第2話
ここでは、主人公が学校生活の中で“彼女”の存在を失った悲しみを抱えながらも、日々の授業やクラスメイトとのやりとりをこなす姿が描かれている。英語のリスニングや、ふと目を向けた黒板の英文――いつもと変わりないはずの光景や音声が、彼女のいない事実をひしひしと浮き彫りにしてしまう。かつては一緒に落書きし、部活見学に付き合うほど気安かった関係。しかし今、主人公の隣には空席だけが残り、忘れられない想いが苦しく胸を締めつけます。教室から離れても、校舎を出ても、重苦しい現実と淡い幻想が交錯し、彼女との日々に縛りつづけられている主人公の心情――その静かな葛藤が綴られている。
1時間目の英語の授業が始まると、教師の声がマイクを通して響く。外国人のALTを交えながら、軽妙なやりとりが教室を和ませる。笑い声があちこちで起こり、先ほどまでの重苦しさが少し薄れる。
彼女がこの授業を好きだったかは、正直わからない。むしろ「英語のリスニングって眠くなるよね」と言って、たびたびノートの端に落書きをしていた姿を思い出す。ふわふわとした線で、小動物や謎のキャラクターを描き、ぼくにそっと見せてきた。ぼくが「何それ?」と聞けば、彼女は「自分でもわからないけど可愛いでしょ」と笑った。
そんなやりとりを思い出すだけで、胸の奥がきしむ。机の上には彼女が描いた落書きなんてもう残っていないが、記憶はいつまでも消えずにいる。周囲のクラスメイトがテキストを読み上げる声を聞きながら、ぼくは心の中で「ごめん、まだ忘れられない」と呟いていた。
授業が進むにつれ、ぼくは黒板の英文をノートに写す。アルファベットが歪んでしまうのを気にしながら、どうにか形を整えようと集中してみる。すると少しだけ雑念が消え、彼女のことを考えなくて済む時間が生まれる。
けれど、唐突に教師が指名をする。「はい、後ろの席の君、読んでみましょうか」。少し間があって、クラスメイトが答える声。ぼくのすぐ近く、まさに空席の隣あたりの席だ。その声は当然ながら彼女のものではない。
当たり前のことなのに、ぼくはなぜか胸が詰まってしまう。隣にいるはずだった人がいない――そんな現実を、毎日のように繰り返し突きつけられているようで、息が苦しくなる。
それでも、授業は無情にも進む。ぼくはノートをとり続け、チャイムが鳴るまでの時間を淡々と消化していく。チャイムが鳴ると、クラスメイトたちは一斉に休み時間モードへ切り替わり、さっき習ったばかりの英文を「全然覚えてない」と言って笑い合っている。ぼくもその輪に入るべきなのかもしれない。でも、どうしても足が動かない。
結局、座ったまま教室の後ろへ目をやると、開きっぱなしの窓から春の風が入り込んでいた。その風は少し冷たく、どこかに彼女の面影が混じっているような錯覚を覚える。彼女は風のように軽やかで、どこへでも行けそうな人だった。ぼくは逆に重苦しい足取りで、この場所に縫い止められている。
休み時間が終わるころ、友人が「今日の放課後、どうする?」と声をかけてきた。部活に顔を出すのか、それともバイトなのか――本来なら、彼女の部活見学に付き合っていたはずだが、もうそんな約束はできない。
「うーん……」と曖昧に言葉を濁し、ぼくは廊下に逃げるように出る。すると、他のクラスの生徒がわいわい騒ぎながら通り過ぎる音が聞こえてきた。誰もがさまざまな時間を共有して、それぞれの「青春」を生きている。ぼくも確かに、その一員であるはずなのに。
廊下の窓から外を眺めると、グラウンドでは運動部員たちが走り込んでいるのが見える。彼女は運動が得意ではなく、どちらかというと文化系だった。でも「スポーツの応援は好き」と言って、時々放課後にグラウンドへ行く姿を思い出す。
ぼくは心の中で問いかける。「いったい、どうすれば次へ進めるんだろう」。答えは見つからない。けれど、教室に戻ると再び空席が目に入るのは分かりきっている。その繰り返しが、まるで罰のようだ。
その後の授業も、同じように過ぎていく。何となく受け答えをし、ノートに書き込み、クラスメイトの笑い声に混ざることもないまま、午前中が終わるころにはぼくの体はぐったりと疲れていた。彼女を忘れようとしているわけではないが、忘れられない現実が苦痛になるときがある。それでも、心のどこかで「もしも、いつか会えるなら」という淡い幻想を捨てきれずにいる自分がいるのだ。
英語の授業をはじめ、日常のどこにでも“彼女”の影を見出してしまう主人公。もう座ることのない席や、軽やかに笑っていたその姿との対比が、彼の疲労感を一段と際立たせています。周囲のクラスメイトはいつもどおりに過ごし、青春を謳歌しているように見えるからこそ、主人公は自分一人が取り残されているような錯覚を覚えるのでしょう。忘れたいわけではないのに、忘れられない現実が時に苦痛となり、しかし「もしも、いつか会えるなら」といった幻想が一歩を踏み出すことを阻む。この痛みと甘い期待が交錯する心象こそが、彼がまだ大切な人を想い続けている証でもあります。果たして、そんな迷いの渦から抜け出す日は訪れるのか――物語は、喪失と再生のはざまで揺れ動く主人公を、さらに静かに映し出していきます。