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第5話

このシーンでは、主人公が「いつもの場所」から離れ、友人たちと隣町の高校の文化祭へ足を運ぶ姿が描かれる。慣れない環境や多彩な催しに触れることで、主人公は「彼女」がいなくなった自分の日常とまったく違う青春の気配を感じ、胸にかすかな刺激と迷いを抱く。友人の誘いに応じ、電車で知らない街を眺めながら、もし彼女が隣にいたらどんな会話を交わしていただろう――そんな空想が繰り返し頭をよぎる。一方で、他校の生徒たちの笑い声や音楽に包まれる中、彼の心は少しずつ、未来に目を向ける余裕を取り戻していくのかもしれない。

 翌週、珍しく友人から「隣町の高校で文化祭があるから、一緒に行こう」と誘われた。普段なら人混みが苦手で断ってしまいがちだが、なぜかそのときはふと心が動き、「行ってみようかな」と答えていた。ここしばらく、学校の中にばかり目を向けていたせいか、違う場所で空気を変えたくなったのかもしれない。


 放課後、友人と数人で集まり、電車を乗り継いで隣町の高校を目指す。窓から見える景色はいつもの通学路とまったく違い、見慣れない街並みが次々と流れていく。日常の延長線でありながらも、どこか旅に出るような気分だった。彼女とこうやって電車に乗る機会はあまりなかったが、もし一緒に来ていたら、どんな会話をしていたのだろう。


 目的の高校は、駅から少し歩いた先にあった。門をくぐると、模擬店や屋台が建ち並び、たこ焼きや焼きそばの匂いが漂ってくる。放送部らしきメンバーが元気な声で出し物を紹介しており、活気にあふれていた。校内の廊下にもたくさんの装飾があり、音楽室ではバンド演奏が響き、美術室では展示が行われているらしい。


 「すごいにぎわってるね」

 「うちの学校の文化祭もこんな感じに盛り上がればいいのに」


 友人たちは口々にそう言いながら、クラス展示の教室を覗いたり、食べ物の屋台に並んだりしてはしゃいでいる。ぼくも後に続こうとするが、どうしても他人事のような距離感を覚えてしまう。ここは「誰かの青春の場所」であって、ぼくとは関係のない空間に思えるのだ。


 それでも、時折見かける笑い声や、カメラを向け合って楽しんでいる生徒たちの姿に、胸がかすかにうずく。もし彼女がここにいたら、確実にこのお祭り騒ぎの中で目を輝かせていただろう。たとえ自分の学校じゃなくても、「おもしろいことは全部楽しむ」というのが彼女のスタンスだった。そんな彼女を、いつもぼくは少し羨ましく感じていたのかもしれない。


 ひとしきり模擬店を回ったあと、友人たちとはぐれてしまった。広い校内で迷子のように歩き回るうちに、人通りが少ない渡り廊下に出る。遠くから吹奏楽部なのか、かすかに演奏が聞こえてきた。少し気になる音色に引かれて、さらに廊下を進んでみる。


 行き着いたのは音楽室だった。ドアが半開きになっていて、そこからリコーダーや鍵盤ハーモニカの練習らしき音が漏れていた。どうやら何か小さな出し物の準備をしているのだろう。ぼくがそっと扉越しに中を覗くと、数人の生徒が音合わせをしている。その光景はまるで、彼女が見たがっていた「音楽を楽しむ世界」の縮図のように思えた。


 ――彼女が生きていたら、大学で音楽を学びたいと言っていた。冗談半分だったかもしれないが、子どもみたいに目を輝かせて話していたのを覚えている。ぼくは、彼女が奏でる音楽を聴いてみたかった。けれど、その未来はもう奪われてしまった。


 音楽室の扉を閉め、小さくため息をつく。すると、近くを通りかかった生徒が「演奏はまだ準備中だけど、よかったら聴いていってね」と声をかけてくれた。知らない人の優しさに一瞬うろたえながらも、「ありがとう」とだけ答える。彼女なら、こういうときもっとフレンドリーに会話を弾ませられただろう。


 校内放送が流れ、メインステージでの催しが始まると告げている。そのアナウンスを聞きつつ、ぼくはまた廊下を戻っていく。いろんな人たちがそれぞれの形で青春を謳歌している。ぼくにはその中心にいる資格はない気がしたが、なんとなく眩しくて、心が軽くなる部分もあった。


 夕方に近づくと、友人たちが集合場所に戻ってきた。皆、それぞれに楽しんだ様子で、「来年のうちの文化祭ではこんなことがしたいね」と盛り上がっている。そういえば、ぼくは自分の学校の文化祭を楽しみに思ったことがあまりなかった。けれど、いざこうしてよその高校の熱気を感じると、何かやってみたいと思う気持ちが湧いてくる。彼女がいたら、まっさきに賑やかな企画を考えてくれただろう。


 帰り道、駅へ向かう夜道をみんなと歩きながら、ぼくの胸には奇妙な感慨があった。他の学校の活気や笑顔を目にすることで、少しだけ未来に対して前向きになれた気がするのだ。彼女がいない世界を嘆くばかりではなく、「もしかしたら、いろんな景色があるんだ」と思えた。


 電車の中、友人たちがお菓子を回してくれたり、今日撮った写真を見せ合ったりする。そのとき、不意に彼女が笑っている姿が目に浮かぶ。「そこ、わたしにも見せてよ」と言いながら、隣に座ってくれていたら――そんな空想が胸を甘く締め付ける。


 目的の駅に着くと、ぼくは小さく伸びをする。つかの間の非日常が終わり、またいつもの通学路が待っている。でも、不思議と憂鬱さはなかった。いつか、彼女のいない学校生活の中にも、こういう小さな楽しみが増えていくのだろうか。少しだけそう期待しながら、ぼくは友人たちと駅の改札を出た。

隣町の文化祭という小さな冒険は、主人公に「違う世界」を垣間見せると同時に、彼女との日常を懐かしく呼び覚ましました。音楽室での演奏や賑やかな模擬店の風景が、もし彼女も一緒にいてくれたらと、喪失感を痛烈に思い出させる一方、「こんなふうに楽しめる場所がほかにもあるのだ」という未来への希望も感じさせます。いつかまた彼女の思い出を胸に、主人公自身も文化祭を思い切り楽しめる日が来るのだろうか――そんな予感が、帰り道の夜道や電車の中に広がる空気からやわらかく伝わってくるのです。少しずつ湧き上がる「やってみたい」という意識こそが、これまで停滞気味だった主人公の心に生まれた、新たな芽生えなのかもしれません。

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