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第8話

ここでは、主人公が放課後の図書室という“静けさ”のある空間を拠り所にする様子が描かれる。にぎやかな友人たちとの時間から少し離れ、古い文芸誌をめくりながら彼女との思い出を思い起こす。その“静寂の中で感じる胸のざわめき”こそ、誰もいない席とともに語られてきた喪失感を、また違った角度から掘り下げているようだ。やがて合唱コンクールや新しい日々の予定が迫るにつれ、主人公はかすかな焦りや期待を抱きつつ、まだ見ぬ「外の世界」へ手を伸ばす予感を抱き始める。そんな微妙な揺れが、図書室の穏やかな空気と対比されて鮮明に映し出されている。

 放課後、図書室を訪れることが増えた。合唱コンクールの練習がある日以外は、あの最上階の踊り場か、あるいは図書室の奥で時間を過ごしている。以前のぼくなら友人たちと一緒に談笑したり、適当にコンビニへ寄って帰宅したりしていただろう。けれど、彼女を失ってから、なぜか雑踏の中にいるより、静かな場所を選ぶことが多くなった。


 図書室には穏やかな空気が流れている。棚には文芸書や参考書、雑誌などが並び、放課後にもかかわらず利用者はまばらだ。ぼくは奥の方へ行き、誰もいない机に腰を下ろした。外の廊下からは吹奏楽部や運動部のかけ声が微かに聞こえてくるが、図書室の中だけは別世界のような静寂に包まれていた。


 彼女はあまり本を読むタイプではなかったが、詩集や画集をパラパラ眺めるのは好きだった。特に鮮やかなイラスト付きの詩集を見つけたとき、嬉しそうに「ここ、すごくいい感じじゃない?」と小さな付箋を貼っていた姿を思い出す。今、その本はどこへ行ってしまったのだろう。貸し出し中なのか、図書室の整理で取り除かれたのか、見つけられないままだ。


 棚をざっと見渡すが、それらしい詩集は見当たらない。似たようなジャンルの本が並ぶコーナーを何度か探すが、やっぱり見つからない。少し落胆しながら、今度は適当に手に取った文庫本をパラパラとめくってみる。活字がたくさん詰まっていて、軽い気持ちでは読めそうにない。


 そうやって棚を巡回していると、雑誌コーナーの下段に古い文芸誌が積まれているのを見つけた。埃を被ったその山を崩さないように慎重に引っ張り出し、机に運んでみる。表紙に掲載された日付は数年前で、デザインもやけに古めかしい。好奇心に任せてページをめくると、地元の高校生が執筆した短いエッセイや詩が載っている特集があった。


 そこには、彼女の名前があったわけではない。けれど「同世代の誰か」が書いた文章を読んでいると、なぜか胸がざわめく。恋愛の喜びや、部活に打ち込む気持ち、将来への不安……いずれも等身大の思いが綴られていて、どこか懐かしさを覚えた。もしかしたら、彼女がこの世界に生きていたら、こんなふうに何かを表現していたのだろうか――そう思うと、切なさとともに、かすかな温もりが湧いてくる。


 一通り目を通したあと、文芸誌を閉じて大きく息をついた。静かな図書室の空気が肺に染み込むようで、少しぼんやりする。時計を見ると、もう放課後の部活動が終わる時間が近い。廊下の足音が少しずつ増えてきた。


 そっと図書室を出ると、夕焼けの色が窓ガラスをオレンジに染めている。校舎の階段を下りながら、ぼくはふと、彼女の姿を探してしまう。何度も「もしかしてあの角を曲がったら、ひょっこり現れるんじゃないか」なんてあり得ない想像をしてしまうのだ。もちろん、そんなことは起きない。


 下駄箱へ向かう途中、廊下の隅に貼り出された掲示板が目に入った。そこには、合唱コンクールの日程や概要が大きく書かれている。その下にはクラスごとの練習状況を示す表があり、ぼくのクラスの欄に「あと2週間で合わせ練習を集中」といったメモが貼られていた。


 「2週間か……」


 すぐ目の前まで迫っている現実に、軽い緊張を覚える。クラスで声を合わせる合唱は、思った以上に大変だ。彼女が隣で「もっと声出して」と背中を押してくれたら、もう少し張り切れたかもしれないのに――そんな他愛ない妄想が頭をかすめる。


 玄関を出ると、外の空気は少しひんやりしていた。オレンジから紫へ変わりゆく空に、薄く雲が流れている。校門を抜ける前に、思わず振り返って校舎を見上げた。昼休みに足を運ぶ最上階の踊り場は、ちょうど影になっていて見えない。けれど、あそこには確かに静かな空間があって、ぼくが彼女を思い出す場所がある。


 そこに「新しい思い出」を重ねられるかは、まだわからない。けれど、図書室でふと文芸誌を読んだときの感覚――誰かの想いが形になり、そこに宿る温もり――を思うと、ぼくもいつかは自分の気持ちを外の世界へ向けて発信できる日が来るのかもしれないと思えた。


 下を向いて歩いていたら、前方から友人が追いついてきた。「おー、帰るのか? 一緒にコンビニ寄っていこうぜ」と声をかけてくれる。ぼくは「うん」と答え、自然と笑みがこぼれた。彼女がいなくても、ぼくは一人じゃない――そう思える仲間が、この学校には確かにいるのだ。


 歩き出す友人たちと肩を並べながら、ぼくは胸の奥に彼女の面影を抱きつつ、一日が終わっていく穏やかな時間を感じていた。

図書室を出たあとの夕暮れの校舎や、合唱コンクールへのカウントダウンが示すように、時は容赦なく流れ続けています。彼女の気配を無意識に探してしまう主人公がいる一方で、“誰かの思い”がこもった文章や仲間の存在を通じ、主人公はまたひとつ前へ進む勇気を得る。孤独を感じながらも、「ひとりではない」と実感できる仲間たちがちゃんとそばにいるのです。

まだ見ぬ“新しい思い出”がどんな形で重なっていくのかはわからない。けれど、本に詰まった言葉のぬくもりやクラスの笑い声、そして夕焼けを見上げる心の余裕が、彼女のいない世界でも主人公を生かしていく力になっている。図書室から日常へ戻る小さな一歩は、次の章へと続く大きな歩みの始まりをささやかに予感させます。

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