第6話
ここでは合唱コンクールの練習を通じて、主人公が学校生活のなかで「彼女を失った痛み」と向き合いながらも、少しずつ前を向こうとする姿が描かれる。コロナ禍で久しぶりの合唱行事という設定も相まって、クラスメイト同士が声を重ねる喜びや懸命さが際立ち、彼女がもういないという現実をまた別の角度から浮き彫りにしている。残された写真や、ピアノ伴奏に合わせて生まれる音の響きは、「まだここにいるようで、でも確かにいない」という矛盾を象徴しながら、主人公の心を揺さぶる。しかし、少しずつクラスの雰囲気に混ざり合い、声を出そうと意識することで、主人公の胸にはほんのわずかな成長や再生の芽生えが感じられる。
文化祭から帰った翌週、クラスでは合唱コンクールの練習が本格的に始まった。毎年恒例の行事だが、ぼくたちの学年はコロナの影響などもあって、きちんとやるのは久しぶりらしい。教師から配られた合唱曲の楽譜は、どこか懐かしい響きのする定番曲。
彼女は合唱コンクールが好きだったかというと、正直よくわからない。歌うのは好きそうだったが、照れ屋なところもあった。体育館でクラス全員で声を合わせるとき、彼女は何度か後ろを振り向き、ぼくに笑顔を向けてくれた記憶がある。練習の休憩時間には「声が小さいよ」なんて軽口をたたかれたっけ。
今、その彼女の姿はない。けれど、「歌声が教室に響く」というシチュエーションは、やっぱり彼女のことを思い出させる。ピアノ伴奏に合わせてクラスメイトたちが声を張り上げるとき、ぼくはふと空席の存在を意識してしまう。もし彼女がここにいたら、どんな声を重ねていたのだろう――と、想像しては胸を締めつけられる。
放課後に体育館へ移動し、学年全体で合わせてみると、なかなか曲が揃わない。音程がずれているパートもあれば、声量が足りないパートもある。音楽の先生がマイクを通して「もっと腹式呼吸を意識して!」と指導するたび、皆が苦笑いを浮かべながら練習に励む。
そんな中、ぼくはどうにも落ち着かない気分だった。周囲のクラスメイトがわいわい話す合間に、ふと「彼女がここにいない理由」をまざまざと思い出す。死別という圧倒的な事実。こればかりは、どうあっても変えようがないのだと、改めて突きつけられるようだった。
――それでも、ぼくたちの学校生活は続いていく。体育館に響く声や足音、空気の震えが「今は今で進んでいる」と告げてくるようだった。もし彼女が見たら、「いいじゃん、みんな頑張ってるね」と笑うだろうか。それとも「まだまだ声が小さいよ」と茶化すだろうか。想像するだけで、思わず笑いそうになる自分がいる。
休憩時間、クラスメイトの一人がスマホに残っていた去年の写真を見せてくれた。そこには、まだ彼女が写っている。合唱練習の合間に撮った集合写真だそうだ。彼女は笑顔でピースサインをしており、その後ろにぼくの姿もうっすらと見切れていた。
「わたしたちも、こんなふうにうまく歌えればいいんだけどね。あのときは夏前に予行練習しただけだったし……」
クラスメイトはそう言って苦笑しながら、画面を操作して写真を拡大する。彼女の笑顔をまじまじと見るのは久しぶりで、思わず胸が痛む。もう会えない人を、こうして写真でしか見られないことが、こんなにも切ないなんて。
しかし同時に、写真の中の彼女は確かに「そこに存在した」と強く感じさせてくれた。記憶が風化していく恐怖があったけれど、こうして残された断片が、彼女の声や仕草を思い出させる。「忘れないで」と言っているようにも思える。
やがて休憩が終わり、再び合唱練習が再開される。先生のピアノ伴奏が始まると、ぼくは意識して声を出してみた。少しでも、彼女が好きだったかもしれない「歌う行為」に近づける気がして。クラスメイトの声と重なり合うとき、かすかな感動が胸に湧き上がる。これは、ぼくたちが共に生きている証でもあるのだと。
練習後、クラスメイトと階段を下りながら、誰かが「今年は優勝目指すぞ!」と冗談混じりに言い、皆が笑う。ぼくもその笑いに乗って「それならもっと練習しないと無理だね」と返すと、なんだかほんの少しだけ心が軽くなった。死の痛みは変わらずあるのに、周囲との関わりがぼくを少しずつ支えてくれているように感じる。
――もしかすると、こうして日常を重ねること自体が、彼女の痕跡を胸に抱きながら生きるということなのかもしれない。
昇降口へ向かう途中、ふと窓の外を見ると、グラウンドの片隅で誰かが自主練をしているのが見えた。吹奏楽部の生徒だろうか、トランペットの音がかすかに届いてくる。合唱練習でも音楽室でも、どこにいても何かの「音」が世界を彩っている。彼女のいない世界は無音ではない。むしろ、これからも新しいハーモニーが生まれていくのだろう。
下駄箱で靴を履き替えながら、ぼくは「明日は部活の見学でもしてみようか」とふと考える。以前のぼくなら考えもしなかった行動かもしれない。でも、そういう小さな一歩が、彼女を失った現実の中でも前を向く方法なのではないか――そんな気がするのだ。
外に出ると、空が茜色に染まり始めていた。あのとき見た写真の中の彼女に似合いそうな、やわらかな夕焼け。もしも彼女が隣にいたら、きっと「きれいだね」と笑うだろう。ぼくはその想像を噛みしめながら、静かに校門をくぐる。
明日も合唱練習がある。慣れない腹式呼吸を続ければ、また恥ずかしい思いもするだろう。でも、それでいい。まだはっきりと言葉にはできないけれど、少しずつ「生きていく」という実感を取り戻している気がするのだから。
合唱の練習をきっかけに、主人公は「声を合わせる」行為の尊さを通じて、死の痛みだけに囚われていない自分に気づき始めます。写真に残る彼女の笑顔が一方で胸を締めつけながらも、クラスメイトたちの明るい声やほんの小さな冗談が、日常の再生を支えてくれる存在に思えてくるのです。
音楽室から響くメロディや体育館での足音、グラウンドで行われる自主練習――どこを見渡しても何かしらの音があふれていて、彼女がいなくなった世界は決して無音ではない。そんな気づきが、主人公の胸に「生きる実感」を呼び戻しているのでしょう。まだはっきり言葉にはできなくとも、小さな一歩を踏み出そうとする主人公の姿が、夕焼け色の校庭に溶け込むようにして描かれ、物語は静かに次のステージへと続いていきます。