結ばれていた。
だから、久しぶりに嗚咽を漏らしたことに私は結構驚いていた。
涙を流し切り、ようやく冷静になってきた頃。
スピアナは何故か私に再び頭を下げていた。
「スピリット、私には……貴女に話せない秘密がひとつだけあります。」
どうしたのだろう。自分だけ私の秘密を知っていることに不公平さを感じてしまったのか。そんなこと、私は別に気にしないのに。やっぱりスピアナは優しい人なのだろう。それもあって、スピアナは信頼できるなと思う。
「でもいつか、貴女にも話したいと、話せる日がきっと来ると思います。だからそれまで、待ってください」
スピアナは頭を上げない。
「スピアナ、頭を上げてください。秘密は、誰にでもあって当然です。貴女が私に話したいと思ってくれたことだけで、私はたまらなく嬉しいのです。」
スピアナはゆっくりと頭を上げる。
この人はすぐに頭を下げてしまう癖があると思う。 きっと彼女にも、彼女だけの苦労があるのだろう。
コンコンコン。
スピアナが自室に帰ってしばらくした頃、この部屋に今日二度目のノックの音がした。
今度は誰だろうか。
どちら様ですか、と扉越しに問うと意外にも来訪者はオフィーリアだった。扉を開けて部屋に入ってもらう。
オフィーリアがソファにかけたのを確認すると、早速気になったことを口にする。
「どういったご用件でしょうか、オフィーリア様。」
「スピアナ嬢が先ほどこの部屋にやって来ただろう?」
またその自信に満ち溢れた笑みを浮かべるのか、と尊敬を通り越して呆れてしまう。
「はい、オフィーリア様の思惑通りに事が運んだという解釈でよろしいでしょうか。」
するとオフィーリアは急に拍手を3回した。室内にやけにその音がはっきりと響く。
「やはり貴女はあの頃と変わっていませんね。他人の思惑や謀を知っていても何ひとつとして驚いたりしない。」
多分、褒められている。しかし、『あの頃と変わっていない』という表現に私は少なからず怒りを憶えた。
先ほどのスピアナの話を聞く限り、オフィーリアは既に私の過去を知っていることは明らかだ。
でも、その時の私の心境は私にしかわからないはずだ。それを、私以外の人が知ったかぶりをして話すのは違う気がする。それも、本人の前で話すこととして不適切だ。
コントロールできずに表情にまで表れてしまったのか、オフィーリアにテレパシー能力があるのかはわからないが、オフィーリアが謝罪の言葉を吐いた。
「スピリット、人の根本的な部分は一生変わらないと俺は思っている。性格が変わったというのは、性格の一部が変わったということ。決してすべてなんかじゃないと思うんだ。」
そうですか、としか言いようがなかった。
他に何と言ったら正解なのかも、わからなかった。
「スピアナ嬢にどんな風に私の過去を話したかは存じ上げませんが、話してくださって、ありがとうございました。」
お礼は言っておこうと思っていた。次いつ会えるかわからないような立場の方なので、今しか伝える時間がない。
「何故だ?俺は貴女の過去を他人に言ったんだぞ?貴女の許可もなく、貴女の知らないところで。」
「先ほど、スピアナ嬢から聞きました。私の過去を話すオフィーリア様が、辛そうなお顔をされていたこと。」
見ていられないくらいの表情だったと。だからずっと俯いた状態で話を聞いていたと、スピアナは言っていた。
正直、そんなオフィーリアの姿は想像できなかった。もちろん、今も。
「私は、自分の過去を話すだなんて恐くてできないと思います。けれど、貴方が話してくださったおかげで、私はスピアナ嬢と本当のお友達になることができました。私がマリーシアではなくても、お友達でいてくれると。こんなにも、自分のことで喜んだのは人生で初めてだと思います。だから、感謝を。」
最後に添えた笑みは、教わったものとは少し違う気がしたけれど、私はそれでいいと思った。
「……そうか」
しばらくの沈黙。けれど、不快なものではなかった。
「では本題に入るが__」
今のが本題ではなかったのか、と突っ込みたくなった。
「2ヶ月後、学院で毎年恒例の魔術トーナメント大会が行われる。身分関係なく、国中のすべての人に観戦の権利があり、全校生徒が学年関係なく魔術の腕を競う行事だ。優勝者は必ずトパーズを賜ることができる。そして貴女は女神を召喚した。この意味がわかるか?」
本当にこの方はどれだけ自分で説明するのが億劫なのか。それとも私を信用しているのか。多分、というか間違いなく前者だろう。
「つまり、女神の体面を守るために、私にそれだけの力があることを示せということでしょうか。記憶はまだ戻ってはいませんが、魔力が安定していることは感じています。」
「そうだ。最上のサファイア級の魔力は、女神なら余裕で超えられる。貴女が女神であると、国中の民に知らせることができる。人々は安心して平和に生活することができるようになる。」
「貴女の隣に相応しい者になれ、と?」
「流石、首席なだけあってよくわかっているな。」
この国の有名な御伽話だ。建国の歴史も学ぶことができる。
__かつて、魔王と女神は人々を魔物から護り、国を創った。ふたりは惹かれ合い、子供が生まれた。その子孫がこの国の王族である。
有名な話だ。本当なのかはともかく。
つまり、記憶はないが私の前世はオフィーリアの妻ということになる。
「つまり、これから2ヶ月、貴女にはみっちり修行してもらう。この部屋で暮らしせるように手配もした。いいな?」
「かしこまりました」
頭を垂れる。命令に逆らおうとは思わない。何より、この寮で暮らせることに安堵した。私はよっぽどあの屋敷に帰りたくなかったようだ。心の内で苦笑する。
翌日、休日にもかかわらずアランが学院の実技制服を持ってきたのはまた別の話。
次回予告:新章突入!
少しずつ変わるために歩み始めたスピリットの奮闘をお楽しみに!!!
12月15日更新です♪




